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 ギルドで起きた一騒動の後、レスティはなんとなく今更後にも退けず、ソフィの後をただついて回った。そうして、軽いけれど頑丈な服と下着、それなりの値段の軽装鎧を買い与えられ、そのままなし崩し的に宿屋の前へと連れてこられていた。

 着慣れない服はごわごわと着心地が悪く、どこか心もとなかったが、暖かく柔らかなその服をレスティはしきり眺めてはため息を吐いた。


(この服と鎧と短剣で、一体どれだけの期間を暮らせるだろう?)


 考えるのはお金の事ばかりだ。もしこれだけの金を返せと言われてもレスティは青銅貨一枚すらもっていやしないし、それを稼ぐ方法だって分かりもしない。

 少女は凍える夜の地の冷たさを、渇いた喉に流し込む泥水の味を、空腹に食べる硬いパンの美味しさくらいしか知らず、その何倍も知らないことの方が多かった。

 そうしてなによりも未知の事象に触れることがどうしようもなく恐れている。


「大きなクランだったらクラン用の宿舎を持ってたりするんだけどね、暫くはここを拠点にしようと思う」


 ソフィの方はあの一件以来むしろずっとご機嫌で、今も楽しそうに目の前のそこそこ大きな宿屋を見上げている。先ほどのギルドと同じように看板が掲げられているが相変わらずレスティにはその看板の文字は読めない。


「どうせ私はお金持ってないし、好きにすればいい」

「それもそうだ、それじゃさっさとチェックインして夕飯にしよう、僕も一日歩き詰めでお腹がすいたよ」


 弾むような声でそう言ったソフィはレスティの背を押すように宿に入り手続きを済ますと、二人はそのまま二階の二人部屋へと案内される。

 それなりの広さに通りに面した窓、ベッドはきちんと二つ。テーブルに椅子がニ脚、姿身に文机、必要そうなものは一通り揃ったそこそこいい部屋であった。

 荷物を置いたソフィは鎧を脱ぐとそのままベッドに腰掛けて荷物の点検を始める。対してレスティはその様を入り口から眺めているばかりでただ呆然と立ち尽くしている。


「そんなところで立ってないで寛いだらどうだい」


 見かねたソフィの言葉にレスティは小さく頷いて返すと空いているベッドの前までやってくるとその上に恐る恐ると言った感じで身を投げた。

 地べたとは違う暖かくやわらかな寝床。こんな贅沢は生まれて始めてといっても過言ではなかった。ただ、その贅沢を心の底から喜ぶことは出来ない。やはりどこかに彼女を疑う気持ちがあり、まるで夢のような現実味のないこの境遇に不安ばかりが募っていく。

 もしかしたら今にも目が覚めてとてつもない虚しさに襲われる悪夢を見ているのではないかと。

 そんな夢なら見ないほうがいいのに。

 頬を軽くつねってみても痛いばかりでこの夢が覚める事はない。


(なんで私はこんな場所にいるんだろう)


 ベッドの上に寝転んだままこの状況を作り上げた張本人の事を見つめる。細身の剣を慎重に手入れしているソフィはそのことには気付かない。

 レスティが小さくため息を吐くと、ちょうど部屋の入り口がノックされた。

 すぐさま剣を鞘に収めたソフィが立ち上がり、宿屋の従業員を部屋へと上げる。

 それと同時に部屋中に広がった芳しい香りに、レスティはベッドの上に飛び起きた。

 次々と部屋の中へと運び込まれてくる料理はどれも湯気を立てた出来立てで、とても少女二人で食べきれる量ではないように思えた。

 はじめてみるご馳走の数々にレスティは思わず唾を飲む。

 分厚いローストされた肉の塊、見た事のない黄金色のとろりとしたスープ。湯気の上がる暖めなおしたパンに香草とともに煮込まれた魚料理。色とりどりのそれらにレスティの目は釘付けになっていた。


