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その⑭

 ラビスミーナが船を降りると桟橋には夕暮れの薄墨の中に執事のキリロフがひっそりと立っていた。

「フォード様、お戻りになられましたか」

「キリロフ……何か、私に用でも?」

「いったいどこまで行かれたのです?」

「ケペラの街ですよ?」

「ヴィット様にお聞きしても、あなたはいつお帰りになるかはわからないと仰る。第一、あの方はいったい……車庫にこもりきりで」

「心配をおかけしたようですね。キリロフ、すみません」

「そんな……こちらこそ、失礼いたしました。夕食の時間になります。奥様がお待ちです」

「では、アントンのところに寄ってすぐに行きます。ところでロブはいるかな?」

「ええ、島をお出になってはいません。ですが、何か御用でも?」

「いや、また、楽しい話が聞けるかなと……」

「確かに、物知りの方のようですね。フォード様、私は一足先に奥様にフォード様のお帰りをお知らせいたしますので」

 キリロフはそう言って早足で館へ向かった。

「ラ、あ、サラ」

 ごそごそと藪が動き、ヴァンが姿を見せた。

「ヴァン、何をしているんだ?」

「何をって……お前を迎えに来たんだが……キリロフがいたから」

「何かまずいことでもあったのか?」

「そういうわけじゃないんだが……キリロフはしつこくて。お前のことを根掘り葉掘り聞きたがる。あれがなければ今頃修理が済んでいたんだ」

「キリロフが? まあいい。とにかく夕食だそうだ。ケイトも待っている」

「仕方ない。すぐに食べてしまおう」

 ヴァンは肩をすくめた。


 食欲のことなどすっかり置き去りにしていたヴァンだったが、夕食に取り掛かった時の勢いは大したものだった。

「アントン、もう少しゆっくり食べたらどう?」

 ラビスミーナが苦笑する。

「そうですよ。食べ物は逃げません」

 ホプキンス夫人も笑った。

「ヴィットさんはずっと車庫にいて、昼食も召し上がりませんでしたから」

 アランも微笑んだ。

「そのようでしたな」

 ロブ・ヒルも頷く。

「すみません。思った以上に空腹だったようです」

 食事の手を休めてヴァンは答えた。

「でも……ヴィットさんは本当にすごい。あんなに夢中になって」

 アランはすっかりヴァンを尊敬し、気を許しているようだった。

「アランもバラに夢中じゃないか」

 ヴァンが答える。

「ここのバラ園は種類の豊富さも、その栽培法にしてもケペラ1、つまりセジュ1です。農業核ケペラの思いと技術が凝縮している」

 ロブが言った。

「久しぶりにここに来て、私もそう思いますよ、アラン。庭師のイアンがいなくなってしまったのは本当に残念だけれど、あなたがいてくれてどんなに心強いことか」

 ホプキンス夫人が頷く。

「僕はこの島のバラのためなら何でもしたいんです」

 そう熱を込めて言うアランに、ロブがウインクした。

「ここのバラのためなら、ですか。もう一つ大事なものがあるのでは?」

「え、それは何だい、アラン?」

 ヴァンが怪訝な顔をした。

「これだからアントンは」

 ラビスミーナが大きくため息をついて見せる。

「恋人ですわね。私も噂を聞いたわ。リタとのことは本当なのかしら、アラン?」

 ホプキンス夫人がいたずらっぽく笑う。

「ええ。ケイト、僕はゼンダの遺産なんかいらない。その代わり、ずっとここで庭師として働きたいんです。リタと一緒に」

「願ってもないお話ですよ。ねえ、キリロフ?」

「もちろんですとも、奥様」

 キリロフがやさしい笑みを浮かべる。

「この島のことを十分わかっていらっしゃる方のようだ。私からも祝福させてください」

 ロブも言った。

「よろしかったですね、アラン様。お許しが出るのを私も待ち望んでおりました」

「ありがとう、キリロフ」

「ああ、人が多いというのは楽しいこと」

「そうですな、ケイト。ですが、警察の方々が不躾に調べて回るのには閉口しましたな」

「ええ、ロブ。あなたがいてくれなかったら、もっと不愉快な思いをしなければなりませんでしたわ。ああ、こう言ってはなんですけれど、あの人たちがいなくなってやっと懐かしい我が家に戻った気分です」

「それはよかった」

 ロブが答える。

「でも、また明日警察は来るでしょう?」

 ヴァンが言った。

「事件が解決するまでは我慢せねばならないでしょうね。ところで、今夜はリタがいないな」

 ロブが言った。

「リタが来てくれるのはこちらが忙しい時だけで。普段はバラ園の方にいるんですよ」

 頬を上気させ、アランが答える。

 茶を入れ終えたメイドのスーザン・リーがダイニングルームを出て行った。

「サ、サラ、あの……」

 すっかり食べ終わって満足したヴァンがラビスミーナをつつく。

「ああ。私たちはそろそろ失礼しますわ。アントンはまだ作業がしたいようなので。私は彼の仕事を一目見てから寝ることにします」

 ラビスミーナが笑った。

「まあまあ、車庫までは暗いですから、気をつけてね」

 ホプキンス夫人も微笑む。

「また明日。明日の朝食には、よろしかったらまたリタのお茶が飲めると思いますよ」

「それは楽しみです、アラン」

 ラビスミーナが言うとアランが立ち上がった。

「アラン、もう行くの?」

 ホプキンス夫人が聞いた。

「ええ、警察がバラ園や温室に入っていましたから。多分散らかしていると思うので様子を見て来ます」

「明日でもいいのでは?」

「気になって眠れません」

「若い人たちったら」

 出て行く三人をホプキンス夫人は優しく見送った。


「私、明日警察の人に言ってみるわ」

 キッチンの方から声がする。

 ダイニングを出て先を急ぐヴァンを追ったラビスミーナは、ふと足を止めた。

「だけど、スーザン、確かなのかい?」

 年寄りの女の声だ。

(メイドの……ザビーネ・ラドスタッターだったか)

「だって、変だわ。あの時奥様が被っていらしたナイトキャップはいつものでは……」

「スーザン、声が高いぞ」

 雑役夫のフリオがキッチンの戸口に立っているラビスミーナに気づいた。

「あの、何かありましたか?」

 ラビスミーナが明るい声を出す。

「いいえ、何でもありません。お邪魔をしてしまってすみません」

 ザビーネが即座に答えた。

「スーザン?」

「何でもないんです」

 若いスーザン・リーは口をとがらせ、皿を拭き始めた。

「そうですか」

 ラビスミーナは館の外で待っていたヴァンに囁いた。

「ヴァン、ナイトキャップって言ったな?」

「多分」

 ヴァンが頷く。

「ヴァン、ちょっと夫人の寝室を調べて来る」

「事件の後、夫人の使う部屋はすぐに警察に封をされたと言うぞ?」

「だから却って好都合だ。これが役に立つ」

 ラビスミーナはスーツの下の短剣を見せた。ヴァンが苦笑する。

「ああ、そっちは任せた」

「じゃあ、な」

 二人は館の庭で別れた。


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