~普通の葬式~
父親が死んだ。
まだ70手前であった。年金を貰い始めたばかりの年齢。日本人の平均寿命からすれば、10年以上も短い。やはり、バイクで事故に遭ったのが寿命を縮めてしまったのかも知れない。これから、まだまだやりたいコトもあっただろうに。
喪主は、母親が務めた。僕も、代表で挨拶をした。
不思議と涙は出なかった。「仕方がないかな」という思いが、心のどこかにあったのだろう。晩年は、床に伏せってばかりだった。亡くなる2~3年前に、肺にガンが見つかり、結局、完治することはなかった。それどころか、最後にはアチコチに転移してしまい、手の施しようがなくなってしまっていた。手術をしても無駄。薬も効かなかった。
なので、「もう、仕方がないかな」という思いがあったのだ。母親も覚悟を決めていたようだ。父親が息を引き取ると、直後にパッと立ち上がり、テキパキと準備を始めた。
汚物の処理などだ。すぐに始めなければ、すぐに死体が硬直してしまい、面倒なことになってしまう。非情なようだが、仕方がない。僕の母親は、その辺りはシッカリした人である。また、そういった知識も持ち合わせていた。
葬儀は地味なものだった。生前に父親が、そう望んでいたのだ。
出席者は、わずかな人数に限られた。近い親族のみ。友人や近所の人などは全く呼ばず。花も、菊は飾らない。どういうわけだか、わからないが、父親がそう望んだのだ。
「菊の花だなんて、いかにも葬式っぽくて良くない。そういう辛気臭いのは嫌だ。もっと明るい感じでやってくれ。決して派手でなくていい。ただ、暗くはしないでくれ」
そう頼まれていたので、花も近所の花屋で普通に買えるようなものをメインで棺桶を飾った。
さすがに、お経だけはどうしようもなかった。辛気臭かろうが、そうでなかろうが、お経だけはあげてもらわないわけにはいかない。その代わりに、それが終わった後に、少し明るめの曲をCDプレイヤーを使って流した。生きている時に、父親がよく聞いていた歌手の曲だ。
いくらか変わっている部分もあったが、それでも全体的には普通の葬式と言ってもよかっただろう。
その後も、遺体を火葬場に運び、普通に火葬してもらった。
「ここがノドボトケの部分です」と、火葬場の人が説明してくれて、「ほほう」などと、皆が感心する。あの謎の儀式も無事に済ませた。
実は、父親自身は、「遺骨を海にばらまいてくれ」などと語っていたのだが、残念ながら、その夢はかなえてやれなかった。どうやら、日本にはそういうコトをやってはならぬという法律が存在しているらしい。実際に所、よくわからないのだが、親戚一同にそう説得されて、父親の願いはかなえてやれなかった。
後から友人に尋ねると「そういう場合は、特例的に大丈夫らしいよ」などと話していたので、法律的には認められているのかも知れない。
今になって思えば、「少々ルール違反をしてでも、父親の願い通りにしてやれば良かったな」と後悔している。
僕の葬儀は、どのようなものになるのだろう?
別に、さしてこだわりわない。父親の時と同じか、それ以上に質素なモノでも構わないと思っている。人間、死んでしまえば、おしまいだ。後のコトなど関係はない。
僕は、そのように考える。




