15
レスティが宿に帰ると、ソフィが既に帰っていたようでカウンター席について食事をとっていた。
すぐに入ってきたレスティにソフィも気づくと、手招きをしてレスティに隣に座るように促す。
「お帰り、ちょうどよかったよ」
「なにが?」
隣に腰かけながらレスティはカウンター越しに飲み物ととりあえず軽食を注文する。
「紹介したい人がいてね」
そう言ってソフィが体を傾けると、ソフィの体に隠れるようにその隣に座っていた少女がレスティに向かって小さく頭を下げた。
「初めまして、ドーラ・ラーといいます」
緊張した面持ちで、若干しどろもどろになりながらそう述べる。
一体何者でどういう関係があってここにいるのか、レスティは不思議に思いながらも、ソフィの視線に促されるように自らも名乗る。
「私はレスティ」
それ以上レスティが何かを言うより早く、食い気味にドーラと名乗った少女が言葉を重ねる。
「はい! 存じております。あたし、ソフィさんの詩、とても魅力的で感動してしまったのです。だから登場人物であるあなたのことも知ってます!」
自分と然程歳の変わらようだが、その割にどこか抜けているというか、能天気というか、どこか軽いノリのドーラにレスティは戸惑いながら、その全身を眺める。
レスティよりも体躯は小柄で、豊かな赤毛とその身を包む夕暮れの色をそのまま映したかの様な真っ赤なローブに身を包むその姿は、どこか不吉なものに映る。
「それで、あたしはよかったらこちらのクランのお世話になりたいと思ったのですが。ソフィさんからの許可はいただいたのですが、レスティさんも認めてくれないと所属は認められないと……」
予想だにしない言葉にレスティはソフィの方へ視線を向ける。こんな小柄な少女が迷宮に潜るなど、レスティは自分達の事を棚に上げて、そんな風に思っていた。当たり前といえば当たり前だ、ローブから覗く少女の腕はソフィのそれよりも細く、レスティが腰から下げる短剣すらまともに持ち上げることすらできそうもない。
それに、彼女が自分の意見を仰ごうとしていることにも驚いてた。
「別に、私のクランじゃないから入る入らないはソフィが決めてもいいと思うけど……この子、大丈夫なの?」
ソフィがなぜこの子を迎え入れる気になったのか、レスティにはふしぎでならない。どう見ても迷宮内で役に立つような人材には見えないのだから。
「見た目でいえば僕もそう変わらないと、思うけど、この子なら大丈夫だよ。たぶんね」
「なにが!?」
ソフィの自信にレスティは声を荒げて叫ぶ。感情の問題だけではない。ソフィの命を守るだけでも不安だと言うのにこれ以上自分の手で守らねばならない相手が増えて果たしてまともに戦えるのか、確かに今のクランの状態ではまともな相手が入ってくれるのは難しいとはいえ、だからといって、足手まといを増やしたところでプラスになるどころかマイナスにしかならないのは明白だ。
ソフィの肩に両手を置いて正気に戻れとばかりに揺さぶろうとしたレスティの服の裾をドーラが引っ張ってその暴挙を止めさせた。
「あ、あの、あたし、一応魔法が使えるので多分役立つと思いますよ?」
少女はそういいながら銀で装飾された真っ直ぐな木製の短杖を取り出して軽く振って見せた。
魔法とは、魔力を糧に発動する不思議な力の事を指す。誰にでも使えるというものではなく、魔法を使うには才能が必要とされており、先天的な遺伝でしか発現しないその才能は大変貴重であり、魔法使いは冒険者として非常に重宝される。
簡単なところでいえば、手を塞がずに明かりを確保したり、特定の場所と場所を繋げる転移の魔法。さらに、攻撃用の魔法から、ささやかな傷を治癒する魔法まで、ありとあらゆる事を可能とする、奇跡の力だ。
「僕としては魔法使いがクランに入ってくれるというのなら、とてもありがたいことなんだけどね。正直、こんなチャンスはもう二度とないかもしれないから」
ソフィに目を見つめられながらそういわれると、レスティは目を逸らす以外に出来る事はなかった。知らなかったとはいえ、ドーラを無力と決めてかかって反発した自分がなんとなく情けなくて、ばつが悪い。
「さっきも言ったけど、あんたのクランなんだから、役に立つと思うなら好きにすればいいでしょ」
「うん、ありがとう」
ソフィは苦笑しながらレスティの頭に軽く手を置いてその頭を撫でるとすぐに、またドーラの方を向く。
「そういうわけだから、ドーラ、改めてよろしくね」
「はい、こちらこそよろしくお願いします、ソフィさん、レスティさん! 一生懸命がんばりますので」
「そんなに気負わなくていいよ。ただ、そうだね、僕らの方は歓迎だけれど、君にとってはもしかしたら合わない場所かもしれない。だから今は仮のクランメンバーってことでいいかな? 一度迷宮に潜ってみて、それからきちんと決めてもらいたいんだ」
「別にあたしは今すぐにでも正式にクラン加入してもいいんですけど、ソフィさんがそう言われるなら。
でもできれば早いほうがいいですし、早速明日迷宮に潜ってみるというのはどうでしょうか」
