27
普段から人気のない迷宮の内部ではあるが日が沈み月の浮かぶ時間帯になればそれはさらに顕著になる。
深層まで潜る者達は低階層には寄る理由もなく、新顔の冒険者たちがこんな時間帯に迷宮を訪れる理由もない。
静まり返った四階層の階段前。その空間に淡いオレンジの光が浮かんだかと思うと、不意に三人の人影が現れる。
転移魔法の感覚に慣れないのか、降り立ったレスティは軽くよろめいたところをソフィに抱きとめられて会釈を返す。
事前に呼び出されていた魔法の光源のおかげで周囲は明るく、昼間訪れた時と変わらない石畳と石壁が闇の中に浮かび上がる。
「さて、これからどうするの?」
「あの大蜘蛛の巣までいってはるのが確実、だと思う。犯人が本当にくるかはわからないし、無駄足になるかもしれないけどね」
申し訳なさそうにしながら喋るソフィに、ドーラはフンと鼻をならして笑い飛ばす。
「そんなの最初から承知してきてるんだから、別にいいわ。肩透かしだったら帰ってから何か奢ってよね」
「まぁ、手ぶらで帰るような事がないように祈ってるよ」
苦笑するソフィにドーラは呆れたようにため息を吐く。
「とりあえず、相手によっちゃあたしが手を出さないといけないかもしれないし、できればこれ以上魔法は撃ちたくない、道中魔物がでるようなら全部あんたに任せるけど大丈夫?」
視線を向けられたレスティは大きく頷いて、真っ直ぐにその瞳を見つめ返す。
「大丈夫、まかせて」
「一応僕も準備はしてきてるんだけどね、まぁ頼りにしてるよレスティ。それじゃいこうか」
三人はゆっくりと足音を殺すようにして四階層の奥を目指していく。迷路のように入り組んだ通路を記憶を頼りに辿っていく。今か今かと敵を警戒しながら三人であったが、予想に反して魔物は一向に現れない。先ほど潜った時も魔物を遭遇しなかったことからして、一体はどうやらあの大蜘蛛の縄張りだったようだ。
やがて道行きの半分ほどまで来た所で、ぴたりとレスティの足が止まる。
「なにか聞こえた?」
「人の足音がする、一人分」
その足音にレスティは聞き覚えがあった。思わず息を飲む。
「この時間に迷宮のこんな所に用があるなんて、こいつはいきなり大当たりかしら?」
「警戒だけはしておこう、単に迷ってるだけの冒険者の可能性もある」
二人の言葉を耳にしながらも、レスティは間違いはないだろうかと、疑いながら注意深くその足音に聞き耳を立てる。だがその足音は確かに聞き覚えのあるもので、それはまっすぐにこちらへと近づいてくる。
「まっすぐこっちに向かってる……」
「明かり消した方がいい?」
「いや、そのままでいこう。普通の冒険者を装って」
ソフィの指示に従って三人は変わらず慎重な歩みを続ける。やがて、闇のなかから人影が現れる。
全身を灰色の外套に包んだ背の高い人影は、三人の姿を見つけると足を止めた。
「こんな時間に出会うとは奇遇ですね」
ソフィが物腰柔らかく話しかけるが人影は意に介した様子もなく、ただジッとレスティの方へと視線を向けていた。
「明かりはどうなされたんですか? よければ松明をお貸ししましょうか?」
ソフィの言葉に人影はやはり反応しない。松明も持たず、武器防具すら身につけず、何もないはずの迷宮の奥からでてきた人影。ソフィ、ドーラは共にほぼ黒、と言う判断を下してはいたが、確証がないのに攻撃することも出来ず、ただ反応を待っていた。
膠着し、静まり返った場、さらに探りをいれようとしたソフィを遮るように、レスティが一歩前に進みだして静寂を破る。
「ジュラーレ……」
「ようレスティ、まさか迷宮内で出会うとはなぁ」
二人の会話に、ソフィとドーラは目を丸くしながら、レスティの方を見る。
「後で説明する……ただ、多分彼が犯人で間違いないよ」
言いながらレスティは剣を抜く。
「そうだな、これから殺し合いをしようってのに、出会いの馴れ初めなんて語ってもしかたない」
喋りながら男がフードをはずすと、その下から現れたのは二本の黒々としたとぐろをまいた角。
「半魔……?」
「だからどうした、別に珍しいもんでもないだろ赤毛、お前の横にもいるじゃないか?」
ジュラーレは笑いながら両腕をだらりと下げて、前傾姿勢を取る。獣を連想させる奇妙な構え。それを見てソフィとドーラも武器を構えた。
「殺してやるぜ、人間どもよぉ!」
