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しかし、そんな悩みや不安などどこへやら、合流時間が近くなってきた頃にはレスティの白銅貨は既に二枚が消費され、その手には棒付きの飴やら、果物のパイやら、かわいらしい小さな猫の木像やら、様々な戦利品が握られていた。
最初こそ緊張でおどおどとしながら出店をみて回っていたものの、焼き菓子屋の客引きにひっかかり、それを口にしてしまってから、レスティは買い食いの虜になってしまった。
ご機嫌な様子で満面の笑みを浮かべるレスティは声をかけられるたびに屋台を冷やかしては思うがままに買い物を続け、いまやすこしずれてしまっている帽子の事も忘れて約束の場所を目指していた。
レスティが昼前にその場書へ戻ると、既にそこにはソフィの姿があった。周りには、そこそこな買いもものの荷物を並べ、本人はそれらを足元に壁によりかかり、相変わらず何かを紙にしたためているようだった。
「お待たせ」
レスティが声をかけるとソフィは紙面から顔を上げて、その手を止めた。
「その様子だと買い物は楽しめたみたいだね」
「まぁ、それなりに」
少しだけ照れくさそうに言うレスティは、残ってたい食べ物をさっと食べ終えてしまうと、ソフィの手元を覗きこむ。
「今度は何を書いてるの?」
「ちょっと、昨日の手直しをね。でも、もう終わったから」
「ふぅん……」
ソフィが何かを書きとめているときの横顔を眺めているのがなんとなく好きなレスティではあったが、その内容事態には然程興味がないのか、それ以上聞くこともない。ソフィの方も、特別内容を話したい、というわけでもないらしく、特に言葉を続けずに、買って来た荷物の中身を漁り始めている。
そうしてその中から取り出したそれを、すっとレスティの前へと差し出した。
「さすがに、あの短剣だけじゃこれから先は厳しいと思ってね。これを君に」
差し出されたのは、鞘に収められた一本の剣だった。レスティの肩から指先まで程の長さのそれは、ずっしりと重い。両手で受け取ったレスティは、その刀身を少しだけ抜き放ち、真新しい鋼の輝きを確かめる。
装飾は鞘にも刀身にも柄にも殆どなく、ソフィのモノと比べると幅の広い刀身は分厚く、叩ききるために特化した実践向きのものである事が容易に見て取れた。
「これ、高かったんじゃないの?」
「君の装備に不備があればそれだけ僕らの命が危険に晒される。お金をいくら積んだところで失った命は買い戻せないからね」
その言葉を聞いたレスティには握った剣の重さがよりいっそう増したように思える。
(私が、戦って、彼女の命も守らないといけないんだ)
戦えるという自信は確かに出来ていた、ただ、自らの肩にかかる責任に、少しだけレスティは怖くなっていた。それでも、怖いからといって投げ出すことなどできない。投げ出してしまえば、結局元のみすぼらしい生活に逆戻りだ。それはきっと命を落とすのと同じ位に、辛いことだ。
この数日で知ってしまった世界は、自分を必要としてくれる人がいて、認めてくれる人がいて、そして楽しいと、そう思える世界。何もないと思っていた自分に与えられた、きっと生涯に一度のチャンス。怖いとすら思える夢のような日々を、夢から覚めるように失うなど、今更戻れるわけがなかった。
ジッと見つめていた刀身を鞘に戻して、そのまま鞘を腰に吊る。しっかりとした重みが、これが夢ではないと教えるかのように、地に足の付いた感覚とはっきりと認識させてくれる。
「うん、よく似合ってるよ」
「剣が似合うって、それは褒められてるのかしら?」
「冒険者にとっては、きっと褒め言葉さ」
ソフィの軽口に、軽くため息をついたレスティはもう一度、腰の剣に指を這わせて、一つ頷く。
「それで、どうするのこれから?」
「一度宿に戻ってお昼にしようか、それから、また少しつきあってもらえるかな?」
「いいけど、まだ何かすることがあるの?」
触媒の換金も買い物も終えて、さすがに今から迷宮にいくなんてことはないだろうし、では一体なんなのかと、レスティは不思議そうに聞く。
その反応に満足気な笑みを浮かべたソフィはもう一つ、荷物から取り出したそれを、見せる。
「なにそれ?」
目を丸くしてそれを見つめるソフィの手元を見つめるレスティに、ソフィは自慢げにそれをずいと差し出して、いたずらっぽく笑みを浮かべながらその名前を告げる。
「リュート、さ」
「どういうことなの、これ」
「どうもうこうも、今君が聞いて見た通りだよレスティ」
昼食を終え宿に荷物を置いた二人は、商業区の賑わう一角から少しはなれた喧騒の少ない、小さな広場へとやってきていた。
二人は広場の端に木箱を置いて座り、その周りにはちょっとした小さな人だかりが出来ている。その半分ほどは子供で、残りは年齢も性別もばらばらな様々な人々が足止めて二人の事をじっと見ていた。
そんな中、レスティは恥ずかしげに頬を染めながらもキッときつい眼差しでソフィを睨み、ソフィの方は特に気にした様子もなく、手の中のリュートを軽く点検している。
「ねーおねーさん、他のお歌はないの?」
「ごめんね、まだこれだけなんだ。僕らの迷宮に挑んだお話だからね。よかったらまた聞きにきてね」
「うん」
子供の内の一人との会話に、周りもどうやら出し物は終わりらしい、と散っていく。そのうち何人かは、ソフィの前、リュートを入れておくための皮袋に、各々、適当な金額の硬貨を投げ入れて同じように去っていく。
