初めての仕事1
こうして私は見事職をゲットしたのですが職場に到着し直接現場を見てみるとむくむくと湧き上がってきました。不安が。
「勢いで受けてしまったけど本当に大丈夫でしょうか」
きっとあの時の私はどうかしていました。きっと脳内アドレナリン分泌されてハイテンションになっていたに違いありません。
ノリで仕事を受けてしまったことを少し後悔しながら、虫と爬虫類の楽園を通り抜け辿り着いた玄関は掃除がきちんとされていて意外と綺麗でした。庭も掃除すればいいのに。この広さがあれば、どこかの高級ホテル並みに豪華絢爛なお庭ができることでしょう。
インターホンのボタンに、人差し指を突き付けた状態でふと思いました。私の上司となる人はどんな人でしょう。
顔が油で艶々したふくよかな中年男性で感情の起伏が激しい人とか。あれですね、反射的に後退しそうだ気を付けなければ。または、ヤのつくお仕事をしていそうな顔に傷がある人とか。この場合、全力で後方に逃げればいいのでしょうか。いやいや例え逃げたとしても、壊滅的に足が遅いからそのまま捕まって海外に売り飛ばされてしまいそう。そして、言葉の通じない国で死にもの狂いで働かされてボロ雑巾になりながら生き、やがて力尽き地面に倒れ動かなく……あっ、ちょっと止まらなくなりそうなので、強制的に空想をストップさせます。
気が付けばインターホンを押そうとしてから数分経過していました。
これはダメです。時間が勿体ない。
「えぇい、女は度胸」
ピピッポーン
緊張のあまり指が震え何とも気が抜けるインターホンの音が鳴りました。
やらかしました。
あぁ、恥ずかしい。穴があったら埋まりたい気分ですが、穴を掘る時間もありませんし本当に埋まると窒息死してしまうため、潔くあきらめ背筋を正してドアが開くのを待ちます。
「……あれ?」
インターホンが鳴ってから八分が立ちましたが無駄な装飾品が一切ない木目調のドアが開く様子はありません。
これは、留守でしょうか。
いやでも藤田さんには『仕事は本日今この瞬間からお願いいたします。職場への地図はここにありますので自転車で行けば十二時には間に合うはずですから。昼食を作ってあげてください。さぁ、急いでくださいダッシュでゴーですよ。行ってらっしゃーい』と最初の爽やか笑顔キャラを崩壊させ真顔で――まぁ、途中から完全崩壊していましたが――早く駐輪場へ行くようにと、背中を押されすぐにお仕事してアピールされましたし。
帰ってしまうのはダメですよね。
上の人には逆らわない。それが社会を今の世を上手く渡っていくのが趨勢だと認識しております。
さて、もう一度鳴らしましょう今度は変な音を鳴らさないように気合いを入れて。
いざインターホンを押すため人差し指を伸ばしたまま腕を振り上げたところで、ガチャリと音を立ててドアが開き芸術的に跳ねた黒髪の男性が現れました。歳は二十代後半ぐらいでしょうか。
「何してんの?」
腕を振り上げたままフリーズしている私を黒髪の男性が胡乱げに見ております。
問いたい。この人に問いただしたい! なぜ初めにインターホンを鳴らしてから八分後にドアを開けたのですか。後二分くらい待ってくれてもいいじゃないですか。
なんてことを言えるはずもなく。ゆっくりと腕を下ろし両手をお腹の前で組み姿勢を正します。
「本日からここにお勤めすることになりました城ヶ崎未央ともうします。どうぞ、よろしくお願いいたします」
