序章「途切れた伝説、続く現実」及び第一章「代償を得た男」
序章 途切れた伝説、続く現実
この世界は竜族の王、即ち竜王に支配された。
しかし、その為に竜達は人間達の文化に触れた。
そして竜達は始めた。人間達を真似て国を治める、という暇つぶしを。
国を治める。
その意味すら理解しない竜王は、最兇最悪とも言える暴君と化したが、生き残った人間達は、その暇つぶしに活路を見出した。
竜王の宮廷において、その座を占め、竜王を諫め善王たらしめることを。
無謀な試みかとも思われたが、ついにそれを実現した一団が現れた。
誓約の騎士・クリスタル
猖獗の魔王・レイモンド
再生の神話・ブリテン
射殺の天眼・パルン
そして、神速の剣聖・ザンバ
彼らは竜王の過剰な要求に応えつつ功績をあげ、宮廷での発言力を確保。
ついには自らの領地を獲得するにまで至った。
仮住まいであっても人間達が羽を伸ばせる土地が生まれたことにより、生き残った人間達もその領地に流れ込んでくる。定住地を得た人類は再び発展を始めた。
一団はそんな領民達のバックアップを受けてさらに力を付け、ついには竜王から人間の玉座を取り戻す――までには至らなかった。
世界から未来が奪われてしまったから。
――MMORPG「ドラゴンズ・テンプル」20XX年サービス停止。
一つの世界はそれで終わりを迎えたが現実という名のもう一つの世界は続き、およそ十年後。
クリスマス・イブのサーバーダウン。
ワールドデータどころか、まとめて吹き飛ばされるプレイヤーデータ。
過疎化の極地、五人しかプレイヤーがいない。
ドM専用、現実の無茶振りに耐え抜くゲーム。
そんな風に狭い業界で、マイナスにではあっても、そこそこ名を知られていた「ドラゴンズ・テンプル」の記憶も薄れゆく頃。
竜達は去り、崩れ苔生し朽ちた宮廷に再び光が差し込んだ。
崩れた玉座にあるのは災厄か希望か――
――それとも神か勇者か。
第一章 代償を得た男
薄茶色のウィンドウ越しの風景は何もかをセピアに変えてしまう。
明らかにサイズの合っていない“吊し”のスーツを着ても、何ら恥を感じない日本人の群れ。
おしなべて彼らは権威に弱いのだ。スーツを着て、社会通念上の常識人にカテゴライズされることで安心してしまい、そこから先、自分がどうあるべきかという哲学を持ち合わせていない。
これから交渉する相手も現在では社会人であるという。
ゲームなどという下らないものに血道を上げていた十年前とは違い、大人の世界のしきたりを覚えていても不思議はない――いや、身につけていなければやっていけないだろう。
特に「空気を読む」事を要求される日本人の形成する社会構造では。
人を待つ身であるので意識的に外を見ていると、セピアに染まる風景の中で蠢くスーツ姿の男性が増えてきた。そろそろ午後六時を越えた辺りだろうか。
初夏、と表現される夏至の頃であるのでまだ外は随分明るい。
そろそろ約束の時間だろうか。ふと腕時計に目を落とす瞬間、光の加減が変わってウィンドウに自分の姿が映る。
絵里子・キッテルセンの白いスーツ姿が。
スウェーデン国籍ではあるが日本人の母親から生まれたので、青灰色の瞳以外はほとんど日本人と変わらない面差し。
国にいた時は、それでも価値のある容貌であったが日本に来てしまうと埋没してしまう、地味な顔立ちだ。肩口で切り揃えた黒髪がどうにもそれに拍車をかけているような気がする。
かといってここで染めてしまえば、本当に外国人へのコンプレックスを抱えた日本人そのままのようで、みっともないことこの上ない。
だからこんな国になど来たくなかったのだ。
自分の経験も知識も――そう日本語に堪能であるという点も――母国にいてこそ活用できる。
幾たびもそう主張したのに、こんな極東に飛ばされてしまった。
それもこれもあの忌々しい日本人が元凶なのだ。そしてその元凶と現在は同僚であるという悪夢のような事実。
だが現在、絵里子が勤めているイニック社が危機に直面していることもまた疑いようの事実であるのだ。
未曾有の――とまではいかないが中々の難事である。日本語が話せるから、と言う安易な理由でイニック・ジャパンに出向となったわけではない。
自分の力量が認められてのことだ、と絵里子は自分を慰める。
待ち合わせの喫茶店は、駅前のビルの一階部分に巻き付くような構造の細長い狭い店だった。
カウンター席が主でテーブル席が二つほどしかないが、テーブル席の利用者は絵里子の他にはいなかった。元々、待ち合わせではなく時間潰しがコンセプトの店舗なのだろう。
カウンター席は満席に近く、20分ほど前から面子がさほど変わっていない。全員が男性で服装はまちまちだから学生も混ざっているのだろうか。
そんな益体もない人間観察を無意識に続けていると、カウンター席から一人の男が立ち上がった。
ジャケットは着ておらずワイシャツの袖をまくり上げている。そこから除いている前腕部がやたらに太い。それでいて身体の方は特に筋骨隆々というわけではないから、何ともアンバランスだ。
一応は勤め人なのか、寒色系のネクタイを首からぶら下げている。
カウンターで後ろから見ているときには埋没していたが、こうやって立っているところを見るとなかなか雰囲気が――近づいてきている?
「失礼。イニック社の方でしょうか?」
身をかがめるようにして、突如男が話しかけてきた。
口調とは裏腹に不機嫌をそのまま形にしたような低い声で。
「え? あ、はい。そうです私がイニック・ジャパンの絵里子・キッテルセンです」
慌てて立ち上がり答える絵里子。そこから先の儀式には一瞬躊躇してしまう。
握手? それとも名刺交換だろうか?
