7
魔物の畏怖
映画作家くんの心が変わったのは、神様が
魔物の居た時代まで時間を逆転させ、無き物としたから、
つまり、人々の過大な欲と悪意を無くしたから、であろう。
それまでのめぐ、は
臆病なところがある、おとなしい少女であり
活発で生き生きとした彼女を愛せない、それは彼の嗜好である。
めぐを従順な子、だと思って恋したのかもしれないが
本質は何も変わっていない、見た目と行動が変わっただけ、だ。
また、映画作家くんも
従順な子を好む、即ち異性親が抑圧的であったので
恋人はそうでない人が良い(笑)と思っていたのかもしれない。
ふつう、母親が子に対して抑圧的に接するのは
多くの場合が過剰な心配、つまり
それまでの母親の人生に不安が多かった経験から、である。
限りなく広い自然空間で、伸び伸びと育てば
そんなに社会に不安を抱く事は少なく、そうでないと
不安は多くなる。
つまり、母親の環境に他人の欲が入り込んでいたので
母親の心を不幸にしていた、それが
映画作家くんの人生を左右していたのである。
それを、神が粛清した。
母親が健康的で優しければ、映画作家くんも
殊更従順な女の子に強く惹かれる理由もなくなる。
その変化が、めぐ、への求めが無くなった理由、かもしれない。
何れにせよ、ふたりにとって良い事だろう。
誤解を招いていたのは、めぐの心にあった
魔物への無意識の畏怖、だったのだから。
神秘主義
そんなひととひととの相性を
古代のひとは、星の動きに例えて
分類した。
いまのひとが、精神分析、とか
行動分析、で
分類するのと似ている。
ただ、根拠が神秘なだけで
分類のケースそのものは、そう変わりがない。
ひとが生まれた瞬間の星の配置を調べ
太陽がある場所の星座、で
そのひとの本質を分類する。
よくある「牡牛座のあなた」
なんて言う時の牡牛座、は
この太陽の位置である。
生まれた瞬間に、東の空を昇っていた星座を、上昇宮、と言って
他人から見た印象を分類する。
なので、明け方生まれると
太陽と、上昇宮が同じだから
見た目と、そのひとの本質が似ていて
わかりやすいひと、とか言われる。
そのひとの生まれた位置を中心に書く天球図で、0度、30度、60度、120度だと協調、といって
助け合う相、180度だと拮抗、90度だ衝突を意味する。
根拠はないけれど、あくまで分類である。
古代は、それを信じていたと言うだけの事で
根拠が神秘、と言うだけのことだ。
幾何学的分類である。
めぐの場合で言うと、生まれてすぐに魔物にさらわれたので
天球図の座標が変わってしまったのだろう。
でも、いまのめぐの健康的魅力を
理解できないひとは、不健康なのだから(笑)
それでいいのだ。
女の子の健康美、と言うものは
支配的なものである。
動物行動学的な調査結果でも
明白で、選ばれた男は従うべきなのだ(笑)。
選ぼうとするから失敗するのである(笑)。
めぐが選んだのは、ルーフィ。
でも彼には、もうひとりのmeg、がいる。
その場合、悩ましい関係である。
ルーフィにも、どうしようもない(笑)。
魔法陣と星占い
その日曜日は、結構忙しかっのだけど
めぐは、元気いっぱい。
にこにこしながら、返却カウンター、貸出カウンター、図書整理と
頑張った。
そんなに頑張らなくてもいいのだけど
若さ故、である。
返却図書の中に、星占いの本が
あったりした。
「占いねー。」
クラスメイトが、時々
占い雑誌を見ていたりしたのを
一緒に見たくらいで、それほど
気にした事もなかった。
でも、面白いかも。
夕方で、ひとの少なくなった書架で
めぐは、その
至って真面目な本に、ちょっと興味を持った。
わたしは、書架でめぐを見かけて、声を掛けた。
「ごくろうさま」。
めぐは、にっこりして星占いの本、ホロスコープ、と言う
割りと専門的なものを見ていたので
....神秘に惹かれるのは、どことなく.....。
封印してしまった、めぐ自身の能力者としての才能が
どこか、呼んでいるんじゃないかしら?
