現実は辛い
「……とりあえず子芝居はやめてー」
よいしょと荷物を脇に退かすしぐさをしながら三郎が言いました。
私の勘違いでなければ子芝居していたのは、三郎だけですよね。一人で子芝居してましたよね。
「マジで真剣にこの世界で生活していくんならさぁ。この契約書にサインちょーだいっ」
勢いよく顔面すれすれに突き出された契約書を受け取ります。契約書は、しっかりとした品質の良い紙で作られていました。お値段高そうなやつです。
契約書の文面を見て顔が引きつりました。
これは酷い。
「あの、これサインしないとダメですか」
恐る恐る尋ねる私に三郎はビシッといつの間にか持っていた万年筆を突き付け軽い口調で言いました。
「いやぁーなんとなくザッキーの気持ちわ理解できるけどねぇ。サインしてくんないと、この世界でザッキー存在できないんだけど、おーけー?」
急いで万年筆を奪い取りました。
目がマジです。三郎さんハイライト消えてます。
ちなみに契約書の内容はとてもシンプルで『この世界での理に従うことを誓う』とだけ書かれていました。明らかに説明不足の契約書です。契約書として通用するのかも怪しいです。通常ならサイン絶対にしないんですけどね。
無言でサインをした契約書を三郎に渡しました。
文字は歪み用紙には変な皺が入りましたが気にしません。
布団の上で直接書いたのが原因ですが、机が無いのに契約書と一緒にバインダー的なものを渡さなかった三郎が悪いんです。
多少歪もうが破れようが皺になろが問題無いはずです。
三郎の手が契約書に触れた途端に下の方から青白い炎に焼かれ灰も残さず綺麗に消滅しました。
「はい、契約完了っと。んじゃ、神様から異世界人への、ありがたーいお言葉をお伝えします」
え、今? と思いましたが口には出さずにおとなしく拝聴します。神様のお言葉らしいですからね。ちゃかして天罰とかいやです。
そして三郎は身振り手振り全身を使って丁寧に神様のお言葉を教えてくれましたよ。くねくねと体をしならせながら……。
曰く『この世界のために働いてくれる間は保護するけどぉ(頬に人差し指あてて首傾げ)もし逆らった場合は魂ごと消滅しちゃうから先に謝っとくわねぇーごめんなさぁーい。世界の理だから怒んないでねぇ(ウィンク)』という事らしいです。
この世界は死神だけではなく神様もノリが軽いようです。
「そういう重大な内容の話は、できれば契約成立する前に教えてほしかったのですが」
「えー、ムリムリ」
「何故ですか」
「契約後にしか話せないんだもん」
後出しとかどこの悪徳業者ですか。そんなことを内心で思っているとニコニコと輝かしい笑顔を浮かべながら三郎がさらに告げました。
「でも、ザッキーが契約してくれてよかったよー。契約不成立の場合魂強制消去だからボクとしてはザッキーの作るご飯美味しいし、ザッキー自身も面白いから消滅してほしくなかったからねー。結構ドキドキだったんだからー」
…………この世界怖い。
さて、私城ヶ崎未央はこの度めでたく天界で作られた人形に魂が定着し、元居た世界にそっくりである異世界で死神の仕事を手伝いながら生きていくことが決定したわけですが。
え? 展開が早すぎる?
私も色々と納得できないことが山のようにありますが、怒っても泣いても叫んでも、元の世界に帰れないみたいですし、不本意ながら腹を括るしか道しか残されていないのです。
それに、週休二日は確約してくれましたし、お給料も頂けます。さらに、衣食住とある程度の娯楽は保障してくれるそうですから……まぁ、つまり条件めっちゃよかったので、これはこれで良いかなと……。
「それで、私は具体的に何をすれば良いのですか」
ベットに横になったまま、ソファーに座っている三郎に問いかると彼は半眼になった目をパチパチと数回瞬き腕組みをし、俯きつつこてんと小首を傾げます。
私もソファーに座りたかったのですが、長期間寝かされていたこの人形……もとい肉体はかなり筋力が落ちた状態だったようで、最初の魂定着の確認作業と三郎の頬を引っ張るぐらいしか動いていないのですが、息切れと眩暈を起こし動けなくなったため現在進行形でベットの上の住人です。
なんてことでしょう、あまりの貧弱さに涙が。
体力面まで精密に再現しなくてもいいのでは? と思いました。
え、久我さんですか? 彼は再放送の刑事ドラマ第二部に夢中で、必死に体力の限界を超え頑張ろうとする涙ぐましい私の姿など眼中にありませんけれど、それが何か。
ところで、そこそこの時間が過ぎたのに先ほどの私の質問に対する返答が無いのですが、何故でしょう。
私の疑問に対して誠心誠意込めて答えるのが今現在の三郎に与えられたお仕事のはずなのですが。
「……三郎?」
久我さん、藤田さんに続き三郎まで職務放棄したり……しませんよね?
湧き上がる不安を振り払い三郎に呼びかけます。
「…………ぅ…………ぅ」
何か言っているようですが聞き取れなかったので、重たい体に鞭打って這いずる形で三郎との距離を僅かですが縮め、下からそっと顔を覗き込みます。
目を閉じていました。首が不規則にゆらゆらと左右に揺れており、口はだらしなく半開きで、漫画やアニメでしか見たことのない洟提灯が……。
あー、これは、これは。完全に寝てますね幸せそうに。
「人の人生左右する重大な場面で寝るなぁぁぁぁあぁぁぁ」
「ふぐっ」
気が付いたら枕を全力で三郎に投げつけていました。
投げた枕はゴスッと鈍い音をたてて三郎の顔面にぶつかりました。音から察するに意外と威力があったようです。筋力すごく弱っていた筈なんですが。
あれでしょうか火事場の馬鹿力的な……火事場の馬鹿力って、こんな下らないことにも発揮されるんですね。新発見です。
枕を顔面でキャッチした三郎は突然の枕による襲撃に茫然自失。何とも形容しがたい表情が笑いを誘い怒りを少しだけ鎮火しました。あくまで、少しだけですけど。
人と話しているときは寝ないこれ常識です。
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