普段笑ってる人ほど……
ドアの向こう側へと二人の姿が消え、たっぷり二十秒の沈黙の後、薄暗く小さなアパートの一室「うぇー」と何とも奇妙な呻き声が響いた。
「…………あー、疲れた」
床にうつ伏せで倒れていた金髪男――三郎はうつ伏せの状態から横にゴロリと転がり仰向けになる。大きく二度深呼吸をしてから、体全体を使い大きな伸びをし、ゆっくりと体を起こし立ち上がった。
三郎は何度か首を窓にもたれかかり気絶している男を一瞥すると、なんの躊躇いもなく足を振り上げ男の肩口を蹴り上げた。
「いっ」
蹴り上げられた衝撃で後頭部が窓硝子にぶつかり、ガンッと鈍い音がしました。痛みにより意識が戻った男を見ると三郎は場にそぐわない酷く楽しそうな笑顔を浮かべ、男の腹部に足を置くと、体を前のめりにし体重をのせる。
「おぉ、起きた。途中から気絶してるんだもんなぁーオマエ。いい夢見れたか?」
「あっ、ぐっ」
じわじと腹部が圧迫された男の口から呻き声を上がる。
「いやー、アンタが声出したときは、焦ったよ。もう、ドッキドキ! 約束破って助けを求めるのかと思ったじゃん。オレはそれでもよかったんだけど、サックリ殺せるし楽だし時間かからないしー。おまえもそう思うだろ」
そう言って三郎は男に同意を求めた。
「ひぃっ」
「おいおい、そんなに怯えんなって。安心しなって約束は守るから。最初に約束しただろう? これから、目の前で起こることが見えていると最後まで相手に悟られずにいられたらオレはオマエを殺さないでやるって。大丈夫、殺さないよ――オレはね。これでも仲間内で約束は守ることで有名なんだぜ?」
三郎は同意の言葉ではなく、悲鳴を上げる男の腹から足を除け、腰を下ろし視線を合わせ、安心させるように穏やかな微笑みを浮かべた。
「おれは……生き?」
「おー、生きています。生きていますー。殺されないぜ。良かったなぁ」
殺さないという言葉に男は幾分安心したのか強張った表情を和らげた。
「にしても、すげーな。他人殺しておいて自分は助かりたいっていうその根性」
「ころっ、ちがっ!」
男が否定した途端、三郎は浮かべていた微笑みを消した。
「違わない、現にお前は4人殺しているだろう」
淡々と告げた。男がはじかれたように顔を上げる。
三郎はさらに言葉を続けた。
「どうして知っているって? 逆に質問したいな何故驚く。最初に説明したはずだ。オレは死神だと、死神は死ぬ人間が犯した罪がリスト状になって送られてくると。故に君の事もよく知っている。身寄りのない女性を保険金目当てで4人殺し、尚且つ警察に追われ逃げ込んだ森で偶然見つけた遺体の人物、古沢達三と入れ替わり現在に至るまでのうのうと普通に生活していた男。小森純一くん?」
つい数分前まで明るく笑い転げていた人物と本当に同一人物かと疑いたくなるほど、雰囲気も言葉づかいも全てが違っていた。まるですべての感情が抜け落ちたかのような無感情な表情と声に男――小森は底知れぬ畏怖を感じた。
そもそも、小森が死神と名乗る異常な男――三郎と出会ったのはつい数時間前の事だ。
ここ半年ほど悩まされていた、心霊現象は専門家に依頼した途端あっさりと心霊現象が終り解決したため、機嫌の良かった小森は、鼻歌を歌いながら近くのコンビニで菓子とアイスコーヒーを買い、久しぶりに、レンタルショップで話題のDVDを借りた。自宅のアパートに帰りソファーに腰を下ろし、さて映画鑑賞を始めようとした時、突然窓ガラスを通り抜け三郎が現れた。
あまりに現実味のない出来事に、茫然としていた小森に対し三郎は「あ、どうも死神です。数時間後に君はポックリ死にまーす。残念でした。君の悪行は届いているよ間違い無く地獄行きだねぇ。鬼とリアル鬼ごっこ、ガンバ。……なに、その顔。え? 死にたくないって? いやいやいや、もう決まったことだし変更はできないよ。え? どうしても嫌だって? うーん――そうだっ、最近ボク暇だったんだよね。だからさ、ゲームしようよ。これから、この部屋に黒髪テンパー無表情長身男が現れるからさ、その男が現れてから居なくなるまで見えないふりをして気づかれなかったら君の勝、気づかれたらボクの勝。もし君が勝ったらボクは君に手を出さない、つまり殺さない。どう?」通常の草刈りに使われる鎌の十倍はありそうな巨大な鎌の先端を首元へ突き付けながら言われた言葉に小森は有無もなく、ただひたすらに頷いた。そうしなければ、すぐに巨大な鎌で殺されると感じたからだ。
そして小森はゲームに勝った。現れた人物が二週間ほど前に己が心霊現象の解決を依頼しに行った何〝リライト〟の店員だったことには動揺しはしたが、最後まで彼らを見えない振りをし通した。
ゆえに、彼は小森を殺すことはできない……はずだ。
大丈夫、俺は死なない。小森は恐怖に震える体を両腕で抱きしめ、心の中で必死に繰り返した。
「てかさー、さっきの女いたじゃん? 悲鳴あげて隠れてた女じゃなくて、古沢の婚約者――あ、本物の古沢の婚約者ね。あの女さ、本当なら普通にあの世に帰って裁判受けて天国に行ける予定だったのな。それを、オマエが仲良く森の中で寄り添って死んでいた死体を引き離して、女の遺体だけを湖の中に捨てたりするから恨みで悪霊になりかけて、地獄行確定しちゃったの。あーぁ、すげーかーわーいーそぉー」
