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 ズグロフとロットに別れを告げて暫く、あの二人が通ってきたせいか魔物と遭遇する事はあまりなく、二人は何の問題もなく二層へと続く下り階段の前までやってきていた。

 一層へ降りてくる際に通った階段と同じく覗き込んでみてもその終着点は見当たらず、相変わらず不気味な雰囲気を放っている。二人は暫くその底を眺めてから顔を見合わせた。


「どうする、降りてみる?」


 聞かれてソフィは唇に指を当てながら考えるように目を閉じた。階下から吹き上げてくる不思議な風の音が二人の髪を揺らす。じっと答えを待つレスティは妙な怖気を感じて階段の先を睨むように目を細める。


「今日はやめておきましょう。ズグロフさん達が引き上げるくらいですし、僕らには荷が重い」

「わかった」


 真っ暗な穴から視線をはずしたレスティは素直に頷いて返す。


「ここまでの道のりは一応記録しておきましたし、次に潜るときはもっと早く到達できるでしょう。今日の所はこの辺りをもう少しだけ調べてから帰りましょう」


 階段のあるこの場所は少しだけ開けた広間のようになっていて、二人がやってきた通路以外にも通路が延びていた。迷宮の名の通りこの地下の通路は複雑に絡み合いさまざまな分岐を作り出し、単純に入り口から階下の階段が繋がっているといった構造をとっているわけではない。

 時には熟練の冒険者すら戦闘中に方向感覚を失い同じ階層をさまよい続ける事になる。


(次、か……)


 ソフィの言葉にレスティは拳をぎゅっと握りこむ。


(私はどうしたいんだろう)


 再び彼女の中にこれから自分がどうすべきなのかという思いがこみ上げてきていた。

 自分が戦えると言う事を知り、常人にはない力を持つこともわかった。

 自分を認めてくれる人がいる、心配してくれる人がいる、対等に見てくれる人がいる。

 戦うことが怖くないと言えば嘘になる。

 今は妙な、相手の方が弱いという、確信の元戦えているからそれでいい。

 けれどもし、自分よりも強い相手に出会ってしまったら。

 昨日までとはまるで違う世界にレスティは迷っていた。自分のいた世界とは違うそこに今自分が立っている事、場違いなのではないかという不安、ずっと感じているそんなこれまでの生から来る不安が、彼女の決断を鈍らせていた。

 ただ本人は気付かないでいた、迷うというそのこと事態、自らがその場に立ちたいと願っていることに他ならないのだと。


「どうかしましたか?」


 いつの間にか思考に没頭していたレスティはあわてて首を振ってなんでもないと、そう身振りで伝え、


「行こう」


 と先頭にたって歩き出す。不思議に思いながらソフィはその後へと続く。

 別の通路へとそのまま二人は踏み込んでゆっくりと慎重に、辺りを警戒しながら歩いていく。

 レスティの頭頂部に生えた耳はせわしなく動き周り微かな物音を逃すまいと気を張っている。ソフィはそんな彼女の邪魔にならないように足音を極力立てないように松明を掲げたまま進む。

 やがて二人は通路の岩肌の様子や、空気が少しずつ変わってきているのに気付いた。

 つい先ほどまでは足元は乾いた土で、壁も硬質でざらざらとした岩だったのが、かすかに足元は水気を帯びて、壁はつるりと磨かれたような手触りに変わり、低い位置には苔が生えているようだった。


「近くに水場でもあるの……?」

「もう少し進んでみますか」


 進むほどに足元の水気が徐々に増していく。肌で感じるほど空気はひんやりと冷え、近くに水場があるのは確かなようだった。

 それから暫く二人は歩を進めて、やがて広々とした空間へとたどり着いた。

 二人が目覚めた宿屋の部屋が両手で足りないほど入りそうなほど広いその場所は、七割方を地底湖が占めていた。

 薄暗い闇の中ゆらゆらと揺れる水面は松明の光を反射し、半球状の天井に綺麗な模様を映し出している。

 二人はその光景に息を呑んで、思わず自分たちが今いる場所がどこなのかを忘れそうになる。


「こんな場所もあるんですね」


 感心したように呟いたソフィは熱心に何かをメモしている。レスティの方は声も出せないままただその光景に見とれていた。


「いいですねこういうの、まさに冒険って感じで」

「そうね……」


 水辺に近づいてその底を覗き込んでいるソフィの横に立ってレスティも辺りをゆっくりと見回す。所々にちょっとした野営の後が見て取れ、二人と同じようにここでこの風景を楽しんだ冒険者がかつていたことを思わせる。