「俺が連絡いただいた波照間です。名刺いりますか?」
「あ、はい、頂戴します」
名刺交換の流れになった。交換の最中に社名を確認すると、確かに下調べの通りの社名が記されている。相手は、と思って顔を上げるとこちらが指しだした名刺を何やら難しい顔で見つめている。
「……何か?」
「この名刺では、あなたがキッテルセンさんだという確認が取れません」
少し水を向けてみると、何の躊躇いもなく疑いを向けてきた。
確かにイニック・ジャパンの名刺には顔写真を載せているスペースはない。
しかし、このタイミングでこちらの身元を疑うのは――慎重を通り越して失礼すぎないだろうか。
「それでしたら、あなたが波照間伝馬氏であるという保証もないわけですよね?」
「俺を名指しで呼んでおいて顔を知らない?」
言うと男はそのまま店を出ようとする。
この場合、責められるべきは無論、伝馬の方だろう。しかし絵里子はこの伝馬と交渉しなければならないという義務があり、伝馬には絵里子と話す義務はない。
この状況では、最初から立場の強弱が形成されていたのだ。
絵里子も素早くそれを悟った。
「わ、わかりました。え、ええと……パスポートで」
事態が長引けば就労ビザの手続きも必要になるだろうが、絵里子としては一週間ほどで事態を解決して帰国の予定だ。その為に観光客のようにパスポートを持ち歩いていたのだが、この場合はこれが幸いした。
完全に背を向けていた伝馬だったが、パスポートが出てくるとなると思い直したようだ。
座ることはなかったが、とりあえず絵里子がパスポートを出すまでは待つつもりらしい。
「はい、これです」
「開いて、こちらに見せて」
何とも居丈高な態度だが、パスポートを伝馬に預けてしまうよりはマシだと思い直した。
テーブルの上にパスポートを広げてみせる。
伝馬は写真と絵里子の顔、その他の情報を見比べて、小さくうなずいた。
「なるほど。キッテルセンさんだと確認しました。それでお話は?」
「とりあえずおかけになっては? 少々話が込み入っておりまして」
その絵里子の提案に再びはっきりと眉をしかめる伝馬。
だが提案自体は受け入れるようで、カウンター席からコーヒーカップを持ってきて絵里子の正面に座る。
「……ずっと前からこの店に来られていたんですか?」
「もちろん。ここへの誘い出し自体が悪質なキャッチセールスの可能性がありますから。他に仲間がいないか確認していました」
まったく悪びれもせずに伝馬は絵里子の疑問に答える。
そんな剥き出しの猜疑心に圧倒されながらも、絵里子はある一つの事実に気付く。
(……それだと、一般的な日本の会社であればまだ就業時間から?)
「それで、お話とは?」
荒んだ目つきと共に絵里子の思考を遮るように、先を促す伝馬。
そこには絵里子に対する敬意も尊重もなく、ただただ疎ましさしか感じない。
自分の所属は伝えたはずなのに。
(自分がプレイしているゲームの事を何も知らないのかしら?)
苛立つ絵里子であったが、むしろその方が歓迎すべき事態だと思い直す。
そのぐらいの緩んだ相手であれば、これからの交渉もやりやすいというものだ。
「波照間さんは、現在当社のゲームをご利用いただいておりますね?」
「ええ」
絵里子の直前の予測を裏切るように、伝馬はあっさりと肯定してみせた。
イニック社がどういう企業なのか、自分とどういう関わりを持っているのか、それを目の前の男は認知している。
それなのになぜその企業の社員である自分に対して畏まらないのか。
――たかが廃人ゲーマーのクセに。
「つきましては、それについてご相談が……」
内心がどうでも、それを隠すぐらいの術は身につけている。
笑顔を絶やさぬまま絵里子はやんわりと切り出した。
ヒエラルキー上位者から、優しく導かれればこの程度の男――相変わらずしかめっ面だが。
「あの……」
「続けてください」
さすがに不安に感じて絵里子が確認してみると、少なくとも無視しているわけではないらしい。
この不機嫌そうな表情も生来のもので、こちらが勘違いしているだけの可能性もある。
何しろ伝馬は、この眉間に皺を寄せた以外の表情を未だに見せない。
「――波照間さんがご使用中のID。不都合な事が起きてはいませんでしょうか?」
一応、確認の振りはしてみたが鈴木――絵里子の日本での同僚――の言うことが本当であれば、確実に何かが起こっているはずだ。
ログイン状況だけは把握できている。ゲームをしていないということはあり得ない。
鈴木の言うことが本当であるなら、波照間伝馬は“不都合”を体験しているはずだ。
さすがにここからは相手の反応を見ていかなければ、迂闊に交渉を進められない。
その伝馬は自分が持ってきたコーヒーカップの中をじっと見つめていた。
まるで絵里子の声が聞こえていなかったかのように、どこか魂が抜けているような風情ですらある。「あの……」
「いえ、都合の悪いことは起きていません」
焦れた絵里子が話しかけようとしたところで、その機先を制するように伝馬が口を開いた。
視線はコーヒーカップの中に注がれたままで。
「しかしですね……」
「そちらの仰る“不都合”の内容を具体的に……もしかして俺に不都合があるのではなく、そちらに不都合があるのでは?」
「そ、そんなことは」
「失礼。どうも疑り深くて」
その言葉は謝罪。しかし態度は不遜。
それに、疑り深いのは改めて説明されるまでもない。
「ですがそちらも問題ないと言うことであれば、お互いに問題はなかった――ということで」
再び腰を上げようとする伝馬。
それを止めようと、絵里子も腰を浮かすが――具体的に止める言葉が出てこない。
何しろ、根本的なところを先ほど否定したばかりだ。元のプランではこちらがペースを握り、何らかの保証と引き替えに、IDを手放してもら――いや、手放させる。
そういう段取りだった。
しかし伝馬が無言を押し付けてくることでペースは乱され、イニック社の状況を説明しなければならなくなっている。そういう流れになってしまった。
だが、現状の会社の危機を漏らすわけにもいかない。
そんな風に絵里子が言葉を失い逡巡する中、伝馬が腰を浮かせたまま絵里子に声を掛けてきた。
「……少し、こちらから質問しても?」
明らかに動揺している絵里子に救いの手を差し伸べてくれた――わけでは無さそうだ。
「あ、は、はい!」
とにかく、このまま伝馬を返すわけにはいかない絵里子は渡りに船とばかりに勢い込んで了承してしまった。
「どうやってイニック社は、俺を見つけたんです? 登録の時にそういった個人情報は提示を求められませんでした」
「あ、それはSNSに載せられていた写真から。そして、その写真を掲載した人物との連絡は今でも可能でしたので」
「……どんな写真を?」
「MMORPGのオフ会です。ゲームのタイトルは――」
「それは結構。誰ですか?」
「え……それは」
こちらから明かしていいものなのか。
伝馬が何らかの報復を行うのではないかと、悪い予感しかしない。
「もともとネットで晒されていた写真ですよね? しかも俺の顔が勝手に晒されていた。遠慮はいらないと思います。そもそも、そいつと俺は知り合いじゃないと話がおかしいんですから」
理屈は通っている。
だがそれでも絵里子の心中の不安は晴れない。
「あの……ガナットさん、です」
恐る恐るという感じで、僅かな抵抗の表れか絵里子はその人物が使用していたキャラクターの名を告げた。
掲載されていた写真に付随していた情報だったわけだが、本名を告げるよりも抵抗がなかったからだ。
しかし、ここでも絵里子の認識不足が露見した。
本名よりもキャラクターネームの方が、有効な人種がいるということに。
そして伝馬もまたそういう人種だった。
チッ
わかりやすく舌打ち。
伝馬は一瞬で個人を特定したらしい。
「ぜ、是非とも穏便に……」
何とかフォローを試みる絵里子。
「別に、今更あいつを捕まえてどうこうしようとは思いませんよ。そもそも連絡先も住所も知りません。そろそろ十年ぐらい会ってないんじゃないかな?」
そのフォローに答えるように、素っ気なく答える伝馬。
言葉の内容よりも、その態度で絵里子はホッと胸をなで下ろす。
「……キッテルセンさん」
そんな絵里子に追い打ちをかけるように、名刺を確認しながら伝馬が話しかけてきた。
今までとは違う行動パターン。
何かきっかけがあったか? と絵里子は訝しむが、思い当たる節はない。
「いい大人に対して今更ながらの馬鹿らしい確認なんですが、このままではキッテルセンさんは、この後も俺の前に現れることになるんですか?」
なんとも回りくどい。
一瞬、絵里子は理解を放棄しかけたが、その内容が脳に染みこんでいく内に随分と際どい質問であることに気付く。
(もしかして、気付いている?)