などとも思った。
もしかすると、ルーフィに恋してた事も、忘れていないのかも。
そんな風にも思って。
...強敵、再登場(笑)。
あ、でも。
今は、もう...。
私達が元の世界に戻れば、めぐとの接点も無くなる。
でも、帰る術はまだ、見つかっていないんだった。
来るとき、自然に飛んできたので
帰りたい、と思えば自然に戻れると思うけど。
今、帰りたいとわたしは思っていないのかもしれない。
「わたし、ちょっと興味あるんです。星の動きで推理するって
なんとなく、不思議で」と、めぐは
楽しそうに言う。
「結構、理系よね、それって」と、わたし。
「うん」と、背後で静かに囁いたのは、ルーフィだった。
「ああ!そうだ。ルーフィさんに教えてもらえばいいんだ。
魔法使いさんだったら、詳しいでしょ?」と、めぐは
楽しそう。
そういう風に、アクティブなところはちょっと、愛らしい。
前から、親しいわたしたちには見せていた表情だったけど
今は、自然にそう振舞えるようになって。
so,cute.
そう、ルーフィも思っている事だろう。
これから、いろんなステキな出会いがあるんだろうな。
神秘と科学
「星の運行は神秘だね」と、ルーフィは言った。
その進行に沿って、時間が定められている、とも。
その、物理的な時間は、例えば
待ち合わせに使ったり、仕事の時間を決めたり。
社会に沿っているものである。
ひとつひとつの星に、それぞれの時間があって。
それを、星の運行として地上から
みていたりする。
けっこう、多次元的である。
地上でも、地球がまわるので
昼と夜があって。
でも、ひとりひとりの記憶の中には過去があったり、未来があったり。
空間があったり。
それは、そのひとだけのもので
外からは見えないけれど、ひとつの世界だ。
神秘的に思えるけれど、科学的には分析ができている。
星占いと理論的類推も、アルゴリズムが違うだけで
考え方は似ている。
「ルーフィさんは、得意ですね、」
と、めぐはにこにこしながら。
「めぐ、覚えてるの?」と、わたしは
気づいて。
神様は、魔物の記憶を消すために
世界の時間を逆転させた。
それで、めぐの記憶も
リセットされたはずだった。
「はい!楽しかったですね。
温泉に行ったり、パン焼いたり。
ルーフィさんがお風呂のぞいたり(笑)」
と、あっけらかんと言う感じは
いままでのめぐにはないものだけど。
・・・・神様は、めぐの、ルーフィとの
思い出を消さなかったのね・・・・
格別、消してしまう必要は
ないのだけれど。
そういえば、幼い記憶と違って
意識されている記憶は、性格への影響はそんなにない。
よく言われるように、傷つきやすい心は
幼い記憶、無意識の影響が大きい。
だから、神様は・・・・
最初から、それを知っていたのだろう。
「なるほどね・・・」
ルーフィも、うなづいた。
ここの神様も、なかなかたいしたひとだわ(笑)
星占いと科学
星の動きで、その日いい事がある、とか
気をつけること、がわかる。
それも、空想的で楽しいと
めぐは思ったり。
それは、生まれた時の星の配置と
その日の、星の位置が
どのくらい似てるか?
それを、分類にしたものなので
幾何学的なもの、で
コンピュータでプログラムを作れたりする。
結局、時間の経過に沿って星は動いているから、で
生まれた瞬間に近い星の配置の時に、その人は
能力を発揮する。
そんな神秘。
神様に出会う夜は、いつも満月だとか。
そういう、不思議なめぐり合わせ。
めぐは、その、星占いの本を
図書館から借りていった。
あまり、借りて帰る事は
そういえば無かった。
毎日図書館に来ていると
借りなくても、よかったりして(笑)
でも、その本は
星の運行表が書いてあったので
それが楽しみで。
「図書館のコンピュータに、占いのプログラムを
作れないかな」
そんな風に、めぐは思って。
学校で、コンピュータの授業があったので
なんとなく、作り方は知っていた。
星の運行表を、全部、縦横配列にして。
日時に沿って、検索させればいいだけ、だ。
生まれた場所、時間。
それに沿って、星の配置、角度を
計算させるだけで
吉凶は、角度で計算するので
結局は、全部が計算。
「でも、大変そう(w)」
とか思った。
「ルーフィさんなら、魔法で作れるのかなぁ」
空間に魔方陣を一瞬で書けるくらいだもの。
........魔方陣、って天球図に似てる。
めぐは、ふと、そんな事を思った。
ルーフィの使う魔法は、至極科学的なものなので
座標をそれで示しているのだけど
それを魔方陣、と
