~普通の古本屋~
僕の家の近所には古本屋がないという話は以前にしたと思う。
全くないわけではないのだけれども、少なくとも歩いて行くには骨の折れる距離にしか存在しない。それも、大型の全国チェーンの古本屋だ。昔ながらの古本屋というのは全滅してしまった。
なので、今回する話は、最近の出来事ではない。もう何年も前に僕が経験した古本屋にまつわる話。何年前になるかも忘れてしまったくらい昔の話である。
ある時、僕は近所を散歩していた。そうして、古本屋の前を通りかかった時、ふと入ってみたくなった。
「そういえば、ここ、子供の頃に時々来ていたな。どうなっているか、ひさびさに見てみるか」
そうのような思いからだったと記憶している。
実際に店内を歩いてみると、子供の頃と何も変わってはいなかった。「並んでいる本の品揃えさえ何1つ変わってはいないのではないだろうか?」そのような錯覚に陥ってしまいそうになるくらいであった。
そうして、店内をブラリと一周し、「何も買わずに出るのも悪いか」と思い、昔の日本文学を何作か手にし、レジへと向った。
すると、レジのオヤジが、こう声をかけてきたのだ。
「珍しいですね」
「え?」と、僕は疑問の声を上げた。店のオヤジが言っている意味がわからなかったのだ。一瞬、「ひさしぶりの来店で、珍しいですね」という意味かとも思ったが、そうではなかった。さすがに、子供時代の僕の顔を覚えていたわけではなかったらしい。
「こういった本を買って行かれるお客さんも目に見えて減ってしまいましてね。それで、珍しいな、と」
そう、店のオヤジは説明してくれた。
「ああ…」と、僕はなんともいえない返事をする。
この手の日本文学を購入していく客が珍しいという意味だったのだ。
続けて、こう尋ねてみる。
「売れませんか?この時代の作家は?」
「売れませんね。もうサッパリです。昔の作家は、もう…」
僕は、さらに尋ねてみる。
「安部公房なんかも?」
「安部公房…昔は、よく売れましたがね。『砂の女』くらいですかね。あとは、『壁』とか『箱男』なんかが、たまに出るくらいで。他は、もう全然。全集なんかも揃えてあるんですが、値段も高いですしね。一向に動く気配がありませんよ。いい全集なんですけど」
「寺山修司や三島由紀夫は?」
「寺山!これは、まだ売れますね。時代を越えて売れ続けてます。とはいえ、昔に比べば随分と数は減ってしまいましたけどね。三島なんかは、もうそんなでもないですね」
「あとは?」
「あとは…そうですね。さすがに、漱石やら芥川なんかは、売れますけどね。今でも高校生なんかがちょくちょく買っていきますよ。おそらく、学校の教科書なんかに載ってるんでしょう。授業でやって興味が出てきて読んでみるのか。泉鏡花やら尾崎紅葉やら、こういうのは、もう全く動きませんわ」
「昔は、売れてた?」
「昔はね。そりゃ、もう。コンスタントに売れてましたよ。時代の流れってヤツでしょうね。ちょっと難しいと、もう手にとってもらえない。昔ながらのファンはいても、そういった人達は、もうみんな家の本棚に揃えちゃってますからね。とにかく、新規のお客さんが入ってこない」
「外国文学なんかも?」
「外国文学?」
「たとえば、レイ・ブラッドベリとか」
「レイ・ブラッドベリ!私も、好きでよく読んでいましたよ。最近は、全くですね。海外SFなんかは、全然売れない。元から、そんなに売れるジャンルでもありませんでしたが、それに輪をかけて売れなくなってしまいました」
「じゃあ、外国の翻訳モノは全く?」
「そりゃ、有名どこは、ちったぁ売れますよ。ミヒャエル・エンデだとか、マーク・トゥエインだとか、そのくらいのレベルになれば。それも、代表作の1作か2作だけですね。他は全く。いい本も多いんですけどね」
「じゃあ、経営も大変ですね」
「この手の商売は、昔からそうでしたけど。それにしてもね。大型の古本屋も出店してきたし。この店も、そろそろ終わりかな、なんて…」
「そうですか。それは残念ですね」
「ま、よかったら、たまにでもいいんで足を運んでくださいよ」
そんな風にして、店のオヤジとの会話は終わった。
その後、僕は何度かその古本屋に通ったが、何かの事情で忙しくなって、それっきりその店の存在そのものを忘れてしまっていた。そうして、気づいた時には、店はなくなっていた。




