初めての依頼
お洒落なティーカップから立ちのぼる淹れたてのダージリンの香りを楽しみながら、自分で飲みたくなるのをグッと我慢し、木製トレイに乗せ来客用のソファーに向き合い座る男性と玖珂さんの前に紅茶をお出ししました。
私がここ『何でも屋 リライト』で働き出してから十四日目、早二週間を迎えた本日、私は念願の夢を一つ叶えました。そうです。ようやく玖珂さん以外の人にお茶を出すことができたのです。
ハイ、ここ拍手するところですよ。
パチパチパチ。
二週間目にして初めて依頼人です。ここの経営状態が大変心配になりました。倒産とかやめてくださいね。まだ初任給もらっていませんし。
私の記念すべき最初の依頼主さんは、四十代男性でした。仕事帰りに立ち寄ったのかダークグレーのスーツに群青色のネクタイ少し緩めた格好で、綺麗に整えられていたであろうダークブラウンの髪は乱れ、顔色も悪く頬骨が少し浮き出ていて窶れているように見えます。
きっと、殺人的にお仕事が忙しいのでしょうね。
彼は名を古沢達三といい、IT関係の仕事をしているそうです。
お給料沢山もらっていそうなお仕事ですね。人生勝ち組ですか、うらやましい。
お茶を出し終わったので、台所に下がろうとしたところ、「ここに居ろ」と玖珂さんに目で制されたので、彼が座っているソファーの右斜め後ろに移動しました。が、今度はポスポスと自分の隣を二度叩き、「ここに座れ」と指示をいただきました。ずっと立っているのは疲れるので、ありがたいお申し出ではありますが。隣ですか、私も女子なので見目麗しい殿方の隣に座るだなんて、ドキドキ……は、しませんけどね。この来客用のソファー大きいので隣に座っても、玖珂さんとの間に人ひとり分の隙間ができますからドキドキする理由がありません。
私がソファーに座ったのを確認し、古沢さんは依頼内容を説明し始めました。
なんと、私が座るまで待っていて下さるとは、好感度大幅アップです。
いい人検定が存在したら間違いなく合格ですよ。おめでとうございます。
「はじめは気のせいだと思ったのですが……」
そう前置きをして古沢さんは、いったん言葉を区切り視線を泳がせたあと、意を決したように話し出しました。
「二ヶ月ほど前から、昼夜問わず外出先で視線を感じるようになりまして、自意識過剰かとも思いましたが、さすがに一週間もその視線が続くと気味悪く」
なんと、ストーカー被害のご相談でしたか、依頼はそのストーカーを捕えればいいのでしょうか?
「友人はストーカーではないかと……何かあってからでは遅いからと言われまして、探偵を雇ったのですが特に怪しい人物はいないとのことでした」
あら、すでに調査済みですか。
「一ヵ月前からは、家に居ても視線を感じるようになりまして、もう一度探偵に依頼したのですが結果は変わりませんでした」
いったん言葉を区切り、グイッと紅茶を飲み干した古沢さんは、ネクタイを緩め襟のボタンをゆっくりとはずしだしました。
露出狂が現れた。
変態かコイツ。
問一 依頼人が突然服を脱ぎだしました。どのような行動をすべきでしょうか。
① 相手が動けないように関節技を嵌める。
② 頸動脈に手刀を繰り出し気絶させる。
③ 熱々の紅茶をかける。
頭の中に浮かんだ選択は、どれもこれも現実味に欠けるものでした。
「110番」
困った時に現れます。善良なる国民の味方、お電話一本で素早く参上、頼れる彼らは助けを求める人の声を聞き逃しません。我らがヒーローその名も、お巡りさんに繋がる番号を呟いてみました。
しっくりきます。
正解は〝隠れ④番の警察に通報する〟ですね。
依頼人が変態だとは気づきませんでした。冷静かつ迅速に警察へ通報しなくてはなりません。
「レッツ通報」
使命感に燃え席を立とうとしましたが、それは失敗に終わりました。
理由は簡単です。玖珂さんが私の服の襟を後ろから勢いよく引っ張ったから。
おかげで私はソファーに逆戻りです。
襟を引っ張られたせいで、一瞬気管支を圧迫され気持ち悪くなりました。
……うぇ。