めぐが思っているのだけ、だ。
神秘のように見えるけれど、根拠は科学なのかも。
めぐは、そんな風に空想しながら
星占いの本を読んでいた。
それも、楽しいひととき。
夜は、短い。
星
「星って言うと・・・」
めぐは、思い出す。
おじいちゃんが、天国へ行った時
おばあちゃんは「おじいちゃんは
お星様になったのよ」なんて。
言ってたっけ。
「星の、ひとつひとつに
そんな、見守ってくれる人の
願いがこもってれば
星が、遠かったり、近かったり。
いろいろな、力の働きで
運勢が決まる事
あるかも」
星占いの本を見ても、
たとえば水星は、言葉に長けた星、
金星は人気とか、なんとなく
特徴があるお友達、みたいな。
そんなふうに見えたりして
楽しくなったりした。
「でも・・・」
おじいちゃん、天国へ言ってしまって
やっぱり寂しかったり。
飼ってたみーこみたいに
さりげなくいなくなってくれたら
死んじゃったなんて、悲しい気持ち
にならなくて済むのにな。
なんて、思ったりした。
実際、めぐの親戚には
旅人も多くて。
行方知れずになった人も、いたりした。
それは、ひょっとすると
異次元に旅立ったのかもしれないのだけれども。
めぐの血統なら、十分
考えられる事だった。
いつか、にゃごが
転生して、天使さんと一緒に
天国へ向かったら。
そのあと、めぐの
能力は解放されるかもしれないーー
天使さんは、その
めぐの気持ちに感謝していた。
それで、めぐを自由にしてあげようと
いろいろと考えていた。
方法はいくつか、あるらしいけれども
新米天使さんは、あまり
その方法に詳しくないのだった。
確実に言えるのは、天使を捨てて
人間にでも転生すれば
めぐは自由になれる。
でも、そうなれば
また天使になれるとは限らなかった。
めぐは、天使さんの幸せのために。
天使さんもまた、めぐの幸せを思ったのだった。
言葉を交わした訳ではないけれども
なんとなく、そう感じながら生きていた。
それらもすべて、この星の上での時刻に沿って
起こっている事で。
そこだけは、良くなったと
ルーフィも思っていた。
摂理と神秘、科学と魔法
でも、天使さんは
望んで天使になったわけでもなかった。
それまでの行いで、転生が行われ
任命されただけ、だ。
いまも、それは同じ。
めぐのために、自らを変えようと
思っている....。
それは、めぐとて同じで
望んで能力者に生まれた訳ではなかった。
どんな赤ちゃんも同じで
自ら望んで出生する子はいない。
それは、父母の願いであるが....。
めぐの場合、その能力のせいで
数奇な運命に晒されてしまった。
神とて知るところにはなく
運命とはそんなものだ。
悪魔や魔物が来るように、時空の歪みが生じたのも
単なる偶然なのだろうか。
神はそれを粛清した....。
しかし。
社会制度が正しく、国民の為に改正されたせいで
それまでの体制で、不正な利益を得、そのシステムに沿っていた
人々は、利益が得られなくなった。
無辜の生命。
とはいえ、生命維持にはやはり、食料が必要なので
それは、多くの場合、無辜の生命を食する。
原罪と呼ばれる所以である。
そうした原罪を持つのが人間である。
動物である。
そして、動物に食われるのは植物である。
相互に転生が行われ、相互の世界を往来する。
不正なシステムに沿って生きていた人たちのうち
寿命が尽きた人々は、勿論転生の時に
人間に転生する事はない。
神に粛清される以前に、自己抑制して
欲に駆られない生き方をするべきところを
しなかったため、であり
それは、転生の際に適正に審査された。
動物界に転生するにしても、原生動物や虫に転生したり
原始植物に転生したりした。
そのせいで、虫が大発生したり
原始植物が都市に生えたりした。
動物が増えれば、植物を食料とする。
植物は、炭酸同化作用により
大気中の炭酸ガスを消費する。
植物が減ると、炭酸ガスが増える。
そのように、社会のどこかを変えると
全体に影響があるものである。
星占いで言うと
冥王星、死と再生を意味する惑星が
12番目の室に入る時、終生と新生が起こる、などと
神秘主義で語られたりも、するけれど
社会を意味する6番目の室と、丁度180度、緊張関係にある時
変革は、革命的に起こったりもしたり。
古代エジプトの進軍の将は、そんな風に
星占いを活用していた、行軍に天体の力を使う、との意図で
言ってみれば、その時代の呪術である。
上手く行くと、それは魔法と呼ばれたりした。
なので、ルーフィは星占いの知識は当然持っていたし
