~普通の名前~
僕の名前は、普通の名前だ。アキラとかヒロシとか、そんな感じの普通の名前。
正直、もうちょっとカッコイイ名前にして欲しかったなと思う。響とか流星とか大地とか。そうしたら、もっと別の人生を歩んでいたかも知れない。
“名は体を表わす”と言うけれど、僕の人生が普通の人生になったのには、1つにはこの名前が原因なのではないかと思っている。
もっと今どきの“キラキラネーム”とかいう類の名前だったら、ド派手な人生を歩めていたのではないだろうか?
ちょっと想像してみよう。
たとえば、キララ(危羅々)とかいう名前だったとしたら、どうだろう?
生まれた直後から、みんなに注目されていたに違いない。病院でも話題になっていただろう。保育園に通っている時も、他の子のお母さんや保育園の先生から注目を浴びまくっていたに決まっている。
小学校に入ってからも、女の子からモテモテだっただろう。
「キャ~!キララく~ん!」などと黄色い声を上げて追いかけられていたかも知れない。
けれども、そういうのも最初だけで、段々とインパクトが薄れていってしまう可能性もある。人は、何にでも慣れてしまうものだ。さらには、もっと突拍子もない名前の男の子が転校してきたりして、僕の存在感はさらに薄くなる。そう、たとえばインパクト(隠爆斗)君とか、そういったネーミングの子が。
もっと先まで想像してみよう。
若い頃はいいだろう。小学生とか、せいぜい中学生くらいまでは。でも、そういうのも段々と恥ずかしくなってくる。高校生くらいから、自分の名前が嫌になってくる。さらには、大学に進み、就職の面接でも自分の名前を語らなければいけなくなる。
そんな時には、顔から火が出る思いをするだろう。
「親御さんは、どうして、このような名前をつけられたのですか?名前の由来は?」などと面接官に尋ねられたりもする。
僕は、ますます恥ずかしくなる。恥ずかしさで、面接会場から走って逃げ出したくなってしまうだろう。こんな名前をつけられたコトを後悔し、改名したくなる。いっそのこと、死んでやろうかとさえ思うようになる。
仮に、その場はどうにか乗り切ったとしよう。
「いや~、あの時代は、そういう名前が流行っていまして。とにかく、相手の心に残る必要があって。それで、このような名前になったと聞いています。もちろん、僕はこの名前に自信と誇りを持っていますよ!」などと、心にもないことを語り、面接官の印象を良くする。
そうして、見事、希望の会社に就職する。
けれども、災難はまだ続く。結婚する時にも困るだろうし、ちょっとした事件や事故を起こせば、一発で名前を覚えられてしまう。
「次のニュースです。高速道路で玉突き事故が起こり、幸い死者はいませんでしたが、10人が重軽傷を負う事故へと発展いたしました。ケガをしたのは、佐々木危羅々さん、26歳。それから…」などと、ニュースキャスターに読み上げられてしまう。僕にはどうしようもない不可抗力であったとしても、だ。ましてや、事件なんて起こした日には…
考えたくもない。
きっと、自分の子供にはもっと普通の名前をつけるだろう。もしかしたら、孫の名前をつける際にも口出しして、無理矢理にでも平凡な名前にさせてしまうかも。
おじいちゃんになっても、この名前のまま。一生、背負っていかなければならないのだ。
それどころか、お墓に入ってからも、この名前のまま。墓石にも、危羅々とか彫り込まれる。死んでも、この呪いからは逃れられない。
そんな風に考えていくと、実に普通の名前でよかったな、と安堵する。普通が一番。やはり、普通がいい。