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その⑰

 翌日。

 すっかり日が昇っていた。

 別館の客室に入り、そのまま寝室のドアを開けたメリッサ・ネトゥルは、ベッドの上に友の存在を確認するとそっと声をかけた。

「ラビスミーナ様、ラビス」

 黒い髪がシーツの上に広がり、ソファーの上にはカジュアルなスーツが、ベッドサイドのテーブルには栗色の髪のウィッグが放り出されている。

 辺りにはバスルームに備えられたケペラ特産の甘いソープの香りがまだかすかに漂っていた。

「……メリッサ」

「とりあえず、ご報告」

「頼む。だが、その前にお茶でも頼もうか?」

 ベッドから降りたラビスミーナは宿泊者用に用意された白いガウンを羽織り、インターホンに向かった。

「いいわ、私が行ってくる」

「メリッサ、ちゃんと自分の分も持ってくるんだぞ?」

「はいはい」

 メリッサは明るく笑うと、部屋を出た。

 その間にラビスミーナは顔を洗い、ウィッグをつけ、身支度を済ませた。

 ラビスミーナが身に着けたのは領事館に置かれている戦闘用のスーツだ。とはいっても厳めしいものではなく、ポケットの多さとそこに入っているものを除けば普通の黒のスラックスに黒のジャケットに見える。そのジャケットの下に着たブルーのシャツの襟にある髪留めの通信機が優雅さを添えていた。

「ラビス」

 ドアを開いたメリッサが着替えを済ませたラビスミーナを見て足を止めた。

「殺人者はまだ島にいる。向こうも動き出した。そろそろ決着をつけないと」

 自分を見つめるメリッサにラビスミーナは答えた。

「……そうね。それと持ってきた品の鑑定が済んだようよ」

「ラビスミーナ様」

 資料を持ってメリッサの後ろに立っていたのはコーエンだ。

「そうか、聴かせてもらおう」

「これをご覧ください」

 客室のテーブルにコーエンが画像を広げた。

「これはマッカーレン夫人の頭蓋骨の破損の状態の記録ですが、落下による破損の他に何か鋭いものによって二か所損傷しています。その傷の大きさは、この像の底の部分と一致するのです。さらに、お持ちになった像全体の表面を調べたところ、細部のくぼみに血液反応がありました」

「血液は誰のものだ?」

「マッカーレン夫人の血液と一致します。そしてそれと同様の血液がお預かりした布から検出されました」

「その布というのは?」

 メリッサが聞いた。

「ゼンダ・マッカーレンの養子、アラン・マッカーレンの部屋にあった植物標本の空箱の内部を拭き取った布だ」

「マッカーレン夫人を殺した犯人はアラン・マッカーレンですね」

 コーエンは言った。

「断定はできないが、これを証拠にアランを抑えることができる。だが、何故だ? アランにとって、夫人を殺す理由はどこにもない」

 メリッサは持っていた盆を置き、ティーポットからカップにお茶を注いだ。

「アラン・マッカーレンのことを悪く言う島民もいないわ」

 ラビスミーナとコーエンにカップを渡しながらメリッサは言った。

「アランは……島に来る前はどうだった?」

「あの美貌だけど、穏やかな人柄で波風の立たない暮らしを送っていたようよ。父親の、マッカーレン夫人の夫君フィリップが亡くなり、しばらくして母親も死んで困窮していた彼の後見人を夫人が引き受け、学問を修めさせたわけ」

「キリロフの言葉通りだが……何故わざわざベウラ島に来たんだ? 父親の不義の子なら、その妻のもとにいるより、外にいた方が気楽だろうに」

「アラン・マッカーレンは自分の価値がわからないのだと言っていた人がいたわ。静かな暮らしを好むアランがベウラ島で暮らすことを選んでも、驚く人はいなかった。マッカーレン夫人も自分の息子のように扱っていたそうよ」

