表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/29

6

 最初の戦闘から既に数時間、ソフィとレスティは地下迷宮の第一階層の奥へとゆっくりと確実に歩を進めていた。はじめこそ戦闘になれない二人はおっかなびっくりと時間をかけて戦っていたが、回数を重ねるごとにレスティは自分の力の具合を確かめ、まさに文字通り手足として上手く活用する術を体が理解していった。

 研ぎ澄まされた五感も合わさり、もはや目の前の敵と出会った時点で、なんとなくではあるが自分の方が強いと、そんな判断を下せるようにまで急激な成長をとげていた。

 対してソフィの方はといえば、剣を振るう様はとても見ていられたものではなく、しかし、魔物に関するちょっとした知識とその洞察力から、的確な指示を与えてレスティのサポートに回るような形となっていた。

 二人が今相対しているのは蜂をそのまま巨大化させたような魔物である。

 その大きさはレスティの体の半分ほどもある。絶え間なく鳴り続けるその羽音は煩く奇襲こそされる事はないが、あまり長時間聞いていたい音でもない。

 蜂の主な攻撃法方はその機動力を生かした強靭な顎による噛み付きと鋭い鍵爪による引っ掻き、それに加えて魔化し紫に怪しく輝くように変化した、尾の毒針による攻撃。

 解毒剤を持ち込んでいなければ一刺しでもされれば一時間と命が持たない危険な毒を持つ魔物である。

 ただその外観から、ほとんどの冒険者が出会った瞬間からその危険性については嫌でも察知できるという点に置いて、ある意味はでその脅威度は低い。

 迷宮内で最も恐ろしいのはその危険性を理解できないまま圧倒的な力で押しつぶすように蹂躙してくる魔物たちだ。

 尾針を突き出しながら突撃してくる蜂の攻撃をレスティはもはや慣れた様子で軽いステップで避ける。

 そのままお返しとばかりに腹部へと向けて放たれた短剣の一撃はその体をあっさりと両断、というレスティの予想とは裏腹に、甲高い金属同士が打ち鳴らすような音ともにはじかれた。

 硬質化したその表皮は並の刃では断ち切ることも出来ない。

 蜂は意に介した様子もなくそのまま天井すれすれまで飛翔すると、撹乱するように周囲を飛び回った後、レスティの背後を取りながら顎による噛み付きを狙い頭から突っ込んでくる。

 死角からの攻撃であったが、今のレスティにしてみれば、羽音の煩い蜂の位置など、目を瞑っていても手に取るように分かっていた。


「甲虫型の魔物は体の継ぎ目が弱い。そこを狙うんだ」


 一歩退いたところからソフィの指示が聞こえる。

 助言を耳にしながら振り返るレスティの視線は魔物の胸部と腹部、その境目のくびれた位置に狙いをつけた。

 しかし、魔物の動きも早い。レスティの感覚や身体能力が強化されているとはいえ、自在に飛翔し、上空から攻撃を仕掛けてくるそのすれ違い様、弱点を的確に狙うという芸当は難しい。

 レスティは一瞬で判断を下すと、敵の顎へ向けてその左腕をかざした。

 魔物はそのままお構いなしに、動きを止めた獲物に嬉しそうにかじりつきその柔らかな肉に顎を突き立てる。

 痛みにレスティは悲鳴を上げそうになるのを噛み殺し、右手に握る短剣を取り落とさないように力を込め、動きをとめた蜂の弱点を力ませに両断する。

 魔物の牙が一際深く腕に食い込むが、すぐに絶命したその蜂は煩い羽の音を止め、しんと静かになる。

 未だ食いついたままのその上半身を痛みをこらえながら引き剥がしながら捨てると、傷口から血が溢れだし、眩暈を覚え、たまらず膝をついた。


「レスティ!」


 心配そうに叫びながらソフィが近づいてくるのをレスティは息を荒げて、ただ見ている。


「なんて無茶を……早く治療しないと。今日はもう引き上げようこの出血でこれ以上ここにいるのは危険だ」


 喋りながらもソフィはその荷物をひっくり返して治療用の道具を取り出す。止血用の包帯に当て布、それに傷薬に水。そんな慌しいソフィに比べて、しかしレスティは落ち着いていた。