ここ二・三年の中でも他を寄せ付けない最高傑作微笑みの仮面を被りお辞儀した私に対して。
「どうも玖珂宗佑。よろしく」
男は無表情に淡々と挨拶を返しました。
黒髪無表情男あらため、玖珂さんにドアを大きく開き促され私は中に足を踏み入れます。
「ここに来たってことは藤田から説明聞いていると思うけど一応、もう一度説明しておく。仕事内容は昼と夜の食事と指定した部屋の掃除、あとたまに書類整理頼むかも、それ以外は本読むとかテレビ見るとか好きにしていいから」
来客用のスリッパをお借りして、昼なのに薄暗い廊下を玖珂さんが仕事の内容を説明しながら先導して進みます。
突き当りのドアを開くと発生した風圧で廊下の隅に溜まっていた埃がコロコロと転がっていきました。
掃除したい換気したい新鮮な空気が恋しい。
「ここリビング」
連れてこられたのはリビングキッチンでした。目測十八畳ほどのリビングに四畳ほどの対面式のキッチンが備え付けられていました。物が殆ど無いリビングの真ん中に来客用のソファーセット一式と大型の薄型テレビが置かれていました。どうやらお客様の対応もこの部屋で行われるようです。
「来客は全員ここに通してくれればいいよ。てか、ここ以外使わないから掃除もこの部屋以外しなくていい」
大当たり。どうやら彼は他人に色々触られるのが嫌な人種のようで、さりげなくこの部屋以外触るなよと忠告されました。
「俺は普段そこの部屋……書斎にいるから用がある時はノックして呼んで」
そこ、といって指差されたのはリビングの奥に隣接する部屋に繋がるもう一つのドアでした。どうやらそこが書斎のようです。
「腹減ったからすぐ何か作って、君の分も一緒に作って食べていいから」
そう言い残して玖珂さんはリビングから姿を消しました。いえ、実際には書斎に入っただけですけどね。
薄暗い廊下では気が付きませんでしたが、明るいリビングで彼の姿を見て確信しました。玖珂さんは結構見目の好い男性だと。
眠そうな垂れ目と何とも芸術的に跳ねた髪型がチャームポイントの、十人中八人はカッコイイと思うような顔です。表情が欠落しているため冷たい印象が強いかもしれませんが、痩せ形の高身長で黒のTシャツに黒のジーパンと、らふな恰好でも人目を引きます。ファッション誌のモデルだと言われても信じられるほどに。
数十分前まで脂ぎったおじさんとか顔に傷があるヤのつく職業の人を恐れていた私、安心してください。性格云々はまだ分からないので置いておいおきますが、雇い主さん美形に分類されますよ。
やったね、目の保養にゲットです。
さて、最初のお仕事です。張り切ってご飯を作ろうではありませんか。
台所に置いてあったエプロンを付けて気合いをいれ冷蔵庫を開きます。
パカッ
「……うん」
冷蔵庫は、業務用の胡麻ドレッシングに中央を占領されていました。それから、牛乳と麺つゆ(2倍濃縮タイプ)とハムが一パック。
パタンと冷蔵庫を閉めます。
気を取り直して、次は野菜室です。
ガラ
「……まぁ」
野菜室にはシメジ一パック、細ネギが二本、キャベツ一玉。
ガッコンと野菜室を閉めます。
ガッと勢いをつけ冷凍庫を開けます。
「……こっ、これは」
冷凍庫には隙間なく綺麗に良くCMで宣伝されている高級カップアイスが、整然と並べられていました。
なんでしょうこの品揃え。
とりあえず、玖珂さんが胡麻ドレッシングとアイス大好き人間だということは理解しましたが、これで何を作れと?
