13
「いやぁ悪いね。こんなにおいしい弁当もらってしまって、いやぁ本当に美味しい。それになんだか懐かしい味だ」
男はそんな風に喋りながら、レスティが二人分買ったお弁当を嬉しそうに次から次に口に運んでいく。
「食べてる間は喋るんじゃないわよ」
レスティはそんな男の様子にあきれながら不機嫌そうにため息を吐き、ソフィはその隣で二人の様子を見ながらニコニコと笑いながら湯気のあがるマグカップに口をつけている。
三人がいるのは二層に入ってすぐ階段の前の少し開けた場所だ。
男を見つけたレスティとソフィは戸惑いながらも結界を張って簡易的な休憩所を作り男に弁当を分け与えながら自分達も干し肉等を食べながら休息を取っていた。
「いや、ほんとに助かったよ。ありがとう。君達の名前は?」
二人分のお弁当を八割方片付けた男は満足げな顔でそう二人に問いかけてくる。
「レスティ……」
答えるレスティはもう二つしか残っていないお弁当のサンドイッチを悲しそうに眺めながらその片方に手を伸ばす。
「ソフィ・スパーダです。あなたは?」
「そういえばまだ名乗ってなかったな、俺はシャスタってんだ」
そう名乗った男、シャスタは、まだ湯気のあがるコップを手に取ると中に入った熱いお茶を気にした様子も無く一気に飲み干してしまう。よほど腹が減って喉がかわいていたのだろうが、その様子にはさすがのソフィも困ったような笑みを浮かべてしまう。
「それでシャスタさん、なぜあなたはこんなところで倒れてたんですか? お一人だったんですか?」
「普段はクランで潜ってるんだがな、ちょっと中層に用事があってクランのやつらに頼むこともできないし一人で向かったらこの様ってわけだよ。一日あれば何とかなるだろうと思ったんだが案外手間取るもんだな。下手にケチらずに転送屋にたのむべきだったよほんと」
「中層に、お一人で?」
「ん、まぁな。慣れてくればなんとかなるもんだぜ案外。時間はかかるけどな」
出会いが出会いだっただけにシャスタの意外な実力に驚きながらも、レスティは軽く笑うそんな彼に釘を刺す。
「なんとかならずに空腹でぶっ倒れてたのによくそんな笑えるわね」
「レスティ……」
「違いない。いや、ほんとにあんたらには感謝してるんだぜ。わざわざ中層まで単身潜り込んだ帰り道、空腹で倒れて魔物の餌なんてなってたら恥ずかしいってもんじゃない。ほんとうに助かった。恩にきるぜ」
シャスタが言いながら深く頭を下げると。レスティも一つ息を吐いてそれで許すことにしたのか、シャスタに疑問を投げかける。
「なんでそんな無茶してまで中層に行こうと思ったの?」
「ちょっと知り合いから話を聞いてな、こいつを取りにいってたんだ」
皮袋からシャスタが取り出して二人に見せたのは白い花弁の美しい花だった。大きな皮袋の中に束にするほどの量がそこには詰まっているようで、微かにシャスタからは花の甘い香りがする。
「綺麗な花ですね。こんな植物が中層には生えてるんですか」
「中層には植物が群生してる層がいくつかあってな、この花もその一種なんだ」
「それは興味深いですね」
相変わらずそういった知識に目が無いのか、早速メモを取り始めるソフィを横目に、レスティは手に取った花をじっとみつめる。
「高かったりするのこの花。わざわざ苦労してとってきたってことは」
「いや、殆ど何の価値もないな。中層に生えてる植物ってのは魔力のせいか大体毒があるんだが。反面それが薬に転用できたりもする。だけどこいつにはそういった効能は一切無いし、そのせいか他の植物に比べて弱いのか見かけること自体がまれだ。物珍しいってだけのただの花なのさ」
「物好きなのね、そんなものに命をかけるなんて」
「この花を好きな人がいてな。気まぐれに取りに行くのもいいかと思った。それだけのことだよ」
「あっそ……」
興味を失ったようにレスティはそれだけを言うと再び花にだけ目を向ける。そんな彼女のしぐさに軽く笑いを漏らすシャスタに、今度はソフィがずいっと近づいて、先ほどの話を掘り返すように問い詰める。
「なんだかロマンチックですね。その話、詳しく聞いてもいいですか?」
「勘弁してくれ。あんた等には感謝してるが、身内の話だ。恥ずかしくてこれ以上は喋りようがないぜ」
中層まで単独で潜るような男が情けない顔でそう懇願するものだから、二人は思わず笑いだす。
