16
二人が通りで必要なものを買い足して待ち合わせ場所へと向かうと、既にそこにはドーラの姿があった。相変わらずの真っ赤なローブに腰ほどまである赤髪は遠くからでも大変目を惹く。ドーラの方も近づいてくる二人の姿に気付くと、はしゃぐ子供用に手を振って飛び跳ねるように駆けて二人の元へと近づいてくる。
「おはようございますお二人とも」
「うん、おはようドーラ」
「おはよ……」
三者三様、まったく別々のテンションのちぐはぐな挨拶をかわすと軽い段取りを話し合って三人は早速大門前へと向かって歩いて行く。
「とりあえず今日はお互いの実力を確かめるのが目的ってことで一階層の階段までを目標にしようか。時間に余裕があるようならそのまま一階層の探索を続ける、ってことでいいかな?」
「はい、かまいません」
ニコニコと返事を返すドーラの横でレスティも頷いてソフィに同意を伝える。
相変わらず大門の前には警備兵が二人立っていて、退屈そうに警備の仕事をこなしている。ここ十数年迷宮から魔物が抜け出た、などという事例もなく、警備兵は殆ど形だけのもので、無断で中に入ろうとする者を抑止する程度の意味合いしかもっていない。
当然住民達は彼らに対して税金の無駄遣いだと愚痴こそ漏らすものの、実際に彼らを解雇しろ、などとはいわない。もしも、なんてことはないとわかっていても、保険がなければ人は不安になるものだ。
そんな警備兵の中にあって唯一まともに仕事をしているように見える扉の前の兵が三人がやってきたのを見て、顔をあげる。
「この間は世話になったなお前ら、今日は新顔もいっしょか。最近は若い冒険者がよく行方不明になってるらしいし気を付けろよ」
立っていたのはいつもと同じ警備兵だ。その鎧に包まれた姿からではなかなか判別は難しかったが、声でそれと、レスティとソフィは気付いた。
「ご忠告感謝します。まぁ今日は一層だけですし大丈夫だと思いますよ」
喋りがらソフィはいつも通りクラン証明の銀印を見せ、銀貨を一枚と白銅貨を五枚すぐに手渡す。その貨幣を数えながら警備兵の男は視線で目の前の三人を確認する。
「上手い事魔法使いを捕まえられたみたいだな、駆け出しにしては運がいいな。大抵の新設クランってのは魔法使いを引き入れられなくてそこそこの階層で足踏みして、それ以上先にいけなくなって解散するか、あるいは堕落するか、最悪無茶して迷宮の餌食になっちまう。せいぜい逃げられないようにしっかり捕まえとくんだな」
「せいぜい気をつけますよ」
「あぁ、そっちの名前だけ一応確認しておかせてくれ」
男はそう言ってドーラを指すと、一瞬だけ彼女はビクッとしながら名を名乗る。
「ドーラ・ラーです」
「ドーラ・ラーか……なるほど」
男はその名前を聞いて兜を被った頭を少しだけ捻りながら、不思議そうにしたあと、特に気にした様子もなく扉を解放して三人を通す。
相変わらず巨大な半球状の建物の中は淡い光で満たされ、どこか幻想的な雰囲気を持っている。
「へぇ……中ってこんなふうになってたんですね」
「足元危ないですからあんまり上ばかりみてるとこけますよ」
「大丈夫ですよ、子供じゃないんですから」
ドーラとソフィがそんな会話をしているのを尻目にレスティは相変わらず、心の中を燻る苛立ちにもにたなにかに苛まれていた。なんとなく面白くないような気がしながら、腰に下げた鞘を撫で、心を落ち着かせようとする。
しかしそんな会話もさすがに真っ暗な階段の前までやってきたところで止まる。
「これが迷宮の入り口……」
「ここからは気をはっていこう。ただあまり根詰めすぎるのもよくないからね」
ソフィはいいながら松明を用意しようと荷物袋からそれを取り出したところで、その手をドーラが止めさせた。
「大丈夫ですよ松明なんて持たなくても、あたしにおまかせください」
言うが早いか杖を取り出したドーラは杖を振りながら言葉を紡ぐ。
「彷徨える火精よ、行く道照らす光となれ」
言葉とともに中空に突如淡い光の球体が現われる。それ明るく輝きながら洞窟の長く暗い階段を明るく照らしている。
「さぁいきましょうかお二人とも!」
明るくいうドーラに対して、二人はといえば、目の前で始めて目の当たりにした魔法に、ぽかんと口をあけてその球体を眺めていた。
「いやはや、話には聞いていたけれど本当に便利なんだね」
「なにこれ、触って大丈夫なの……?」
「魔法を見るのは始めてですか? そしたら多分これから先、もっと驚くことになると思いますし、たくさんお役に立てると思いますよ。あ、あとその子には触らないほうがいいですよ、ショックを与えると爆発するので」
光る球体をつつこうとしていたレスティは慌ててその指先を引っ込めて、それでもまだ気になるのがその球体をじぃっと眺めている。
「頼りにしてるよ。それじゃ改めていこうか」
ソフィの言葉に二人は頷いて、長い長い階段を三人はゆっくりと下り始めた。
最初の分かれ道を右に曲がり、三人はゆっくりと薄暗い迷宮内を歩き始めた。
依然来た時よりも光源が強いお陰で遠くまで見渡すことができるものの、逆に、壁際に付着したどす黒い染みや、気味の悪い腐肉に群がる見た事のない虫など、あまり目に入れたくないものも視界に飛び込んでくる。
多少迷宮内の雰囲気になれてきたレスティでも、さすがにそういった光景には眉を寄せて嫌そうな顔をする。というのに、ソフィと始めて迷宮に潜るドーラの二人は平気そうにニコニコと笑っているものだから、レスティはさらに不機嫌そうに顔を歪めるしかない。