「気に入ってもらえたみたいでなにより。スクリットーレ・オンブラの設立を盛大に祝おうじゃないか」


 テーブルの椅子を引いてソフィがレスティを促す。ふらふらと彼女が腰をかけたのを確認するとソフィもまた向かいの席に座って手を会わせ二人で食事の挨拶をかわした。

 そうして静かに食事は始まった。フォークとナイフを器用に扱うソフィの仕草を不思議そうに眺めながらレスティは恐る恐る暖かなパンに手を伸ばした。

 普段食べる硬いパンとは違う、軽く千切るだけでその柔らかさが分かる。

 そうして口に含んで同じパンとも思えぬその味に夢中で食べ始めた。手に取ったそれをすぐさま食べ終えると、次に手を伸ばしたのは黄金色のスープ、甘くとろみのあるやさしい味のそれを、あろう事かレスティは皿に口をつけてそのまま口に含む。

 口一杯に広がる味は今まで本当に味わった事のないほど美味で、満たされることのなかった飢えた体に染み渡り、もっと、もっと、と彼女の食欲を刺激した。

 そこから先は嵐のようだった。目に付いた肉を、魚を、パンを、思う様に口に放り、噛み千切り、飲み込み、止まる事のない暴風のようにテーブルの上を綺麗さっぱりに片付けていく。数々の料理の半分ほどを平らげたところで、はたと、レスティは手を止めた。向かいに座るソフィが食事の手を止めて自分の事を見つめていることに気付いたからだ。


「なに見てるの……?」

「いや、こんなに美味しそうに食べてもらえるなんて思わなかったからね。よかったら僕の分も食べるかい?」


 そう言って差し出された肉料理の皿を、遠慮なく受け取るとそのまま躊躇なくレスティは齧り付く。その様子をソフィはただただ満足気に眺めている。

 やがてテーブルの上に所狭しと並べられていた料理の大半を平らげてレスティの食事はようやく終わりを告げた。


「ご馳走様……」

「満足してくれたみたいでよかったよ。足りないならまだ頼むけど?」

「いい、食べ過ぎて苦しいくらいだから」


 久しぶりに感じるお腹の満たされる感覚と、初めて味わった美味な食事はレスティの気持ちを一時満たしたものの、しかし食べ終えてしまえば再び不安感ばかりが頭を過ぎった。しかしそれ以上にあれほど美味しかった食事がもう目の前にないことが悲しく思え頭の中を支配していた。

 そんな理由でどこか落ち込んでいるレスティの汚れた口の周りをソフィは丁寧に拭いてやると残っていたパンを適当に口に放りながらベッドに腰をかけた。

 レスティも同じように少し膨れたそのお腹を軽くなでながらベッドの上へと身を投げ出す。


(満たされている……)


 彼女がそう感じたのは生まれて始めての事だった。こんな幸せな事はなかったと素直にそう思える。だからこそ落差が怖くて仕方がなかった。幸せな時間がいつまでも続かない事を彼女を知っている。いい事があれ必ずその後は悪い事が起きる。それは彼女の歩んできた人生の経験から得た確かな実感であった。

 ベッドの上で丸まってレスティは今の自分置かれた境遇についてぐるぐると考えていた。知らないお金持ちの少女に助けられた事。そうして迷宮なんて場所に踏み入って戦わなければならないこと。買い与えられた服と鎧。いましがた食べた食事の味。それだけの対価として見合う働きをしなければならないということ。


(迷宮で戦うことは、それほど過酷なこと……なのかな)


 今なら逃げ出すことも可能だとレスティには分かっている。暫く厄介な憲兵に追われるかもしれないけれど、彼女に買い与えられたものや、最悪彼女の手荷物まで奪って逃げ出せば食うに困る事は当分ないはずだ。なんなら最悪、この国を出てもいいかもしれない。ここを離れるのはとても怖いことだけれど……。


(でも、裏を返せば……戦い続ければ、この満たされる日々が続くのか……)


 それは幸せな日々だ。食べるものに困る事のない、暖かい寝床が待つ日々のありがたさ。それはなにものにもかえがたいものだ。


(信じて、いいんだろうか)


 寝返りをうつようにしてレスティはベッドに腰掛けるソフィに視線を向けた。彼女はもうとっくにパンを食べ終えて荷物の点検をしていた。明日の準備だろうか。

 レスティの視線に気付いた彼女はその手をとめると口を開く。


「そろそろ寝ようか。明日からは忙しくなるよ」


 口ではそんな事をいいながら、明日が楽しみで仕方ないような弾んだ声を上げるソフィの様子はまるで子供のようで、レスティは静かに頷きを返した。




 日も落ち、明かりのなくなった部屋の中は暗く、通りに面した窓から微かにさす月と星の明かりだけが部屋の中を照らしていた。

 満たされたお腹と、柔らかな毛布の感触に体は眠りへと落ちようと脱力しているのに、レスティの意識だけははっきりとしたままで、ぐるぐると同じ事を考え続けたまま眠れないでいた。