そんな背中を黙って見送りはせずに、すかさず立ち上がったソフィは大きく口を開いていう。
「どうか、クラン、スクリットーレ・オンブラをご贔屓に。我がクランは現在人員を募集中です。興味がある方はギルドか、僕の元まで直接連絡をお願いします。ご静聴ありがとうございました」
しかしソフィが全てを言い終える前には、大方、人は引いてしまっていて、ソフィの元にやってくるような人はいない。
「うーん、失敗か」
困ったように頭をかくソフィの肩をレスティは掴んで、ぶんぶんとその体を揺さぶる。
「だから、なんなのよあれ、どういうことなの」
「どうもこうも……僕から見たつい先日の出来事を詩にしただけだよ」
それをソフィが自ら曲を付けてこうして街中で歌っていたというわけだ。それがただ、淡々と起きた事を起こしただけのものであれば、人の耳にも記憶にもとどまる事はなかっただろう。
ソフィが歌ったのは、少しだけ脚色した、ちょっとした冒険活劇だ。
没落した貴族と虐げられた半魔の娘。二人が再起をかけて迷宮へと潜り、半魔の娘が本来ならいないはずの魔物を屠り、そして大金を得る。実にわかりやすい話、なのだが。歌い方や曲もさることながら、流麗な詩、装飾された美しい戦い。それらは聞く人の心を湧きたたせるには十分過ぎるほどで。
物語の主人公として扱われていたレスティは、それこそ顔から火が出そうになるほど恥ずかしかった。
実際は、泥臭くてかっこ悪くて痛々しいやっとの戦いであの敵を退けたのだから。
「脚色しすぎでしょ……顔から火が出るかと思ったわ」
「そうかな? 僕としてはそんなつもりはなかったんだけど。駄目だった?」
突然真剣な顔で聞かれたものだから、レスティは意表をつかれて、どう答えるべきか、咄嗟に考えられず、しどろもどろになりながら、一応、素直な感情を述べる事にした。
「ん、いや……素直にすごいとは思う。それで食べていけるんじゃないかって思う程度には、よく出来てた」
「そっか、ありがとう。じゃあ問題なさそうだね」
「それとこれとは別でしょ」
「これでクランが、君が有名になれば僕も助かるし君が半魔だってことを気にしない人も増えるだろうし、いいことだらけだよきっと」
「そんなことないと思うけど……」
嬉しそうに熱弁を振るうソフィの様子に疲れたのか、レスティはため息をついて、詩事態を変えさせる事は諦めて、もう一つ気になった事を聞くことにした。
「そういえば最後のクランメンバー募集って、何?」
「やっぱりもう少し人員がいたほうが僕らも楽だし、大きなクランのほうが注目を浴びやすいからね。いずれ魔法を使える人員もメンバーに迎えたい」
「そう」
素っ気無い答えはどこか沈み、不機嫌な様子で、返した本人ですら気分のよくない返事だと、そう思った。
「何か不満? 心配しなくても君の取り分が減るようなことはないから心配しなくてもいいよ?」
「別にそういうのじゃないから」
「じゃあ、どうかしたの?」
「別に、なんでもない」
なんでもなくはなかった。レスティの胸中は妙にざわついて、それはよく知った、何かを求める飢えの感覚に似ている。今の自分は十分に満たされているはずなのに。心が焦燥に駆られ、苦しくなる。
ソフィの方もどう接すればいいのか困ったように頬をかくくらいしかできない。
「次の場所にいこうか。そう簡単に人は来ないだろうし、根気よくやってかないとね」
(私は、なにがそんなに気に入らないんだろう)
ソフィが荷物を片付け始めたのをぼうっと眺めながらレスティは腰に吊った剣の鞘をきつく握り締める。
(ここまでしてもらって、いったい何に飢えているんだろう)
人が増えるのはいい事だと思う。確かにお金の分配は人が増えるほど細分化されていくものの、その分稼ぐ効率はよくなるはずだ。それは、迷宮の奥を目指すという二人の目標の利にも適した方法。それは間違いないはずなのに。
ソフィが移動を開始したのにあわせて、レスティは頭を振るように思考を打ち切ってその後について行く。
夕暮れ時になると、露店商たちは早々に店じまいを始め、各々今日の儲けを持って行きつけの酒場や食堂へと向かい、一目散に駆けていく。同じように買い物客達も、店の数が少なくなれば次第に少なくなっていく。あれほどの賑わいを見せた場所が、本の少し時間が変わるだけでこうも寂しい風景になるのはなんとも不思議な感覚だと、レスティは思っていた。
二人は午後からの時間ずぅっと場所を転々と変えて吟遊詩人の真似事をしながらクランメンバーの勧誘を続けていた。
しかし、そうそう都合よくたった二人の、しかも片方は半魔のクランに入りたいと言い出す人間がそうそういるわけもなく、結局成果はソフィが稼いだお金程度だった。といっても、稼げた額はそれなりに多く、二人でそこそこ豪勢な夕食を食べる代金位にはなりそうだ。
「そう簡単にはいかないね」
「根気よく、じゃなかったの?」
「そうだね、もう暫くは二人で潜ってもっと成果をあげないと」
リュートを仕舞いながらソフィは軽くため息をつく。彼女も今日一日でクランメンバーが増えるなどと甘い事は考えてはいなかったが、思った以上に詩の方が好評だったお陰で、少しだけ期待してしまっていた所もあった。
「なんだっていいから今は早く帰ってご飯をたべたいわ」
結局朝から一日中歩き通しだったこともあり、二人とも顔には軽い疲れの様子が見て取れた。ソフィはもともと体力があるほうではないし、レスティにしても迷宮の外であればその体力は常人のそれと変わりないのだから、当然と言えば当然だ。
木箱を片付けて二人はぶらぶらと帰路に着く。