「大丈夫、平気……だから」

「何が平気なものか、こんなひどい傷!」


 ソフィの焦るような叫びに、レスティは顔を顰め、辛そうな顔を見せる。


「叫ぶのだけはちょっと、勘弁して。頭響くから、水貰える?」


 レスティの言葉に手当てをしようとしていたソフィは一度深呼吸をしてからレスティに水の入った皮袋を渡す。


「ありがと……」


 礼をいってそのまま少しだけ口の中に含み飲み込む。暫くこめかみを押さえるようにうつむいた後、レスティは残った水をその傷口に乱暴にかけてしまう。その躊躇ない行動にソフィは息を呑んだが、しかし、血の流れ去った後に現れたその傷一つない肌をみて、更にソフィは言葉を失った。


「だから平気っていったでしょ」


 そう言うとレスティはため息をついて壁にもたれるようにして座り込んだ。

 ソフィがどれだけ目を凝らしてもその腕に先ほどの傷跡はどこにも見当たらず、血の後すらも無い。ただ軽く裂けた真新しい衣装だけがその部位を攻撃されたことをはっきりと語っていた。


「どうして……?」

「わからない、けど、ちょっとだけ休憩していい?」


 自分の身体能力の向上と同じく、こんな経験はレスティ自身初めてではあったが、自分の置かれている状況に対して彼女は妙に冷静であった。

 たしかに自分の体に身に覚えのない不可思議な力が宿っているのは気味が悪いものではあったが、レスティはそもそもこの世界、街の事どころか、自分のはっきりとした出自すら知らない。

 自分がどこで生まれてどうしてこの街にいたのかもわからない。

 物心がついたときには物取りを生業としてただ日々を必死に生きていた。


「あぁ、時間もちょうどいいし、軽く食事もとったほうがいいだろう。食欲は?」

「うん、食べれる」


 返事を聞くとソフィはてきぱきと準備を始める。松明を使い周囲に火を灯し、通路の端に穴を掘って即席の竈を作る。その竈に火を灯し、そこを中心に触媒を使って簡易の結界をはる。それほど力の強いものではない。一般人でも触媒と手順さえ知っていればはれる程度のもので、せいぜいこの階層の魔物の攻撃を一回か二回防げればいい程度の本当に簡素なものだ。

 二人はその中で暖をとりながら持ち込んだ干し肉を齧る。

 レスティの服も鎧も昨日買ったばかりだというのにもう魔物の血ですっかりと汚れ、この格好のまま食事をするのはあまり本位ではなかった。

 だが、それでも空腹には勝てない。レスティにとってはこんな干し肉でさえめったに食べられないご馳走だ。よく噛んで味わうように食べる。

 傷の痛みはもう感じていなかったが、体は熱を持ち疲労感と頭痛で暫くは動けそうになかった。ただ、気分だけはなぜか高揚していて、迷宮から引き上げる、という選択肢を不思議ととろうとは思えない。


「それにしても、誰にも会わないわね」


 干し肉を食べ終えたレスティはその指についた塩気をなめながらポツリと呟く。


「入り口から分かれ道だしね。お金のある冒険者は魔法使いと組んで入り口から記録した内部まで直接飛んだり帰ったりするらしいから」


 こともなげに答えるソフィにレスティは目を丸くする。


「なにそれ、そんな方法あるんだったらこんな地道に潜ってるの馬鹿みたいじゃないの」


 それはもっともな意見だ。そんなに簡単に迷宮の奥深くを行き来できるというのならわざわざこんな低階層にいなくともすっ飛ばしてもっと儲けのいい深い階層に潜るほうがいいに決まっているのはないか。誰もがそう思うだろう。


「駆け出しの僕たちについてくれる魔法使いなんていないし、奥の階層ほど魔物が強いからね、今はこれでいいんだ。僕らもある程度迷宮に慣れないといけない。いずれは魔法使いをクランに招きたいとは思うけどね」


 ソフィは残っていた干し肉を口に入れてハンカチで優雅に口を拭う。手の甲でぐしぐしと口元をこすっているレスティはなんとなくばつが悪く、その手を止めた。


「それじゃ奥までいける魔法使いに頼んで他の魔法使いがついていけば、その階層に一気にのりこめるの?」

「それは可能ですけど、基本そういうのはクラン内だけですね」

「どうして?」

「深い階層ほど魔物が強く、触媒の純度も量もよくなりますから、わざわざ同業を招き入れてまで儲けを減らす人はいないでしょう。逆に、いろんな階層にいけるように記録した魔法使いを集めて階層転送でお金を稼いでるクラン、なんていうのもありますけどね。かなりいいお値段がします」