主食になるものを発見するため、台所の探索を開始します。
調理台の上の扉を開きます。いつ使うのかわからない大皿が棚を占拠していました。
「お米は何処ですか。小麦製品でも構いませんからお腹に溜まるもの!」
あきらめずに隣の扉を開きます。乾燥ワカメ、乾燥麩、ホットケーキミックスを発見しました。最悪ホットケーキを主食にしてやろうと思い取り出すと下から探し求めていた主食が現れました。
「パスタ確保!」
喜びのあまり頭上にパスタを掲げます。今このパスタは私にとってゲームの難関ダンジョン中盤にあるセーブポイントもしくは、道に迷った砂漠で発見するオアシスと同じぐらい重要なモノなのです。
さらに台所の棚を片端から開けていくとツナ缶も手に入れました。
冷蔵庫から麺つゆ、シメジ、細ネギ一本を取り出しながら、私は決意します。
料理が終わったら絶対に買い出しに行こう。
材料が少ないので料理はすぐに決まりました。
和風パスタです。
茹でて絡めて出来上がりの素敵料理です。
エプロンなんてアイテムここには、存在しなかったので、とりあえず腕まくりをして気合いを入れます。
まず、鍋に水を入れ火にかけます。塩も忘れずドバっと入れます。ハムとシメジを適当に切って小さなボールの中に入れて、細ネギを細かく刻み、鍋の水が沸騰したらパスタを入れて茹でます。茹で時間は七分。
この七分を利用して次の作業に取り掛かります。たかが七分されど七分時間は無限ではなく有限であり、使ったらその分減少していき戻ってくることはありません。そう大量購入したお菓子が時と共に胃袋へと消えていくのと同じように。
まぁ、お菓子は消えた後、姿を変え脂肪となって私と共存していくのですけれども。
落とそうと頑張っても、なかなか落ちませんよね。脂肪って……。
最終的にこれは自然の摂理故どうしようもないことだと思い、諦めます。
さて、鍋でブクブクとパスタが茹でられている隣のコンロにフライパンを用意し火にかけ、ソース作りを開始いたします。
火にかけたフライパンにツナ缶と切っておいたハムとシメジを合流させ、そのまま中火で少し炒めます。
火が通ったら、ここで登場忙しいとき料理の味付けに困ったときにお役立ち! 万能調味料麺つゆ様を、倍に薄めてドバッと投入いたします。
これで和風ソースの完成とっても簡単です。
ちなみに入れる量は勘です。別に量るのが面倒臭いからなんてことでは……ありませんよ。えぇ、違いますとも。気分によって味の濃さを変えるので、意味がないかなーと思って量らないだけなのです。私がズボラだからなんて理由では、断じてありませんので誤解しないでくださいね。
和風ソースが完成するとほぼ同時にパスタが茹であがりました。素晴らしいタイミング
ですが、誰も褒めてくれないので一つ自画自賛しておこうと思います。
「私って、すごい! ばっちり麺がアルデンテ! きっとパスタの神に愛されて生まれてきたに違いありません!」
ついでにポーズも決めてみました。鍋から少し離れた所でクルッと回って左手を腰に当て、菜箸を持った右手を左斜め上で止めてビシッと。
ビシッと決めて……。
決めて……。
……もう、やめにしましょう。
二十歳にもなって何がしたいんですか私。
先程の行動をきれいさっぱりなかったことにして、調理を続行することにします。
茹であがったパスタをフライパンの和風ソースと絡めます。この時パスタの茹で汁を少し一緒に入れるとソースとパスタが良い塩梅になります。
真っ白な四角いパスタ皿(主食探しをしている時に発見)に盛り付けた和風パスタに、刻みネギをトッピングすれば完成です。
野菜が足りないので、キャベツの葉を二、三枚むしり水洗いし、適当な大きさに切り適当な食器に入れラップをかけ電子レンジしばしお任せしたのち、柔らかくなったものに胡麻ドレッシングをかければ、キャベツの温サラダの出来上がりです。これまた真っ白な小さい丸いお皿(主食探しを……)に盛り付けます。
「二十分でこれだけできれば十分でしょう」
完成した料理をリビングにある机の上に並べれば、なかなかの出来栄えです。できればスープも作りたかったのですが、面倒……いえ、お腹を減らせた雇い主様を長々と待たせるのは、いかがなものかと思いましたので、今回は作るのを断念することに致しました。