19
誰もいなくなった部屋を出たレスティの足は自然と商業区へと向かっていた。
喧噪の中を当てもなく彷徨い、人の営みに目を向けるのは自らの境遇から目を背けるのに適していた。
考えても考えても答えは出ない。今は目を逸らしていたい。
先延ばしにすることしかできない自分を情けなく思いながらも、足は目的もなくただただ前へと進む。
どれくらいそうしていたのか、鐘の音すら聞いていなかったレスティにはわからなかったが、不意にその肩をつかまれてレスティは驚いて振り返る。
「よお」
そこに立ってたいのは背に大きなバックパックを背負ったジュラーレであった。
「どうした辛気臭い顔して、やっぱし裏切られちまったのか?」
冗談めかしてそう聞いてくるジュラーレに、レスティは、一瞬だけ言葉に詰まり、その肩に置かれた手を払う。
「別に、なんでもない」
彼女のそんな態度にジュラーレはため息をつきながらバックパックを背負いなおす。
「ちょっと待ってろ今からこいつを金に換えてくるから」
「は?」
「いいか、すぐ戻るからな」
言うが早いか、ジュラーレはレスティを置いてそのまま喧噪の中へと紛れていく。
レスティはぽかんとしながらも、どうせすることもなかったということもあり、その場でぼぉっとしながらジュラーレの帰りを待った。
往来に立ち続けるわけにもいかず、すぐ近くの商店で揚げ菓子を一つ買って、壁にもたれながらちびちびとそれを齧る。先日、迷宮の警備兵に奢ってもらった時はとてもおいしく感じたはずのそれはが、今は味を感じることもない。機械的に咀嚼して飲み込み、一息つきながら地面を眺めていると、言葉通り、すぐにジュラーレが戻ってきた。背負っていた重そうなバックパックはなくなっていて、幾分体が縮んだかのような錯覚を覚える。
「待たせたな」
「別に……」
「さて、どうしたもんか、何があったかしらねーけど、ま、オレらが悩む理由なんて大体想像つくわな。これでも俺は結構長生きなほうだぜ、もしかしたら知恵くれーかしてやれるかもしれんぞ」
半魔という時点で確かに悩みなんてものは対外限定されてしまうものだろう。それは半魔だから、としか言いようがないことだ。どうせ、悩んでも答えが出ないのだから、誰かに頼る。それもいいかもしれないとレスティは思い、ぼそぼそとソフィとの出会いの経緯からゆっくりと話し始めた。
「恵まれてんな……」
レスティが長い語りを終えるとジュラーレは小声で小さくそう呟いたが、レスティの耳には届かなかった。
「オレはお前の好きにすればいいとは思うがな。その胸糞悪い赤毛を見返してやれって気持ちもあるし、自分でやりたいようにやるのが一番、だとは思うがな。ただ、やっぱりオレらの立場を踏まえたうえで、半魔としての見解で言わせて貰えば、ここいらで手を引くのがお互いのためだろうよ」
ジュラーレの言葉にレスティは唇を強く噛んで俯く。
「結局お前の周りの二人も用は名声が欲しくて迷宮に潜ってんだろ? だったら半魔は邪魔な存在でしかないだろうよ。特に今、魔法使いがお前のクランにはいって来たってんならな。それにオレはどうにも信用ならねぇよ。その貴族の娘さんは。魔法使いの方がまだ人間味があってわかりやすい」
ソフィへの物言いにレスティはカッと胸が熱くなるのを感じる。
「ソフィは、そんなんじゃ……」
「少なくとも、お前から聞いた限りじゃオレは信用できそうにない。お前だっていったいそいつの何を知ってる?
