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「今日は自由行動にしようか」
朝食から部屋に戻ると、ソフィがそう言ってレスティへと声をかけた。
シャスタと出会った日からは一日を挟んで既にレスティの体力は十分だったので、てっきり再び迷宮に潜るものと思っていたレスティは拍子抜けしたような顔をする。
「意外ね、てっきりもっとガツガツ迷宮に潜りたがると思ってたのに」
「できれば僕もそうしたいんだけどね、前にも言った通り迷宮の魔力は毒の様なものでもあるからあまり連続して潜るのはよくないんだよね。それに、ちょっと用事もあるから」
冒険者の間では毒抜きと言われ一般的な風習ではあるのだが、普通に働いている人間から見ればギャンブルをやってはその日暮らしをしているようにしか見えないのが冒険者という職が博打打ちに見える原因の一つなのだろう。
「用事ね、まぁいいけど」
レスティはそう言いながらつまらなさそうにベッドの上へと身を投げ出して横になる。
「やる気を持ってくれてるのはうれしいけど根を詰め過ぎてもよくないからね。それじゃ僕は早速出かけるよ。あんまりだらだらしすぎて体をなまらせないようね」
そう言い残すとソフィは皮袋一つを持って部屋を出て行った。静かになった広い部屋の中でレスティは一人柔らかい布団の上でごろごろと寝返りを打つ。
こんな風に一人で何もしなくていい、ご飯も、夜寝る場所の確保も考えなくていい時間というのは彼女には初めてのことで、持て余した時間をどう使えばいいのかもわからず、何かに急かされる様な不思議な感情だけがもやもやと心の中でわだかまっていた。
自然と目が向くのは隣の主人がいないベッドの方だ。
思えば出会ってからこっち殆ど顔を見ない時はなかったという程一緒にいたのに、こうしてはっきりと離れると一抹の不安と寂しさを感じてしまう。
(そもそも、用事ってなんだろう)
考えてみても答えなど出るわけもなく。
思っていたよりも自分が彼女のことについて全然知らないのだと気付く。
それがまた何か不安な気持ちを助長する。
(この気持ちは、何か……嫌だ……)
レスティは頭を振って立ち上がると財布代わりの皮袋を持ち、頭にしっかりと帽子をかぶると部屋を出た。
日中の商業区の人混みは相変わらず雑多で道行く人々の波に時折びくりと身を揺らしながらもレスティは店店を物色していく。
正当な報酬として受け取った金銭で買い物を楽しむ、そのことにレスティはすっかりと嵌っていた。特に目が無いのはやはり食べ物で目に付いたおいしそうなものには一切の躊躇なく支払いを済ませてしまう。
まだ日も高いのに既にお腹を膨らませながらレスティは街をぶらぶらと散策する。
人の喧騒にそうして紛れている間はいろいろなことを忘れられた。
初めて迷宮を訪れた日、お祭り騒ぎのようににぎわっている人々をみて能天気すぎる、そう思っていたレスティであったが、こうして自らがそちら側に回ってみてわかることもあった。
自分には余裕が全くなかったのだと、そうしてこうやって余裕ができたからこそ湧き出てくる厄介なものもある。それを忘れるのにこうして人々は群れを成すのかもしれない。
当てもなく歩くうちに、気づけば食べ物や、日用雑貨の多かった区域から金物、冒険者に必要な武器や防具、道具といったものが売っているあたりにまでレスティはやってきていた。こちらはこちらで賑わってはいたが、客層は当然ながら一般人よりもいかつい冒険者のほうが多い。誰もが真剣でピリピリとしたその空気は今のレスティには少々重く、引き返そうとしたところで、武器屋の建物から出てきた何者かとレスティはぶつかってしまった。
一瞬レスティは何が起きのかわからず目を白黒させる。
軽いレスティの体はぶつかった勢いで宙を舞っていた。幸い頭を打ったりなどはしなかったがしたたかに尻餅をついて、レスティはようやく事態に気付く。
鈍痛にお尻をさすりながら、レスティは苛立ちをぶつけるべき相手を見上げる。
それは灰色のローブを頭からすっぽりと被った背の高い男であった。
文句を言おうとレスティが立ち上がり口を開くより先に男の方が先手を撃った。怒りの表情で口を開こうとするレスティの口を一瞬でふさぐと右手の人差し指を自信の口にあて、喋るなというジェスチャーの後、小さな声で喋りかける。
「帽子、早く被れ」
指摘されてレスティは自分の頭が妙に風通しのいいことにようやく気付いた。
往来で人と人とが衝突しあうことはそれほど珍しいことでもないが、多少なりとも人の目は引く。当然帽子をかぶっていない今のレスティの姿をチラとでも目に入れた人々は、口々に何かを囁き始める。
それはまるでレスティを中心として広がる波紋のように、少しずつ大きくなりながら緩やかに広がっていく。
その中心となったレスティはこの後どんなことが起きるのか、身を以てよく知っている。だからこそ、にげなければいけない、そう思っているのに、恐怖に足が竦み、その場を動けない。
迷宮に挑む内に身についてしまったのか、身を守らねばととっさに短剣に伸びそうになる手を男が掴んで止めさせる。
「やめろ、騒ぎが大きくなるぞ。それよりも帽子早く被れ、逃げるぞ」