 ふとそこでレスティは、水辺の少し浅くなっている足がつきそうな場所に、なにか光るものを見つけた。

 最初は水面の反射かとおもったが、見つめるうちにどうにも違うらしいとわかる。

 レスティはそこまでゆっくりと歩を進め、その湖面を覗き込んで目を見開いた。

 水中に沈んでいたのはレスティとそう歳の変わらなさそうな少女の死体だった。

 身長もそれほど差はなさそうで、動きやすそうな軽装に短めに切られた髪の毛、光って見えたのはその少女が指にはめている玩具めいたガラスの石の指輪だったのだとレスティは気付く。

 死体なんてものは貧民街に住んでいた彼女にとっては見慣れたものだったが、目の前のその死体には損壊もなく、ただ肌だけが真っ白で見たことないくらい綺麗な死体だった。

 水につかっているせいなのか、理由はよくわからなかったが……ズグロフの言っていた、きな臭い死体の特徴に一致しているのは確かだ。

 レスティは未だ興味深そうに辺りを見回してメモを取っているソフィの元へとかけよるとその袖を軽く引いた。


「どうしました?」

「こっちきて、ちょっとまずいかも」


 真剣なその様子にソフィも何かを察したのか、手に持っていたペンと紙をしまいこむと神妙な顔でレスティの後に続き、その死体を見てすぐに事態を察して口を開く。


「これは……ズグロフさんの言っていた死体と特徴が一致していますね……」

「そうね」

「たしかにこれは不思議な死体だ……」


 口元に手を当てながら気分悪そうに死体を眺め、ソフィは首を捻る。


「しかし、この子はなぜこんな迷宮内で死んで……?」

「同業じゃないの?」


 迷宮内に許可を得てわざわざ入ってくるのだからそれ以外の線はないようにレスティには思えた。たまたま一般市民が踏み入って迷子になった、なんて事が起きるほど雑な警備は行っていなかったように見えたが。


「僕もそう思ったんですが、鎧も武器もなしに迷宮に挑む人間がいるでしょうか?」


 ソフィのいう通り少女は武器も鎧も身につけてはいなかった。言われてみれば確かに奇妙な事だ。迷宮内に死体があることは別に問題ではない。ただその死体が不可解な死因と、何者なのかも分からないとなると、途端に得体の知れない恐怖が二人の心を支配した。

 レスティもソフィも水中に沈んだその死体をただ黙ってじっとみつめながら、まるで誰かに聞きとられまいとするかのようにか細い呼吸を繰り返す。


「引き上げましょう。確かにこれはきな臭い」


 ソフィの言葉にすぐさまわかった、と返そうとしたレスティの耳に、瞬間奇妙な音が響いた。

 それは湖面の水が寄せては返す音に紛れるような、ちゃぷりと容器からあふれた水がたてるような音と、滴る粘性の高い液体の音。その出所は、自らの背後、この空間の出入り口の方から聞こえた。

 咄嗟に振り返れば、視界に入るのは奇妙な物体。

 それは松明の炎を映してらてらと輝いている。

 大きさはレスティを五人分でも到底足りないほどの体積をもち、その体は不定形で、赤みがかった半透明な液体のような何かで構成されている。そうしてその体の内部を蠢く、紫色の丸い宝石のような物体。それがこの目の前の物体が魔物であるということを教えてくれていた。


「ちょっと遅かったかもね……」


 気を紛らわすように軽口を叩いたレスティは腰からゆっくりと短剣を抜き放つ。

 言葉を請けたソフィもすぐさま振り返り、その目の前に突如として現れた奇妙な生物に驚きを隠せないまま、ゆっくりと剣を抜いた。


「今までとは違いますね」

「そうみたい。どうにも勝手が分からないわ」


 今まで戦ってきた魔物達はそれでも、何かしらの生物の形を取っていたが、目の前のそれは見た目だけでは生き物などとはとても呼べない代物だ。どういった理屈で動いているのか、知能はあるのか、そもそもどういった行動をとり、どのような獲物を狙っているのか、それすらも分からない。

 なによりレスティが焦っているのは、目の前の敵の強さだ。

 先ほどまで感じられていた自分のほうが強い、という感覚が一切湧いてこないのだ。


「どっちにしても、あれをどうにかしなきゃ帰れそうにない」


 レスティが短剣を逆手に構えて飛び掛る。拳を突き出すようにナイフでその粘性の体を切りつける、が、刃が通った後からその傷口はぴたりと塞がっていく。

 どう見てもまったくダメージを与えられていないのは明白だった。

 先ほどの甲虫とはまた違う刃の効きにくい敵にレスティは短剣をしまうとそのまま地を蹴った。

 どうせたいしたダメージは与えられないのは分かっていたが、波打つように蠢いているだけの魔物に対して遠慮などする気はなかった、試せる内に試せる手立てをとる。

 突進の勢いのままに地を蹴って放たれた後ろ回し蹴りは、妙な沈み込むような感覚を足に伝えてくる。水田のぬかるみを蹴りぬいたような不気味な感覚に怖気が走る。

 そのままレスティは足を振りぬこうとするが、魔物の体内でその足がぴたりととまる。ちょうど、魔物の体の中心部付近を足が横切ろうとしたところで、脚を粘性の液体に絡め取られていた。

