10
陽もすっかり高くなってから起き出し、着替えを済ませた二人は部屋で各々寛いでいた。さすがに今日から早速迷宮へ繰り出すのを再開、というわけにも行かず、今日の所は次の準備に当てることになっていた。黙々と出かける準備を続けるソフィと、落ち着かない様子のレスティ。
「今日はどこに行くの?」
辛抱出来ないといった感じでレスティがそう聞くと、ようやく準備が終わったらしいソフィが革袋を一つ担いで立ち上がる。
「とりあえずギルドにいって触媒の換金をしてしまわないとね。それに色々買っておきたいものもあるし商業区のほうに顔をだそうか」
人が多い所は相変わらず苦手なレスティであったが、ここ数日マギーの手伝いをしていたこともあり、必要以上に警戒をすることはなくなっていて、立ち並ぶ露店の数々をひやかすのもまた、楽しいと思うようになっていた。
なによりも好きなのはやはり飲食店である。様々な料理の美味しそうなにおいや、見た目にも綺麗で美味しそうな真っ赤なりんご、そんなものを見ているだけでもレスティは幸せな気分になれる。食べられれば更にいうことなど何もないのだが、昔はみすぼらしい格好で近づくだけで追い払われたもので、半魔であることがばれれば何もしていないのに罪を着せられることすらあったのだから、随分と変わったものだとしみじみと思う。
今レスティが着ているのは、すっかり血濡れになってしまったあの日の服をマギーが洗濯して綺麗にしてくれたものだ、嫌な血の匂いもとれて、ソフィに買ってもらったときのように戻ってはいるが、この格好で外を出歩けば頭の耳が目立ちすぎる、だからレスティは外套をいつものように頭から被ろうとして、その動きをソフィに止められた。
「ちょっとここに座って」
「なんで……?」
ニコニコと笑みを浮かべるソフィに何か、不穏なものを感じながらレスティは促されるままに椅子に座らされる。
「そんなに心配しなくても大丈夫だから」
そう言ってソフィはゆっくりとレスティの髪に櫛を通し始める。
ソフィは嫌がるレスティを椅子に押さえつけると、ろくに手入れのした事のないレスティのぼさぼさの髪を丁寧に梳かし、頭頂部の両の耳の毛も綺麗に手をいれ、最後にその二つがすっぽりと隠れる大きな帽子を頭にかぶせてやり、その手を無理やり引いて宿を出た。
レスティの方は落ちつかない自分の髪と、いつ取れるともわからぬその頭の帽子にオドオドとしながら引かれるままに付いていくしかなかった。
「ねぇ、これ大丈夫なの? ばれない?」
「平気だよ。そんな風に気にしてるほうが、よっぽど目立っちゃうよ」
必要以上に怖がるレスティの様子を眺めながら楽しそうにソフィは歩いていく。街を行く人は時折、そんなかわいらしい二人の様子を振り返って目で追う。それが余計に、レスティの心を萎縮させるのだが、ソフィは気付いていてあえてなにもいわず、クスクスと笑いながら街を歩いいく。
しばらくそんな風に歩いてたどり付いたのは、冒険者ギルドだった。レスティがここを訪れるのは二度目の事だが、相変わらず大きな建物に、すこしだけ圧倒されながら二人は中へと足を踏み入れた。
まだ午前中だからか、先日に比べると人の数は少なく談笑している人々もまばらだ。辺りを見回していた二人の目にはすぐ、知った顔へと向けられる。同様に向こうもすぐに二人に気付いたのか、軽く手を上げながら歩いてやってくる。
「よお譲ちゃんたち、無事生きてたみたいだな」
気さくに声をかけてきたのは二人が迷宮内で出会った冒険者、頬に傷のある男、ロットであった。その後に、革袋の中身をしげしげと見つめていた髭面の男ズグロフもついて来ていた。
そんな二人に「こんにちは」と返すソフィに対して、レスティはその後ろに隠れるようにして小さく頭だけを下げた。
「こんな時間に換金ですか?」
「あぁ、この間稼げなかった分丸一日潜ってたんだ、お陰でくたくただ」
「その分、稼ぎはよかったがな。譲ちゃんたちこそ、こんな時間にどうした」
金の勘定を終えたらしいズグロフが革袋を懐に仕舞いながら聞いてくる。
「僕らも換金ですよ、この間の分まだお金にかえてなかったので、すぐ行ってきますから、このあと少し時間をいただいても?」
「別に構わんが、こいつが今にも寝ちまいそうだから、手短に頼む」
言いながらズグロフは隣に立って大あくびをしているロットの背中を軽く叩いた。