「そうなると……動機がわかりませんね」

 コーエンが言った。

「夫人の枕元で採取した髪については?」

「はい、夫人のものと、もう一種類別のものがありました。島民のデータと照合した結果、合致したのはリタ・パトリックです」

「ふうん……これは館で働いている以上何とも言えないが……鎌をかけてみるか。ところで、メリッサ、キリロフはあの島の出身か?」

「いいえ、フィリップ・マッカーレンが夫として島に迎えられた頃に、先代の執事と代わっているわ。それまではベウラ島とは関係なかったはずよ」

「そうか、それでロブ・ヒルだが?」

「夫人と友人だったというのは嘘ね」

「だろうな、夫人に送られたカードの中にロブ・ヒルの名前はなかった」

「秘密の恋人ですか?」

 コーエンがおどけて言った。

「そんな感じではなかった」

「どんな感じなんです?」

 コーエンが聞く。

「元情報部」

 ラビスミーナはきっぱりと言った。

「何ですか、その元というのは?」

 コーエンは首をかしげた。

「ぎらぎらしたものがない……というのかな? 今は事の成り行きを見守っているといった感じだ」

「クローヴホテルのオーナーがねえ……でも、確かにここの警察関係ではないと思うわ」

 メリッサは腕を組んだ。

「他の核か、リョサル王か。メリッサ、とにかくヴァンが証拠にたどり着いたら」

 ラビスミーナはメリッサを見た。

「わかっているわ」

 カップを置いたメリッサは頷き、部屋のドアに向かった。

 その足が止まる。

「何だ?」

 ラビスミーナの声に、メリッサは振り返ってラビスミーナを見つめた。

「ラビス、あなたはちっとも私と私の情報を疑わない。私にいつか一杯食わされるとは思わないの?」

「そんなこともあるかもしれないが……難しいことは考えたくないのさ」

 ラビスミーナは肩をすくめた。

「ふふ、塗りたくられたうわべの下に隠された人の腹の中を探っていると、あなたの単純さが羨ましくなる。だからこうやっているのかも」

「お前の母上はもっとしたたかだが」

「ええ、それでもあなたにはいい感情を持っています。私たちは単純な人に弱いのかもしれないわ」

「それはありがたいな」

 ラビスミーナは答えた。


 領事館を出たラビスミーナがベウラ島へ向かう。

(もう、すっかり通い慣れた道だ)

 田園地帯を疾走するエアカーの中でラビスミーナは苦笑した。

 島に着くと小さな桟橋には警察の船が並んでいた。

(クロス警部の他にカンツもいるな)

