6話 どうやら俺は謀られたらしい
皆さん、お久し振りです。暫く小説に手が付けられない状態が続き、約一ヶ月も更新出来ないという事態になってしまいました。不定期更新ですが、今後とも宜しくお願いします。
注:今回、バイト先のキャラがわんさか出てきます。約九千文字です。頑張って読んで下さい。
前回のあらすじ
無事?、春ちゃんと春香ちゃんを合流させ、学園まで送り届けました。
Blüteは、駅前にある俺のバイト先であり、客層も広くそれなりに繁盛している喫茶店だ。この店の特徴は、何かとイベントが多いこと、ポイントを溜めれば特別なことができること、そして——
「…お、お帰りなさいませ、ご主人さま」
制服と言葉使いがちょっと特殊なこと…。
俺は作り笑顔に崩れた笑みと汗を浮かべて、何時もより甲高い声で客である三郎にそう言う。
「あはははは、やけに遅いなと思ったらなんだその姿はっ!! お前だけ特別仕様かよっ!!」
三郎はメガネの奥から大量の涙を振り撒いて俺を指差しながら爆笑する。
「ご主人さま、店内ではどうかお静かにお願いします。……それに仕様がないだろ。若の提案だし、遅れて来た俺にも非はあるんだ。無下に断ることなんてできない」
一文言うと、俺は態度を崩して素に戻って話す。
「おっと、ご主人さまに対してその口調はなんだ。メイドならメイドらしく、しっかりご主人さまにご奉仕しろっ!! それにその姿の時は俺じゃなくて私にしろっ!! 声も女らしくしろっ!!」
コイツ殴りてー。今すぐにでも路地裏に引き摺り込んでボコボコにしてー。
俺はヴィクトリアンメイド服を着ながら、力を込めて拳を固く握る。何故俺がこんな服を着てるのかというと———————
「遅くなって済みません。たった今来ましたっ!!」
春ちゃん達を学園まで送り届けた後、急いでバイト先へと向かった俺は、難なく辿り着いた喫茶店の裏口から店内のスタッフルームに入り挨拶をする。
「シキちゃん今来たのね。ご苦労さま」
その場に居たメイド服を着た若がこっちを向いて出迎えてくれる。
「はい、直ぐに着替えて入りますね」
俺は荷物をロッカーに投げ込み、制服を手に取ろうとする。しかし、若がそれを止める。
「シキちゃん、ちょっと待ってね。…はい、今日はこれを着て接客して下さい♪」
そう言って渡してきたのは、フレンチメイド服だった。
血の気がサーーーッっと引き、今直ぐに吐血してもおかしくないくらいの不快が込み上げてくる。
「……あの、若…これは一体……」
「皆にね、シキちゃんが遅れることをお知らせしたら————
『毎度のことだが、これは少し罰が必要だな』や、
『アイツまた遅れるのか。たくっ、穴埋めするのは俺達なのに、…何か見返りがないとやってられねーな』や、
『じゃあ、いっそのことシキちゃんにはメイド服を着てもらいましょう!シキちゃんのメイド姿はご主人さま達にも人気ですから一石二鳥ですよね♪』、
————っていう話になったんですよ」
若は俺がメイド服を着ることになった経緯をニコニコしながら話してくれたが、一つだけ気になることがある。
「待って下さい。最後の台詞は若のものですよね?」
「ええ、そうですけど、それがどうかしましたか?」
やっぱり若だったか……こんなとんでも発言するのは彼女だけだもんなぁ。結局のところ、全て若の仕業という訳か……。
「はぁ、仕様がないですね。遅れて来た自分にも非はありますし、“心底”嫌ですが今日はメイド服でやりますよ。ただしロングドレスのヴィクトリアン型でお願いします。それだけは絶対に譲れません」
俺は右手で口を押さえて吐くのを我慢しながらそう答えた。