だが質問自体はこれも巧妙に、はい・いいえ、で答えられる内容だった。
「はい、そうなると思います」
弱みを見せないためにも、強い語気を意識して返答する。
「お勧めしません」
それに対して、伝馬は即否定してきた。
「な、何を?」
「その写真が撮影された時期は、俺はイニック社のゲームをプレイしていません。いえ、イニック社がそもそもゲームサービスを開始していなかった」
――寒気を感じた。
言いつくろうことの出来ないミス。
波照間伝馬。
能動的にこちらに質問してきた理由はこれか。
質問としては、当然の疑問だと思われやすい方を表に出して、その裏で確認するべき事を確認していた。
「キッテルセンさん。あなた、この事案に関わるには知識がなさ過ぎます。見通しも甘い」
言われたい放題だが、反論のしようがない。
しかも、悪いことに安易に伝馬と接触する危険性を鈴木に指摘されてもいたのだ。
だが、ここで打ちのめされたまま、何もかもをやり過ごすわけにはいかない。
再度の説得を試みる。
「じ、事情を伏せたのは理由あってのことです。それはもうおわかりなんでしょう? で、あるならば不具合は……」
「不具合はありません。それは先ほども申し上げました。恐らくそちらの最大の懸念は、俺がそちらが言う“不都合”を公表してしまうことなのだと思いますが、俺はそれをする気はありません」
そんな口約束を交わしただけでは、大人の仕事を果たしたことにはならない。
もちろんそれは伝馬も承知の上だろう。
承知の上で、口約束以上の手続きは受け付けないと、そう宣言しているのだ。
それに、問題はそれだけではないのだ。
発生していると鈴木が言い出した“不具合”。
仮に、この“不具合”が“不具合ではなくなっている”場合。
そちらも、よほどの問題なのだ。
「キッテルセンさん、一言だけお礼を」
「はい?」
「俺もよくわからなかった部分があるんですが、これでイニック社の限界はわかりました。これで安心して――」
そこで伝馬は僅かに首をかしげる。
「――理想を追求できる」
「はい? 理想?」
聞き間違いだろうか? と、絵里子は一瞬虚を突かれる。
その瞬間に、伝馬は伝票を持つと身を翻してレジへと向かう。
そしてカウンターに小銭を放り投げるようにして代金を支払うと、あっという間にに夕方の雑踏の中に紛れてしまった。
イニック社。
監査部第三室所属、絵里子・キッテルセン。
――日本での初仕事はかくの如く不首尾に終わった。
*
そもそもの出発点として、イニック社に何が起こっているのか?
ここが当然の疑問になると思うが、実はこの問題は昨日今日発生した問題ではない。
言ってみれば、十年前に設置された時限爆弾が発見された、という表現が一番正しいだろう。
その十年前、イニック社は日本にあったベンチャー企業を買収した。
それを契機にして、元々はコンピューターでもハード関連の企業だったこの北欧の会社はオンラインゲームのサービスを開始した。
ここまでは、さほど珍しくない経営の多角化であった。
ユーザーがゲーム環境を整えるために、元々イニック社が作っていたハードの購入を考えれば、相乗効果も期待できる。
しかし、イニック社はそこから一歩踏み込んだ。
オンラインゲームに最適な、謂わばプログラムの根幹部分を大々的に公開したのだ。
どんな場合でも、基本となるのはキャラクター設計。イニック社はこのキャラクター設計の企画を統一化することで、後は、ファンタジーでも、スペースオペラでも、はたまた時代劇でも。
思いのままに自由に作ることが出来る。
また、このシステムを利用すれば別の利点もあった。
魔法と讃えられ、あるいはやっかまれる、異常なほどの計算速度を誇るデータ処理プログラムの恩恵を受けることが出来るのだ。
これによって自由度はさらに増した。
この技術的なバックアップは、多くの作り手を刺激する。
無論、イニック社も専用の開発ツールを販売するなどしてしっかり利益を上げたりもしたのだが、それでも多くのサードパーティが参入した。
結果、僅か数年の内にイニック社はオンラインゲームという市場の中で、一定の、そして強固なシェアを獲得するに至る。
言うまでもないことだが、そのシェアは今も拡大中だ。
業績も順調、向かうところ敵無しのイニック社。
だが真の勝者とは、勝っているときにこそ油断しないもの。
イニック社首脳部はオンラインゲームを業務の中心とした、再構築を計画。
それによって、候補として挙げられた名前の中に、イニック・ジャパンの鈴木の名前があった。
この鈴木は、イニック社が買収したベンチャー企業の元・社長。
その会社の名前が「ウッドベル」というネーミングセンスからも、その能力値も知れてしまうと言う底の浅い男である。
