よくあるパターン
「はなせはなせはなせぇころしてやるころしてるころしてやるぅうぅうぅう」
「玖珂くーん、どーすんのこのヒステリック女」
谷口沙織(仮)の背中を踏みつけ右手で彼女の両手首を後ろで一纏めに拘束した状態で三郎が尋ねると、玖珂さんは腕時計に視線を向けた後、黒い鍵を手に取り一言。
「腹減ったし、地獄落とす」
「イエッサー! 地獄へGO!」
あれ、地獄ってこんな軽いノリで落として良いところでしたっけ?
「待ってください」
ハイテンションで拳を天井へと突き上げる三郎の言葉にこの場にいる人物以外の誰かが待ったを掛けました。
玖珂さんの右隣の空間が大きく歪み大気が揺れたかと思うと、そこには一人の男性が立っていました。優しそうな顔立ちの二十代前半の男性です。顔立ちが古沢さんに似ている気が……いえ、似ているなんてものではありません少し若返ったらこんな感じですが、ソックリです。瓜二つです。ドッペルゲンガーですかね。初めて見ました。
「……チッ」
初ドッペルゲンガー略してドッペルさんに感動していると、隣で盛大な舌打ちをされました。
顔ごと向ける勇気は無いので、視線だけ寄越します。
「…………」
鬼のような形相をした玖珂さんが見えたので、すぐに視線を元に戻しました。
相変わらずの無表情なのに、表情は無のままなのに、鬼の形相? と思われる方もいらっしゃるでしょう? あれです。周辺に漂うオーラが禍々しいというかなんというか、ボソボソと呟かれる「腹減った」やら「俺の飯を邪魔しやがって」の言葉も怨念が篭っていて……食べ物の恨みがとても恐ろしい。ということは理解できました。
お怒りの玖珂さんを宥めて貰おうと三郎を探すと、彼はいつのまにか、ベットに横になりスヤスヤと寝息を寝ていました。お休み三秒タイプですか……私、枕が変わると寝つきが悪くなるタイプなので、とっても羨ましいです――っではなくて! ねぇ、ちょっと谷口沙織(仮)の拘束はどうしたの! ひょっとしなくても彼女今フリーですよね!
恐る恐る谷口沙織(仮)に視線を向けます。
「あ、あぁぁぁぁ」
進んでいました。身体が自由になった彼女は呻き声と共に、ズリズリと匍匐前進で前へと進んでいました。
「お、起きて! 三郎起きて! なんか近づいてきてるから! ピンチですから!」
恐怖に身をすくませながら必死に三郎を叩き起こそうとする私の目の前を、ドッペルさんが横切り床に這いつくばった状態の谷口沙織(仮)で足を止め、その場で跪くと、彼女の手をそっと両手で握りしめながらゆっくりと口を開きました。
「ねぇ、僕がわかるかい、さーちゃん」
知り合いでしたか。そうですか。でも、知り合いが現れたからって谷口沙織(仮)の暴走がそんな簡単に止まるはずが……。
「たーくん?」
ありました。あっさり暴走止まりました。
ドッペルさん改めたーくんの言葉に、それまで半狂乱で、理性の理の字も見当たらず暗く澱んでいた谷口沙織(仮)改めさーちゃんの目に光が戻りました。
「よかった。間に合った」
ほっと、安堵の表情を浮かべるたーくん。
「本当に? たーくんなの?」
「うん、本当に僕だよ」
大きく見開きたーくんを凝視していた瞳は次第に水分を含み、はらはらと彼女の左目から涙がこぼれだします。
「本当に本当?」
「うん、本当の本当に僕だよ。迎えに来るのが遅くなってごめんね。僕、自分が死んだって理解するのに2年もかかっちゃって、気づいてからすぐにさーちゃん探したんだけど、全然見つからなくて、通りすがりの親切なお兄さん……いや、お姉さん? とにかく親切な人が、君が色々と勘違いして人に憑りついてるって聞いて、今ならまだギリギリ間に合うからって、ここに連れてきてくれたんだ」