めぐが、興味を持ったのも自然な流れかもしれない。
めぐは、ルーフィに「魔法で、コンピュータのプログラム作れませんか?」
などと、無茶な事を言う。
でもまあ、コンピュータプログラムと言うのは
コンピュータの中で、電荷、つまり電気がある、とかない、と言うことで
数字や文字を表しているだけ、だから
翻訳する部分を、魔法でやれば
簡単にできるかもしれない。
と、ルーフィは思った。
時系列を横軸に採って、縦軸に星座上の惑星の位置を採る。
グラフを書き、惑星の進行を近似式に置換すれば
あとは、式の未知数に占う日の数字を入れればいいのだ。
例えば、 Y=2Xと言う惑星があったなら、Xに日時を入れればY、即ち
星座上の座標が出るので
天球図上の位置に置換すれば、惑星相互の角度が出るから
90度近似
180度近似
60度近似
30度近似
120度近似、と、これは算術計算で
吉凶は算出される。
と、これは幾何学的なプログラムで
魔法、と言うのは
それを直接変換する、そういう訳だ(笑)。
「グラフ書いた方が楽ですね!」と、めぐはにこにこ。
「うん。これならプログラム書かなくても、表計算ソフトで書けるんじゃない?スクリプトで」
と、ルーフィは言った。
もともと、魔法使いは科学者であった。古代では。
(笑)
プログラマー、めぐ
早速、スクリプトを作ってみて。
グラフまでは表計算で作って
近似式を、ソフトで作った。
ほんの二月ぶんくらいを
表計算のセルに入力すれば
あとは、グラフを勝手に書いてくれて。
そのグラフから、近似式を出すのも
簡単だった。
12星座の座標は、カレンダーと
似ている。
そこを基点にして、半年なら180度、その半分が90度。
日付順に、これもグラフから
式にして
未知数に数値代入して、
連立方程式にすればいいのだった。
「でも、ちょっと味気ない」
って、アプリケーションに
かわいいイラストを入れたり。
ボタンをグラフィックにしたり。
占いの結果を文章にしたり。
「できたっと」めぐは、楽しそうだ。
生まれた日時と、場所をコンピュータに入れると
ホロスコープが表示される。
図書館のコンピュータだから
「あとは、占いの本みてね」
って書いたりして(笑)
簡単な占いを書いた。
「すごいねー」ルーフィは驚く。
これって、魔法みたいだ。
「学校で習うのね」と、わたしは
ちょっと驚く。
そんな授業あったかしら?(笑)。
簡単に作れちゃうんだ。
「さっそく、図書館のコンピュータに入れてみたいですー」って
めぐは、にこにこ。
いつだったか、ルーフィが言っていたみたいに
科学と魔法って、似てるんだ。
そんなふうに思ったり。
マニック・マンデー
作ったものは、早く使ってみたい。
その、わくわく感は
もの作りをする人には、誰にも
わかる、とても楽しい時間。
ルーフィの魔法?で
簡単に作れてしまった
星占いプログラムを
早く、使ってみたかったけど
きょうは月曜日、学校の後、だから
少し、おあずけ感(笑)。
こういう時の、心の中の
わくわく感って、時間を先走りしてる、ルーフィの言葉なら
4次元が、こころにある。
そんな感じかも。
はやく、学校に行って
帰ってきて、途中で図書館に行って。
その空間、時間を
想像していて。
それまでの時間は、省略されちゃったり。
忘れ物とかしそうで、危ない(笑)かも。
それなので、いつもより確実に
確認をしながら、学校に行く
支度をした、めぐだった。
パジャマの上にスカート、そのまま
出掛けたりしないように(笑)。
かばんの中身も確かめて。
お部屋から、階段を下りて
ダイニングへ。
まだ学生だから、コスメチックとか
気にしなくて良かったので
気楽で良かった。
それは、聞くところによると
結構、めんどくさいらしい(笑)。
毎日するのは、確かにそうかも(笑)。
でもまあ、オシャレでたまにするなら
遊んでみたい、とか
思ったりもした。
「にゃご」
階段のとこで、にゃごが
おはよう、をした。
首を伸ばして、背中反らして。
あくびをひとつ
「おはよ、」
めぐは、にこにこして
にゃごの頭を指先で撫でた。
にゃご
「にゃご、ちょっとおおきくなった?」と、めぐが言うと
「にゃご」
いつも、それだけだけど
にゃごは、めぐと
おばあちゃんのお気に入り。
もちろん、おかあさんも、おとうさんも
にゃごを、可愛がっている。
にゃごの前にも、にゃんこやわんこを
飼っていた。
いつも、どこかで拾ってきたり、
もらってきたり。
可愛がっていると、和めるからかな?