やがて、ふと、レスティが足を止め、両の耳をピンとたてて、周囲をきょろきょろと見回し始める。
「どうかしましたか?」
その意味がわからないドーラは二人に習うように足を止めて不思議そうにレスティの行動を眺めている。
「犬が、一匹くる」
言葉とともにレスティが腰に吊った真新しい剣を抜いた。短剣に比べれば随分と重量のあるそれが、レスティには逆に頼もしく思える。
それから数秒後、暗闇の中から、黒毛の犬が走ってきたかとおもえばそのままレスティへと飛び掛ってくる。だがレスティは慌てない。呼吸を切り剣の柄を強く握ると迷いなく力強く剣を振りぬく。
あっさりと首を断たれた犬は、飛んできた勢いのまま地面を転がり迷宮の壁にぶつかると辺りに血を撒き散らしながら動きを止める。
「おみごと」
呟きながら死体にかけより触媒を回収し始めるソフィ。レスティは顔に付いた返り血を拭いながら剣を払い鞘へと収める。
「どうして魔物が来るってわかったんですか?」
「魔物の足音が聞こえたから」
「へぇ、それは便利ですね」
「魔物に相手に先手を打てるのは本当に楽でいいね、来るのがわかってるだけで対処の準備ができるし」
触媒を取り終えたソフィが戻ってきて付け足すようそう褒めると、レスティは鼻を鳴らしながら視線を下げて、先頭を立って歩き始める。
「いいから無駄口叩いてないで奥いくわよ」
褒められて恥ずかしいのを隠すように早口でいう彼女の後を、クスクスと笑いながらソフィは追いかけ、さらにそのあおとをドーラも続いて歩いていく。
程なくしてレスティがまた魔物の気配を察知する。今度は耳に響く煩い羽音が、それも複数だ。厄介な蜂の群れである事は容易に想像できたが、レスティは退く事は提案せずにただ、状況だけを伝える。既に前回の探索でズグロフに教えてもらった対処法が有効なのは確認済みである。
「蜂が群れで複数いる」
「了解、準備はしてきたし、やりあってみようか」
それらの準備をしようと道具に手をかけたところで、ドーラが前に一歩進み出る。
「今度はあたしが実力を見せますよ。見ててください」
自信満々に歯を見せて笑う少女は更に一歩進み出ると隣に浮かせていた光の球体を通路の奥へと進め前を見据える。
「そろそろ……」
レスティが不安げな面持ちでもってそう告げると、ドーラは一つ頷いて、杖を握る。
「猛る荒々しき火精よ、渦巻く炎となりてその力顕現せよ!」
言葉を紡ぎ終わると同時、ドーラは真っ直ぐに腕を伸ばし、前を指し示すように杖を振るった。瞬間、そこから迷宮の通路を埋め尽くすような巨大な炎が渦を巻きながら直進する。そこにちょうどやってきた蜂達は自ら飛び込む形になり、炎に触れた先から一瞬で消し炭へと変えられていく。
炎の奔流が収まると、後には輝く触媒だけが地面の上に残され、十数匹に及ぶ蜂の群れは一瞬で片付けられてしまった。
「ざっとこんなものです」
得意げにドーラは身長の割りに大きな胸を逸らして、ふんぞり返る。
ソフィとレスティは目の前で起きた出来事に、ただただ唖然としてその場に残った触媒をみつめていた。それも当然だろう、低層とはいえ魔物の群れをこうまでもあっさりと屠って見せたのだから。
「まいったねこれは、まさかこれほどとは」
呟きながらソフィは短く揃えられた自分の髪をかきあげる。
「さ、それじゃじゃんじゃん行きましょう。あたしに任せて貰えればどんな相手でも心配なしです」
「それは頼もしいな」
ソフィは軽く笑いながら、地に落ちた触媒を回収し始める。それを見てすぐにドーラも手伝いに走る。そんな中レスティは、ただ一人呆然とその二人をみつめていた。
わけのわからない喪失感と、焦燥感がレスティの胸を痛い位に締め付け、息が苦しい。胸を押さえながら、か細い息をゆっくりと繰り返す。
「レスティ、大丈夫?」
触媒を回収し終えたソフィがかけよってきてレスティの顔を覗きこむ、そこでハッとしたレスティは慌てて首をふる。
「なんでもない、ただちょっと考え事してただけだから」
「それなら、いいんだけど」
心配そうにこちらをみつめてくるソフィに目をあわせられず、レスティは俯いて視線を外す。どうしてだか、胸の苦しみは増すばかりで、どうしてよいかもわからない。
「ほら、はやくいきましょうよ! せめて入場料分は取り戻さないと」
少し進んだ先からドーラが大声でそう声をかけてくる。先程の戦闘ですっかり調子が出てきたのか、元気な様子で二人を呼ぶ。
「いこうレスティ」
「うん」
促されるままにレスティはゆっくりと二人の後を歩きながら、ドーラの特徴的な赤毛へと目をやる。その色になぜかレスティは不吉な予感を覚える。そしてその予感めいた何かは、なぜかはわからないが、レスティにとってどうしようもなく、当たるようなそんな確信めいた思いがあった。
その内容がわからないまでも、用心に越した事はないと、レスティは剣の柄を確かめるようにギュッと握る。
そもそもにして、こんなに都合よく魔法使いが見つかること事態が出来すぎている。こんなに強いドーラがなぜクランに所属していないのか。どう考えても、誰だってこんな相手がいれば仲間にしたくなるはずだ。
なのに彼女はこんな零細クランに来た理由はいったいなんなのか。
考えてもレスティには答えは思い浮かばない。それでもレスティは、ソフィの事を守らねばいけないと。強く唇を噛み締めた。