「探してくれたの?」
「当たり前だよ。さーちゃんは僕の奥さんじゃないか。奥さんを探すのは旦那の仕事だろう?」
「これからは、ずっと一緒にいられる?」
「ずっと一緒にいられるかどうかは分からないけど、そのために努力はするつもりだよ」
「わっ、わたしも、頑張るよ」
「知っているよ。さーちゃんは頑張り屋さんだもんね」
「たーくん!」
「さーちゃん!」
躊躇いなく半ゾンビ状態のさーちゃんを両腕で抱きしめる、たーくん。
美しい夫婦愛、感動的な場面です……が、二年も自分が死んだ事に気づかないってどれだけ鈍いの。ギリギリ間に合うから連れてきてもらったって、間に合わなかったら何が起こっていたの。結局親切な人はお兄さんなのか、お姉さんなのか白黒はっきりつけてくださいよ。お宅の奥様に、身に覚えのない言い掛かりをつけられて酷い目に合ったんですが、もっと早く来られなかったの。などなど、突っ込みたいことは山の様にあるのですが、とりあえず、目の前で抱き合あって、場にそぐわないピンク色のオーラをまき散らすのを止めて頂きたい。二人に「イチャラブするなら他所に行け」と言いたくて仕方がない。
何ですか、この三文芝居。
その後、満足いくまでイチャラブした二人は、痺れを切らした玖珂さんに飛び蹴りをされ、黒ではなく金色の鍵で作り出した金色の扉の中へ睦まじく手を繋ぎながら大人しく入り消えていきました。
あのバカップル三十分もイチャイチャしてやがっ……ゴホン。
あれだけ私に「殺す」と言い恐怖を与えたさーちゃんは「あ、さっきはごめんね。勘違いだったみたい。うふっ」と軽い謝罪を残し、あっさり成仏(?)されました。色々と納得できず、ちょっと胸のあたりがモヤモヤします。
久我さんがどこからともなく出現させた黄金の扉は縦三メートル(天井を突き抜けているので憶測ですが)横一メートル厚み三十センチとかなり大きく、見上げると壮観でした。
ペタペタと手で触っても指紋一つ付きません。手の甲でノックしてみるとコンコンと以外に軽い音が響きました。手触りは金属、でも音は木の板を叩いたときのような音、素材は何を使われているのでしょうか。
「おい」
「はい?」
「離れろ」
残念。もう少し手触りとか堪能したかったのですが、仕方ありません。しぶしぶ金色の扉から一歩後ろに下がると、金色の扉が、サラサラとまるで砂のように崩れ出しました。
「おぉー」
「……なんだ」
キラキラとした粒子は、再び鍵の形になり玖珂さんの掌にポトリと落ちた鍵を凝視していると、居心地悪そうに玖珂さんが身じろぎます。
「いえ、いったいどういう原理なのかと」
「…………知らん」
「え、知らないんですか」
「………………問題あるか」
「……問題はないですけど」
「なら、訊くな」
そっぽを向きながら告げられた言葉に素直に頷きます。
まぁ、そこまで知りたいことでもないですしね。
二人去り、人口密度の減った部屋で大きく深呼吸をしました。緊張で凝り固まっていた筋肉をほぐすためにグルグルと腕を回します。
「色々納得いかないこともありましたが、あの世では二人仲良く一緒にいられると良いですね」
「無理だな」
玖珂さんが即答しました。
めでたし、めでたし。で終わろうと思っていたのに台無しです。
「まぁ、三途の川辺りまでは一緒なんじゃないのぉー」
ベットで寝ていた、三郎が上半身を起こし、玖珂さんの言葉に続けて言いました。
「そんなスッパリと」
「彼女の魂さ結構がっつり穢れちゃってたし、確実に地獄に落ちるだろうからなぁ。男の魂は穢れ少なかったし一緒にいるのは……うん、やっぱり無理だね」