名前と貴族だということ以外。そいつは何か語ったか」
「それは……」
それは、そう、レスティも前に疑ってしまっていたことだ。自分はソフィのことを何も知らない。それでもいいと前は思えたのに、今は自分自身が信用できず、ジュラーレに何かを言い返すこともできない。
「人は人、半魔は半魔なんだよ結局。前は断れちまったけど、どうだ、オレと組んでみる気はないのか?」
レスティの心が揺らぐ。
ソフィを信用できないのなら、彼女のためにも傍にいない方がいいのではないかと。
「前もいってたけど、何してるの?」
それは以前からの疑問でもあった。だから聞いた。別にまだ、手を組むと決めたわけじゃないと、心の中でそんな言葉を並べながら。
「グレイブディガーだよ」
「グレイブディガー……?」
聞きなれない言葉に聞き返す。
「墓堀りだよ。迷宮に潜って死体から装備や金目の物を貰ってそいつを売る。プライドの高い人間様達はしねーみてーだけど、せっかくの金品を価値もわからねー魔物たちがもっててもしょうがねーだろ?」
予想だにしなかった返答に、背筋に悪寒が走る。
「なにそれ、そんなこと、なの?」
自らの仕事をそんなことと言われ、さしものジュラーレも眉を顰めてほんの少しだけ語気を荒くする。
「人間様と一緒にいて毒されてるんじゃないのかお前。お前だってそうなる前、盗みくらいはしたことあるだろ。そうでなきゃ半魔が生きていられるわけがない。言っとくが、別にオレがやってることは犯罪でもなんでもないんだぜ? 無駄になっちまうもんをオレが拾って金に換える。買い取った側も安く仕入れを済ませられてうまい思いをする。誰も損しない立派なビジネスだ、違うか?」
レスティは何一つ言い返せない。
でも納得ができない。
思い描くのは不吉な、迷宮で倒れた自分の姿。
その手元から、短剣を拾い上げられたら。
そう思うと、胸が苦しくなる。
死んでしまえばそんなこと思うこともできないとわかっているけれど、それを奪われることは、死してなお嫌だと、そう、思ってしまう。
「たしかに誰にも迷惑はかけてないかもしれないけど、嫌だ、私はそんなこと、したくない。そんな仕事するくらいなら、まだ裏切られるほうがまし」
強い思いのこもった言葉に、ジュラーレははっきりと不快感を顔に出して、舌打ちを一つ。
「そうかい、同じ半魔のお前ならわかってくれると思ったんだがな。人間様に感化されすぎちまって、自分を綺麗なもんと勘違いしちまってるみてーだな。人間になんかなれねーのに人間のフリをしたって、そのうち爪弾きにされてもっと痛い目を見るだけだって、なんでわかんねぇかな」
ジュラーレは深いため息とともにバリバリと苛立ちに任せるように頭をかいて、レスティに背を向ける。
「じゃぁな」
短い別れの言葉を残してジュラーレは夕暮れの雑踏の中へと消える。
残されたレスティは。ただ心のわだかまりだけを増やして、呆然と立ち尽くしていた。
夕食時、宿の階下で三人はカウンター席に腰掛けて食事をとっていた。相変わらず客の数は多く様々に騒ぎながら賑やかな食事風景があちこちで見て取れる。
そんな中彼女達の席だけは不思議と静かで、周りから切り離された空間のようにぽつんとそこにあった。
優雅にフォークとナイフを扱うソフィとドーラはゆっくりと食事に専念していて、レスティはそんな二人に時折視線を向けながら、目の前に出された料理に余り手を付けずに、一口、口に運んではフォークを置いて沈んだ顔を見せる。
もしかしたらこうしてここで食事を取る事ももう余りないのかもしれないのに、食欲が湧いてこない。
あの後、ソフィが帰ってきてからもレスティはずっと一人で考えていた。自分がこのクランにいてもいいのかどうか、ドーラの事を話すべきなのかどうか、そうしてジュラーレとの会話も。
ドーラが話した事はどこにも間違いはなく、クランを、ソフィを思うのならば潔くクランを抜けるべきだと判っている。それで多額のお金まで貰えるのだから、互いにそれが一番いいのだと、それもわかっている。
けれど、そうなってまた誰からも必要とされない日々に戻るのだと思うと。胸が酷く苦しかった。
飢えることも凍えることがなくなったとして、今手の中にあるものを失う事がこれ程までに辛い事であるとは、ずっと何も持たなかったレスティは知らなかった。
ドーラの事をソフィに話そうとも思ったが、それで何が変わるわけでもない。
自分自身の価値は変わらないし、ドーラ自信の有用性が消えるわけでもない、仮に、ソフィがドーラの考えに共感できず彼女を除名したところで、何れ、他の魔法使いが現われたとき、自分の価値はなくなる。