恨みがましく原因の根源を見上げれば、逆に「大人しくしていろ」と睨まれました。
酷いです。突っ込みを期待しただけの、可愛い冗談だったのに……まぁ、八割方本気で通報するつもりでしたが。
座りなおして前を向くと、古沢さんが困り顔で此方を見ていらっしゃいました。
そりゃ、目の前でバタバタされたら気になりますよね。私は貴方の奇行の方が気になりましたが。
とりあえず、ヘラリと気の抜けた笑顔を浮かべました。
笑っておけば人生どうにかなるものです。
「すみません、突然服を脱ぎだしたら普通はビックリしますよね」
「いえ、大丈夫です(理解しているのでしたら、脱ぐのやめてください。そして、例え前置きがあっても初対面の人が服脱ぎだしたら、その他大勢は驚いて固まるか、逃げ出すか、警察に通報するかだと思いますが……。まぁ、こんな奇妙な行動をしたんですから)何か理由がおありなのですよね」
思ったことの八割方カットして言葉にします。
「はい、直接見せた方が説明するよりも、早と思ったものですから」
四つボタンが外されたシャツの下に隠れていたソレは異様なモノでした。彼の首には黒く変色した手痕クッキリと。
わぁ、とってもグロテスク。
なるほど、ボタンを外したのは、この痣を見せるためでしたか。
心の中でそっと彼に謝罪をします。露出狂かと疑ってごめんなさい。でも首の痣でしたらボタン一つ二つ外せば事足りたと思うのですが……やっぱり、露出狂の気がおありで?
それにしても、こんなにも綺麗に手形の痣って残るものでしょうかね。
じっと痣を観察してみます。
男性の手のサイズにしては小さい気がします。ということは、彼の首を絞めたのは女性ということになりますね。
……原因は痴情の縺れでしょうか。最近は肉食女子なるものが流行っているらしいですから、一人の男性を奪い合い歪んだ愛情が古沢さんに向かって絞殺に至る的な。
どこかで、ありそうなパターンですね。「ひどいわ、総一郎さん。わたし、わたしっ、信じていたのにぃ」「違うんだ花子。まずは落ち着いて、話をしよう」「いやよ、聞きたくないわ。貴方を殺して私も死んでやる」「や、やめろぉ……ぐっ」は――い、ここで、カメラがフェイドアウト――完全に昼ドラです。
ガタンッという音でちょっと違う世界へ旅立っていた意識が戻りました。
花子と総一郎って誰ですか。
どうも、妄想の世界に入ると現実に、帰ってくるまでの所要時間が長いことに最近少々困っています。気が付くと時が過ぎているんですよ。
そんなこんな、している間に話は終盤に差し掛かっていたようで。
「お願いです。もう、ここしか縋るところが……。助けてください!」
意識を現実に戻した私が見たモノは以下の通りです。
鬼気迫る表情で机から身を乗り出し、シャツの前を肌蹴させたまま、玖珂さんの手を握り締める古沢さんの図。
ビックリ仰天。
ドン引きです。
うん。玖珂さん美形だし古沢さんは中の上顔ですから、その手のお姉様方がご覧になられたら歓喜されるのでは、この構図。
写真撮影して販売したら、いくらぐらい儲かりますかね。
でもね、残念ながら私は、そっちの趣味は持っておりませんので、早く離れろ。と念を送ります。あと、見苦しいのでボタンを全部留めて下さると大変ありがたいのですが。
「最近後から文句言ったりする奴がいるんだが……」
さりげなく古沢さんの手を外しながら眉間に皺を刻んだ(ここ二週間で物凄く嫌そうな表情です)玖珂さんの質問に。
「そんなこと、しません!」
間髪入れず元気なお返事。
「じゃ、ココにサインして」
机の上に差し出された契約書に躊躇いなくサインをする彼を見て私は思いました。
人間切羽詰まると、思考を放棄しますよね。でも、契約書関係は隅々まで目を通したほうがいいですよ。そのうち後悔しますよ。
「契約成立。二週間以内には解決する」
さりげなく、ソファーに深く腰掛け古沢さんの手の届かない位置に避難しながら、契約書に記入されたサインを確認し、淡々と告げる玖珂さん。
解決する? 二週間以内に?