黙ったままの小森を気にすることもなく、淡々とした口調をやめ楽しそうに、しかし感情がすべて抜け落ちた能面のような顔で三郎が話し続ける。
「まぁ、オマエ婚約者も恋人もいなかったし? 遺体発見された時、女の遺体が近くに有ったら、そっちから調べられて身元が小森じゃなくて古沢だってすぐにばれるもんなぁ。そりゃ、邪魔だよ。入れ替われなくて困るから。でもなー、せっかく新しい人生を手に入れて早々に次ぎの獲物に手を出すってどうよ。オマエの良心どこいった。罪悪感とかないの? 家出中?」
「だまれっ、俺が勝ったんだっ俺がっ! さっさと出ていけっ!」
恐怖よりも怒りの感情が上回った。小森は勢いよく立ち上がり、窓の外を指差して叫んだ。
「…………」
そんな小森を無感情な、目で三郎は見詰めていた。
「お取込み中失礼致します」
二人が対峙しあう中、淡々とと抑揚のない落ち着いた第三者の声が、誰もいないはずの小森の後ろから聞こえた。
恐る恐る小森が振り返ると、そこにはフードを被った人物が大鎌を片手で持ち静かに佇んでいた。初めて出会った時三郎が持っていた巨大な鎌よりも一回り小さな大鎌ではあったが、それでもかなりの大きさの鎌である。
「ひっ」
震えあがる小森に対しフードを被った人物は深々と九十度のお辞儀をした。
「はじめまして小森さん。事前に通達がされているとは思いますが改めて申し上げます。……えっと、あと一分三十秒後、貴方は死にます。回収するために参りました。死神№133000です。あ、覚えていただかなくて結構ですよ。驚いている最中かもしれませんが、この後の予定も詰まっているので速やかに死にやがってくださいね」
大鎌を頭上に振り上げながら言いました。
「あ……どういっ……ころさな……」
「ん? あぁ、殺さない、殺さない。ちゃんと言ったろ? 『殺さないよ――オレはね』ってさぁ」
「なっ! 騙したのかっ!」
「失礼な、嘘はついていない。オマエが勝手に勘違いしただけだ」
恐怖、絶望、怒り、様々な感情がごちゃまぜになった瞳で三郎を睨みつける小森に対して死神№133000は思った。可哀そうにと。元来真面目で淡々と仕事をこなしていく者が多い死神の中で突出して変わっている死神がいる、それが死神№3260今己の目の前にいる男だ。彼は仕事能力は非常に高いのだが、どうにも遊び癖がある。毎回、生き延びられるというありもしない希望を与え、最後には絶望のどん底に突き落とすのだ。
遊ぶだけ遊んだ後、事後処理のため呼び出される№133000にとっては迷惑な話であるが、先輩であり直属の上司である三郎の命令には逆らえない。
「では、魂を回収します」
「ひっ」
背を向けて逃げ出そうとする小森に、№133000は一切の躊躇なく彼に大鎌を振り下ろした。
死神が持つ鎌は肉体から魂を強制的に引きはがす能力を持つ。
刃をその身に受けた小森は、そのまま床の上に俯せに倒れ数回痙攣した後やがてピクリとも動かなくなった。
「ったく、失礼な奴だったな。オレは殺してないから嘘ついてないし騙してないしぃー」
床の上に倒れそのまま動かなくなった小森の体を見下ろし三郎が言った。
しばらくすると動かなくなった小森の体から、じわじわと黒い靄が滲みだし一か所に集まり、小さな黒い円形の塊を作り出した。その黒い塊を№133000が屈んで両手で救いあげ、立ち上がる。
「回収完了です」
「あー、疲れた。終わった。お疲れ様。にしても、本当に生きて居られると思ったとか、うけるー。残念でしたぁー」
№133000の掌で浮かぶ黒い塊を指で突きながら三郎が嘲笑を含んだ声で言った。
「オレ等、死神の仕事は、穢れた魂の回収と、もう一つ――脱走した地獄の亡者どもの回収収容。見逃すなんてことはありえないんだよ。バァーカ。あの世で反省しとけ糞ガキ」
「先輩、先程から口調が乱れています。顔も能面みたいです。あと、一人称もオレになっています」
「おおっと、いけない、いけない」
片手で顔を覆い、手を退けた次の瞬間には、人好きする明るい笑顔を浮かべた。
「いやー、興奮すると我を忘れちゃうよね。あっ、そうそう忘れるところだった」
へらへらと笑いながら三郎が指をパチリと鳴らすと、何もなかった空間に黒に近い灰色の丸い塊が四つ現れた。
「はいこれ、小森に殺された四人の魂。騙し殺されたのが許されなかったんだろうね。ばっちり憑りついて悪霊化してたよー。玖珂くんに先に魂回収するように頼まれてたんだけどさ、回収したまま連れて行くの忘れちゃってたのよ。いやぁー、うっかり、うっかり。だから、ソイツの魂と一緒に連れて行っておいてね。ついでに報告書もよろしくー」
№133000の手のひらに、四人の魂を移動させてから、ひらひらと手を振りました。
「じゃ、ボクもう行くねー後は任せたよ。優秀な後輩くーん!」
餃子―餃子―ジューシー餃子―おいしー餃子―山盛りドッカーンと歌いながらベランダから、隣の屋根へと飛び移って行く三郎の後ろ姿を見送った№133000は、五人の魂を腰に下げてある花柄や唐草の曲線模様の装飾が美しい銀の鳥かごに入れながら深いため息を吐き床に目を落とし、
「転職したい」
ぼそりと呟いた。