「ふぅん……」


 上手く商売をするやつらもいるものだと素直に感心しながらレスティは一つ伸びをする。食事をして話していると幾分気はまぎれてもう随分と体調はよくなっていた。

 そろそろいこうか、と声をかけようかと思って腰を上げようとして、レスティの耳がピクリと反応する。立ち上がろうとした中腰の姿勢のままレスティは聴覚に意識を集中する。入り口方向とは逆、奥の方からやってくる二つの足音。犬のものとは違う、ゆったりとした人間の足音だ。

 ただ人の形をした魔物、ということもありえないわけではない。警戒を解かず短剣の鞘を引き寄せて置く。その様子にソフィも事情を察したのか、細身の剣を手元に抱えた。

 やがてゆっくりと近づいてくる揺らめく松明の明かりが遠めに見えた。二人は緊張を解くように息を吐くと脱力して武器を置く。


「調子はどうだい、兄弟」

「ちょっくら火を借りさせてもらって――って、お前ら」


 暗い洞窟の中だ、随分と近づいてようやく二人組みの冒険者の男達だとわかる。

 その二人組は気さくに声をかけてきたかと思うと、ソフィとレスティの顔を見て驚いて固まった。

 ソフィとレスティは顔を見合わせてはてと頭を悩ませ、先に気付いたのはソフィだった。


「あぁ、あなた方は昨日ギルドでお会いした、どうぞ」


 言われてレスティも気付く。髭面のずんぐりむっくりした男と、その隣、対照的に体躯が細く頬に傷のある男、どちらも昨日クラン登録に言った際野次馬の中に見た顔であった。


「譲ちゃんたち本気で来たんだな」


 髭面の男がチラと二人に視線を配ってから、竈の前に豪快に腰を下ろす。


「てっきり冷やかしかと思ってたが、なかなかどうしてやるみたいじゃないか」


 レスティの血に染まった衣服を見ながら傷の男が下手糞な口笛を吹いて髭面の男の隣で荷物を広げ始めた。


「伊達や酔狂であんなことを言えるほど、家の名前は軽くないですから。よかったらいかがです?」


 ニコニコと笑いながらレスティが残っていた干し肉を差し出すと、髭面の男は軽く頷いて受け取り、傷の男は「ありがてぇ」と軽い調子で口に咥えてしゃぶりながら、荷物から鍋を取り出して竈をつかって水を沸かし始めた。


「もう帰るの?」


 レスティが顔を上げて聞いてみる。とはいえ返事はそれほど期待していなかった。半魔の自分とまともに会話しようなんて相手がそうそういるとは思えない。だが、そんな思いとは裏腹に、髭面の男は「あぁ」と頷きながら後を続ける。


「転送屋がつかまらなかったら歩きで三層辺りまでいこうと思っていたんだがな、二層の階段前にどうにもきな臭い死体があってな、今日は切り上げることにした」

「用心するに越したことがねーのはたしかだがなぁ、ちょおっと慎重過ぎるんだよウチの相棒は。ま、お陰で俺もこれまで生き延びられてるってわけなんだがよ」


 傷の男が陽気に茶々をいれてくるが髭面の男はそれを気にした様子もない、おそらくいつもの事なのだろう。傷の男は湯が湧いたのを確認するとそこに煎じた茶を入れて軽く混ぜると、あらかじめ用意しておいた木製のカップに人数分の茶をいれて出して見せた。

 レスティは警戒するようにそれをすんすんとかいでなかなか口をつけようとしない、ソフィはそんなレスティの様子を少し困ったように眺めている。


「そう警戒しなくても何も入っちゃいねーよ。何でもありの迷宮内とはいえ、新人の譲ちゃんたちから巻き上げようなんて程俺らは下種じゃねぇよ」

「例え相手が、金持ちの譲ちゃんに半魔だとしても、同業とはどこで何があるかわからん、助けられ、助ける間柄になるかもしれん。下手な行動で信用を失ってもしもの時に誰にもすがれないなんてのは、ごめんだ」


 男達はそう言うと先にぐいっとその熱い茶を飲んで見せた。

 髭面の男は平気な顔をしているのに対して、傷の男は茶の熱さに悶えながら何とか飲み干したようだ。レスティとソフィは二人の言葉に目を見合わせ、ゆっくりと熱い茶に口をつけてゆっくりとすすった。