そのウッドベルを買収するにあたって鈴木が出した条件の一つとして、鈴木の継続的な雇用も含まれていたわけだが、合併以後、何らゲーム部門の発展に寄与しない鈴木をイニック社としては在籍させておくメリットを見出せなかった。
鈴木は訴える。
現在のイニック社の発展の礎となった、キャラクター規格を共通化させるという設計思想と、データ処理プログラムは元々、ウッドベルが所有していたものだ。
それを買収に応じることで提供した自分を切り捨てるのか? と。
これについては完全な事実ながら、イニック社は鈴木をリストラ候補から外そうとはしなかった。
鈴木に関しては、以降も元となったプログラムの発展させるなどの働きを期待していたのだが、鈴木自身にはまったくその気はないようで、当人としてはイニック社が一生自分を養うものだと、勝手に解釈していたらしい。
しかしながら、義理と人情の要素が強い日本企業ならいざ知らず、イニック社にそんな理屈は通じなかった。
だが鈴木は尚も抵抗を試みる。
それは、本来なら鈴木にしても切りたくないカードだったのだろう。
何しろ下手すると、いや下手をしないでも詐欺罪で告訴されること間違い無しの切り札。
――「売却したプログラムにはバグとしか呼びようのないものが含まれている」
バグがあることを知りながら、それを正常なブログラムだと偽って売却。
もはや、どうにも言い逃れは出来ないが、鈴木を訴え、デバッグをして終わり、という判断は下せなかった。
一つには、バグが含まれている部分が、イニックのオンラインゲームの心臓部と言えるデータ処理プログラムと密接に絡みついていること。
迂闊にデバッグ作業をしてしまうと、プログラム自体がエラーを起こしてしまう。
これでは鈴木を訴えることも出来ない。
鈴木を訴えれば、修正不可能なバグがあることを公表することになる。
そうなればもちろん、今度はイニック社が訴えられることになるだろう。
幸い、と言うべきか、鈴木があると訴えた“バグ”は、いきなり停止するとか、そういう突然に破滅をもたらすようなものではなかった。
複数の、ある条件下のプレイヤーが、極端に強い能力を持ったキャラクターを保持している。
これがそのバグの内容だ。
イニック社のオンラインゲームは、基礎部分が共通化しているので、このプレイヤー達は、イニック社のシステムを利用しているゲームに参加すればチートキャラを使えることになる。
言うまでもなく、大問題だ。
サードパーティが提供しているゲームの中には、RMTを積極的に行っているものもある。
それはゲームシステムが公平である、という前提に成り立っているものだ。
だが、そんなプレイヤーが存在することを知られたら、どれほどの騒動が起こるか想像もできない。
それが例え限られた人数だと訴えても、そんなことで収まりが付くものではないだろう。
イニック社は、この状況に対処するために専門部署を立ち上げることを決意。
鈴木は、そもそもの原因に携わっており、イニック社が潰れれば給料を貰えるアテが無くなると言うことで、裏切ることはないと判断され、そのまま事態解決のたの仕事を割り振られることに。
またバグの消失さえ確認できれば、鈴木を改めて訴えることはしない、とこれは書面での誓約書を認めた。
すでに個人で払える賠償金で、収められる事態でないことは明白だったからだ。
それならば鈴木を使い潰した方が良い。
かといって、鈴木の能力に期待するほどイニック社も甘い夢は見ない。
鈴木のアテにならぬ過去の記憶を引きずり出し、監督し、早期に事態の解決を図る。
――それが、絵里子・キッテルセンに与えられた仕事だった。
*
イニック・ジャパン。
名称だけは偉そうだが、イニック社の日本支部、と言ったところが実体に近いだろう。
住所は東京都港区六本木。
もちろん自社ビルなどではなく、オフィスビルの中程の20階に事務所を借りている。
元々、さほどの人数はいらない職種だ。
都合、五人ほどのスタッフのデスクが、十分なスペースを確保しつつランダムに、それでいて外部からすべてを見通すことが出来ないように計算され配置されている。
それぞれのデスクはエアロデザインのパーティションで区分けされ、スタッフのプライベートも保持。
理想よりも、ちょっと上の職場環境と言い切ってしまっても、それが過分と言う評価にはあたらないのではないか。
それでいて床一面はつや消しの黒という、どこか緊張感を要求してくる配色であるところも絵里子の好みだった。
日本に異動と聞かされて想像していた、
「やたらに狭いオフィス。ゴミゴミとした書類の中で、どうにかこうにか端末を開いている」
などというような雰囲気は全くない。
ハード面では完璧な環境と言っても差し支えないだろう。
しかし何と言っても、
「キッテルセン女史、昨日は上手く行きましたかな?」
ソフト面が悪すぎる。
パーティションでそれぞれのデスクが分けられている理由を理解していないのか?
