ストーカーは犯罪です。
鹿撃ち帽、それは英国で狩猟の際に男性が被る帽子のことを指します。シャーロック・ホームズが、この帽子を被っているイメージが有名なため、シャーロックハットとも呼ばれているアノ帽子です。狩猟用の帽子なので結構丈夫に作られており、左右にある耳当ては通常、帽子の天辺にてリボンで留められているという、お洒落で素敵な帽子です。さすが、英国紳士は狩猟帽子に至るまでスタイリッシュ。
さて、どうして突然、鹿撃ち帽の話が、と思われることでしょう。
理由は至極単純です。
初めからここがボクの定位置だよ。とでもいうように、鹿撃ち帽が私の頭上に居座っているからです。
先に申し上げておきますが、断じて自分で被った訳ではありませんよ。
事は、依頼を請け負ってから八日過ぎ、お勤め初めてから二十二日目の本日、午前十一時頃に起こりました。
いつもどり、昼食を用意し机に料理を並べ終えた時、狙ったかのようなタイミングで書斎から登場した玖珂さんに無理やり被せられたのです。身長が百六十センチ未満の私には百八十センチを超える玖珂さんに対して、抵抗の手段がありませんでした。
あぁ、高身長が憎い。
何故このような仕打ちを私が受けなければならないのか問い詰めるため、彼が食事を終えるのを向かいのソファーに座って待ちます。
ちなみに本日の昼食メニューは肉うどんと小松菜のお浸しに納豆です。
私は食事をしないのかって? もちろん食べましたとも。作っている時に味見と称して沢山ね。
食事を終えた玖珂さんからの返答は常軌を逸しておりました。
「それは魔法の帽子だ」
すくなくとも、二十七歳の成人男性の口から出る言葉ではありません。
「頭大丈夫ですか」
失礼つい本音が。
「正常だ」
「いえ、仰っていることが異常です。正常とは程遠いかと思われます」
「その帽子を被ると存在を他者から認識されない」
無視ですか、そうですか。
そして、何その高機能どこの世界の未来の道具ですか、この帽子。
「だから、そのままちょっとアイツの行動見張ってこい」
本気で意味が分かりませんでした。
ちなみに、玖珂さんがアイツと言うのは古沢さんの事です。彼は人の名前を覚えるのが苦手のようで、私の事も未だに”〝城崎〟とか”〝山崎〟とか間違った苗字で呼ぶことも、結構な頻度であったりするのです。さすがに藤田さんは付き合いが長いため間違わずに呼ぶことができるようですが、依頼人の事は初めから名前を覚える気がないようで、一貫してアイツ呼びです。
「ストーカー染みた行動はちょっと」
お断りしたいです。
渋る私に玖珂さんは、最強の切り札を使ってきました。
「特別手当でるぞ」
なんですと?
ピクリと眉間の筋肉が痙攣したのが自分でもわかりました。
ソファーから立ち上がり、期待に輝く目で玖珂さんを見つめると、彼は、力強く頷き指を一本立て。
「日当+一万円」
「行ってまいります」
切り札が与える私への効果は抜群です。
特別手当、なんて素敵な響きでしょう。
踵を返して玄関へと走り出します。さながら、人参を目の前に吊り下げられた馬のように。
ストーカーは犯罪? いえいえ、これはストーカーではなく依頼人の身辺調査ですから問題は無いのですよ。たぶんですけど。
私は自分の欲に素直な生き物なのです。
○月△日 午後三時、某所にて目標がよく出没するとの玖珂さん情報により、張り込み開始。
本当に現れるのでしょうか、ここパチンコ屋以外、特に何もないのですが。
さて、他者から存在を認識されなくなるという怪しさ満点のアイテムであります、鹿撃ち帽の効力を確認するため、その辺にいらっしゃる通行人で実験してみたいと思います。
ちょうどタイミングよく目の前をのんびりと横ぎる四十代女性。
まずは、この人で試してみましょう。
「こんにちは」
後ろから声をかけてみます。
全く反応がありません。
「もしもーし」
今度は、真正面から声をかけます。
やはり、反応はありませんでした。
目の前で手を振ってみても、軽く肩に触れてみても、信号待ちで立ち止まっている目の前でパントマイムをしてみても、無反応でした。
どうやら、この鹿撃ち帽、被ると本当に他者から認識されなくなるようです。そんな馬鹿なとは思いましたが、実際に実体験してしまっては信じるしかありません。
一人では不安だったので、もう三人ほど声をかけてみましたが、結果は同じでした。
「藤田さんの生え際ぁ~! がぁんばぁれぇ~! 負けるなぁあぁぁ!」