顎に指を掛けしばらく考えた後「無理なものは無理」と数度頷く三郎。
この人、一人で納得して満足しています。
私の冷めた視線には気づかない三郎は、玖珂さんの傍まで近づき、彼の顔を覗き込むようにして、しゃがみこむとニヤリと笑いました。
「いやー、にしても玖珂くん今回ずいぶんと優しかったじゃないっすか、地獄専用である黒の鍵から態々持ち替えて霊界の門と繋がる金の鍵使ってたし……もしかして、二人の愛に心打たれちゃった感じ? せめて途中までは一緒にいさせてあげよう。的な?」
なんと、久我さんがそんな慈悲深いことを。
「扉を別々に開くのが面倒だった」
「あっ、うん、そっか、だよね」
さらりと告げられた言葉に、
玖珂さんはどこまでいっても玖珂さんでした。
いつのまにか白目を剥いて気絶している古沢さんを観察しながら、二人のやり取りを聞いていると「そういえば」と三郎が話しかけてきました。
「現場での実践を終え、僕と玖珂くんに何か一言ないの?」
「本当に霊界の門番と死神だったのだなぁ、と思いました」
「いや、そこは賛辞か労いの言葉が欲しかったんだけど……まっいっか。てか、分かってはいたけどやっぱり信じてなかったんだねー」
「いえ、信じていなかったわけでは……」
「へー、で実際は?」
「……ちょっと現実を直視することのできない、夢に夢見るお年頃系統の人たちかと」
「あっははははははっ――ゲホッ、あははははっゴホッ、マジか! 僕らそんなふうに思われてたのっ、ウッチーってばマジ最高っ!」
「黙れ。このボケ」
「いってぇぇえええぇええっ」
ぶはっ、と豪快に吹き出しケタケタと声を上げ笑い、最終的にヒーヒーと呼吸難を起こしながらも笑い転げ続けていた三郎は、玖珂さんが全力で投げつけた床に転がっていた空き缶が額に直撃、悲鳴を上げ床に撃沈しました。
「いくぞ」
倒れたまま動かなくなった三郎を一瞥した玖珂さんが言いました。
「えっ、あの色々聞きたいことが、あと古沢さんが気絶したままです」
「説明は飯の後だ。古沢は放置しろ。三郎が対応する」
「あの、三郎倒れているので対応は無理かと」
「問題ない。いくぞ」
「……いえ、問題はあるかと」
「い く ぞ」
「はい、只今」
普段より幾分低い声での言葉に、慌てて玖珂さんの背中を追い玄関へと小走りで移動します。
お腹がすいていると人間は通常時よりも機嫌が悪くなりやすいですよね。
本日の学び。空腹時の玖珂さんはとても恐ろしいので素直に言うことを聞くべし。忘れないように帰ったらすぐにメモをしておきましょう。
玄関の手前で待っていた玖珂さんは、私が後を付いてきたことを黙視するとドアをすり抜けて外へと出ていきました。わー、本当にすり抜けましたよ。三郎が言ったことは嘘じゃなかった。恐る恐る私もドアに手を伸ばしてみます。すると、どうでしょう。不思議なことに手首までズッポリとドアの中へと消えました……間違えました。向こう側へ通り抜けました。
片腕をドアに手首まで突っ込んだまま、振り返ると床に倒れたままの三郎の姿が見えました。
何も言わずに帰るのも悪いので、一言エールを残していこうと思います。
「グッドラック」
ドアを通り抜けた際に後ろから微かに「助け起こすぐらいしてよ! ばかぁー」という声が聞こえましたが、予想よりも早い速度で歩いていく玖珂さんを追いかけるのに忙しいため、気のせいにしておくことにします。
数時間の間に濃密な体験をして心身ともに疲れました。もう切実に、帰って寝たいのですが、食事の後に説明してくださるそうですし、聞きたいことが山の様にありますから、もう少しだけ頑張りたいと思います。
お読みくださりありがとうございました。