あるいは理解した上で、これほど馴れ馴れしいのか。
まったく鈴木という男は、本当に度し難い。
「失敗しました」
そして、そんな男にこういう報告をしなければならない――いやさせられてしまうのも、改めて最悪だ。
奇妙さを感じるほどになでつけられた髪。真四角の黒フレームの眼鏡。突き出した前歯。
サイズがまったく合っていない、肩パットが浮き上がったちぐはぐ感をさらに助長するスーツ姿。
そして醜く突き出た下腹。
何もかもが“最悪”に収束していく。
「それみたことですか。僕が言った通りでしょう? あの手のプレイヤーが運営が出てきたところで恐れ入るものではないと。ましてやアレは『ドラゴンズ・テンプル』のプレイヤーでしょ? 運営には恨みしかないですよ」
その「ドラゴンズ・テンプル」を運営していたのが、鈴木が代表だった「ウッドベル」ではないか。
人にイヤミを言う前に、自省する心は持ち合わせてはいないのか。
所詮、鈴木は鈴木である。
「大体、アレと会った後にどういう方法でIDの放棄をうなずかせるつもりだったんです? あのバグはこちらからは手出しできないんですよ? IDとパスワードをアレが記憶している限り、絶対的な対処など不可能なのに。まさか記憶消去の手段にアテがあると? わかった催眠術師ですか?」
これだけの長広舌だが、そこにはまったく建設的な要素もなく発展性もない。
自分の優位性が保証されている。
ただ、その一点だけで、絵里子の失敗をほじくり返すことに何の痛痒も感じない。
これだから「ゲーム」などという、無駄そのものの行為に時間を捨ててしまうような、幼児性の抜けない連中は……
絵里子は、改めて自分のゲームに対する認識の正しさを確信した。
それなのになぜ、自分はイニック社などに入社してしまったのか。
そんなことは決まっている。
――他に志望していた会社から軒並み断られてしまったからだ。
自分の方が採用された同期の連中よりも、よほど優秀であったはずなのに、なぜそれを理解しようとしないのか。
未だに自分を不採用にした企業の判断に対しては納得がいかない。
何とかイニック社に採用になって、当初はそれほどゲーム関係とは関わりの薄い、組織を運営するためには不可欠な部門に配属されたのだが――
(日本語が話せることが何のアドバンテージにもなってないじゃない)
むしろ、他の言語で威圧的に話を持っていった方が……
「……それで? ここからどうするんです?」
頭の中に文句を蔓延させて、鈴木の言葉をシャットアウトしていたが、どうやらようやくイヤミを言うのにも飽きたらしい。
単純に疲れただけかも知れないが。
それとも、自分がその後の対策も考えていない無能だとでも思っているのか。
「とりあえず、何の材料もないまま当人に接触することは無駄だとわかりましたので、波照間さんの周囲の状況を調査します」
「……どういう?」
「彼はゲームばかりやってるわけではないでしょう。生きていくために、社会と関わっているはずです。そちらからのアプローチを考えます」
自分自身も他人のものでも“社会的地位”というものを考慮しないのなら、仕方がない。
それがどれほどに大事なことであるかを弁えた人間から波照間伝馬にプレッシャーを掛ける。
具体的に言えば、
「弱みを握って脅す」
になるかも知れないが、鈴木にはそこまで正直になる必要はないだろう。
実際、先ほどの切り返しに対して何ら反応がない。
「それで、ミスター鈴木。あなたはどうするんですか?」
「ぼ、僕ですか?」
「いちいち私が指示を与えなければならないと言うこともないでしょう。具体的にこの事態にどう対処するつもりなんですか? 私の行動に対して批判的であるのならば、もちろん代案はあるのでしょうね」
「え、いや……それは」
「その案に対して支援できるものであればその手続きをしますし、そもそも会社として許可できない場合もあります。必ず私に報告してから実行に移してください」
代案がある、と言う前提で話を進める。
“ない”とは言い出せない状況を先に作ってしまえば、無能は畏まるしかない。
そして鈴木にはもちろん、そんな案はない。
ピタリとその口が閉じられた。
絵里子はわざとらしく溜息を一つ。
「先日の忠告はありがとうございました。ただその時に、代案の一つもあれば私も素直にその忠告を受け入れることも出来たでしょうに、そこが残念です」
「こ、これは驚いたな。僕のせいにするつもりですか」
鈴木の頬が引きつる。
「ミスター鈴木」
そんな鈴木の反応は無視して、絵里子はさらに追い込みを掛ける。
「今更あなたには期待しませんが、仕事をする“フリ”ぐらいはできませんか?」
クビになりたくないと言うのなら、少しぐらいは代償を払って貰おう。
「ぼ、僕にそんな口をきいて……」
「これは確認なんですが」
底の浅い男の切り返しなど、最後まで聞く必要もない。
「あなた方日本人のように、私が会社に絶対の忠誠を誓っているなどと思ったら大間違いです。この会社が潰れれば次の職場を探すだけです。それだけの経験が私にはある。あなたの方がこの会社が潰れた方が深刻な状態になると推測されますが」
つまりは、あの波照間伝馬を“説得”するにはこういう手管でやればいいわけだ。
事実、このリハーサルで鈴木はもはや虫の息だ。
絵里子はとどめを刺すことにした。
「それで、何をするべきか思いつきましたか?」
「……じょ、情報収集」
「私に同行すると?」
「いや……そ、そうだ。僕はゲーム。ゲーム内でアレにアプローチする。僕も情報収集する、キッテルセン女史も情報収集する。相乗効果で、仕事が早く済むかも知れません」
難しい言葉は知っているようだ。
だが提案自体には、確かに有益さが認められる。
絵里子は小さくうなずいて、
「では、情報収集用のキャラクターを手配しましょう。それで、ある程度は効率的に仕事も出来るでしょうし」
ゲームという無益な行為によって、ゲーム内でしか通用しないキャラクターを強化する――時には代金を支払ってまで――行為があるということは絵里子も知識としては知っていた。
そんなプレイヤーの労苦も、運営(イニック社)にしてみればただの数値調整でしかない。
絵里子の口元に冷笑が浮かぶ。
だが、そんな絵里子の提案に鈴木は首を振った。
「いえ。僕のキャラクターで出向きますよ。馴染んだキャラクターの方が使いやすいですし。なによりプレイ時間で不審さを覚えさせませんから」
「プレイ時間? そんなもの……」
外部から見えるような設定のゲームは――
「見抜きますよ、アレなら。そういう種類の人種ですアレは」
それを聞いたとき、絵里子の脳裏に浮かんだ日本語は“同病相憐れむ”だった。
*
もう少し調度品を揃えた方が良い。
俺がこの部屋について思うことはいつも同じだ。
フローリングのリビングルーム。その壁の一面はすべて窓だ。外の風景がパノラマに切り取られている。