 ラビスミーナはゆっくりと船を下り、館へ向かった。


「フォードさん、昨夜は船の事故があったと聞いて心配しましたよ。いったい今までどこにいたのです?」

 館の入り口にいたクロス警部がラビスミーナに気が付いて声をかけた。

「おや、ヴィットさんは?」

「ケペラの街に行ったのですが……アントンはまだそちらに残っています」

「そうですか……」

 クロス警部は頷いた。

「何だか騒がしいようですが?」

 ラビスミーナはあたりを見回した。

 庭にも館の中にも警官の姿が目立つ。

「昨夜館にいなかったのは幸運でしたよ……」

 クロス警部の目は心なしか窪んでいる。

「どういうことです?」

 ラビスミーナは聞いた。

「覚えていますか、スーザンという若いメイドを?」

「ええ、もちろん」

「彼女が殺されたんですよ」

「殺された?」

「ええ、今朝遺体が発見されたんです。何者かに銃で撃たれていました。この島は異常だ。カンツはここの島民をしばらく避難させたらどうかと言っています」

「なるほど……」

「サラ」

 ホプキンス夫人が飛び出してきた。後ろにキリロフが続く。

「ああ、無事だと聞いていたけれど……心配していたのよ。あら、アントンは?」

 ホプキンス夫人はあたりを見回した。

「戻ったのは私だけです。大丈夫、アントンも怪我ひとつしていません。ケイト、心配をおかけしてすみませんでした」

 神経質に顔を曇らせた夫人にラビスミーナは言った。

「ああ、よかった……」

「それより、ケイト、大丈夫ですか? スーザンが死んだと聞いたのですが」

「ええ……もう、頭がおかしくなりそうだわ」

 ホプキンス夫人はハンカチを取り出した。

「そうでしょうとも。ところで、ケイト、ゼンダの事件でいくつか証拠が出て来たのでお話したいのですが」

「証拠?」

 ホプキンス夫人が顔を上げる。

「本当ですか? それはありがたい。こう一時にいろいろ起こると私としてもどうしたものかと」

 クロス警部が言った。

 ラビスミーナが頷く。

「ええ、できるところから片づけていきましょう。クロス警部、アラン、リタ、ロブ、そして館の者を呼んでくださいませんか」

「わかりました」

 クロス警部は部下のサイモンに指示を出すと、外にいたカンツのところへ向かった。

「隊長」

「サラ隊長」

 小さな声が聞こえた。

「ルッラ、デイビットも。どうした?」

「よかった、僕ら、まず隊長に話さなくちゃと思って」

「すぐに行きます」

 クロス警部にそう言うとラビスミーナは二人の前に膝をついた。


 広い庭に開いたテラスを持つ一階の客間に集まったのは館の主ケイト・ホプキンス、養子のアラン・マッカーレン、執事のパヴェル・キリロフ、年を取ったメイドのザビーネ・ラドスタッター、死んだ庭師の妻リタ・パトリック、ケペラ警察署長の腹心ファビアン・カンツ、そしてクロス警部だった。

「ロブは?」

 ラビスミーナが一同を見回して聞いた。

「すみません、探したのですが、姿が見えなかったのです」

 サイモンが言った。

「仕方ない」

 ラビスミーナが頷く。

「フォードさん、昨夜はお乗りになっていた船で事故があったそうですが、お二人ともご無事とは大した幸運だ。で、今度は殺人事件の証拠が出たと? 是非探偵さんのお手並みを拝見させていただきたいものですな」

 カンツはからかうように言った。

 ラビスミーナがその視線を受け止める。

「いいでしょう。では、まずマッカーレン夫人の死についてです。覚えておいででしょうか? 検視報告によると夫人の頭蓋骨には墜落した時にできたとは思えない損傷が二か所あり、結果、夫人は墜落する前に二度頭部を殴られているということでした」

「ああ、あれで他殺ということになったのだ」

 クロス警部が頷き、ラビスミーナはメイドのザビーネを見た。

「マッカーレン夫人は収穫祭の祝いの夜、途中で館に戻り、ベッドに入った」

「例年のことでございます」

 ザビーネは答えた。

「そうですね。そしてアランが睡眠薬を持って行くようメイドのスーザンに伝えた」

「そうです」

 アランが答えた。

「アランから知らせを受けたスーザンは薬を持って行き、これが生きているマッカーレン夫人が目撃された最後となります」

「わかっている」

 カンツが言う。

「ですが、その最後に目撃されたということ自体、当てにならないかもしれません」

「どういうことです?」

 クロス警部が聞いた。

「夫人はいつものナイトキャップを被っていなかったとスーザンは言っていました。夫人の頭部には墜落でできたにしては不自然な二つの損傷がある。夫人は殴られた時にはナイトキャップを被っていたのでは?」

「そうかもしれませんが、推測では話になりませんな」

 カンツが嘲るように言った。

「では、はっきりしていることを。その鈍器とは夫人の部屋にあった彫像です。彫像のくぼみの部分から夫人の血液が発見されました。犯人は夫人を彫像で殴って殺し、その遺体を塔に運び、そこからうち捨てて自殺と見せかけた」

「確かなのか?」

 カンツが聞いた。

「ええ、証拠の品とデータは揃っています」

「リタ、どうしました?」

 真っ青な顔のリタにホプキンス夫人が声をかけた。

「リタ、まさか、お前が……」

 クロス警部がリタを見つめる。

「い、いいえ……」

「リタは殺していません」

 震えるリタをアランが支えた。

「ええ、殺したのはアラン、あなただ」

 ラビスミーナは言った。

「証拠はあるのですか?」

 アランは静かに聞いた。

「アラン、あなたの部屋にあるいくつかの植物標本箱の中には一つだけ空のものがありました。その中からマッカーレン夫人の血液成分が検出されましたよ。そして、夫人のベッドの中からは、リタ、あなたの髪が見つかりました。アランを助けたのですね?」

