その①
地上の戦いを厭い、深い海の底にその住処を移した人々がいた。
彼らを率いたのは一人の王と大巫女。
王は九人の王子にそれぞれ海底に核と呼ばれる巨大なドームを造らせ、その核を治める領主とした。
九つの核から成る海の国。
その名はセジュと言う。
海の国セジュが成立して、すでに千有余年が経つ。
九つの核を束ねるのはレンという組織だ。そのレンも独自の核を持つ。いわばセジュの十番目の核だ。
その頂点に立つのは四年に一度、九つの核の領主から選ばれた者……その者がセジュ国の王となる。
セジュ王は各領主のまとめ役と言ったところで、大きな権限があるわけではない。だが、セジュの人々はセジュ王と代々の大巫女とともに、長い、長い年月を乗り越えてきたのだ。
王子たちが築いた核にはそれぞれ特徴がある。
ケペラは農業、ニエドは商業、ミアハは手工業、ヴァグは輸送と工業、スカハは土木と資源開発、バナムは芸術とファッション、ネストは観光・レジャー、ハルタンは医学、そしてゼフィロウは科学技術開発に特化しているといった具合だ。
現在、セジュ王はケペラの領主シャムロック・リョサルが領主たちの信任を得てその三期目の任期に入っている。
シャムロック・リョサルは老齢ではあるが気骨のある人物だ。物腰の柔らかい王だが、大巫女の支えを得て、核同士の調整役としてその手腕を発揮している。
そのリョサル王の執務室のコントロールパネルにプライベートの着信が入った。
「王、どういたしますか?」
モニターを見た秘書が振り返る。
「こちらへ」
リョサル王は気軽に答えた。
「わかりました」
ただちに王のデスクのモニターに懐かしい友の顔が映った。
「シャムロック」
久しぶりの友はずいぶんと厳しい顔をしていた。
「ウィル、少しはずしてくれないか?」
リョサル王は言った。
モニターの前にいた若い秘書が執務室を出る。
「どうした?」
リョサル王がモニターに向かった。
「ゼンダ・マッカーレンが死んだ」
モニターの向こうの友が手短に言う。
「何だと……死因は?」
「自殺ということだが」
「自殺……?」
きれいな白髪となっている頭をリョサル王は抱えた。
「シャムロック、私はしばらく島の様子を見よう」
長年の友が言った。
「頼む」
リョサル王は俯いた。
「王よ、女ひとりが死んだだけだ。奴らが気づくことはあるまい」
「そうだろうか?……いや、そうであっても……そろそろ潮時だ。私は身を引く準備をしておこう」
リョサル王の言葉にモニターに映った男は無言で頷いた。
「ウィル」
リョサル王は席を外していた秘書を端末で呼んだ。
「はい」
すぐにウィルと呼ばれた秘書が戻る。
「ウィル、私の任期はまだ残っている。が、後任の王を選ぶ準備をしたい。次回の領主会議の項目に加えてくれ」
「それは……急でございますね?」
ウィルは当惑の表情を浮かべた。
「前々から考えてはいたのだ。だが、まずはシュターンミッツに知らせておかなくてはならないな。呼んでほしい」
「わかりました」
リョサル王にただならぬ気配を感じ、ウィルは慌てて頷くと、レンの治安部長官室に連絡を取った。
「ラビス、ちょっといいか?」
こちらはセジュ九番目の核、ゼフィロウ。
その城の地下にある警備部に一人の青年が顔を出した。
いつものことではあるが髪はぼさぼさ、服もよれよれだ。
身支度を整えれば、なかなか見目の良い若者なのだが、何せ、いつもこの調子なので、その良さが全く理解されない。
こんな若者がゼフィロウ城の地下にある警備部の最高責任者であり、領主の長女でもあるラビスミーナを訪ねて、無造作に本部のドアを開けられるのには訳がある。
彼はこう見えても、ゼフィロウの科学技術を束ねる研究所の若きリーダーであり、ゼフィロウ領主であるファマシュ家の親戚であり、この部屋の主ラビスミーナの婚約者でもあるのだ。
「ああ、ヴァン、ちょうど良かった。今、デミウルゴスの話をしていたところだ」
ラビスミーナは組んでいた腕をほどいた。
流れる黒髪にブルーの瞳。背は女性としては高い方だろう。体は鍛えられ、引き締まっている。
存在感のある美人だ。
部屋にいたのは、このラビスミーナと彼女の副官のグリン・レヴ、そして秘書のユリア・ヘイだった。
グリンは茶色の髪をきちんと整えた都会的な男で、年は三十代後半、穏やかで冷静な上官として部下からの信頼が厚い。文字通りラビスミーナの片腕だ。
一方のユリアは、栗色の髪を結い上げた体格のいい中年女性だった。
「デミウルゴスの話って……何か不都合でも?」
ヴァン・パスキエは首をかしげた。
「いや、もちろんお前がしばらくかかりきりだったデミウルゴスに文句をつける気はない。だが、今まで核同士を結ぶ単独のチェーン(海の国セジュの交通手段の一つ。いくつもの客車が連なる列車のようなもの)はあったが、デミウルゴスのような各核を一巡するシステムの導入は初めてだ」