 早くこの場を去るべきだとそう思って寝返りをうっては、頭に浮かぶソフィの笑顔に、今満たされているこの時間に、引きとめられて、また寝返りをうつ。それを何度も繰り返して、夜はふけていく。


「眠れない?」


 眠っていると思っていたソフィに急に声をかけられてレスティはびくりと身を震わせる。


「毛布とベッドが柔らかすぎて、落ち着かないだけ」


 反射的にそんな言い訳なのかよく分からない言葉を返して少し顔を赤くする。


「そっか……この宿のベッドは気に入らない?」

「嫌いじゃない」

「じゃあ明日もこの宿でいいかな?」


 明日もレスティがここにいると、暗にそんな響きを持ったソフィの言葉にレスティは返すべき言葉を捜し、ベッドの上で丸まっていた体を大の字にして天井を見上げた。

 雨風を凌げるだけでもありがたかった彼女にしてみれば今の境遇は天国のようなものだった。だからこそそんな現状を受け入れられずソフィの事を信じられずにいた。


「ねぇ……」


 自然とレスティの口から漏れた問いかけはすぐには続かず、静寂が部屋を満たす。


「何かな?」


 中性的な落ち着いた声が夜の闇を揺らす。


「なんで私なの? 私にそんな価値があるなんて思えない」


 特別な力などない半魔の少女など、一体誰が好き好んで仲間になんてするだろうか、しかもレスティが盗みを働いているとこをソフィは見かけているというのに。そんな彼女の疑問に「なんだ、そんな簡単な事か」と鼻で笑ったソフィは自信をもって答えを返してみせる。


「言ったろう、君はいずれこの国に名を残す名刀になるってね」


 いったい根拠のないその自信がどこから来るのか。初対面の相手にそこまで信用を置けるのはなぜなのか。レスティにはまったく分からない。


「説明にもなってないし、そんな自信どこから来るの? 私が、全部を持って逃げたらどうするつもりなの?」

「君はそんな事をするのかい?」


 すぐさま返って来たソフィの言葉にレスティは何も返せない。しない、とは言い切れない。


「するつもりがあるなら、わざわざ言うわけがないよ。それに君は僕を一度助けてくれている。青銅貨一枚の得にもなりやしないのに、だ。だから僕は君を信じようと思ったんだ」

「馬鹿みたい、お人よしは長生きできないって相場が決まってるのよ」


 呟くように言いながらレスティは顔を背けるように寝返りをうって毛布を口元にまで引き上げる。


「そうだね、僕は長くは生きられないだろう。だからこそ貴重なこの出会い無駄にしたくないのかもしれない。ただ、君がどこかへ行こうというのなら止める気はないよ。君を僕の剣にしたいのは僕の意思でしかない、もし君が誰かに使われるのが嫌だと言うのなら、諦めよう」


 珍しくソフィの言葉がどこか寂しげに震えているのを聞きながらレスティは目を閉じた。

 雲が月を隠し、真っ暗な闇が部屋を飲み込む。

 小さな落ち着いた吐息だけが響くその中ソフィはレスティがすっかり眠り込んだのを確認すると薄く笑みを浮かべてぽつりと小さく呟く。


「本当は」


 誰も聞く事のない言葉をとぎらせ、続ける。


「僕が生まれた時、託宣を授かった。いつか黒き忠実なる剣と僕が出会うと。ただそんな託宣よりも、君を見つけた時、君に助けられたとき、君が僕にとって大切な人になると分かったんだ。だから託宣なんてもので君の信用を勝ち得たくなかった。いつか君が僕を信用して、僕らの名が、スクリットーレ・オンブラが伝承になる時がきたら、この話を君にしようと思う」


 剣の家系に生まれた非力な少女はこれから先訪れるであろう試練や苦難、そうして今日のような喜びをかみ締める日を夢想し言葉を紡ぐ。

 誰にも聞かれる事のないその言の葉は彼女の胸の中に刻まれ、彼女が紡ぐ詩の一部となっていく。

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