25
「それで、あんたはなんであの子にそんな拘ってんの?」
ドーラに聞かれてレスティは小さく首をかしげる。
二人がいるのはレスティとソフィが借りている部屋だ。
お風呂から上がったレスティが着替えを済ませてソフィが帰って来るのを待っていた所に部屋を訪ねてきたドーラを中に招き入れて適当な世間話をしているところに、不意にふられた質問だった。
(そもそもなんでこいつはいきなり私の部屋を訪ねてきたんだろう?)
ドーラからすれば特別関わる理由もないはずなのだが、ソフィを待つ時間が暇でしかたない、ということなのか、レスティは適当に納得しながら、ドーラの質問に再び思考を傾ける。
「さぁ……?」
改めてそう聞かれると、自分でもよくわからない。初めて必要としてくれた人だから。やさしくしてくれた人だから、理由をつけることはそう難しくない、けれどどれも本当の理由ではない気がする。マギーも同じように接してくれているはずなのに、ソフィに対して抱くような気持ちをもったことはない。
「さぁってあんた、よくそんなのであんな無茶な戦い方できるわね」
呆れたように言いながらドーラは保存食の干し肉をかじりながら、レスティにも「食べる?」と差し出してくる。レスティは素直にそれを受け取って、少しだけドーラに対する評価を上げながら干し肉に噛り付く。
「よくわかんないけど、とにかく対等にありたいと言うか、力になりたいっていうか……よくわかんない」
自分の気持ちなのにうまく言葉に出来ないもやもやとしたそれを吐き出しながら、レスティは小さくため息を吐く。
「ふぅん……」
ドーラはそんな気のない返事をしながらも、顔の方は真面目な表情を浮かべてレスティの方を伺っていた。レスティはといえば自分がそんなふうに見られていることにも気づかずに黙々と干し肉を噛み締めている。
「自分で聞いておいてそんな気のない返事しないでくれる」
「いやだってもっと面白い返事が聞けるかと思ったのに、拍子抜けよ」
「面白いって……だいたい面白い返事ってなに?」
干し肉を齧る口の動きを止めたドーラはあごに手を当てて腰かけた椅子の足を浮かせる。
「そーね、例えばあんたがあの子を愛してるとか?」
冗談めかしてそう問うたドーラは笑い飛ばそうとして、真剣な表情で悩むレスティを見て、顔を引きつらせる。どう言葉を続けるべきかドーラが迷っているうちに、レスティが顔を上げてその名前を呼ぶ。
「ドーラ」
「何よ……」
ごくり、とつばを飲み込んだドーラは気まずそうにしながら身構える。
「アイって、なに?」
そして飛び出してきたその言葉に二本足で浮かしていた椅子をひっくり返して強かに後頭部と打ち付けた。しばらくの間ドーラはそのまま悶絶し、レスティはそれをびっくりしながら見つめていたのだが、急に立ち上がったドーラに二度びっくりする。
「普通知ってるでしょそれくらい、言葉の意味はともかくとして、言葉としては」
「ごめん、しらない。どういう意味なの?」
本当にきょとんとして首をかしげるレスティのその様子は本当にしらないらしく、ドーラは軽く頭を抱えた。意味などと言われても自分でもよくわからないそれを他人に説明するのは骨が折れる。
「改めて意味っていわれると、なんだろ? その人の事が好きで好きで仕方なくて、四六時中その人の事ばかり考えて、どうしようもなく焦がれたり、っていうのもあるけど、両親が子供に向ける気持ちとか、友人を大切に思う気持ちなんかもそう呼ばれることもあるし、ま、あたしには縁のない感情だけど」
「へぇ……」
それに関してはレスティも同じだ。両親も友と呼べる相手もレスティにはいなかったし、愛どころか好意を向けてくれる相手すら出会ったことなどなかった。向けられるのは侮蔑か嫌悪か極稀に同情の念を向けられることも、あっただろうか。不意に昔、といってもまだ一ヶ月も前のことでもない記憶を思い出して、足が震えた。
恵まれていたわけではなかった、でも、何も知らなかったからこそ耐えられていた。
今にして思えばあれは、辛い、辛い日々だった。
「ドーラは何で縁がなかったの? 両親はいたんでしょう? 魔法使いは血筋だって、ソフィが言ってた」