えぇ――この人、期間まで断言しちゃいましたよ。
スミマセン、ソノ自信ハドチラカラ、オイデニ?
「あ、ありがとうございます」
なんと! こちらも、根拠もない言葉をあっさりと信じちゃいましたか。
感動のあまりか古沢さんの瞳は水気をおび潤んでおります、今にも涙が溢れそう。
なんだか、最近おじさんの泣き顔遭遇率が高い気がします。全くもって、嬉しくありません。
歳を取ると、総じて涙腺が緩むものなのでしょうか。
お客様がお帰りになる時、玄関までお見送りするのも私の仕事の一つです。
ちなみに、一人でお見送りするのが何となく嫌だったので、玖珂さんも一緒に行きませんか? と尋ねたところ「なんで俺が」と即答頂きました。
貴方は、ここの店主でしょう。と言いたかったのですが、お客様の前なので我慢しました。
「いやぁ、本当に助かりました」
「そうですね」
「はじめは半信半疑だったのですが、来て正解でしたよ」
「そうですね」
「あと二周間だけ我慢すればいいのですから気が楽です」
「そうですね」
数時間前の少し窶れた感じが嘘のようです。清々しい表情で矢継ぎ早に私に話しかけてくる古沢さんに驚愕です。特殊メイクでもしていたんでしょうかね。
そして異様にテンションが高いので疲れます。私が「そうですね」としか返事を返していないことにも気付いていないようで、頭の方が色々と心配になります。
いい大人ですし、冷静になりましょうよ。もう少し省エネな感じで話してください。
「ここを紹介してくれた人にも感謝しないといけないですね」
「そうですね」
まだ、続きますか。
「お札も頂きましたし、これさえ持っていれば安心ですね」
「そうですね」
古沢さんの言葉に対して、適当に同意しながらも彼が大事そうに抱えている、お札に疑問を覚えます。
その習字紙に落書された紙切れのような物で作られているお札は、本当に効果あるので?
私が、脳内劇場を公演している間に、依頼の話は終わっていました。
故に、何が、どうして、こうなり、契約内容が同いった物なのか、現状を把握できていない私は何も突っ込むことができないのであります。不用意な発言は身を滅ぼしかねませんから、適当に相槌をうつにかぎります。
玄関から古沢さんを見送りながら、ようやくおしゃべり攻撃から解放されると安心したその時です。
「あっ」
「何か?」
私の声に、玄関から数歩外に歩き出していた古沢さんが、振り返り不思議そうに尋ねました。
「……いえ、お気をつけてお帰り下さい」
「はい、ありがとうございました」
気のせいです。気のせいです。気のせいです。足取り軽く帰っていく彼の背中に、薄ボンヤリとスーツを掴んでいる手のような物体が見えたなんて……。うん、気のせいでしょうとも。瞬きした次の瞬間跡形もなく消えていましたし、何か別の物と勘違いしたのでしょう。あれです、庭に生え居ている木や草の影が目の錯覚で手のように見えただけです。
そういうことです。間違いありません。
自分に言い聞かせながら、手早くドアを閉めました。
リビングに戻ると、玖珂さんが一心不乱に強力除菌ウエットティシュでゴシゴシと手を拭っておりました。
すでに使用済みの物が机の上に小山を築いております。
なんて地球に優しくない使い方でしょうか、勿体ない。
「アイツ帰った?」
「はい、お帰りになりましたよ」
ゴシゴシゴシ。
短い会話の間にも着々と山が成長していきます。