参ったといった感じでシャスタは両手を上げて首を左右に振る。さしもの手練の冒険者でもまだ幼さが残るとはいえ群れた女性にはどうにも頭が上がらないものだ。
「それじゃそろろそろ俺はいくよ。長持ちするといってもこのままじゃいつか萎れちまう」
軽い雑談に区切りをつけるようにシャスタはそう言って立ち上がる。彼の言うとおり、いまだ白い花は瑞々しく美しいままではあるが刈り取られたそれはいずれ萎れ花を落としてしまうのは、地上にあるそれらとなんら変わりは無い。
「熟練者に言うのも失礼かもしれませんが、お気をつけて」
「お腹がすかないうちに、ね」
ソフィの言葉に続けるように、ちゃかすレスティの言葉にシャスタは笑いながらうなずきを返す。
「あぁ、君らのおかげで無事に帰れそうだよ。こいつはお礼として受け取ってくれ」
シャスタが荷物の内から寄越したのは一本の細剣だった。鞘にも柄にもこれと言った飾り気の無いシンプルなそれは壁でも叩けば折れてしまいそうな見た目をしている。
「これは?」
「中層で魔物が持っていた武器さ。そこらの武器屋で売ってるような安物よりは随分ましだろう。見たところあんたには今のそれでも重いんじゃないか?」
ソフィは腰に挿した自らの剣を思わずなでる。シャスタの推察は当たっている、ソフィの腕では細身のその剣ですら満足には扱えない。力に任せて振るえば体が泳いでしまう。彼女が受けた呪いの力か、それとも元来から彼女の力が低いのかそれは定かではないが。
「たしかにそうですが……高い物なのでは?」
「命より高い物なんてないさ、ちがうか?」
押し付けるようにシャスタはソフィの手にその剣を握らせる。無理やりに手渡されたそれを受け取ったソフィはその軽さに目を見開く。まるで何枚もの紙を重ね、張り合わせた玩具の剣を握っているようなそんな錯覚にすら陥るほどにその剣は軽かった。
「俺が言うのもなんだが最低限自分の身は自分で守れる準備くらいはしておかないと仲間にも負担がかかる。まだまだ迷宮に潜っていくってんなら。そいつはありがたく受け取っておいてくれ。あんたらの役に立つはずだ。それじゃ、またどっかで会おうぜ」
言いたい事を言うとシャスタは軽く手を振って階段を上っていってしまう。ソフィとレスティは頭を下げてその後姿を見送る。やがてその姿が闇に飲まれ足音も聞こえなくなると二人はソフィの手元に残ったその剣にただ視線を投げた。
「試し切りでも、してみる?」
ポツリと呟いたレスティに、ソフィは少しだけ考えてから小さく頷く。
「そうだね、どの道三階層までの道筋は今日で覚えておきたかったし」
テキパキと二人は荷物を片付けるとシャスタが去っていったのとは反対、迷宮の奥へと二人はゆっくりと潜っていく。
銀色の剣閃が宙を幾度と無くゆっくりとした弧の軌跡を描く。
ソフィが振るう剣は狙った蜂型の魔物に幾度と無くかわされ、その身に刃がかすることすらない。剣を握る本人はまじめに必死に振っているつもりなのだが、いくら軽い剣とはいえそもそもの腕の動きが遅ければとうぜん素早い魔物にはやすやすと避けられる。時折反撃に出る魔物の動きはすぐ近くでその動きを追っているレスティが都度防ぎに入り、ソフィは息を荒げながら剣を振る。そんな状況が既に結構な時間続いていた。
魔物の方ももはやソフィの事をなめているのか、レスティにばかり意識を向けているのかあまり積極的に攻撃を仕掛けようとはしていない。
それが功をそうしたのか、レスティが不意に屈みこむよな姿勢を取った瞬間、魔物の意識がレスティへと向く、そこにちょうどソフィの斬撃が襲い掛かる。だがその一撃は酷く緩慢で、そのうえ狙いも定まってはいない。
魔物もそれをわかっているからか逃げるそぶりなど見せもしない。
甲高い金属音を伴って弾かれるだったはずのその一撃はやすやすと蜂型の魔物の体を両断してしまった。
レスティも、ソフィも、斬られた魔物も、その場にいた全てが驚愕していた。地に落ちた魔物はもはや抵抗することもできずそのまま体液をだらだらと流し続けてやがて動きを止める。
「すごい切れ味ね……」
「うっかり取り落としたら木製の床なんてスッパリ行きそうだねこれは」