レスティの何気ない質問に、ドーラは一瞬息を詰まらせて、視線を下げた。話すべきか、話さざるべきか、迷いながら、どうせもうここにいる目的は話してしまっているのだからと、ドーラは語り始める。
「そうね、普通は魔法使いっていうのは血筋、両親のどちらかが魔法使いでないと魔法使いの子供は生まれてこない、と言われてるわ。でもね、たまにいるのよ、そういうのとは関係なしに魔法の素質を持って生まれてくる人間が、それが私」
自分を指差して、自嘲しながら続ける。
「両親は二人とも平凡な、ごくごく普通の人間だった。そんな所に魔法が使える子供が生まれたらどうなるかわかる?」
聞かれてレスティは考える。自分自身両親というものを知らないから、よくわからないが少なくとも魔法使いという存在が特別で身分としては高いものだというのは分かっていたから順当そうな答えを返した。
「喜んだ、じゃないの?」
「そうね、最初はそうだった。でも魔法使いは本来才能のあるものからしか生まれないと分かったら父は母の不貞を疑って、家族はばらばらになったわ。母もあたしの存在を気味悪がってろくに話すこともなくった。それでおしまいよ」
ドーラはそこから先の事は語らず話を締めた。聞かれたのはあくまで両親の事だけだ。不幸自慢なんてしたところで、目の前の相手はそれと同じかそれ以上の過酷な人生を歩んできただろう半魔だ。語り合うだけ、無駄というものだろう。
「生まれた時から特別だからって、幸せなわけじゃないんだね」
「そりゃそうよ。誰だって悩みや苦しい事なんていくらでもあるでしょ。生まれなんて関係なしに、あのお嬢ちゃんだって、同じでしょ。貴族っていったって没落した剣の家。また別にあたしらの知らない苦労とかも、あるでしょうよ」
「ソフィの、苦労……」
レスティは今までそんな考えた事もなかった。いや、そもそもにして、ずっと自分の事で精一杯だったのだ。余裕がなかったと言えばそれまでだ。考えてみればそれは当たり前の事、でも、それがなぜだか心に響いた。
「あんたはどうなの?」
動揺するレスティの事などしらないドーラはそう、言葉を振る。聞かれた所で、特別話すこともないのだが、面白い話ではない、むしろ語るべき事がない、とでもいえばいいのか。
「物心付いたときには一人で貧民街にいた」
感慨もなく、ただ淡々とレスティは語る。過去を思い出すように細めらられた目は光を放つ不思議な筒へと向けられる。
「雨風を凌げる場所もなくて、寝るときは毎日凍えて、着るものも食べるものも、ろくになかった。毎日生きるために必死で、必要とあれば盗みだってした。私が半魔だから嫌われてたのか、盗みなんてしてたから嫌われたのかどっちが先だったかはよくわからない。でも大抵、見つかったりしても殴られたり蹴られたりするだけで、顔を覚えられる事もされなかったな。それだけでみんな私には関わりたくなかったみたい」
ほとんど毎日同じような、過ごした事があるような日々の繰り返しで、まざまざと脳裏に刻み込まれた記憶を呼び起こすことは容易い。
どれだけ暖かな毛布に包まれて眠る事を繰り返しても。どれだけ沢山のおいしい料理を食べても、凍え、飢えた記憶はレスティの根底に染み付いている。
思い返せるのはそんなことばかりで、特別な誰かの顔を思い出すこともなければ、記憶に残るほどの特別な思い出もない。本当にただただそれだけの日々だった。
「ほんとになんにもない毎日だった。びっくりするくらいね」
語り終えて、レスティは自分の歩んできたその短いような長いような日々の無意味さと、ソフィに出会ってからの色づき全てが変わっていく日々の差に、本当にただただ呆然としていた。
「なんていうかさ」
レスティが語り終えたのを確認すると、黙って聞いていたドーラがそう切り出す。赤毛かぼんやりとした明かりを受けて揺れる。その色もまた綺麗だとレスティは思った。
「ほんと、何があるかわからないけどこの世界。どんなに自分の力じゃ解決できないと思った問題が、急に解決しちゃったり、驚くくらい都合のいい出会いに恵まれたり、その逆だってありえるけど……自分が思う道をまっすぐ進むしか出来ないんだから、あんたも、あたしの事なんて気にしないで、あの子の為にがんばりなさいよ。あたしはあたしで、自分の為にがんばるから」