 高い茶、というわけでもないが、気分の落ち着く柔らかい味と香りに緊張が解けていくのを感じる。


「迷宮内では意識しているにしろ無意識にしろ気を張ってるもんだからな、こうして休憩を取るときはしっかりとリラックスしておかねぇと長時間の探索にはとてもじゃねぇが耐えられない」


 喉元を過ぎて熱さから解放されたらしい男はそう言いながら残っていた茶をコップに注いで二人と同じようにゆっくりとすすり始める。

 暫くの間静かな迷宮内にお茶をすする音だけが反響して、ゆったりとした時間が流れる。

 ソフィはお茶を飲み終えるとそのコップをすすいで返しご馳走様でした、と頭を下げると、真面目な顔で話を切り出した。


「ところで先ほどきな臭い死体があったと言っていましたが……?」

「あぁ、まるで血を抜かれたように顔が真っ白になった新人の死体だ。目立つ外傷はないし、この階層の魔物は、基本動物やら蟲のなれのはてだ、本来だったらあんなに綺麗な死体にはならん」


 思い出すのも気分が悪い、とでも言いたげな苦い表情で顎をゆっくりと撫でながら男は語った。ソフィとレスティがここまでに戦ってきた魔物は髭面の男が言うとおり、動物や蟲の類であり、あからさまにこちらの捕食を目的とした獲物だった。


「だからまー得体の知れないやつが下の階層から上がってきてる可能性も考えて今日は一旦退いておこうってわけさ、お前らも気をつけろよ。調子よくここまで狩ってきたみたいだが、油断すると一瞬で持ってかれるぜ」


 自らの手を刀に見立て首を飛ばすようなジェスチャーでおどけながら忠告をして傷の男は荷物を片付け始める。


「そいじゃ俺達はこれくらいで失礼するぜ、変なもんに出会わないように気をつけろよ」


 荷物を片付けた傷の男は先に立って歩き始め、そのあとに髭面の男は松明を手に立ち上がり、地面に転がる蜂の死体を見つめてから口を開く。


「こいつは譲ちゃんがやったのかい?」


 問われたソフィは首を横に振って否定する。


「僕にはとても無理です」


 その言葉に軽く頷いた髭面の男は、今度は視線をレスティへとうつし、その小さな体を下から上まで値踏みするようにゆっくりと見つめた。その仕草がどこか気恥ずかしく、レスティは少しだけ身を縮こまらせた。


「なるほどな……お前名前は?」


 問われて、少しだけ戸惑いながらレスティは答える。


「――レスティ」

「レスティか、いいか、こいつとやるときは刃物はやめておけ、たしかにこの位綺麗に切れりゃそれがいいがそう毎回うまくいくもんでもない、大量に湧いて出る事もある。その時にいちいち一匹ずつ丁寧に相手してたんじゃあっさり死んじまう。一番いいのは魔法だが、そうもいかない時もあるだろう、逃げるか、戦うなら鈍器か炎だ。

 体こそ硬いが頭を揺らしてやればこいつらはあっさり落ちる、羽を潰すのも有効だ。

 松明で殴る程度じゃ火はついたりしないが、油をしみこませたぼろ布でもあれば一気に退治するのも簡単だ。幸いここに燃え移るようなもんはない、一網打尽にしてやれ」


 一息に話した男にレスティは戸惑いながら一つ頷く事しか出来ない。

 対してソフィはその話を熱心に羊皮紙に写し取りながら聞き返す。


「そういった知識はどこから?」


 ソフィのその態度に若干男は驚きつつもきちんと答える。


「経験がほとんどだ、あとは受け売りと情報交換だな、興味があるなら帰ってきたらもっと教えてやろう、もちろん無料ではないがな」

「是非機会があればご教授お願いします」

「ズグロフ、あっちはロットだ。用があればギルドの暇人どもに聞けば居場所位はわかるはずだ」

「ソフィ・スパーダです。ありがとうございました」


 ソフィの言葉を背にうけてズグロフと名乗った男は気にするな、とでもいいたげに軽く手を揺らして、相方のもとへとゆっくりと歩いていった。


「僕らもそろそろいこうか。もう大丈夫かな?」

「うん、平気」


 レスティの力強い頷きにソフィもまた自分のどこからともなく湧き出るやる気に押されるようにてきぱきと荷物の方付けを始めた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