言うが早いか、男はレスティの頭に押し付けるように無理やり帽子を被せると、強引にその手を引いて走り始める。わけもわからないまま、レスティはそのまま男についていくしかなかった。
「ここまでくれば大丈夫だろうよ」
男が足を止めたのは通りからいくぶん離れた河川がすぐ横を長れる裏通り。
暫く息を整えたレスティはようやく混乱から抜け出し始め、冷静さを取り戻し始めていた。
レスティは一つ息を吐いて、男のローブの奥のその目を見据えるかのようにますぐに視線を向けて、口を開く。
「半魔に情けをかけるなんて、変わり者ね」
レスティの不機嫌そうなその声色に、男は声を押し殺すかのように笑う。その様子はなんだか不気味でレスティは思わず身震いするが、男はそれを意に介したようすもなく、顔をおおうそのローブのフードを取って見せる。
「オレも、一緒だからだよ」
開いているのか、閉じているのか、眠たげな細い瞳のその男の頭には、レスティの耳と同じか、それ以上に目を引く、とぐろを巻く立派な角が一対その側頭部から生えだしていた。
それはレスティと同じ半魔の証。そのことにレスティはどこか安堵を感じながらも、同時に少しだけ残念にも思った。
「そういうこと、まぁ、ありがとう、助かったわ。あんたがぶつかってこなかったらあんなことにもならなかったんだけど」
「たしかに、違いない。いや、悪かったな、しかしこれは行幸だと思わないか? 街に暮らす貴重な半魔どうし運よく知りあえたんだ。お前、名前はなんていうんだ?」
「……レスティ」
少し考えてからレスティは素直に自らの名前を名乗る。人こそそうそう信用はしないが、同種であれば名前くらい明かしたところでどうとはないだろうと。
「オレはジュラーレってんだ、よろしくな」
差し出された手を取ってレスティはその男の手に違和感を感じた。ソフィとつい最近握手を交わしたせいか、男にしてはそのやわらかい手にほんの少しだけ驚いた。
挨拶を交わして、ジュラーレはしばらくそのレスティの顔をじっくりと見つめた後、ぶっきらぼうに口を開く。
「なぁ、お前、冒険者だよな?」
いきなりそう言い当てられたことを不思議に思いながらレスティは口を開く。
「なんでわかるの?」
「ま、お前は覚えてねーかもしれねーけど、この間迷宮の入り口ですれ違ったんだよ。覚えてないか?」
言われてレスティは記憶の糸を手繰る。そういえば、この間、迷宮に入る前、灰色のローブ姿とすれ違ったような、微かな記憶でおもいだされる。
「あぁ、あの時の」
「思い出したみたいだな」
「けど、それがどうしたの?」
聞き返すレスティにジュラーレは少しだけ考えてから、意を決したように口を開く。
「よかったらオレと組まないか?」
「どういうこと?」
その提案に眉を顰めながらジュラーレに視線を投げる。横を流れる川のせせらぎが妙に遠く聞こえる。
「お前があの身なりのいいもう一人の嬢ちゃんとどういう関係かは知らないが、人間ってやつは信用ならねぇと俺は常々思ってる。あいつらは自分の利益の為ならなんだってするからな。同じ人間同士で殺し合いもするし、もっと酷いことだって平気でやりやがる。それが半魔相手となれば、もっと酷い。
何の得にもなりゃしないのに嬲り殺されて玩具にされてきた奴だってオレは何人も見てきた。あの嬢ちゃんだっていつお前を切り捨てるか、わかったもんじゃないぜ? だったらオレと組んで稼ぐ方が賢明ってもんだろ? オレ等は同じ半魔だ、この肩身の狭い世界を共有する数少ない仲間だ」
たしかにジュラーレの言う事には一理あった。レスティの中にも微かにまだソフィを信用しきれていない部分はある。先日の勧誘の一件、あれもレスティにしてみれば恐怖の対象であった。もしかしたら、優秀な人材が集まって自分が切られるかもしれないという恐怖。ないとは言い切れないことだ。
しかし、今の今まで、ソフィはずっとレスティを信頼してくれていた、それを裏切っていいものかと、レスティの胸の奥が小さく痛む。
腰に差した短剣の重さ、それがレスティを踏みとどまらせた。
「ごめん、その誘いには乗れない」
レスティのきっぱりとしたその断りに、ジュラーレは驚きにその紫色の瞳を見開く。
「人間は信用できない、お前も本当はそう思ってるんだろ? なんであいつに付き合うんだ? 弱みでも握られているのか?」
心配するようにシュラーレはレスティの肩に手を置いてその顔を覗き込むが、レスティはその手を軽く払い、恥かしげに視線をそらして、視線を彷徨わせる。
「人間は信用できない。確かにそう思う。でも、私はあの人間を信用、してみたい。今まで出会ってきた人間とは違う、そう思うから」
その言葉にジュラーレは大きくため息を吐いて、呆れたとでも言うように頭を振る。
「そうかいわかったよ、勝手にしな。だが世の中ってのはそんなに甘いもんじゃねーぞ。気が変わったらいつでもいいな。あの武器屋の店長に言づければ会うこともできるだろうよ」
そういうとジュラーレは目深にローブを被りなおして早足にその場を歩き去っていく。
「ありがと、助けて、心配してくれて」
去りゆくその背中にレスティはそう素直に声をかけると、ジュラーレは振り返ることもなく軽く手を振ってそのまま雑踏の中へと紛れていった。