———————という遣り取りがあったからだ。
この店の制服は女性はメイド服、男性は執事服。俗に言うメイド喫茶や執事喫茶の要素を組み合わせた使用人喫茶的な店が、このブリューテなのだ。
「それにしてもお前もよくこの店でバイトしてるよな。事あるごとに女装させられては血反吐吐いてるのに」
「待遇も良いですし、皆さんとても私に良くして下さいますから。…ただそのお蔭で男として失ってるモノが多い気がしますが……」
「ここ一年で高い声も話し方も仕草もすっかり板が付いて、女装させたら女にしか見えねーもんな。ま、それとは別にお前がこの店でバイトしてくれたお蔭で、オレは運命の出会いができたから感謝してるがな」
そう、三郎は最初こそ俺がバイトを始めたからこの喫茶店に来てみたものの、そこである女性に一目惚れしてしまい、今や彼女を見る為に此処に入り浸るようになっている。そして、その女性というのが……。
俺は目線を彼女に向ける。
そこには背中まで伸びた黒髪をそのまま垂らしてフレンチメイド服を着ている女性と、オレンジ髪をビンビンに逆立たせた執事服を着た男性が、いがみ合っている。何時ものことだ。
女性の名前は、河内静。プライドが高く、なんでも一人でこなそうとする、ちょっと心配な人だ。その所為か、努力を惜しまないが、それを隠してるようだ。バレバレだけど。
男性の方は、平野清。頭は切れるし、顔も良い。街中を一人で歩いてたら、女性に声を掛けられたこともそれなりにあるらしい。ただ欠点があるとすれば、一見クールそうに見えてその実、喜怒哀楽が激しく、感情が直ぐ表に出ることぐらいだ。
詳しくは知らないけど、彼女達は昔からの幼馴染の腐れ縁らしい。そして、何かとよく言い合いになる、犬猿の仲でもある。まぁ、俺から見ればキヨさんの照れ隠しが原因で言い合いに発展してるようにしか見えないが。
「シズカ様~、やっぱりオレには貴女しかいない」
ブリューテのもう一つの特徴。使用人にはそれぞれ名称が付けられてることだ。俺は“シキ”。店長の蘇芳若葉は“若”。“シズカ”、“キヨ”等がそれに当たる。
個人情報はトップシークレットなので、三郎に彼女のことを質問されても何も答えることはできないし、答える気もない。三郎もそれは重々承知しているので、そんな愚行はしてこない。
「そこまで仰るなら、告白なされば良いではありませんか。何故、そうなさらないのですか?」
俺はあくまで仕事の一つのとしてメイドに成り切り、三郎に質問する。
「それは主従関係を崩しかねない行動だ! そんなこと、主人たるこのオレが易々する訳にはいかない。主人とはいくらヘンタイで三流だろうと、自分に使える使用人の前では常に一流で頼れるご主人さまでなければならないのだっ!!」
三郎はあくまでおちゃらけてそう答える。
聞いた俺が莫迦だった。だけど、俺の質問には答えてないが、上に立つ者の心構えとしては、案外間違ってもいないのかもしれない。指導者が公衆の面前でしっかりしていなければ示しがつかないし、それだけで部下の士気の上下が激しくなる。
「…その前に、俺は彼女のことを何も知らない。ただの一目惚れで告白するのはバカがやることだ。そんなものは、もしOKされても長く続かない。先ずは、互いを良く知り合わないと話にならないとオレは思う。…ま、一度も声を掛けられないオレが言えることじゃないけどな、ははっ………」
三郎が意外にも真面目な顔と声で苦笑いしながら続けて言う。
こいつがこんなにも真剣になるのも久し振りだな。ここ一年の付き合いだけどそんな三郎は滅多に見ない。それぐらい彼女ことを想ってるってことか。健気だねぇ……あっ、そうだ!