しかし、ここは高層マンションのそのまた最上階。
見える風景はと言えば、空、でしかない。遠くに山並みが見える、などという彩りも期待できない。
これならば少しばかり下の階の部屋を買っておくべきだったか。
もちろん窓際に近寄れば階下の街並みを眺めながら、
「愚民共め……」
をやれるわけだが、実際にやったことはない。
せめてソファぐらいは買ってくるか、と俺は小さく呟いた。
部屋だけを買って資金が無くなり、中身が何もないと思われるのも癪だ。
出かけるとなると、少し準備がいる。
ウォークインクローゼットに入り、これだけは潤沢にあるコスチュームを確認。
限定品のスカジャンに、スリムジーンズぐらいが妥当だろうか――いや。
それなりの店で買うつもりだから……バレリアのこちらも限定品のグレーのジャケットに、ネイビーのリネン地のパンツで良いだろう。
あとは時計と、首からは適当に選んだプレートペンダント。
「良し」
小さく呟くと俺は部屋から“ショートカット”を駆使して“外”へと繰り出した。
*
外と言っても、一般的な外ではない。
ここはいわゆる仮想空間。
イニック社が提供する「You Have Control?」という一種のゲーム空間だ。
日本での通称は「ハブコン」が一般的だろう。
とは言ってもクリア目的はなく、ただ漠然とここで生活するだけ、でも一向に構わないゲームで、実のところゲームではない、と言う声もある。
俺もどちらかというと「ハブコン」はゲームではない、と感じている派だ。
もっともそれを強硬に主張するつもりもなく、論争に加わるつもりもない。
ゲームであろうと無かろうと、ここでの生活はそれなりに快適だ。
目指すのは家具店――と、ピンポイントでは考えず狙いは曖昧に商業区画で良いだろう。そこまでのショートカットももちろん実装されているが、あえて使わずに歩いて向かうことにした。
郊外に行けば一戸建ての家屋が売られている住宅地もあるが、俺は利便性を優先させて高層マンションを選んだ。だから、さほどの距離があるわけではないのだが。
……車ぐらい買うか。
ビルの谷間を歩いていると、その殺風景さに少し心がめげる。
大体の場合はショートカットされる場所だからなぁ。どこかのサードパーティがイベントでも企画してくれれば話は別なのだが。
かといって走ってしまうと、わざわざこの不便さを楽しもうとした最初の意図が挫けてしまう。
そんなわけであれこれ葛藤しながら歩いていると、向かう先に人だかりが見えた。
ハブコンではままある光景だ。
案の定、道ばたで他のゲームのアバターの幻影浮かべてる奴がいる。
このハブコンではイニック社のゲームなら、そのプレイヤーの他のゲームでのアバターの幻影を側に浮かべることが出来る。
この機能のそもそもの意図は、手軽な身分証明、ぐらいの物だったらしいが、実際にやってみるとアイドルの私生活にいきなりでくわす……いや変身ヒーローの変身前に遭遇した、と言った方が近いかな?
前後の事情がよくわからないけど、幻影を浮かべた奴が、そこそこの有名プレイヤーだったのだろう。
あのアバターは……「OMM」のプレイヤーだったのか。王道のファンタジーRPGだから初心者プレイヤーも多い。あの状況は一人では出来上がらないし、そういった初心者が有名プレイヤーをハブコンで見つけて取り囲んだのっだろう。
わかってしまえば納得の状況だ。
アレが例えば「BLOCKS」のプレイヤーだったら、その場で殺し合いが始まってもおかしくはない。「ハブコン」では、そもそもキャラクターが死ぬようには出来ていないが――いや、それ以前に「BLOCKS」のプレイヤーは自分から正体を明かしたりはしないだろう。
――イニック社のサードパーティは、なかなか豊かだ。
*
商業区画に向かう前に掲示板に寄ってみる。
ログインすると最初に出現する広場が、掲示板のある区域だ。
今日は直接、銀行に向かってしまったので、確認してなかったんだよな。大金持ち歩くのは、やはり抵抗がある。今から考えれば、あの時に買い物してしまえば良かった。
後悔先に立たず、とはまさにこういう時に使うのだろう。
一番目立つ掲示板に掲載されている主立った物は、各種ゲームのイベントや仕様変更などの告知が主だ。
もちろん、そのゲームにログインすればそういった情報は当たり前のように接することが出来るわけだが、ハブコンの大きな利点は“ログインしなくても”情報に接することが出来る点だ。
その上、実際の参加者――幻影を所持しているかどうかでエアプかどうかは、すぐに見分けが付く――から生の情報に接することも可能であるし。
今も、幻影を浮かべた連中が掲示板の前でたむろしている。
なかなかに邪魔だ。
で、その他のゲームの情報掲示板の脇をずらっと固めるようにして設置されているのが、商業区画に出店している店用にあてがわれた掲示板。
実質上、ウィンドウショッピングならここで可能だろう。実際の商品のグラフィックもここで見ることが出来るわけだし。もちろんこちらでは幻影を出す意味はないわけだが、結構出したままのキャラクターがいる。
ウィンカー出しっぱなしのようで、傍目から見るとなかなか恥ずかしい光景だ。
さて俺が目指すのは、そのどちらでもない。
この「ハブコン」用の掲示板。
……考えてみれば、その掲示板こそが普通のゲームならメインなんだけどな。
この「ハブコン」では仕方のないことだろう。
掲示板区画ではあるものの、隅に追いやられた感のある掲示板へと近付いていく。
メインの掲示板が、大型の有機ELモニターを模した物であるのに比べて、こちらはもろに「黒板」という見た目だ。
必要な規模から考えれば当たり前の話なのだが。
「ハブコン」にいる物は概ね“住所”を持っているからな。
不特定な人物に連絡を取りたいというという動機が、発生しにくい環境でもある。
もっとも、俺はそういった相手から連絡を求められることが多いのだが。
「……あんたがザンバさん?」
ほら、こんな風に。
掲示板の意味はないが、空振りにはならなかったようだ。
吹き出しで俺に尋ねてきた相手の名前を確認――頭上に浮かんでいる――「カイト」とある。
実際の所、俺のキャラクターネームも頭上に表示されているわけだから、わざわざ相手が俺の名前を確認してきたのは、俺が仕事を請け負っている“ザンバ”なのかという確認のためだろう。
「“どれ”だ?」
これで意味が通じないようであれば、正直、俺に仕事を頼むには早すぎる手合いだ。
しかしカイトもそこは心得た物で、即座に幻影を浮かび上がらせる。
それは、頭に鉢金をかぶり刀を差した和を匂わせた姿。恐らくは鎖帷子も着込んでいる。
その装備は少々物々しすぎるような気もするが――
「――“一閃”か」
俺は即座にマウスホイールを操作して、自分の「一閃」のキャラクターの幻影を浮かべた。