「あの」
「何?」
地の底を這うような声色で返事をされました。
彼の機嫌は奈落の底へと転落し地底に到達したもようです。
つまり不機嫌なのですが、気にしません、怯みません。二週間ほぼ毎日一緒に居れば、自然と大体のことに慣れるものです。
「先ほど古沢さんが何の躊躇もなくサインしていた契約書の内容が気になりまして」
「特別なことは何も書いていない。ここで行うのは、ただの確認作業だしな」
指の間まで、丁寧に拭いながら玖珂さんが答えました。
「確認ですか?」
「後で文句言われるの面倒。それに藤田が前もって色々やっているからな。ここは、客の意志の最終確認と依頼内容の再確認、あとは『どのようなことが起ころうと、訴えることはしません』って内容の書類にサインするために来る場所」
それだけのことならば、そのあたりにあるファミレスでもできるのでは?
「話も前段階で藤田さんが聞いているのであれば、もう一度ここで話を聞くのは手間になりませんか?」
やれやれとでも言いたそうに玖珂さんが、首を振ります。
「直接会って確かめてからでないと失礼だろう」
「なにがでしょう」
「依頼拒否とか」
「拒否するのですか?」
「する。その時の気分と、依頼人の人柄にもよるけど」
ムカつく奴の依頼は受けない。と胸を張って断言されてしまいました。
「……左様で」
仕事を持つ社会人としていその返答は如何なものか。
何でも屋って、接客もお仕事に含まれていると思うのですが……あぁ、ひょっとして、玖珂さんが接客から逃れる為に私を雇っているのではないでしょうか、今日の会話もほとんど私でしたし。
藤田さん苦労していらっしゃる。彼の通常よりも広い、おでこが生成された原因は八割方、玖珂さんからの心労な気がします。
話している間にウエットティシュで築かれた小山は、富士山級に立派に育っておりました。
せめて、ゴミ箱に捨てておいて欲しいのですが、
「片付けといて」
ですよね。
私の願いは玖珂さんの一言によって、一瞬にして儚く散りました。
未だに、黙々と新しいウエットティシュを使い続ける人がいらっしゃるので、ゴミ箱ではなく可燃ゴミ用のゴミ袋に机の上に高くそびえるゴミ山を入れ、そのまま玖珂さんの座っているソファーの隣に設置してみました。
「…………」
「…………」
ほら、隣にゴミ袋がありますよ。自分で直接捨ててくださいな。
無言の玖珂さんに視線で訴えます。
バチバチ、互いの間に火花が散ります。
数秒の戦闘? の末、玖珂さんはきちんとゴミ袋に捨ててくれました。
いえーい、勝利です。
片手で小さくガッツポーズをしてみます。
蔑んだ目で見られたので、すぐにやめました。
「はぁ」
これみよがしに、ため息を吐き冷めた残りの紅茶を飲み干した玖珂さんは、ソファーから立ち上がり、思いっきり背伸びをしていました。長時間座っていたため筋肉が凝り固まっていたようです。
いつもでしたら、そのまま書斎へと入っていく彼が、書斎ではなく、廊下に繋がるドアへと向かいました。
「お出かけですか?」
珍しい行動をする彼に質問をしてみます。
「風呂」
「失礼しました」
そんなに古沢さんに手を握られたのが嫌でしたか。
全身洗うほどに。
というか、最初からお風呂に入っていれば、こんなにゴミ製造しなくて済んだのでは?
バタンと普段よりも手荒く閉められたドアを眺めながら、そんなことを思いました。