最終確認として藤田さんへの応援メッセージを思いっきり叫んでみましたが、やはり周りの通行人から反応はありませんでした。
頭上にある鹿撃ち帽を手のひらで数回叩いてからしみじみと呟きます。
「本当に何処の未来道具ですかコレ」
そして、このようなアイテムを所持していらっしゃる玖珂さんは、何者なんでしょうか。
数分後、パチンコ屋から出てきた目標である古沢さんを発見、行動を開始します。
まさか、こんなに簡単に見つけられるとは、玖珂さんはいったいどこから情報を集めたんですか。
そーっと、横から顔を覗き込んでみると、イライラした様子を隠そうともせず顰め面で、ズンズンと速足で進んでいきます。パチンコで負けたでもしたのでしょうかね。
なんだか、この間の印象とずいぶん違います。
帰り道たまたま通りがかった黒野良猫さんに蹴りを入れ、何事も無かったかのように歩き去る姿に驚愕しました。優しそうでいい人っぽかったというのに、第一印象とは、やはり当てにはならないものですね。
それにしても、なんという腐れ外道でしょう。
可愛らしい小動物に八つ当たりとは人間の風上にも置けません。
地獄に落ちるといい。
心の中で毒を吐きながら目標の後を追います。
午後四時三十五分
○×駅正面にある銀の時計台の前にて待ち合わせの模様。
午後四時五十分
待ち合わせ相手が到着。
二十代後半から三十代前半と思わしき清楚系女性と腕を組み場所を移動。
移動の最中目標が女性の耳元で何かを囁いては楽しそうに顔を見合わせてクスクスと笑い合っています。
滅べ、リア充。
途中話に夢中になりすぎた為か、前方不注意により段差に気づかなかった目標が躓き盛大に転倒、なんとも素敵な顔面スライディングを披露していました。
同伴の女性に心配されています。笑って大丈夫だと言っているようですが、鼻から垂れる鼻血のおかげで、まったく決まっていません。
ふふん、猫さんに暴力振るった罰があたったのでしょう。
少しだけイライラが落ち着きました。
午後六時三十分
レストランに入店。
イタリアンを提供する個人レストランで落ち着いた雰囲気が素敵。
お腹を空かせた私を尻目に、次々に運ばれてくる料理を美味しそうに食べる二人。
空腹を訴え、呻き声にも似た音を発するお腹を擦りながらため息を一つ。
いいなぁ、私も食べたい。
新鮮なサーモンのカルパッチョ、コーンスープ、伊勢海老のトマトクリームパスタ、自家製工房焼き立てクルミパン、自家製チョコレートケーキ、それらを綺麗に食し終えた後、目標は席から立ち上がり女性に跪きポケットから宝石箱を取り出しました。
おや、この流れは、ひょっとして?
宝石箱を開けば案の定、中からダイヤの指輪が出現しました。婚約指輪っぽいです。
「僕と結婚してください」
おぉー、やっぱりプロポーズですね。
女性が泣きながら頷き指輪を受け取ります。
店内拍手の嵐。「よかったね」「おめでとう」など祝福の言葉が飛び交います。
しかし、私は彼女に申し上げたい。その男、プロポーズする数時間前にパチンコ屋に居て、尚且つ、何の罪もない猫さんに暴力振るっていましたが、結婚するの? 本当に?
まぁ、私には関係ありませんから、どうでもいいのですが。
七時四十五分
ポツポツと灯る街灯、その下を仲睦まじく寄り添う影が一つ。
私の三歩分前を歩くのは、プロポーズを成功させたばかりなお二人です。
賑やかな表道理ではなく、一本中に入った静かな裏路地を通っているので、聞きたくもない会話が風に乗って私の元へ「結婚指輪は二人で決めようね」「本当に私でいいの」「君じゃなきゃダメなんだ」きゃっきゃ、うふふと、幸せオーラを隠そうともしないラブラブな、お二人……独り身である私には、酷い視覚と聴覚の暴力です。慰謝料を請求してもよろしいですかね。
精神の安寧を得るため、のろのろと歩くスピードを落とし会話が聞こえない距離まで下がります。
うぅ、誠実で優しくて生きていくのに困らない程度の経済力を持った彼氏が欲しいです。あと、動物全般に優しくて、黒光りする人類の敵に怯まず立ち向かえる人だと、さらに素敵なのですが、いらっしゃいませんよね、そのような優良物件。
その後、二人は某建物の中に入っていきましたので張り込みを終了したいと思います。
何の建物かって? それは、あれですよ。……ほら、えーっと……ねぇ……あれです。そこは皆様のご想像にお任せするということで。
とにかく本日の張り込みは終了です。
早く帰って泥のように眠りたい。