俺のキャラクターは藍色の襦袢に銀地の着流し姿。髪は散切り頭。
極力装備品は付けない方針なので、刀以外は目立った装備品はない。
派手に思えるだろうがそれなりの理由がある。
「確かに、ザンバさんだな。仕事を頼みたいんだが、今いいかい?」
俺は溜息を一つ。
俺が買い物できない、本当の理由はこれだな。
*
「ハブコン」から「一閃」へ直接ログイン。
これが出来るのが「ハブコン」の強みだな。
それに連れて、先ほどまで浮かべていた幻影の姿へと自分のキャラクターの姿が変わる。
これを“変身”と呼んで喜ぶ者もいるが、さすがにそこまで無邪気にはなれない。
カイトの方も幻影と同じ姿だ――当たり前だが。
「一閃」というオンラインゲームは、幕末期の日本をモデルにした、実に偏ったゲームだ。
武器の類が、本気で刀しかない。
その代わり流派――メタな事を言うとキャラクターが使えるモーション――が多種多様。
で、その流派には相性があって、ある流派にはメチャクチャ強いけど、ある流派にはメチャクチャ弱い――などというピーキーな流派も……あるにはある。
カイトと並んで出現した場所は――ここは江戸か。遥か彼方に江戸城が見える。
本来はあるはずのない天守閣で、このあたり歴史マニアからは突っ込まれてはいるがランドマークとしては実際優秀だ。
出現ポイントは、かの有名な日本橋の袂。
高札が、一応掲示板代わりであるが、これもまたシンボル的な物で、実際には個々のウィンドウに情報が出てくる仕組みだ。
しかしまぁ……毎度のことだが肩身の狭さを感じる。
キャラクターネームがカタカナのままというのはなぁ。
一応、それを変えることの出来るアイテム(課金)があるのだが、俺は事情があってそれは使っていない。一方のカイトもカタカナ表示のままだが、こちらはあまりこだわりがないのだろう。
このゲームの世界観に浸りたいのではなく、刀での斬り合いに魅了されたタイプか。
「それで、ザンバさん。あんたの流派は?」
何とも単刀直入で、そしてあり得ない質問だ。
流派を自ら教えるような奴はこのゲームにはいない。理由はいちいち説明しなくても良いと思うが。
だが、俺の場合少し事情が違う。
「南戌陽炎流だ」
あっさりと答えたことで、カイトがしばらく動きを止めた。
「……まさか答えるとはな」
自分で聞いておいて、おかしな奴だ。思わず口元に笑みが浮かぶ。
「俺にはあまり関係ないからな」
「どういうことだ?」
「どこか音声チャット出来る場所を用意できないか? さすがにここでベラベラと話す気にはなれないよ」
吹き出し会話では、周囲に筒抜けである。そういう意味でも、カイトの質問はあり得ないわけだが、こいつなりの何かのメソッドがあるのだろう。
しかし、依頼が主目的ならばそういった場所は必要なはずだ。
つまり、もう準備してあると考えて間違いない。
カイトはしばしの硬直の後に――プレイヤーが素で悩んでいるのだろう――思ったよりも早めに答えを返してきた。
「……着いてこい」
何ともまぁ、えらそうな奴だ。
あっさりと流派を答えたことで失望させたのかも知れないが、それはそれで喜ばしいことだ。
何しろ俺の“強さ”について、目撃者にしてもまったく理解されていないということになる。
知れ渡っているのは、俺が――ザンバというキャラクターが――強い、ということだけなのだろう。
そんなことを考えながらカイトの後について、ブラブラと江戸の町を歩いていく。
ちなみに、もう一つの大きな街である京都とは、街並みのグラフィックもちゃんと江戸との違いが再現されている。
そのあたりのこだわりからして、運営があえて江戸城の天守閣を残しているのは、やはりランドマークとしての意味合いなんだろうな。
カイトは川沿いに歩を進め、やがて料亭風の家屋に潜り込んだ。
なるほど、密会にはおあつらえ向きのシチュエーションだな。
元々、密会の為にある施設だが、「一閃」に関して言えば、それ専用と言うことにはならない。
だから、俺が今からやろうとしている事の妨げにはならないはずだ。
「……さて、これでいいか?」
本物の料亭のように、料理が出てくるのを待つ必要はない。
カイトのように、刀での戦闘を重視するタイプとしては、こういう雰囲気造りは枝葉末節に過ぎないのだろう。俺もその流儀には付き合っておく。
声からすると、どうやら女性が男性キャラクターを使用していると言うことでも無さそうだ。
「まず基本的なことから確認したいんだが、そちらは何か知らんが、戦力が必要だ。それは間違いないな?」
なぜ、俺には流派が関係ないのか?
カイトが聞きたいのは、そういうことなのだろうが、それをくどくどと説明する趣味はない。
だから、強制的に向こうにこの前提を納得させる。
このやりとりは何度も繰り返してきたので、俺の中でほとんどマニュアル化していると言っても良い。
「……ああ」
高圧的に出れば、大体の人間は自分が頼み事をしているという事に気付く。
カイトもそれに気付いてくれたらしい。
「じゃあ、重要なのは俺が何の流派なのか、じゃなくて強さだろ?」
「しかし、陽炎流では……」
確かに南戌陽炎流は、初期に選べる三つの流派の内の一つだから大して特色があるわけではない。
しかし、ある流派を選んでしまい、その選択で詰んでしまう、ということではゲームとしての間口が狭すぎる。流派の変更も可能だし、最初の流派が気に入ればそれを突き詰めていくことで相性の悪さをマシにすることも可能だ。
つまり陽炎流も、ちゃんと研鑽を積めば強くなれる流派だが、そこまで持っていくのが大変ということだ。
だから強い陽炎流の使い手というのは、そんなに数はいないんじゃないかな?
それこそNPCとか、運営が準備したキャラクターの方が強いかも知れない。
「じゃあ、試そうか。そっちの流派は言わなくても良い。ここで立ち会おう。俺がそっちに最初の一撃を入れる。それが出来なかったら依頼はなかったことにしてくれて良いし、俺が弱いと言いふらしてくれても良い」
「ふん……だが俺の流派は隠すまでもないんだがな。しかし俺相手に初撃を当てようというのは――」
俺たちは同時に立ち上がった。
「一閃」においては戦闘禁止区域、なるものが極端に少ない。
それこそ“御所”ぐらいしかとっさに思いつかないな。
日本国中テロの嵐だった幕末をモチーフにしているだけあって、あちらこちらで戦闘が起こる。
カイトは、即座に抜刀。
その構えは――なるほど、隠すまでもない、じゃなくて、隠しようがない、だな。
鬼蜻蛉流。
刀を高々と掲げた、独特の構え。
初太刀に一撃必殺をかける、唯一のタメ攻撃ができる流派。普通の刀で受けたら、刀ごと惨殺される事になるだろう。
それを確認して、俺も抜刀する。
――それが俺の“スキル”発動のスイッチ。
*
最悪のゲームとは何か?
