一仕事終えて
事務所に帰って一番最初にしたことは、冷凍していた合い挽き肉の解凍でした。肉を解凍している間にハムと卵とネギの簡単チャーハンをお茶碗2杯分のご飯で作り完成したチャーハンを、同時進行で作っておいた簡単卵の中華スープと共に配膳し、空腹で気が立っている玖珂さんに先に食べてもらいます。
その後、ニラ、キャベツ、ニンニク、ショウガを刻み解凍した肉と卵と少量の、胡麻油と醤油を適量混ぜ合わせ、餃子の皮でひたすら餡を包みました。
現在は戸棚の奥底から発掘されたホットプレートの鉄板に餃子を敷き詰め焼いている所です。じゅうじゅうとおいしそうな音をたて焼かれている餃子の横では玖珂さんが大皿に盛られたチャーハンを幸せそうに頬張っています。
焼きあがった餃子を皿に移動させた傍から玖珂さんがパクパクと食べ数を減らしていくので、それほど大きくない皿から餃子がコロコロと零れ落ちることはありません。
鉄板の汚れを取り、油を薄く塗り次の餃子を焼きながら首を傾げます。
おかしいな、このホットプレート一度に三十個の餃子を焼くことができるのにお皿に餃子が山を作る気配がないぞ。
玖珂さんが食事を初めて数分後「ザッキー! ボクの餃子と卵スープは、どこっ!」と叫びながら窓から乱入してきた三郎が加わり、匂いにつられたクロさんが現れ、さらには彼女にフラれ傷心中の藤田さんが「こんばんわぁ~」と酔っぱらいながら玄関のドアを蹴り上げ登場しました。
そして現在「そんなに私は頼りがいないですか、だめですか!」と両手に持ったビニール袋いっぱいのお酒を持ち、汗や涙で顔をべとべとにし号泣する四十代の大人な男性に縋りつかれるという、したくもない経験をしております。
「わっ、私だってがんばっでるんでず」
「そうですね」
鼻水を啜りながら、自分で持ってきた缶ビールを飲む藤田さん。
立ち合うのは二度目ですけど、この人、酔っ払うと本当に面倒臭い。
「私が頼りがいないがらってぇえぇ」
「はいはい」
吐き出される不平不満に適当に相槌をうっていると、無言で横から差し出されました。私も無言で受け取り、お茶碗に炊き立ての白米を炊飯器からしゃもじで山のようによそい、玖珂さんに手渡します。
「ふるどぎのゼリブが貴方とじゃ未来が描けないがらっでぇえぇぇえぇー」
「それは、それは……」
一気にビールを煽りドンッと机にカラになった缶を叩き付ける藤田さんの姿を見詰めます。確かにこの状態の藤田さんを何度か見たら色々と不安になるかもしれません。
机に俯せになり咽び泣く藤田さんの横にプルタブを開けた新しい缶ビールと置いて、背中を優しく擦ってあげます。
「大丈夫ですよ。次があります。藤田さん、いい人ですし」
高確率でいい人どまりになりそうですが。
「あ、ありがどうございまずぅうぅぅぅ」
「頑張って下さいね」
「はいっ」
涙腺のダムが決壊したように涙を流し続ける藤田さんを励ましながら、次のビールを手渡す準備をしました。
十本目のビールを半分ほど飲んだところで、酔いつぶれ酒の匂いに酔いダウンしたクロさんを抱きしめたままソファーで眠っている藤田さんに毛布を掛けていると、ジッと此方を見詰める目が四つ。
「ザッキー面倒見いいんすねー、いがーい」
三郎の言葉に返事をする前に藤田さんが、完全に寝入ったことを確認します。
スヤスヤと寝息を立てて眠る藤田さん。よしよし、大丈夫そうですね。
「いいですか、よく考えてみてください。うだうだ聞きたくもない失恋の愚痴を長時間喚かれるのと、適度に聞き流しながらハイペースでお酒飲ませて酔い潰し寝かせる。どちらが楽かを」
「酔い潰す」
久我さん、素早いお答えありがとうございます。
「うえぇ、ザッキーそんなこと考えてたの! 性格悪っ! って、何普通に答えてるの玖珂くん!」
「酔い潰す」
「いや、うん、だよね。酔い潰す方が楽だよね」
真顔で繰り返す玖珂さんにあっさり同意しました。
散乱していたビールやチューハイの空き缶と食器を片付け、緑茶の入った湯呑を各々の前に出します。
「さて、藤田さんも大人しくなりましたし、本題に入りたいと思います。色々と説明してもらいますよ!」
机に手を付き、身を乗り出して尋ねる私を横目に、緑茶を一口飲み、ほっと一息ついた玖珂さんが三郎の肩を叩き一言。
「よろ」
まさかの、丸投げ再び。
「玖珂くん。少しは自分でやろうよぉー」
まだ、飲み足りなかったのか、新しい缶ビール片手に三郎が促します。
「…………」
「別にボクが説明してもいいよ。ザッキーのご飯一カ月分と引き換えね」
無言で顔を逸らした玖珂さんに更に三郎が続けると、彼はしぶしぶ緑茶を机に置き口を開きました。