改めて、ドーラの口から放たれた停戦協定の言葉。いつもの彼女の自信という鎧に飾られた言葉ではない。やさしいいたわるようなその響き。レスティは意外さと、気恥ずかしさを感じ、少しだけ顔を背けてから、しっかりとドーラの瞳をみつめた。
激情に燃えていない彼女の紅の瞳は穏やかに、レスティの姿を映している。
「うん、私も、ソフィの為に……クランの為に、がんばる」
そういって頷くレスティ。どちらともに気恥ずかしさに笑い始める。その笑いが途絶えたころ、部屋の扉がゆっくりとノックされた。二人は同時にビクッと体をはねさせながら、顔を見合わせ、レスティが立ち上がって部屋の扉を恐る恐る開いた。
「遅くなって悪かったね二人とも、入って、大丈夫?」
扉の前に立っていたのはソフィだった。二人とは違い迷宮から帰ってそのままギルドへと向かっていたため、服装は少し汚れたままで、レスティは先に自分たちだけゆっくりとしていた事に罪悪感を覚えてしまう。
「うん」
それをごまかすようにレスティはソフィをそそくさと部屋の中に招き入れる。といっても、もともここはソフィとレスティの部屋であり、ドーラの方が客人なわけなのだが。
「お帰りなさい、どうでしたかギルドの方は?」
普段どおりの柔らかい口調にすぐさま戻ったドーラのその擬態の速さにレスティは半ば呆れを通り越して尊敬すら覚える。というか、もう別に取り繕う必要もないのではないか、とも思うのだけれど、当人が隠しておきたいならと、レスティは何も言わない。
「無理にかしこまらなくていいよドーラ。さっきまでの口調で、どうぞ」
レスティの気遣いもむなしく、ソフィはふふっと軽く笑いながらドーラにいう。ドーラの方は、口の端を吊り上げ、作っていた笑みをやめていかにも不満そうな表情になると、レスティに接するときと同じ口調に戻り悪態を吐く。
「いったいどこから聞いてたんだか。盗み聞きはあまり言い趣味とは言えないわよ?」
「さて、ね? うん、とりあえずはそっちのほうがいいと思うよ僕は」
小さく舌打ちするドーラに、楽しそうに笑うソフィ。レスティはそんな二人のやり取りをみながらゆっくりと自分のベッドに腰掛ける。
「話したい事がいくつかあるんだけど、その前にとりあえず触媒を換金してきた分のお金を分配してしまおうか」
言いながらソフィが取り出した皮袋の中身はずいぶんと軽そうに見える。実際テーブルの上におかれたそれは派手な金属を鳴らすこともなく、乾いた音とともに、テーブルの上に置かれた。
今回討伐した魔物の触媒はそんなに安かったのだろうかと、レスティは不安になりながら、ただじっとその中身が出てくるのを待つ。
ドーラも今回いったいいくら稼げたのかと興味しんしんで待ち構えている。
「今日の成果は、まぁ、上場ってところかな」
ソフィがそういいながら皮袋の口を解いてひっくり返して出てきたのは、三枚の金貨。
その光景に、レスティは思わず動きを止める。
ドーラの方も目を丸くしてテーブルの上に並ぶその金貨に目が釘付けになっている。
「皆本当によくがんばってくれたと思う。換金所のギルド員さんも驚いてたよ。僕みたいなのが一人で交換にいったせいもあったからかな? 疑われて、いろいろ調べられたりして、ブリックさんに助けられてなんとか帰ってこれたけど、おかげで遅くなったよ」
そんな軽い笑い話も、二人の耳には届いていない。二人の意識は完全に、自分たちが上げた成果そのものにただただ真っ直ぐに向けられていた。
ソフィはそんな二人の様子に小さく笑みを浮かべて、金貨を一枚つまみ上げる、レスティの前に差し出して、その手にぎゅっと握らせた。
「君が君の力で手に入れたお金だ。好きなように使うといい」
レスティは手の中のそれをぼぅとみつめ、少しずつそれが自分の得たもの、自らの力で勝ち得たものだと自覚が出来てくると……ふつふつと喜びの感情が湧き上がってくる。確かに自分の居場所がここにあると感じられる。
ただ、使い道は思い浮かばない。こんな大金一体何に使えばいいのかわからない。ふっとレスティはソフィに顔を向けて、そのあと金貨に目を落とし、それを自分の皮袋にそっとしまった。
「さて、分配も終わったし、本題に入ろうか」