そもそも半摩である自分には最初からマイナスの価値しかないのだから。
(何が、対等な関係でいたい、だろう……傍にいるだけで彼女の価値を落とすことしか出来ないのに……)
腰に挿したきりの短刀を重く感じる。
自分の為に大金を裂いてくれた恩人に何一つ返せない自分の無力さが嫌になる。
レスティがため息を一つついてフォークを置くと同時、コップに注がれた林檎酒を一気に飲み干したドーラがほんのりと染まった顔でご機嫌に口を開く。
「ねぇ、明日はまた迷宮に行きませんか? この間はお試し、みたいな感じで一階で終わっちゃいましたし。今度は本格的に奥を目指してみるのはどうでしょう」
その提案に、ソフィは食事の手を止めて、ひとつ頷く。
「そうだね、前回僕等は特になにもしなかったし、体力は有り余ってるけど、ドーラは大丈夫? 慣れない探索だったと思うけど」
「平気ですよ。魔法使いにとってはむしろ魔力に満たされた迷宮の方が元気がでるってものです。それに、力がありあまってしかたないんですよ」
爛々と輝く深紅の瞳を輝かせ、ドーラは返す。
抑圧されてきた彼女にとって、迷宮という自らの実力を思うままに振るえるそこは気持ちのいい遊び場のようにさえ思える。魔法使いらしく勇敢で自信に満ち溢れたその姿は、レスティにはまぶしいくらいだ。
「頼もしいけど、ある程度力は加減しないと。今はまだ階層も浅いからいいけどこれから先、魔力にあてられることもあるだろうしね」
「優れた魔法使いは自分のキャパもきちんと把握してるんですよ。大船に乗ったつもりでいてください」
ドンと自分の胸を叩くドーラにソフィは苦笑を返して、レスティの方へと向き直る。
「レスティは大丈夫?」
「うん、大丈夫」
(どうせ、私は見ているだけだし……)
後に続く言葉を飲み込んで、レスティは軽く笑って返すと、そのまま席を立つ。
「もういいの?」
レスティが半分以上食事を残しているのを見て、驚いたようにソフィが聞く。
「うん、ちょっと準備しとこうと思って」
いうが早いかレスティはそのまま二階の部屋へと上がって行ってしまう。
そこにちょうどやってきたがマギーがレスティの姿がない事と残された食事を見て、目を丸くした。
「どうしたんだいあの子は。何があっても食べ物を残す子じゃないと思ったんだけどね。今日の食事そんなにまずかったかい? まさか誰か手を抜いたんじゃないだろうね? それともあの子が何か悪い物でもたべでもしたのかい?」
マギーの声に戸惑うようにソフィは苦笑を浮かべながら言葉を返す。
「そういうことはないと思うんですけど。後で少し聞いて見ます」
「しっかりしてくれなよ? あの子の食べっぷりが悪いなんて知れた日にはウチの料理がまずいんじゃないか、なんていわれかねないんだからね。部屋戻る時は声かけな、面白い物しいれたからあの子にもっていってやっておくれよ」
「わかりました、すいません気を使わせて」
「店のためだよ、気にするんじゃないよ。このままあんたらが冒険者として有名になってくれればウチの評判もうなぎのぼりになるだろうしね。今の内に恩を売っておいてご贔屓にしてもらおうって魂胆なんだから、お互い様だよ」
そんな冗談を喋り散らすと、マギーは厨房の店員に呼ばれて軽く手を振ってそのまま去っていく。ソフィは軽く頭を下げて小さくため息を吐いた。
その様子を眺めていたドーラはどこかつまらなさそうな表情を浮かべて、すぐにいつもの満面の笑みを浮かべなおすと、ソフィに疑問を投げかける。
「レスティさん、気に入られてるんですね」
「そうだね。お陰でマギーさんには僕もよくしてもらってるよ」
「意外ですね、半魔さんってあんまり受け入れられてないものだと思ってました」
ドーラはこの二日間でレスティがこの宿の人々に偉く気に入られている様子に、素直に驚いていたため、そんな本音を思わず零してしまう。ソフィは、ドーラのそんな普段とは少しだけ違う後ろ向きな様子に、眉を上げながら、すぐに答えを返す。
「ここの人達が特別いい人達だっていうのもあるだろうけどね、レスティは愚直だから。不器用なだけに、よく見えるその根底が人を安心させるんじゃないかな」
「でも初対面じゃ、そうはいかないですよね。結局どうしたって最初は外観からしか判断できませんし……大変そう、ですね」
「そうだね、でもだからこそ、だと思うよ。当人にとっては辛い事であっても、そこから這い上がろうと努力する姿に皆惹かれる。英雄譚ってそういうものだろう?」