「ああ」

 リタがアランに身を寄せた。

「……そうです」

 リタを支えたアランが言う。

「アラン様」

「いいんだ、キリロフ。ゼンダはあの晩僕を呼び、自分が死んだらこの島は姉に譲るのだと言った。そして僕には一億クレジットの財産を残すと」

「それが気に入らなかったのか?」

 カンツが聞いた。

「いいえ、僕はなにもいらない」

「では、何故なんだ?」

 クロス警部がアランを見つめた。

「僕は……何もいらないからこのままバラ園で働かせてくれと、そしてリタと結婚させてくれとゼンダに頼んだ。庭師のイアンは自分の関心ごとばかりでリタに冷淡で、離婚するのも時間の問題だったんだ。それなのにゼンダは僕に言った。『出て行け』と。僕にどこに行けばいいっていうんだ? いくら財産があったってここのような暮らしはできないのに」

「それで夫人を?」

 呆れたように言うカンツにアランは険しい目を向けた。

「そうです。金なんてどうでもいい。だが、僕にとってリタとバラ園はなくてはならないものだ」

 アランがリタを支える手に力がこもった。

「アラン……」

 リタがアランを見上げ、その瞳を見つめる。

「あの晩……僕はゼンダに出て行けと言われた……何故なんだろう、なぜこんな小さな願いすら叶えられないんだろう……その思いばかりが狂ったように僕の頭の中を巡っていた……あの晩はゼンダの部屋の窓からは気持ちのいい風と収穫祭を祝う音楽が流れ込んでいた……コミルの甘い香りも……ゼンダは窓辺に立っていて……気が付いたら……僕は暖炉の上にあった彫像で、それでゼンダを殴っていたのです」

「物音がして、それで奥様のお部屋を覗いたんです。そうしたらアランが……私は夢中で奥様の遺体を隠し、別のナイトキャップを被って奥様のベッドに入りました。私が奥様のふりをしたのです。それからアランがスーザンを呼んで……」

「スーザンが薬を置いて部屋を出ると夫人の遺体を標本箱の中に隠し、それを夜中に二人で塔へ運んだんだな?」

「はい」

 二人は顔を見合わせ、頷いた。

「いいえ、私がお手伝いしました。奥様のナイトキャップなら私が処分いたしました」

 黙って話を聞いていたキリロフがきっぱりと言った。

「キリロフ」

 アランが叫ぶ。

「キリロフ、なぜです?」

 ホプキンス夫人がキリロフを見た。

「奥様、私はフィリップ様を通して、こちらに見える前からアラン様を存じておりました」

「母が死んでからずっとキリロフは僕を支えてくれた」

「それで……アランの結婚の邪魔になった庭師を殺したのか?」

 クロス警部が聞いた。

「いいえ、キリロフではありません」

 リタが言った。

 皆の視線が死んだ庭師の妻リタ・パトリックに集まる。

「主人とは離婚することになっていましたわ。でも、あの晩主人はアランとキリロフが大きな箱を運んでいるのを見てしまったのです。朝になったら主人は警察に話すと言っていた……それで、私が主人を殺しました」

 リタ・パトリックは一気に言った。

「どうやって?」

 ラビスミーナが聞いた。

「島の奥に庭師頭だけが入れる栽培所があるのです。夫は毎日そこへ通っていたのですが、入るとき必ず防護服に着替えるのです。私はそこの苗は無菌で育てるのだと聞いていたのでそれで夫は着替えているのだと思っていました。ですが、実はそうではなくて、そこではある細菌を管理していたのです……その細菌はLe36といって、傷があればそこから侵入するのだと。夫は軽いヴィティリゴに罹っていて……それで私はその防護服に小さな穴をあけておいたのです。それで夫はあっという間に……」

「あなたはLe36のことをいつ知ったのです?」

 ラビスミーナがリタ・パトリックを見据える。

「それは……」

 リタの視線がわずかに彷徨った。

 だが、ここでカンツが声を張り上げた。

「栽培所を押さえろ。誰も近づけるな。ご苦労でしたな、フォードさん……とにかく、これでマッカーレン夫人とイアンの殺害を行った犯人が明らかになったわけだ。アラン・マッカーレン、リタ・パトリックを殺人の罪で逮捕する。パヴェル・キリロフも連行するんだ」

 カンツが背後にいた部下に言った。

「後はスーザンを殺した犯人だけだが、これもこの女に違いない」

 カンツはうなだれるリタを指差した。

「違う」

「違います」

 アランとキリロフが叫ぶ。

「では、誰だというのですかな?」

 カンツが薄ら笑いを浮かべた。


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