ソフィは言いながら軽くテーブルの上に身を乗り出して二人の顔を覗きこむ。
「本題?」
ドーラが聞き返すとソフィは重く頷いて真剣な表情で語りだす。
「これからもう一度、迷宮に向かおうと思う」
「はっあ!?」
もはや遠慮などする気のないらしいドーラが叫び声を上げながらテーブルを叩いて立ち上がる。揺れる紅い髪の毛とは裏腹に強い意思を宿した瞳は真っ直ぐにソフィの事をみつめている。
「これから迷宮って、わかってるの? あたし達さっきまで迷宮で散々ぶっ倒れそうになるまで戦ってたのよ? 魔力にも当てられて、しばらくは毒抜きしないとどうなるかわかったもんじゃないわよ?」
今にも掴みかからん勢いの剣幕のドーラに対してソフィはただ黙ってその言葉を受け止めている、レスティはその様子をおろおろと眺めていることしか出来ない。
「それは承知の上だよ。ただ、ここは無理をすべきタイミングだと、僕は思っている」
「どういうこと?」
再び叫びだしそうなドーラを手で制してレスティが聞く。ソフィは小さく頷きを返してすぐに説明を始める。
「僕が換金にいった際に、低層でのクリム・ジェルの討伐ということでまた少し騒ぎになった。一度ギルドの方で低層への手入れが入るかもしれない、ということだ。もしそうなって犯人が捕まれば万歳ではあるけれど、できることなら僕らの手で捕まえたい。幸いクリム・ジェルの討伐からまださほど時間は経っていない。もし犯人がクリム・ジェルが討伐されたことに気づいたら用心してしばらく身を隠す可能性もある。迷宮内で出会える可能性があるとしたら今だと思う」
だがそれは希望的観測に過ぎない、犯人がこの時間帯に潜っているとは限らない。無駄足に終わるかもしれない。
「運がよければ犯人とやらをとっ捕まえる事は出来るかもしれないけど、そんなに拘る必要がある?
あんたにだって魔力の影響はあるのよそんなに早死にしたいの、あんたがそんなにお家の復興に拘る理由はなんなの?」
ドーラの言葉にソフィは静かに目を閉じて、ゆっくりと息を吐くと、ぽつりぽつりと、呟き始めた。
「スパーダという貴族がどうして生まれたかレスティ、ドーラ、君達は知っているかい?」
レスティは小さく首を振って、ドーラの方は鼻を鳴らして答えを返す。
「かつてこの地の迷宮から出でた強大なる魔物を剣一つで打ち負かした、屈強な男に送られた褒美、剣の家名、それがスパーダ、でしょ? それがどうしたの?」
「そうだ、それがスパーダの家系の始まりであり、同時に衰退の始まりでもあった。スパーダの一族にはその魔物からある、呪いがかけられた、一つは男性が生まれなくなる呪い。もう一つは、短命の呪いだ。生き急がなければならない理由が僕にはある。それに君達を巻き込まなければならないのは僕の我侭でしかない。もしも賛同できないなら、ここで去られても僕に君達を呼び止めるすべはない。だが、できることなら、君たちの力を貸して欲しい」
頭を深く下げたソフィに対して、ドーラは難しい顔をする。レスティもまた、なんともいえない顔でソフィの事をじっとみつめた。
どちらともなく目を合わせたドーラとレスティ。レスティはどこかすがるような目でドーラをみつめ、ドーラは舌打ちを一つすると、歩いて部屋の扉の前まで歩いていってしまう。
「ドーラ……」
レスティの声にドーラは振り返って足を止める。
「そんな捨てられた犬みたいな声だしてんじゃないわよ。たく、これからまた迷宮に潜るんでしょ? 部屋に戻って準備しないといけないのよ。まったくもって、人使い荒いクラン長がいると大変だわ。あたしがいなきゃなにもできないってのにさ。帰ったら、きっちりこの借りは返してもらうわよ」
言葉とともに乱暴に扉をしめて出て行ったドーラに二人はぽかんとしてから、軽く笑いあう。
「レスティ、君はどうする?」
ソフィの問いに、レスティは迷いなく答えを返す。
「私は、貴方の剣。あなたの思うままに、私を振るって」
「苦労をかけるね……」
「今までに比べたら、たいしたこと、ない」
確かな確信をもってレスティはそう答えを返す。今までに歩んできた何もなかった日々よりも、飢えて凍えた日々よりもずっとずっと、今のこの確かにいたいと思える場所の方が、ずっと大切で、今までの日々が力となるのだと。