叫びとともにジュラーレが石畳を強く蹴り、一気に踏み込む。その速さはレスティの比ではない。比喩でもなんでもない目にも留まらぬ速さ。瞬時に距離を零につめた勢いのまま繰り出されるのは角を使った頭突きだ。とっさにレスティは両の剣で攻撃を受けとめるが、体重、体格の差だけではない、圧倒的な膂力の差に、レスティの体はあっさりと宙に浮き、そのまま、突き上げるようにジュラーレが頭を振るとその体は易々と硬い迷宮の壁面へと叩きつけられる。
肺の中の空気を押し出され、激痛に意識を持っていかれそうになりながら、レスティは自身の再生力をもってなんとか持ちこたえる。
一瞬の出来事に、ドーラとソフィは驚愕に目を見開いて息を呑むことしかできない。
「おいおい、棒立ちで気を抜くなんて、死にたいのか?」
「ッ! 猛る――」
すぐ隣から聞こえた声にドーラが首を回して杖を振ろうとするが、緩慢なその動作を、詠唱をジュラーレは許さない。ドーラの鳩尾に深々と拳が突き刺さる。たまらず悶絶して、そのまま床に伏せる。
そのまま肉薄しようとするジュラーレに、ソフィは反応が追いつかない。
頭部を狙って何の変哲もない蹴りが繰り出される。
だが防具の守りのない場所にその一撃を食らえばただではすまない。
迫りくるその暴力を前にしかし、ソフィは怯まない。
瞬間、その一撃をレスティの握る短剣が受け止めていた。そのままもう片方の手で我武者羅に切りつける斬激をジュラーレは易々と回避して、距離を取る。
獣のように、荒い息を繰り返し、口の端から唾液を垂らすレスティの顔には苦悶の表情と、脂汗が浮いている。強烈なダメージを負いながらも無理やりに体を動かした代償だ。加えて、昼間の間に幾分か魔力に当てられていたのもある。
それでも、ここで倒れる訳にはいかない。
「ぐっ……なんなのよ、あの化け物……」
ドーラも顔を青くしながらよろよろと立ち上がって悪態を吐く。化け物、そう評するに相応しい圧倒的な強さに、三人は戦慄していた。レスティですら追いつけない速さに、ドーラの詠唱や、ソフィの素人に毛が生えた程度の剣術が通用するわけもない。
「おいおい、さっきまでの威勢のよさはどうしたんだ? あぁん?」
ケタケタと笑いながら、見下すように見開かれたジュラーレのその両の瞳には、紫色の輝きが見て取れた。それはもはや三人が見慣れた、触媒の輝き。すなわち、魔物の証。
「あいつ、両目が魔化して……」
ドーラは絶句して、一歩あとずさる。
「魔物……いや、魔人……正真正銘の化け物」
ソフィも目を見開いて、そう呟くだけで精一杯だ。
「何びびってんだよ。お前らが散々化け物だ人じゃないだ馬鹿にしてきたたかだか半魔だぜ? なぁおい? はやくとっ捕まえてみろよ俺をよう」
焦りを隠せない三人に対して、余裕の笑みを浮かべて笑うジュラーレの姿は対照的だ。
魔人。伝承にすら伝わる魔物であり、その力は通常の魔物の比ではない。
魔力に当て続けられ、体の一部が魔化することによって人が魔物に変わったもの。
「予想以上の大物がかかってしまったみたいだ。二人とも悪かったね……」
唇を噛み、後悔しながらソフィが二人に謝る。そのはじめてみる弱気なソフィの姿に、レスティは酷く不安を覚える。一度だってソフィのそんな様子を見たことがなかった、出会った時からずっと自分を引っ張ってくれた、彼女という存在を、今は自分が守らねばならないと、剣を握る手に力を込める。
「謝ってどうにかなるもんでもないでしょ。それよりどうやって逃げるかよ。まともにやりあって勝てる相手じゃないわ」
「責任をもって僕が引き受けるよ、言葉が通じる相手でもないだろうが」
会話をはたからニヤニヤと眺めているジュラーレの前にソフィが一歩踏み出すより先に、レスティの腕がそれを遮る。
「言って聞く相手じゃないなら私が適任。一番私が頑丈だから」
レスティはそう言って二人に笑って見せた。それはどこか安らかな笑顔で、この場にはとてもそぐわないもので。
「剣である私が戦うのが当然でしょ? それに……」
レスティは言葉を切って続ける。
「今まで何の意味もない毎日ばかり過ごしてきて、何も考えられずに生きてきて、それでもここで二人を守れるのなら……何か意味が持てるのなら、このために日々をすごして来たって胸をはれるなら、私はそれで満足」