 嫌な予感にレスティは足を引こうとするが、それより早く魔物が動いていた。

 魔物のその体事態はまったく移動などしないまま、粘液上の体の下部、地面に接している面から、数個の小石がその半透明の体をかけ上がったかと思うと、レスティの足の周りにぴたりと張り付いたそれらが高速で回転を始める。

 小石の尖った面や、ザラザラとした表面が、触れているレスティの足の肉を削ぎ、削り落とし、一瞬でレスティの右足をずたぼろの肉塊へと変える。


「ッ――!?」


 発狂しそうになる程の痛みに声も上げられず、レスティは全身の毛を逆立たせながら、力を込めて無理やりに足を引き抜いて、地を転がり、そのまま湿った地面の上を激痛にのた打ち回る。


「レスティ!」


 剣を取り落としそうな勢いでソフィはかけよりながらも、目の前の魔物から目を離すことはない。が、目の前の魔物はレスティに向かって追撃をしようと動こうとはせず、その体を奇妙に蠢かしているだけだ。

 見れば、先ほどまでレスティの足があった場所には彼女の血液がパッと粘液中に広がっていて、それを体中に広げるかのように魔物は体は激しく波打たせているようだった。

 ならば好都合とソフィが止血だけでもとレスティの足の傷口に目を向けるが、そこにはズタズタに削がれ、削り取られた淡い色の肉と油、そしてそれらの中に白い骨が覗いているだけで、血液は一切溢れていなかった。

 そうしてレスティの右足、膝から下が白く変色しているのがはっきりと見て取れる、それはあの水底に沈む死体と同じ色。


「血液が主食の魔物、ということですか」


 しかしそれが分かったところで、状況は変わらない。レスティは手ひどい傷を負っていて、あの魔物もいつまた動き出すか、分かったものではない。


「ハッ、ッァ……!」


 苦悶に顔を歪め、額に脂汗を浮かせるレスティの様子から彼女が戦えないのは明白である。いくら驚異的な再生力があったとしてその痛みがなくなるわけではない。これだけ手ひどい傷が癒えるのにもどれだけ時間がかかるかもわからない。

 ソフィは覚悟を決めると武器を構える。

 邪魔な松明は地面に放り出し、最低限の明かりの中魔物を見据えた。

 未だに魔物は体を波打たせて蠢くばかりで襲い掛かってくる様子はないが、それはつまり通路の前に陣取ったまま、ということだ。あちらから攻撃を仕掛けてきてはいないとはいえ、レスティを背負ってあそこを安全に通過できるなどと気楽に考えられるわけもない。

 斬撃、打撃、両者とも効かないのはもう分かっている。しかし、先ほどの動きから分かっていることもあった、魔化した部位にレスティの足が届きそうになった時に急激に攻撃を仕掛けてきた、つまるところ、弱点はきっとあれだ。根拠はない、しかし、魔法の使えない二人からすればその魔物に対して撃てる手は他にない。

 少しでも情報の確実性を得ようと、ソフィは剣の柄を両手でしっかりと握り占めると、声もなく魔物へと踏み出す。

 その動きはレスティのそれと比べれば雲泥の差。

 街中の犬ですら簡単に逃げてしまうであろう一般人とさして変わらない運動能力。軽装の鎧に細身の剣とはいえ、普通の少女でしかないソフィのその体には相当な重りである。

 しかしその狙いだけは正確で、飛び込んだそのままの勢いでまっすぐに魔物の体、中心部へと向けて剣を突き出す。

 瞬間、ソフィは手ごたえを感じて目を見開く。

 切っ先がほんの少しその粘液に潜りこんだとところで、拳大の石がそれ以上剣が進むのを拒むようにしっかりと剣を受け止めていた。無理に押し通そうとしても石はしっかりとその場に固定されているのか、傾くこともなく微かに揺れる気配すらもない。

 諦めて剣を引き戻そうと力を抜いて粘液から切っ先が抜けたところで、ソフィの頬を何かが掠め、頬に一筋、赤い血の線が引かれる。

 何が起きたのか、確かめようにも、突如蠢き始めた目の前の魔物から目を離すわけにもいかない。

 ソフィの前で激しく体を波打たせる魔物の足元からは、粘液がまるで噴出すかのように幾本も立ち上がり、うねり動き回る触手を形成している。しかもそれらは徐々に、距離を詰めるように本体とともにじりじりと、二人の方へと近づいてきている。


「本気にさせてしまったようですね……早計、だったかもしれません」


 頬を流れる血を手の甲で乱暴に拭いながら、ソフィは、焦りと不安にその顔を歪めていた。

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