ロットは驚いたような反応を見せながらも特に怒った様子はなく、二人の歴の長さがそのやり取りで見て取れた。
「それじゃいってきます」
「譲ちゃんどうせならあの一番端で換金してきな」
「? わかりました」
ロットに建物に入って端の、換金窓口を指定され、ソフィは首を捻り不思議そうにしながら窓口へとむかう。レスティも借りてきた猫のようにおとなしく、相変わらず帽子を押さえながらその後について行く。
「すいません、換金お願いします」
「おう、今すぐ……って、スパーダのとこの」
窓口のカウンター越しに振り返ったのは、二人が始めてギルドを訪れた日、ソフィのクラン申請を受け持ったバンダナの男だった。
レスティ、ソフィもそのバンダナで思い出したのかあっと声をあげて顔を見合わせる。
「クラン申請の時の……」
「バンダナのおっさん、降格でもされたの?」
「バンダナのおっさんでもねぇし降格じゃねぇ!」
レスティの思わず口から漏れた言葉に男が素早く突っ込みを入れる。
「ギルドの仕事は一定期間で受け持ちがローテーションしてるんだ。冒険者とギルドの仕事をかけもちしてる奴も少なくないからな、突然欠員が出来ることもある、だからどんな仕事でも穴埋めができるようになってんだよ。あと俺はバンダナのおっさんじゃなくて、ブリックだ覚えとけ」
ブリックと名乗ったバンダナの男は盛大にため息をついてジロリと二人を睨みつけたあと、すぐ近くでニヤニヤしていたロットの顔をみて舌打ちをする。
「なるほどな、ロットの仕込みか。ま、なんだっていいさっさと換金しちまうから触媒をだしな、始めての換金だ、そう大した額にはならねぇとは思うが、大事に使えよ」
「はい、お願いします」
受け取った革袋から触媒を一つ取り出しては、ブリックは念入りにそれらを確認して行く。大きさ、形、質、種類、触媒の価値を決めるのとはだいたいその四つだ。小ぶりのモノでも貴重な魔物のものであれば高く、大きくとも弱い魔物の魔力の薄い、質の悪いモノであればそれほど値段は付かない。
「犬に、爬虫類基本的なとこはそこそこあるな、初めてにしちゃ、悪くねぇ……初めてで蜂をやったのは、なかなかやるな。お前さんの剣は確かに、見込みがあるかもしれねぇな」
「あの時言ったでしょう、名刀になるって」
「そうだな、可能性はあるかもしれねぇ」
レスティを褒める二人の会話に、当の本人は戸惑いを隠せず、頬を微かに赤く染めながら俯いている。ブリックはバンダナの上から頭をかきながら、有望かもしれないこの新人がどれくらい稼いだのか、軽く頭の中で計算しながら、革袋の底に残っていた最後の触媒に手を伸ばし、顔をしかめた。
「おいおい、こいつは……」
恐る恐るといった感じでブリックは最後の触媒、丸い球体状のそれを取り出してしげしげと眺め、片眼鏡をあて、その濃い紫の輝きを見つめる。
暫く険しい顔でそれを何度も確かめるように眺めたあと、その触媒を手にしたまま、ソフィたちの前へと戻ってくる。
「なぁ、おいスパーダの、こいつは、どこでどうやって手に入れたんだ?」
焦ったような声色に、周囲のまばらな冒険者達も、新人達が何かやらかしたのかと遠巻きにその様子を眺めている。近くで二人の換金が終わるのを待っていたロットとズグラフもその様子にすぐに気付きどうしたのかと近づいて来る。
「どうかしましたか?」
事態が飲み込めないソフィは首をかしげて、ブリックの事を見つめている。
「どうしたブリックかわいい新人に偉い剣幕で」
軽い調子で割り込んできたロットにも見えるようブリックはその触媒をよく見えるように突き出した。
「ほぅ、そいつはクリムジェルの触媒か」
感嘆の声を上げたのはズグラフだった。軽い調子で話しに割り込んできていたロットは、その触媒をブリックと同じように様々な角度から、信じられない、といった風に眺めている。
「あぁそうだ、とても駆け出しのひよっこが手に入れられるような代物じゃない」
未だに事態の飲み込めないレスティは周囲の好奇の視線に落ちかないように辺りを見回しているのに対して、ソフィは事情が飲み込めてきたらしく、自分から質問を投げかける。
「あの、ちょうどズグラフさんに聞いておきたかったことなのですが、その触媒を持った赤い粘液状の魔物、あれはいったい?」