威勢のいい、元気が有り余っている、とでもいうような声を上げるドーラの提案に、ソフィはレスティの意見を聞こうと視線を送る。レスティの方はもう、好きにすればいいといった感じで、投げやりに小さく頷いた。
「わかった、それじゃあ明日朝の二度目の鐘がなるころに迷宮前で、でいいかな?」
「はい、わかりました!」
「僕等はここで寝泊まりしてるからもし何かあったらここを訪ねてきて」
「丁寧にありがとうございます。それでは、あたし準備もありますので今日の所は失礼しますね。また明日、よろしくおねがいします」
言うが早いか、ご機嫌な様子で手を振ってドーラは走って店を出ていく、カウンターの席にはきちんと飲食した分の代金が置かれていた。
レスティは未だに不快な心の焦燥をドーラに対して感じた、不吉な嫌な気分がない交ぜになったような感情が心の中を渦巻いていて、どうにもやりきれない気持ちで一杯だ。
それは日中ジュラーレと会話していた時、いつか自分が切り捨てられるのではないか、そんな不安によく似ていた。
「あの子が魔法使いって知ってたなら最初から教えてくれたよかったんじゃない?」
彼女の正体を見抜けなかったレスティはそんなことをぼやきながら、話している間に席に届けられていたミルクに口をつける。
「ごめん、でもあれだけ派手な色のローブを着てたらわかるかと思ってね」
「ローブの色?」
「魔法使いは自分の使う魔法の系統にあった色を好むんだ。だからわかるかと思ったんだけど、魔法使いに関しては全くしらない?」
「どうせ私は、常識知らずの半魔よ……」
ソフィが語った通り、魔法使いは自分の魔法にあった系統の色を好む。理由としては、精神を集中し。魔法の力をイメージする際に、その色から扱う魔法を連想しやすいから、とされているが、実際の所本当に効果があるのかどうかは定かではないらしい。
会話を続けながら、二人はゆっくりと食事に手を付け始める。
「なんにしろ、魔法を使える人が入ってくれるならこれほど大きな事はないよ。魔法使いは大抵引く手数多でなかなかクランには入ってくれないから」
嬉しそうに語るソフィの様子に、レスティの胸がなぜだか小さく痛む。痛みの理由はわからないが、それは今胸を苛む焦燥によくにた感情のように感じられる。
(私はいったいどうしてしまったのだろう)
わからない、けれど、ただあのドーラという少女がなぜだか気に食わない気がするのは確かだった。それがこの感情の正体、なのだろうか。
「そんな引く手数多の魔法使いがなんでこのクランにきたのかしらね」
苛立ちのせいか、そんな皮肉が口から漏れてしまう。ただソフィはそんな言葉を意に介した様子もなく、レスティに言葉を返す。
「そうだね、彼女ああはいっていたけれど、本当かどうかはちょっと疑わしい気は僕もするよ」
「だったら……」
その後に続く言葉がでて来ない。繋ぐべき言葉はいくらでもあるはずなのに、どうして、迎え入れたのか、追い出せばいいのではないか、しかしそれらの言葉を口にする気にはなれなかった。
口にすれば、ひどく惨めになる気がして、口を閉じる。
「彼女にどんな目的があったとして、僕らに足りない力を彼女が持っているのは事実だ。だったら、その力を使わせてもらうのも悪くはない」
そう言ってソフィは口の端を吊り上げて見せる。
レスティは、そんな彼女の顔から思わず目を逸らす。
もしかしたら、自分も。
そうして彼女に使われているだけなのだろうかと、そう思うと。
ソフィの顔を見ていられない。
二人はそれきり静かになって、黙って食事を続けた。
明かりのおとされた部屋の中に動くものはなく、吐息すらも聞こえないほどに静かで、レスティは軽く寝返りをうちながらぼぅと虚空の闇を注視していた。いつもならとうに眠っている時間だったが、どうにも目が冴えて眠れそうになかった。
ここ数日の目の回るような怒涛の日々は息つかせる暇もなく、こうして眠る時間でさえ泥のように眠りについて、気付けば一瞬で朝になっていることが殆どだった。
今日も色々な事があった。信じようと思った矢先に、不安になった。よくわからない心のざわめきは今も消えず、ぐるぐると腹の底を渦巻いているように感じる。
隣のベッドに目を向ければ、安らかな顔と、行儀のいい姿勢でソフィが眠りについている。
相変わらず警戒心はないのか、それとも信頼してくれているのか。
後者であればいいと思う。
(私は……)
逃げる事はいつだって出来たし、これからもきっといつでも出来るだろう。だけど、レスティはそれをしない。それはきっと、今に満足しているからだ。ここが自分の居場所ではないという感覚があっても、ここを自分の居場所にしたいと思う気持ちの方が強いから。
(ここに居たい)
その思いだけはよくわからない自分の心の中でも確実に断言できること。
例えそれが利用されるだけであったとしても、必要とされるのならばきっとそれは喜ぶべき事なのだと、レスティは思う。
誰にも必要とされなかった自分を必要としてくれるというのなら。
枕元に置いた二本の金属の武器、ひんやりとしたそれらに触れると心が不思議と落ち着いた。確かな形をもって自分が必要とされているというその証。それを強く握り締め抱き止めるように、レスティは眠りに付いた。