「ご主人さま、私はこれで下がらせていただきます。代わりの者を直ぐに向かわせますので、少々お待ちを」
「? …あ、ああ」
要らぬ良心と悪戯心が身体を動かし、俺は目標の元へ向かう。
「お二人共、失礼します。痴話喧嘩はそれくらいにして仕事に戻って下さい。シズカさん、オーダーです。17番テーブルのご主人さまです」
17番テーブルに座っているのは三郎ただ一人。つまり、俺の要らね良心とは、一度も対面していない二人を鉢合わせてみようということ。悪戯心とは、その後起こるであろう三郎のテンパり具合を観たい気持ちだ。
「…シキ……その格好はもしかして私達の所為か?」
「…その……なんかゴメンな。俺達がそうさせたみたいで……」
喧嘩を中断されて怒りの矛先が俺に向けられるが、俺のメイド姿を見て一瞬で怒気が霧散する二人。
「二人共気にしないで下さい。元を正せば俺の所為。次に、一人で暴走して勝手に決めた若の所為です。そんな顔されると俺が困ります。さ、仕事に戻って下さい」
「わ、分かった。私も余り気にしないように善処する。だからお前も成るべく気にするな」
「ははは……ダイジョウブデスヨ。…ココに来てジョソウさせられるようにナッテから、感情をカットデキルようになりましたカラ……」
「…片言だが、本当に大丈夫か?」
「シンパイハムヨウデス。…だkaラ、どうかモウ聞カnaいでクダさi」
「…了解した。…17番テーブルのご主人さまだな。待たせちゃ悪いから、私は仕事に戻るぞ…」
シズカさんは逃げるようにそそくさと三郎の元へ向かって行く。
……はハッ、daイじょうぶ。ダイジョウブ。だいじょうぶ。大丈夫。……だから、どうかお願い。もう格好については何も言わないで……。
カットできるのにも限度がある。そんな過度に指摘されたら、メーターだって直ぐに振り切れますとも…ええ……。
「シキちゃーん。てっちゃん達だけじゃ、オーダー間に合わないみたいだから厨房入ってー」
スタッフルームから若の声が届く。この時間帯は休憩とかで来店してくる奥さま方が多い為、注文量が多くなる。この店のシェフは二人しかいないから、忙しくて二人では対応できない時、それなりに料理ができる俺が厨房に加わることになっている。
「はい、只今ー。ではキヨさんも仕事に戻って下さいね」
「お、おう」
俺は身を翻して厨房へ向かう。
ブリューテの料理人その一、通称“鉄人”こと“てっちゃん”。本名鉄鋼。名前とは裏腹に温和な性格で、常に笑ってる人だ。その実かなりの超人で、何事も「何とかなる」とか言って何とかしてしまう人。
…………。
人手が足りない時も何とかしろよ。
「やぁ、シキ君。何か不満気のある顔だね。そんなに女装が嫌かい?」
コウさんは俺に気付いたらしく、料理をしながら顔をこっちに向けて声を掛けてきた。顔に出ていたか……。
「それも大いに不満はありますが、それとは別ですね」
「じゃあ何に不満なのか当ててみよっか。『人手が足りない時も、何時ものように自分で何とかしろよ』、でしょ」
コウさんは相変わらずの笑顔で、人差し指を立てながら答える。今日も超人は健在だ。料理ちゃんと見ろよ。
「気のせいじゃないですか。俺がそう思う根拠がありません」
「どうかな。案外あったりして」
「そうかもしれませんね。そんなことより、何作るのか言って下さい。忙しくて俺を呼んだのに、料理しないなんて本末転倒です」
この人の対処方は、真面に付き合わないこと。正面からではどう足掻いても勝てない。だから、全てをあやふやにして真実を隠すことが重要だ。