「クリムジェルという魔物だ。低層によくいるような動物が魔化して変化した魔物とは違う、迷宮産のまじりっけなしの魔物だ。人間の血を糧にし、物理的な攻撃は殆ど効かず、触媒を粘液から切り離すことで活動を停止する。幸い知能が低く足も遅い、致命的な攻撃を避けて戦わない選択肢をとれば対処はできる、が、本来こいつは少なくとも十層以下でないとでてこない魔物のはずだが」
ズグロフの説明に相槌を打ちながらブリックが続ける。
「そいつをなぜお前らが、どこでどうやって倒したのか、って話だ」
「一階層、階段奥の地底湖で遭遇しました、ただ、倒したのは僕ではなく、レスティなので」
ちらと、ソフィがレスティの方に視線をやる、周囲の視線も自然と彼女にあつまり、レスティは緊張しながら口を開く。
「切っても殴っても効かなかったから、ソフィに気を引いてもらって、無理やり触媒を掴んで抜き取ったの」
やけ気味の叫ぶような説明に、ブリックの疑問がすぐさま飛んでくる。
「あいつの粘液に体を突っ込むなんざ自殺行為だ、一瞬で体をミンチにされちまう」
「死ぬほど痛かったけど、実際そうやって倒したんだからしかたないでしょ。その証拠にそいつがそこにあるんだから」
レスティは自身の再生能力の事には何も触れず、触媒を指差す。人の身でない事をわかっている相手とはいえ、人間場慣れした自身の力を話すのは躊躇われる気がした。それにもし話す必要があるのであれば、ソフィが補足するだろうと、そういう思いもあった。
「しかし、信じられん……」
ブリックは納得いかないと行ったように手の中のそれを見つめる。
周囲の人々も小柄な半魔の少女とその触媒をしげしげと見つめる仲、ズグロフは真っ直ぐにレスティの事をみつめていた、レスティもまたその視線に気付き、互いにしっかりと見詰め合う。
暫くの沈黙の後、ズグロフのほうが先に視線を切って、ブリックへと振り返る。
「どうもレスティは嘘をいってるようにはみえねぇ、それに一階層にそいつがいたのはおそらく間違いない。血を吸われたらしい、新人の死体が転がってるのはこの目で確認している」
「確かに下の階層の魔物が上に迷い込む事もなくはないが……」
「どっちにしろ触媒があるのは確かだ、譲ちゃんた達の実力はわからんが、期待の新人としてこれから先、その成果を見てればいずれわかるだろうよ」
ズグロフの言葉にブリックはしばし難しい顔をしてからバリバリと頭をかいて、わかったと叫ぶと一度カウンターの奥へと引っ込んで、すぐに戻ってくるとソフィの前に貨幣を並べた。
「今回のお前ら二人の稼ぎだ。今後も精進してくれ」
「ありがたく受け取らせて貰います」
カウンターの上に並ぶのは白銅貨が四枚、銀貨が一枚そして、金貨が一枚。ソフィはそれらをこともなげに受け取って全て革袋に占めると軽く袋の口を締める。
その隣でレスティは自分が稼いだ額に目を白黒とさせ、あっけに取られていた。
ソフィはそんな彼女の手をひいてズグロフに頭を下げる。
「どうも助かりました」
「ほっといても換金所がつまっちまうだけだ、礼なぞいらん。それよりも聞きたい事があるといっていたのはさっきのクリムジェルの事でいいのか」
「はい、勉強になりました。また時間がある時に魔物の事を教えてもらっても?」
「あぁ、いつでもこい」
「ついでにその金で茶請けの一つでももってきてくれりゃ万々歳さ」
ようやく新人達の成し遂げた事への驚きから脱したロットがそんな軽口を叩いて、ズグロフに頭をはたかれる。
そんな様子を見てクスクスと笑ったソフィはもう一度頭を下げる。
「それでは、僕らはちょっと買い物の予定があるのでこの辺りで」
「スリにはせいぜい気をつけな」
「何なら、半分念のために預かっても――いってぇ!」
「それじゃレスティいきましょう」
「あ、うん」
事態にまったく付いていけていないレスティは、再び頭をはたかれ舌を噛んだロットの様子に痛そうだなと同情をしながら、手を引かれてそのまま引きずられるようにソフィについて行く。
そんな二人の様子を、そこにいる冒険者やギルドの職員達はじっと見つめていた。
二人は気付いていないことであったが、それほどまでにあの魔物の触媒を手に入れるといことは、容易な事ではないのだ。熟練の魔法使いがいればまた話は変わってくるが、没落貴族の娘と半魔の少女。特別な力も武器も持たない二人組みが一体どのようにしてあの触媒を手に入れたのか、そんな疑問がその場を支配していた。