自分の取り分が少なくなるのが、そんなに嫌ですか。
「何が知りたい」
「まずは、私がいつ幽霊擬き――もとい霊体になったていたのかを教えてください」
「最初から」
「最初って、事務所を出た時ですか」
私の問いに玖珂さんは首を横に振ります。
「最初にコンビニで藤田に会った時から」
「すみません、今なんと?」
おかしな言葉が聞こえた気が……。
「藤田に会った時から」
同じ言葉を繰り返すことすら面倒になったのか、短縮して返された言葉に無情に口元が引きつります。
だってほら、初めてコンビニで藤田さんと出会った時って……。
「いえ、あの、それって一ヵ月近く前のことなのですが」
「知ってる」
それがなにか、とでもいうように首を傾げる玖珂さん。
「霊体って生きている人には見えないんですよね」
「うん」
「私、宅配のお兄さんと会話しましたよ?」
「この空間は特殊、霊体でも実体化できる」
何その不思議空間。
「普通に家族と過ごしたり、家から通勤していましたが」
「思い込み」
「そんなことはありません」
「なら、細かいところまで思い出してみろ」
自分の記憶を疑われ、ムッとして言い返す私に玖珂さんが言いました。
この一ヵ月の行動を振り返り思い出そうとして愕然とします。
「……あれ」
私、最後にお母さんと話したのいつでしたっけ?
まったく思い出せません。
事務所で過ごしたり、玖珂さんと一緒に行動したり、古沢さんを任務で尾行したことは、すぐに思い出せました。しかし、自分の家で過ごした記憶がありません。確かに家に帰りそこにいたはずです。それなのにその部分の記憶が映像を編集し切り取ったかのようにごっそり無くなっています。何も思い出せません。
「憶えてないだろ」
「もー玖珂くんったら、意地悪しないの。あのね、ザッキー自覚なしの霊体でいる時って記憶自分の都合のいいように書き換えちゃうことがあるんだよ。みんな一緒だから大丈夫気にしないで」
黙り込んだ私に三郎が助け舟を出してくれました。泥舟でした。水没しました。何が大丈夫なのかさっぱりです。
様々な不安が押し寄せてきます。最悪の展開も想像してしまいます。
「…………私、すでに死んでいたり?」
「ないない、心配しなくてもザッキー死んでないから大丈夫! 死神であるボクが死んで無いよの太鼓判を押してあげるから安心して」
さっくりと告げられた死んでいない、の言葉にほっと一息ついた私に三郎は「でも」と続けました。
「長時間霊体で彷徨うのはあんまりおススメできないしなぁ。時間もあんまりないし――うん、そろそろ……も……いしね。玖珂くん明日あたり連れて行ってあげれば?」
「言われなくても連れて行く」
そう言い残して玖珂さんは自室へと去って行きました。時計を見ると時刻は午前一時二十五分、そりゃ眠いですよね。
どうやら、明日全てが解決するようです。
死んでいなくてよかった。
……あ、結局質問一つしかしてない。
ゴソゴソと物音が聞こえたのでそちらに視線を向けると、三郎がソファーの上で丸まって寝る体制に入っていました。ここで寝るのかこの人。完全に寝入ってしまう前に、どうしても確かめたいことがある私は三郎に待ったをかけます。
「あの、一ついいですか」
「うん、なぁに?」
「あのもう一つありまして……前に仕事で尾行することになった時、玖珂さんに姿を見えなくする魔法の帽子というものを被せられたことがあるのですが、そんな帽子ありますか?」
「え、なにそれ何処の未来道具、欲しいんだけど」
質問に対して三郎は目を輝かせて言いました。
「では、動物の言葉が分かる首輪は」
「そんな道具開発できたらお金がウッハウッハだろうね」
「やっぱり無いんですね」
私の言葉に彼は頷きました。
「うん、ないよーそんな帽子。憶測だけど、ザッキーが人に認識されないことに気づいてパニックにならないようにするためじゃないの? 玖珂くんの優しさだね」
それは、優しさと呼ばないのでは?
「クロくんに関しては、ただのザッキーの勘違いだよ。彼が会話できるのは千年以上生きている力を持った神様だからだし」
なるほどと頷きながら、あれ? と思います。今おかしな言葉が聞こえたような。
「かみ……さま?」
「そう、神様。っていっても土地神様だけど。このあたり一帯彼の守護の範囲だよ」
クロさん、すごい存在だったんですね。
ふっと、クロさんとの思いでが脳裏に甦ります。久我さんに頭を鷲掴みにされているクロさん。部屋の隅っこで落ち込むクロさん。藤田さんと一人と一匹どんよりしながら慰めあうクロさん。……なんと言いますか随分と威厳のない神様もいたものです。