色々名前が挙がるだろうが、俺としては「ドラゴンズ・テンプル」を強力に推したい。
恐らく、俺に同意する声は四つしか挙がらないだろうが。
このゲームをまともにプレイしていたのが、俺の他に四人しかいないからだ。
断っておくが、「ドラゴンズ・テンプル」はMMORPGである。
どれほど最悪だったか、これだけで説明し尽くしていると思う。
ただ――
ゲームの内容だけを考えるなら、なかなかに良くできていた。
概略はこうだ。
「ゲーム目的としては竜王の宮殿において重要な位階を占めること。
竜王は倒すべき相手ではなく主君。
この竜王が暴政を敷いているので竜王の無茶ぶりに応えながら位階をあげ、暴政を防ぎつつ竜王の王宮で出世していく。
無茶ぶりに応えるためには、自分たちが強くあらねばならず、またある程度成果が上がると領地を貰えるので、その経営も行わなければならない」
という感じで、いい感じにごった煮のゲームだった。
最終的には竜王討伐とかもイベントに予定されていたのではないかと思うのだが、それは見ることなく終わった。
ゲームを運営していたウッドベルが色々な意味で無茶苦茶な会社だったからだ。
サーバーダウンを繰り返し、育てたキャラのデータが吹っ飛ぶこと数回。
当たり前に参加人数は減っていき、間もなくウッドベルはイニック社に買収される事となる。
で、イニック社は「ドラゴンズ・テンプル」のサービスを継続させる意義を認めなかった。
それも当たり前だろう。
何しろ五人しかプレイしてなかったのだから。
しかし、連中は知らない――知らなかったらしい。
「ドラゴンズ・テンプル」というゲームが最後、大暴走をしていたことを。
度重なるサーバーダウンに対処するため、運営の直接の担当者は、思い切りが良すぎる大鉈を振るった。
いや、もはや魔改造といっても良いだろう。
ゲームのプログラムシステム自体に、俺たち五人のキャラクターデータを組み込んだ――らしい。
いかなるサーバダウンにも動じなくなった不可思議な現象に対する、俺たちの当時の推測だが、ウッドベルのシステムを丸々流用したらしい、イニック社のゲームで俺のキャラクターに起きていることを考えれば、この推測は恐らく当たりだろう。
俺たちは、運営さえも手が出せない領域にキャラクターデータを持っている。
しかも「ドラゴンズ・テンプル」の暴走はこれだけではない。
通常なら多人数でプレイすることが前提のMMOであるのに、参加人数がまさかの五人。
当時のウッドベルを褒めるとするならば、それでも“なんとかしよう”としたことだろうか。
だが方向性を明らかに間違っていた。
通常なら、敵を弱くすればいい。イベントの難易度も下げればいい。
しかし、モチーフである竜に思い入れが強すぎたのか何なのか、ウッドベルはそれをしなかった。
そうなると、もう選択肢としては一つしかない。
――プレイヤーを非常識なほどに強くする。
もちろん“時間”という多大な犠牲を払わなければならなかったが――この当時、ウッドベルは訴えられると敗訴確定なので課金システムを停止していた。ジリ貧の極地だが――キャラクターは超絶的な能力を獲得できた。
そして俺――ザンバのスキルは【剣聖】
剣を装備状態にすると――
*
カイトの動きが止まる。
サーバーダウン――ではない。
これは言うなれば加速。刀を握った俺には世界が止まって見える。
この状況下で、キャラクターを操作しようとすれば、それはいくらゲーム内でのレベルを上げてもどうしようもない。
これを“不具合”と言うならば確かに“不具合”なのだろう。
しかし俺は諦めなかった。
来る日も来る日も訓練を繰り返し――本当に十年ほどの鍛錬の後。
ついに加速状態での“ザンバ”のコントロールに成功した。
おかげで前腕が異様なほど太くなってしまったが、それも今では俺の誇りだ。
精密に、そして大胆に。
俺はザンバを操作し、間合いを詰めると上段から棒立ち状態に見えるカイトの鉢金に一撃。
特に業物ではない俺の刀では、ダメージは通らないが約束は“最初の一撃”だ。
俺は即座に納刀。
「……ぉんだと?」
カイトの声が戻ってくる。
明らかに疑問混じりの声音。しかしカイトにとって肝心なことはそこではないだろう。
「俺が強いのは納得してくれたか?」
確認するまでもないだろう。
だが、ここは強調しておかなければならない。
「あ、ああ……」
「じゃあ、そちらには問題がないはずだ。次の判断は俺に依頼をするかどうかだろ? 俺の強さの理由を探るのはまた別の時にやってくれ。ただし俺から情報が聞き出せると思ったら大間違いだ」
考える暇を与えずに畳みかける為にも。
イベント攻略で助っ人が欲しいというのが、俺に対する依頼の全部といっても良い。
そしてイベントには必ずタイムリミットがある。
優先順位を考えられる奴なら、右手を差し出すことになるはずだ。
「……わかった。あんたの腕を買おう」
しばしの硬直の後、カイトは承諾の返事を送ってきた。
どうやら、概ね想定の範囲内で事が進みそうだ。
家具を買うのはまた今度だな。
俺は諦めと共に、カイトに説明を要求する。一体、俺の強さを何に使うつもりなのか。
よほどの事情がありそうだが「一閃」で進行中のイベントとなると――いや、ここはカイトに全部説明させてみよう。
カイトのゲームに対する姿勢を確認する上でも、その方が良い。
「……で、何が目的だ?」
「実は――」
偶然に授けられたイニック社のゲーム限定の、超絶した力。
俺はこれを使って何をするべきなのか――いや、いまはこの世界を楽しむとしよう。
――それもまた間違いではないはずだ。
なんか、あんまり書いている人いなかったような気がするけど、今まで書いてきたので慣例的に。
検索に引っかかるようにと、このエピソードは、いったん完結済みにしようと考えてます。
そうなると、連作になって、シリーズとしてのタイトルをあらすじに付けたかったんだけど、思いつきませんでした。
「ドラテンシリーズ」
というのも何か違いますし。
では~