この人はまるで水。少しでも罅割れた所があれば悠々と入り込んでくる。だから、ダミーを幾つも作って真実を探られないようにしなければ、真面に話をすることさえできなくなる。
「それもそうだね。じゃあ、パフェ作って。抹茶、ティラミス、ストロベリーを一つずつ。あとタルト台とスポンジも作って。タルトの生地と型は冷蔵庫の中に入ってるから。数も冷蔵庫にメモ貼り付けてあるから、それ見て」
「やけに量が多いですね」
「若葉が、罰としてシキ君を女装させるって言ってたからね。僕もそれに便乗してみた♪ ストックが足りないからよろしくね。……まさかシキ君が、この程度のことをできないなんて言わないよね?」
この人は本当に……。この状況を利用して自分の仕事を押し付けるとは……。しかも、煽りのおまけ付き。第一、料理関係でできないなんて言うのは俺のプライドが許せないし、十分できる量だ。それに、きっとコウさんはできると言った時の対応もイメージしてる。それも、俺が態と言ってるのを知っておきながら。
「それなら仕様がない。これ以上痛い目には遭いたくないですからね。この程度で済んでると思って、喜んでやらせてもらいましょう」
「へぇ~、頼みすぎたと思ったから、減らそうとしたんだけど、どうやら無用みたいだね。じゃ、ヨロシクー」
コウさんは笑顔でそう言って、料理に専念し始めた。
……コノヤロウ。
「さ、シキ君。量も多いですから手早くやりましょう」
「!」
いきなり横から声がした。そこには、この店の料理人その二が居た。
蒼崎彩子。それが彼女の名前。ブリューテ内で数少ない常識人。実際に几帳面で強かな性格をしている。それを表したかのように、ヴィクトリアンメイド服を身に纏い、髪をポニーテールで一纏めに括っている。唯、この人には重大な欠点がある。それは———
「アヤさん。何時からそこに居たんですか?」
「何時からって。最初から居ましたよ。てっちゃんの隣に」
凄く影が薄いことだ。
「あっ、シキ君、シキ君。さっき言った注文、彩子と一緒にやってね。くれぐれも気付かないで一人でやっちゃわないようにね」
コウさんが遅い付け加えをする。
結局はこの人の脚本通り、いいように踊らされてた訳か……。
「……了解です。アヤさん、先ずはパフェからやりましょう。俺は抹茶とティラミスをやります」
「分かりました。では、私はストロベリーを。終わったらタルト台を作ります。あと、鋼君のことは余り気にしないでね。唯、楽しんでるだけだから」
「分かってますよ」
一通りの作業分担をした後、アヤさんがコウさんをフォローする。驚いたことに、アヤさん、コウさん、若は幼馴染らしい。三人共年齢は違うが、昔から仲が良いらしく、若の喫茶店設立に付き合ったのもこの二人らしい。長い付き合いもあり、どうやらお互いのことは熟知しており、コウさんも二人には頭が上がらない様だ。
俺達は作業を開始する。パフェ用のグラスを用意し、その中に抹茶ゼリーやバニラアイス、粒餡を入れていく。最後に抹茶アイス、白玉、粒餡で飾り、黒蜜を垂らして抹茶パフェの完成。続いてティラミスパフェも完成させる。
パフェ二つを作り終え、スポンジに取り掛かろうとした時、裏口が開き、バタンッと勢い良く閉じられる音がした。気になった俺は、スタッフルームに顔を出す。そこには、悶々とした様子のフレンチメイド服を着た卯が居た。
実は卯もこの店でバイトしている。俺とほぼ同時期に……。どうしてかは教えてくれなかった。
「ウサギ、何か久し振り。今まで何処に行ってたんだ? バイト中だろ」
「うるさい。別に何処に行っててもいいでしょ。奏馬こそどこで油売ってたの。それに久し振りって何? 今朝会ったばかりだけど」
