~普通の夜逃げ~
中学の時の同級生に、三舟君というのがいた。
三舟君の家は、“天光山”という名の焼き肉屋をやっていた。天光山は、普通の焼き肉屋だった。値段は高かったが、味は良いと近所でも評判だった。そういう意味では、普通の焼き肉屋ではなくて、特別な焼き肉屋だったのかも知れない。
僕の家族も、1度だけ食べに行ったことがあったが、お腹いっぱい食べたわけでもないのに、家族4人で2万円もかかってしまった。おかげで、味の方は忘れてしまった。確かに美味しかったような気もするし、そうでなかったような気もする。とにかく、値段の割に合っていなかったと記憶している。
ああいうのは、お金持ちが行く店なのだ。僕の家は、どちらかといえば貧乏だったので、高くても味がいい店などというのには縁がない。それだったら、庭で炭火を使って肉でも焼いた方がいい。
僕の家には庭があった。というか、今でもある。小さいけれども、家族で焼き肉をするくらいのスペースはある。普通の人ならば、住宅街で焼き肉だなんて、近所迷惑だとかなんとか感じるかも知れない。だが、僕のお父さんは、田舎者だったので、そういうのにあまりこだわらない。そういう部分は、普通でなかったのかも知れない。きっと、田舎の人の普通と、街の人の普通では、普通の感覚が違うのだろう。
僕のお母さんも、似たようなものだった。だから、庭で焼き肉をするのに反対はしなかったし、それどころか積極的に協力した。スーパーで安いお肉を買ってきて、その何倍もの野菜を用意した。買ってきた野菜もあれば、畑で取れた野菜もあった。僕の家は、田舎に小さな畑を持っていたので、そこでいくらかの作物を育てていたのだ。
「さあさあ、野菜を食べなさい!お肉を一切れ食べたら、最低でもその倍は野菜を食べるのよ」
それが、お母さんの口癖だった。倍どころか、3倍も4倍も野菜は用意されていた。仕方がないので、僕は野菜メインで口に運んでいく。お肉はちょっとだけ。
おっと、今回は焼き肉の話ではなかった。そうそう、夜逃げの話だ。
天光山という焼き肉屋は、今はもう存在しない。ある日、突然、三舟君一家が夜逃げしてしまったのだ。夜逃げだなんて、映画やドラマの中の出来事だと思っていたのだが、そうではなかったのだ。現実に、三舟君一家は、突然、失踪した。ドロンと消えてしまったのだ。
近所の人達が、こんな風に噂していたのを覚えている。
「まあまあ、結構儲かってそうだったのにね」
「味は良かったのに。やっぱり、値段かしらね」
「そうねぇ。ちょっと高かったものね~」
「けど、あそこの旦那さん、ギャンブル好きで、競馬や競艇なんかに手を出してたって聞くわ。借金も、かなりあったんじゃないかしら?」
実際は、どうかは知らない。真相は闇の中だ。ただ、「夜逃げという行為は世間一般に普通に存在しているものなのだな」と、その頃の僕は妙に感心したのを覚えている。