ラビスミーナは言った。
「ああ。このセジュでは核が独立してはいるが、九つの核すべてが集まってセジュという国を形作っている。それぞれを繋ぐということは、今まで以上にセジュに一体感が生まれるということだ。人々の意識にも変化が出るだろう」
ヴァンが頷く。
「まさにそのことさ」
「ラビス?」
「一体感……または……その逆に独立心と競合。システムについては、問題はない。だが、独立していた核が、より密接な関係を持つことで新たな利害が生まれ、不満を持つ者も出る。ウィルスのように犯罪が伝染することもある」
「あまり考えたくない話だな」
「誰かが考えておかねばならん」
「で?」
「デミウルゴスの開発はこのゼフィロウが行ったが、完成後はヴァグ(セジュの四番目の核)が運営を任される。だが、ヴァグは甘いな。乗客のチェック体制、起こり得る緊急事態、そして、その時のために責任者の取るべき手段をもっと徹底する必要があるだろう。責任者には権限だけ与えてもだめだ。実際にそれを使う術を習得するよう申し入れるつもりだ。ゼフィロウとしては安全性の向上のため、さらにシステムの開発が必要になる。それと同時に快適さに力を入れねばならん。堅苦しいだけでは商売にならないからな」
「そのことなら……改良型では毒物の検出機器が予算内で収まりそうだ。空気の浄化装置に組み入れる」
ヴァンは言った。
「それは有難いな。デミウルゴスの運営が軌道に乗れば次回には装備できる」
「軌道に乗れば、か。うまく乗ってくれるかな?」
ヴァンはラビスミーナを見た。
「当然乗るさ。で?」
ラビスミーナは堂々と答え、ヴァンを見た。
「で?」
ヴァンが怪訝な顔をする。
「お前の用事だ」
ラビスミーナは苦笑した。
「ああ、そうか……それは、ちょっと個人的なことで」
ヴァンが言葉を濁した。
「席を外しましょうか?」
傍にいたグリンが気を利かせる。
「いや、いい。実は婚約指輪のことなんだが」
ヴァンは一息に言った。
「それは、それは」
「あらあら」
グリンとユリアは、思わずラビスミーナを見た。だが、ラビスミーナはゆったりと微笑んだ。
「ああ、ヴァン、忙しいのに気を遣わせて悪いな。その気持ちだけもらっておく。心配はいらないよ」
「ええと……ラビスミーナ様、そういう問題ではないのでは?」
グリンが遠慮がちに言った。
「副官のおっしゃる通りですよ。やはり、婚約指輪には特別な意味があります」
グリンを押しのける勢いでユリアも言う。
「いや、俺もお前が指輪を欲しがるとは思っていなかったのだが」
気をもむグリンとユリアをよそに、ヴァンはすっきりとした顔で言った。
「ヴァン様、思っていなかったのですか?」
グリンは思わずヴァンを見た。
「それはそれで問題ですわ」
ユリアがヴァンに向ける視線が冷たい。
そんな二人に構わず、ラビスミーナがふと首をかしげた。
「ヴァン、どうしてお前が急に指輪なんて言い出したんだ?」
「それなんだよ、ラビス。実は母上がうるさいんだ。ラビスは忙しいし、指輪に喜ぶ女でもないといくら言ってみても、そんなはずはない、遅ればせではあるが、断固婚約指輪を用意しろと言って聞かない」
「パスキエの奥方が? ヴァン……何故それを先に言わない?」
「え?」
「パスキエの奥方がそうおっしゃるなら喜んで頂こうじゃないか」
「どういう風の吹き回しです?」
グリンが怪訝な顔をする。
「奥方がせっかく心配して下さったのだ。その気持ちにお応えしたい」
今までとはがらりと態度を変えたラビスミーナにヴァンは苦笑した。
「ラビス……お前、母上からの受けが異様にいいもんな」
「あら、ラビスミーナ様はたいていどなたからも受けがいいですわ」
ユリアが言うと、グリンが付け加えた。
「女性の場合、ですね」
「いいえ、男性の場合もあまり口を利かなければ……」
弁護ともいえない弁護をするユリアをヴァンが遮った。
「ええと……まあいい、じゃあ、付き合ってくれ、ラビス。せっかくだから、ミアハ(セジュの三番目の核)まで行こう。あそこは宝飾の加工では有名だ。ゼフィロウでもいいが、たまには出かけるのもいいんじゃないかな? どうせならデミウルゴスで行くか?」
「行ってらっしゃいませ、ラビスミーナ様」
グリンが優しく微笑む。
「楽しみですわ。どんな指輪をお選びになるのでしょう。あら、いやだわ、こんな時に」
目を輝かせていたユリアが、通信を受けたコントロールパネルに目をやった。
「シュターンミッツ長官ですわ」
応答したユリアがラビスミーナを振り返る。
「繋いでくれ」
ラビスミーナはスクリーンの前に立った。