幼児化してる時とは打って変わって、これが通常時の暁卯。ちょっと棘のある口調が特徴的な、俺の小っこい幼馴染。
「油売ってたって、迷子を目的の場所まで送ってたんだよ。久し振りってのは、今日一日がとても濃かったからかな? 二ヶ月ぐらい会ってない気分なんだ」
「訳分かんない」
「で、ウサギは何処行ってたんだ?」
「何処でもいいって言ったでしょ。奏馬には関係ない」
平行線だなぁ。卯も場所を言う気はないらしいし、どうした事か……。
「嘘はいけませんよ、アキちゃん♪」
「きゃっ」
「!」
突然、何処ともなく若が飛び出てきて言葉を吐く。
この人はいきなり出てくるからびっくりするんだよなぁ……。
「嘘ってなんですか? 若は、卯が何処に行ってたのか知ってるんですか?」
「勿論知ってますよ。何せアキちゃんは、私に断って外に出てったんですから」
「わ、若っ、このことは奏馬には言わないって約束でしょっ!」
卯は少し焦った様子で言う。俺に隠さなきゃいけないことって何だ。
「そうでしたね。ではこの話はこれで終わりにしておきますね。さ、仕事しましょ」
「分かりました。すぐ戻ります」
そう言って卯はスタッフルームから出て行く。
「え?」
もしかして話これで終わり? まだ何も解決しないまま、寧ろモヤモヤが増えて終了ですか……。
卯が立ち去った後、呆然と突っ立っていた俺に若が耳打ちする。
「言わない約束ですけど、頑張ってる女の子の為に言っちゃいますね。アキちゃんは、シキちゃんが罰で女装することを知って、そうさせない為に私に断りを入れて外に出て行ったんですよ。シキちゃんを捜す為に、ね」
なるほど、確かにそれなら卯が話したがらないのも当然だ。そんなこと恥ずかしくて話したくない。何たって、目標が目の前に居るのだから。しかも女装した姿で……。後でお礼を言わなきゃいけないな。結果はどうであれ、俺の為に奔走してくれたんだから。
「ふふふっ、愛されてますねシキちゃん♪」
若はその言葉だけを残して行ってしまった。
顔が少し紅い気がする。
そう自覚した瞬間、自分に反吐が出た。
…自分の仕事をして冷静になろう。
九時半を過ぎ、ブリューテが閉店し、後片付けをする。店を出る頃には時計の短針は10を指すか否かまでになる。俺と卯は帰路に就き同じ道を歩く。
「今日は疲れたなー。学校でもブリューテでも濃い一日だった」
「そういえば、転入生二人共、奏馬のクラスに入ったんだよね。活発そうな人と静かそうな人」
「見たのか?」
俺は少し意外に思い質問する。
「奏馬を迎えに行ったら、たまたま見つけただけ。奏馬は居なかったけど…」
「ごめん。クラスの男子共に追われてたんだ」
「また何かあったの?」
「ああ、…実は…転入生二人の世話係をやることになったんだ。しかも、席が隣同士……」
「何故?」
卯が少しムスッっとして疑問を投げ掛けてくる。
「分からん。理事長命令だ。署名と公印付きで渡されたよ」
「ふぅ~ん」
やはり何処かスッキリしてない様だ。顔が剥れてる。話題を変えなければ。
「ウサギのクラスはどうだった? 誰か知り合いでも居たか?」
「…琴音が居た」
「あー、理事長の娘にして生徒会長の小鳥遊琴音さんね。彼女、お前とは仲良いけど、俺のこと何故か目の敵にしてるからなぁー。少し苦手なんだよな」
「私もそのことについて聞いてみたけど、答えてくれなかった。何でだろう?」
「俺に聞かれてもな…一番知りたいのは俺だし」
何とか話は逸らせたらしい。彼女にさっきまでの表情は既にない。
暫く話していると、卯の家まで来てしまった。シフトが重なってる時は、卯を家まで送ることが俺の日課になっている。