恐る恐るといった感じで二人はその薄い刃をしげしげと眺め、ソフィはその刃を収めると鞘ごと腰から抜き取るとレスティへとそれを差し出した。その行動にレスティは首をかしげ、手を出そうとはしない。
「どういうこと?」
「先ほどのでわかったでしょう、これは僕が持っていても意味の無いものだ」
たしかに効率でいえばレスティが持ったほうが魔物を倒す上では圧倒的にいいだろう。ソフィの振るう剣にあたってくれる魔物がそう多いとは思えない。だがやはりレスティはそれを受け取らず、ソフィの方へと押し戻す。
「必要ないわ。私はこの二本があれば魔物を倒せるもの。それはあなたがあなたの身を守るために使うべき。そういう意味を込めてあいつはあんたにそれを渡したんじゃないの?」
「しかし……」
「いいから、その方が私があんたを守る手間が省けていいの。ほら、さっさと三階層の下り階段を見つけて帰りましょう。お昼ろくに食べられなくておなか減ってるんだから。さっきのやつみたいに空腹で倒れて帰れませんでしたなんてごめんよ」
いうが早いかレスティは魔物の触媒を拾い上げるとそのまま歩いていく。
ソフィはほんの少しの間だけ手の中の剣を見つめ、腰にさしなおすと、急いでレスティの後を追いかけていった。
ソフィとレスティの二人が迷宮を出ると既に日は傾き時刻は夕刻となっていた。薄暗い半球状の建造物から出てきた二人は真っ赤な夕焼けに少しだけまぶしそうに目を細めて地上に戻ってきた実感を感じてほうと息を吐く。
「よぉご両人」
そんな二人に近寄って声をかける一人の男。国章の入った白いローブに身を包む中年のその男に二人は見覚えが無く首をひねるばかりだ。
「失礼ですがどちら様でしょうか?」
「おいおい、俺だよ俺」
そういいながら男は左手でひさしを作るようなそぶりを見せながら、右手を肘から九十度にまげて直立不動の姿勢を取って見せる。ソフィの方はそのしぐさにいまだ首をひねっていたが、レスティの方はぴんと来たらしくぽんと手を叩いて胡乱げに声をかける。
「警備兵の……?」
「おう、正解だ」
「あぁ、どうりで聞いた声だと」
二人は鎧姿の男しか見た事がなかったためすぐには気づけなかったがそれは確かに二人が迷宮に潜るときに言葉を交わした警備兵で間違いなかった。
「いや、シャスタのやつ無事返ってきてな、お前さん達が助けてくれたと聞いて一安心したぜこれで今日もぐっすり眠れるってもんだ」
「あぁ、あのお間抜けがあんたの言ってた……じゃあ屋台で食べ物おごってくれるのね?」
「任しときな」
「それじゃあ、あれ、あれが食べてみたい。揚げ菓子っていうの」
嬉しそうにはしゃぐレスティは今にも走り出しそうな勢いで人もまばらになりつつある大通りの店を物色している。
「スパーダの譲ちゃんはどうする?」
そんなレスティの元気な様子に笑いながら警備兵はソフィの方にも声をかける。
「いえ僕はいいですよ。それに換金もしておきたしですしね」
「そうかい、じゃあちょっくらこっちの譲ちゃんは借りてくぜ」
「えぇ、ただ、気をつけてあげてくださいね」
ソフィはその自分の頭の上をさするようにジェスチャーをして、レスティの帽子についてを伝える。男の方も半魔の事ということで心得ているのか「わかってるぜ」と頷くとレスティに手を惹かれてそのまま雑踏の中へと消えていってしまった。
本当に大丈夫だろうか、ついていくべきだったのではないか、とソフィは思いながらも足をギルドへと向ける。
冒険者ギルドで換金を済ませたソフィが宿へ戻ると相変わらず食堂は仕事帰りの商人や冒険者でごったがえし、賑わいを見せていた。やけに上機嫌のマギーに聞いた話ではどうやらまだレスティは戻っていないようで少しだけ心配しながらソフィは部屋へとあがる。
扉を開けるとふわりと甘い香りが漂う。階下から微かに香る美味しそうな料理にも負けないその香りは、つい最近どこかでかいだ事のあるような、甘い香り。
不思議に思いながらソフィが窓際に目を向けると、今日部屋を出る前には飾られていなかった花瓶が窓際にこっそりとおかれていた。
月光の青白い光を浴びて白い花弁を淡く闇夜に輝かせるその花。
ソフィは花瓶をとってそれをしげしげと眺めると、楽しそうに笑いながらそのままテーブルへと移動すると紙とペンを取り出した。
新しい歌は、そう、親孝行の歌にしよう。
そうきめたソフィの筆はさらさらと迷い無く紙の上を走り出した。