ソフィは残っていた料理をゆっくりと口に入れて飲み込むと食器を片付けて椅子から立ち上がる。
「クランは運命共同体。良くも悪くも、似たもの同士が集まる物だと僕は思うよ。君ももう少し素直になっていいんじゃないかなドーラ」
そう告げるとソフィは厨房の方、マギーの元へと近づいていく。
ドーラはそんなソフィの後姿をみつめながら、小さく舌打ちをして、林檎酒を注文すると、再び一気に飲み干して、食事を続けた。
ソフィがマギーから受け取ったカカオを持って部屋に上がると中は真っ暗で、レスティは既にベッドに潜りこんで毛布を被って横になっていた。カカオの入ったコップを一度テーブルに置いて、ソフィは躊躇いがちにレスティに声をかける。
「起きてる、かな? マギーさんからさしいれ貰ったんだけど?」
「起きてる……」
毛布を被ったまま起き上がったレスティはのろのろとした動作でテーブルに付くとコップを覗き込んで首を傾げた。
「なに、これ?」
「カカオっていう異国の飲み物だよ」
「ふぅん……」
立ち上る湯気を揺らすようにゆっくりと息を吹きかけレスティは口をつける。
「甘い……」
「あったかくて甘くて、少しだけ苦くて、落ち着く味だよね」
ソフィもゆっくりと口をつけて、おいしいと呟く。
暫くの間二人は静かにカカオをすすり、時が流れる。
微かな月明かりだけが照らす部屋の中では表情も見えず、お互いが今どのような顔なのかもわからない。
「どうかした? 珍しくご飯残してたけど」
「別に、なんでもない」
反射的にそう答えてからレスティはコップを置く。むきになってもしかたのないことだとわかっていた。自分の力では解決できないことなのだから。でもだからといって、話したところで解決するものでもない。手の中の暖かいコップを撫で、レスティは息を吐く。
「そう? だったらいいんだけど」
ソフィはそれ以上追求しようとはしなかった。その優しさが逆にレスティには辛く感じられる。これから失ってしまうものをまざまざと見せつけられている気がして。
「ねぇ……」
「ん?」
「どうして、ソフィは私なんかに優しくしてくれるの?」
レスティの質問にソフィは珍しく表情を崩したものの、レスティにそれはわからない。微かな月明かりだけの部屋にソフィは感謝しつつ、小さく呟く。
「どうして、か……」
頬に手をあてて、ソフィは俯きがちにレスティに視線を向ける。暗闇の中に溶け込んでしまいそうな彼女の輪郭、はっきりとは見えないその姿に微笑を向けてソフィは続ける。
「そうだね、最初は下心だったかもしれない。僕は一人じゃ戦えないからね。でも今は、信頼して命を預けられる仲間だと思うから、優しくしてる訳じゃない、対等な関係だから、だよ」
一度言葉を切って、俯き、沈んだ声でソフィは続ける。
「もし、レスティが他の道を望むのなら、僕はそれでも構わないと思う。戦うのは僕じゃなく君だから、それは君が決めるべき事だ。戦うことを選ばなくても、今の君を受け入れてくれる人はここにいるはずだから」
その言葉にレスティの瞳が揺れる。ソフィは確かに自分を対等に人として見てくれている、優しさを持って接してくれている、そのことが嬉しくもあり、また、悲しくもあった。
我侭だと判っている、それでもこの想いはどうしようもなく、自らの胸を何よりも占めている。
(言って欲しい……私じゃないとだめだと、そう、必要とされたい)
きっとソフィならばドーラにも同じ事をいうだろう。それでは嫌なのだ。彼女の剣になりたい。かけがえのない剣に。そのためには。
(今のままじゃ、駄目なんだ……もっと強くならないと。他の誰でもなく、私じゃないと駄目だといわせるには)
レスティは瞳を伏せて、自らの腕をそっと撫でる。自覚したたった一つの求めるもの、それを掴みとるのに頼れるのはこの自らの腕だけ。
自分の居場所という最も欲するものを常に遠ざけてきたこの半魔の体、それが今度はたった一つのより所となるとはなんという皮肉か。
(でも、それでいい。上手くいくかはわからないけど、戦うのにこの体は必要だから)
「私は、戦う。まだ、何も返せてはいないから」
「それでいいの?」
「うん」
「君が望むままに、レスティ」
ソフィは笑ってそういうのに対し、レスティは切羽詰ったような厳しい表情で重々しく頷き返す。闇の中、互いの表情の伺えぬそこで。
レスティの固めた決意は固く、それを知らぬソフィは、穏やかに、二人の夜はゆっくりとふけていく。