「さて、それじゃあ取り分、最初に話した通り、好きなようにどうぞ」
「え?」
冒険者ギルドを後にした二人は暫く町中をあるき、商業区の手前までやってきていた。
その道すがら、人通りの少ない小道で、ソフィが換金したお金の入った革袋を差し出すのに対して、レスティは驚いてぽかんと口をあけている。
「最初に言ったろう? 僕は有名になれればそれでいいって」
「それは、うん」
そういえばそういう約束だった事を思い出して、レスティはその革袋を受け取る。入っている硬貨の枚数こそ少ないものの、その手に感じる重みは、今まで手にした何よりもとても重く思える。
震える手でその袋をひらけば、中にはきらきらと輝く、三種の硬貨。思わず唾を飲み込む。
レスティは迷った末に、白銅貨三枚だけを抜き出してその袋をソフィへと返した。
「それだけでいいの? 君が命をかけた代償には安すぎると思うけど」
ソフィのいう通り、その額は命を貼るには少々安すぎる。少し豪勢な食事を三度も取ればすぐになくなってしまう、その程度の額だ。長く貧困状態であったレスティにとっては大金であるとはいっても、彼女自信、この報酬が妥当などとは思ってはいなかった。
「今回はこれでいい。私の為にたくさんお金使ってくれてるわけだし、ほんとは全部渡したってまだ足りないんでしょ?」
「それは必要経費という奴で、僕は何の力もないし、迷宮の敵を倒したのも全て君だ、遠慮する理由なんてどこにもない」
「次からは、遠慮しない。ちゃんと、稼ぎは二人で折半する」
強い意思の篭った言葉とともに、ソフィにその袋を握らせ、レスティは言う。
「ずっと迷ってたけど、決めたから。あんたと一緒に仕事してあげるわ。ただ条件がある」
一度言葉を切ってレスティは昨日返事を返せなかった時から考えていた台詞をゆっくりと述べた。
「ちゃんと対等でいてほしい。貸し借りはなし、確かに魔物と戦うのは殆ど私の仕事だけど、命をはってるのはあんたも一緒でしょ。それにあんたがいなきゃ私はずっとろくでもない暮らしを続ける羽目になってただろうし、一応、感謝はしてるから」
まだ本当に心のそこからソフィの事を信じているわけではない。ただ、彼女が自分が倒れている間に逃げ出すことも無く半魔なんかのために命を張ってくれたのは事実であり、そうして彼女が、自分を半魔としてではなく、人として対等に扱ってくれていることが、レスティには嬉しかった。だからこそ、対等な関係で居たいと、今の状態がいいのだと、そう告げたのだ。
「君がそう望むなら、レスティ。これからよろしくね」
「えぇ……よろしく」
昨日は握れなかったソフィの差し出した手を、レスティは恐る恐る握り返す。その手は暖かかったが、レスティの想像したようなやわな貴族の手ではなかった。触れた手には所々にごつごつと硬いまめの感触がする。それは彼女の努力の証だ。上手く扱えぬ剣をそれでも人並みにと練習し続けた手の感触。
彼女が決して道楽や酔狂で迷宮に潜っているわけではないのだと、それがわかっただけでレスティは少しだけ安心できた。
「さて……買い物いくんでしょ?」
手を握ったままでいるのがなんだか気恥ずかしくてそういいながらレスティはぱっと手を離す。なぜだか少し頬が熱い気がする。
「ん、あぁ……少し予定を変えようと思うんだ」
少しずれてしまった帽子を気にしていたレスティは、視線だけをソフィに向けて問いかける。
「なに、どうするの?」
「僕はちょっとやらなきゃいけないことが出来たから、昼前にまたここで待ち合わせしよう。それまで露店を好きにひやかしておくといい。お金も白銅貨三枚あればそこそこ遊べると思うし。必要な買いものは僕がすませておくよ」
「え、いやでも」
「それじゃ、ちょっと急がないといけないから」
言うが早いか、ソフィは紙の束を取り出し、そこに何かを書き記しながらスタスタと歩いて行ってしまう。
レスティはあっけに取られながら、去っていくその後姿を見送った。
ソフィがいたからこそよかったものの、人の多い商業区にはいってもし帽子が飛ばされてしまったらと思うと、レスティは思わず身震いする。
ただ、すぐ近くから聞こえてくる、楽しそうな喧騒や、安さを自慢し会う商人達の活気に、心がうずうずとしていないといえば嘘になる。
手の中の白銅貨三枚をじっとみつめながらレスティは暫くの間そうして悩んでいた。