「じゃ、日曜日にまた」
「おう、おやすみ。…卯、今日はありがとな」
「…何? 急に」
暗くて良く見えなかったが、心なしか卯の顔が紅い気がする。色々とばれたかも知れない。
「何でもない。唯、言いたくなっただけだ。気にするな」
「…そう。おやすみ、奏馬」
「ああ、おやすみ、卯」
卯も送ったことだし、俺も帰りますか。
今俺は家の、いや屋敷の前に居る。そして今現在、俺は不思議な出来事に出会っている。…何故、一人暮らしの俺の屋敷に明かりが点いてるんでしょう? 主は只今帰宅というのに…。
泥棒だとしたら、かなり大胆奴だな。ま、残念なことに、俺の家は見て呉れだけの張りぼて屋敷。余り高価と呼べる物を置いていない。唯一高価と呼べる屋敷も、流石の泥棒も持ち帰ることは不可能な筈だ。
過去何度か泥棒に入られたことはあったが、全て自力で撃退している。どうせ今回も大したことはないだろう。
俺は何時ものように玄関へ向かい、扉に耳を当て聞き耳を立てる。
人の気配はしないな、どうやらエントランスホールに人はいないようだ。
静かに玄関の扉を開いて屋敷内に入ろうとする。しかし、目の前には段ボール箱が積み重なり絶壁として立ち塞がりそれを阻む。
「な、何だこれは」
予想外の事態に思わず声を漏らす。
そこに、コツコツと人の歩く音がホール内に響く。その音で我を取り戻し身構える。そして、目の前の三個積み重なった段ボール箱が、「よっ」という女性の声と共に持ち上げられる。何処かへ移動させるのか、持ち上げた分を引き抜いて、移動しようとしている。そして、ようやく段ボール箱を持ち上げた人物を目の当たりに見る。その人物は——
「って何で、夏姫が俺の家に居るんだよっ!!」
「わひゃぁっ!」
奇妙な悲鳴と共に夏姫が飛び跳ねてこっちを見る。
「何だ、奏馬かよっ。いきなり驚かせんじゃねーよっ!」
「驚いたのはこっちだわっ!! 何でお前が此処に居んだよっ」
「…もしかしてお前、何も聞いてないのか? 昼間のも、態と気付かない振りしてたとかじゃなくて、ただの素か……?」
「だから、何がだよ。こっちは何も…」
突然、昨晩の出来事がフラッシュバックし、鮮明に思い出す。
…もしかして、…母さんの手紙に書いてあったことって……。
「もしかして、……お前が俺の許嫁?」
…本当…なのか?
「やっぱり心当たりあるじゃんか。その通り、あたし達がお前の許嫁だ」
……。
……………?
…あたし…たち……?
「何、今の悲鳴?」
「何事ですか?」
「あーっ、お兄ちゃんだー」
「まさか、…春の言ってたことが本当だったなんて……」
そこには、冬華が、秋葉さんが、春ちゃんが、春香ちゃんが、…続々と俺が今日知り合った人達が、俺の屋敷から出てくる。
「何だ? もしかして殆ど話し聞いてないのか? ったく、しょうがねぇな。あたし達がこれからお前と一緒に暮らす許嫁五人だ。お前にはこれからあたし達の中から一人だけを選んでもらうぞ!!」
どうやら、母さんは謀ったらしい。母さんは敢えて、“P.S.”や“奏ちゃん”、“砕けた文”を書くことによって、俺の油断を誘ったらしい。そして、俺はまんまとそれに引っ掛かったらしい。しかも許嫁が複数なんて聞いてない。今頃、母さんが笑ってるのが目に浮ぶ。
「あのー、俺も居るんだが…」
「……Who are you?」
どうやら見知らぬ男性も居たようだ。
奏馬が一々難しい漢字を使ってるのは、仕様です。彼の母親が、毎回小難しい漢字を使って手紙を寄越すので、その影響です。
読者の皆様に読み難さを与えてしまって、申し訳ないです。