両の手の剣を握ってレスティは二人に背を向けてジュラーレと対峙する。
「自らの剣を放り出して、逃げ出す騎士が、どこにいる!?」
ソフィのその叫びを聞いてレスティは、嬉しく思う。たとえ利用されていただけだったとしても、必要とされるということが、自分に意味をもてるということが、それだけで嬉しかった。だからこそ、主とみとめた相手の言葉でも聞く気はなかった。
「いやいやお涙頂戴の半魔と人間の物語ってか? つくづくいらいらするぜ。大体俺が、逃がすわけ無いだろうが!」
ジュラーレが言葉を残して掻き消える。
瞬きの間に移動したその体は既にドーラとソフィの背後、二人の首に向かってその手が伸ばされる。
散々いたぶってから殺すのもいいが、今すぐにこの二人を殺してしまってその後レスティだけをいたぶるのもいいだろうと、ジュラーレは考えていた。
殺すだけならわざわざ殴ったり蹴ったりする必要なども無い、彼の握力を持ってすれば人間の首を握りつぶすことなど造作も無いことだ
しかしその手が柔らかな首に伸ばされるより先に、その軌道をふさぐように二対の銀光が閃く。
驚愕に顔を歪めながらもジュラーレは咄嗟に手を引く。
その空間をレスティが振るう剣がなぎ払い続けざまにレスティは踏み込んで、さらに攻撃を重ねる。
だがその攻撃がジュラーレにかすることもない。
「ドーラ! ソフィをつれて早く!」
「悪いわね……それと足手まといって訂正しとくわ、あんたはこのクランに必要な存在だったわ」
言葉を投げかけながらドーラはソフィの手を引いて走り出す。
「だめだ、レスティを置いてはいけない!」
「馬鹿言ってんじゃないわよ、あたしらが残って何ができるってのよ! あたしもあんたも今のあいつの前には足手まといなのよ! あいつの気持ちを無駄にするなんて、あたしが許さない!」
強引にその手を無理やりひいてドーラは駆ける。
ジュラーレがそうはさせまいと飛び出そうとするが、再びレスティの斬激がそれを阻む。舌打ちの間に二人は駆け抜けていく。
「死んでもここは通さない」
「なにがそこまでお前にそうさせるかわからねぇが、その気持ちに免じてここだけは見逃してやるよ。大口たたいたからには、簡単に死ぬなよ?」
そこからは一方的な展開だった。
殴り、蹴り、投げ。ありとあらゆる暴力がレスティを襲う。レスティのその鋭敏な聴覚や視覚をもってしてジュラーレの動きを感知したところで、その瞬間には既に攻撃が迫っている。基礎的な身体能力の違いの前にはどんな先読みをもってしてもそれは無意味だ。
レスティにできるのはせいぜい攻撃を受ける場所をずらす程度のこと。
普通の人間であれば死んでもおかしくはない打撃を受け、死んだほうがましだと思えるほどの苦痛をうけて、それでもなおレスティは立ち上がり剣を構え、腕を振るう。
額が割れて、視界が赤く染まる。腕を折られて、悲鳴にならない叫びを上げて、しかしすぐに回復する。再生はただの再生でしかなく、痛みに発狂しそうになる。
それでもレスティは止まらない。
ただたち続け、あたらない剣を振り、必死で攻撃をずらし、痛みに苦しさに耐え、ただただ剣を振るう。
「あぁあああぁああぁあぁぁぁ!」
叫び渾身の力を込めて振るう剣は無残に空を切り。次の瞬間にはその何倍もの力を込められた打撃に悲鳴を上げそうになる。
次第に意識が朦朧としてくる。圧倒的な力の差に勝てないことはもはやわかっていた。それでもよかった、ただあの二人を逃がせるのならそれでレスティは満足だった。
ソフィに投げかけた言葉は全て本音だった。
ただ、ひとつ、ひとつだけ、言わなかったことがある。
心の中にあるもやもやとしたなにか。
ドーラ必要なものだったと言われてもいまだ燻るこの気持ちがいったいなんなのか。
ソフィの顔が脳裏にちらとよぎる。
足に力を込める、
まだ、倒れない。
ジュラーレが気まぐれを起こしてあの二人を追いかけないとも、限らない。だから、倒れることはできない。戦闘とも呼べない一方的な暴力の嵐の中、研ぎ澄まされていくレスティの聴覚が二人が既に道行きの半分以上を進んでいることを告げる。
これだけ離れれば、さすがのジュラーレでももう追いつけないだろう、ほっと少しだけ気を緩めた瞬間に側頭部に受けた回し蹴りが、レスティの意識を刈り取る。




