~普通の墓~
僕も、そろそろ墓の心配をしなければならない年齢になってきた。
妻とも、そのような話をよくする。
「僕らの年代までは、頻繁に墓参りに行ったりするけれど、子供達はそうじゃないからな~」
「そうね。あの子達も、そういうのを嫌がるから」
「墓掃除をしたり、なんやかんやで手間がかかものな~」
少しの間があって、妻がこんな話題を持ち出してくる。
「そういえば、この前、テレビでやってたんだけど。最近は、お墓を撤去する人も増えてるらしいわよ」
「墓を撤去?それで、どうすんの?」
「それで、中のお骨は、共同墓地なんかに移動させるわけ」
「なるほど」
「それどころか、最初から共同墓地に埋葬してもらう人も増えているらしいわよ」
共同墓地か…
その発想はなかったな。そういうのもいいかも知れないな。元々、墓なんて、そういうものだったのだろうし。1家に1つずつ墓があるだなんて贅沢、ここ100年とか、せいぜい200~300年くらいのものではないのだろうか?それまでは、そこら辺に穴を掘って埋めていただけかも知れないし、それこそ共同墓地のようなものがあって、みんなまとめて埋葬していたのだろう。
「お墓といっても、それっぽくないのも多いのよ。芸術的なデザインのものもあったりして。林の前に、記念碑みたいなのが建っていて、その下に、大勢の人のお骨が納められているわけ」
「そういえば、ヨーロッパの方でも見たコトがあるな。1つの大きなお墓の下に、まとめて何百人も埋葬されていたり。コインロッカーみたいな感じで、1人ずつ納められていたり」
「私達も、そういうのにしましょうか?それだと、お金も最初だけで、後の管理費みたいなのは一切必要ないみたいだし」
「そうだな。ちょっと考えてみるか…」
文明や文化などというモノは、時代と共に移り変わっていく。
墓の形も、それぞれ。時代と共に、その埋葬法も変化していくものなのだろう。それが、新しい時代の“普通”であるならば。僕らも、それに適応していかなければならないだろう。
“立つ鳥、跡を濁さず”などという言葉もある。
子孫に面倒ごとを残さずに死んでゆく。そういうのも1つのこの世の去り方であり、墓の形でもあるのだろう。