この、にゃごも
迷い込んで来た猫だ、と
めぐは信じているけど
ほんとは、天使さんを追って
悪魔くんが、魔力を捨ててまで
動物界に転生したのだけど
まあ、それはどうでもいい。
今は、楽しく暮らしているのだから。
「にゃごー、ごはんよ」と
おばあちゃんは、いつもみたいに
お魚を焼いて、ごはんに載せて。
「おばあちゃん、にゃんこの缶詰、なかたっけ?」めぐは気にして。
最近は、猫用の缶詰のほうが
猫の健康にいい、って(笑)。
おとうさんの好きな、鯖缶より
よっぽど高い(笑)のを、めぐは
買ってきたり。
おばあちゃんは、にこにこ。
「そうねぇ、にゃごが、食べたがるのよ。ふつうのお魚。変な猫ねぇ」
と、おばあちゃんの言葉からすると
にゃごの味覚は、すこーしだけ
人間に近いみたい(笑)。
悪魔くんは、人間に近づいたのかな?
おいしそうにお魚をたべている
にゃご、を眺めていると
お魚も、いいかな?
なんて、思うめぐは
どっちかと言うと、お魚って
そんなに好みでもなかったりして。
なので、朝はだいたいパンとか、クロワッサンとか。
マカロニとか。
軽いものが好きだった。
この日も、ミルクティーとサラダ、とか
そんな感じで。
おかあさんが「もういいの?」ってくらいに
少しだったりして。
きょうは、やっぱり特別に
軽い感じだったのは
放課後の図書館の事が、気になって。
「いってきまーす!」って、元気に
学校へおでかけ。
きょうも、お空がきれい。
学校の授業も、なんとなくそわそわ(笑)。
「こんな時、時間旅行が出来たらいいなぁ」
なんて、思ったりもする
めぐだった。
そんな訳で、学校が終わるまでの
出来事は、あんまり覚えてない
めぐだったりする(笑)。
そういうもので、何か気になる事があると
こころのイメージが、それで
一杯だったりするので
他の事が、目に入らなかったりする。
ちょっと、危ないから
そういう時は、気掛かりを
早く無くせばよくって。
めぐの場合、学校のコンピュータで
テストしてみれば良かったのだけど。
めぐの希望に沿うように
午後2時。
きょうは、短縮授業だった!(笑)
忘れてたけど、ちょっとでも早く
図書館に行ける、そう思うと
わくわくして。
赤いお屋根のスクールバスが待てなくて
ポプラ並木を駆け降りていっちゃうめぐ、だったけど
途中でバスが追いついて、
乗っけてもらったりした(笑)。
「よくできでるねぇ」
図書館の検索コンピューターに
ソフトウェアを入れたら、司書主任さんや
みんな、司書さんが
喜んでくれた。
「貸出コンピューターも作ってみて」
なんて、主任さんが言うので
それは、さすがに無理、って
笑って、ご辞退した。でも、
主任さんは「司書資格の他に、こういうことができると、就職に有利だね。」と、希望のある事を言ってくれて。
ずっと先だと思ってた、司書の仕事の事、とかを
めぐはイメージして、楽しくなった。
・・・・いつかは、ハイスクールも
卒業するんだな・・・
なんて、思ったりもした。
天使さんとにゃご
天使さんは、もちろん神様のお使いだから
にゃごが、どんな感じで
人命救助(にゃん救助かしら笑)を
したか、は
理解していた。
特別、いい行いをして
神様に認めてもらおうとか。
そんなつもりでもなくて。
ただ、魔力のある者たちとの
毎日の争いの中で
荒んでいた気持ちが、ひとりになってから
生き物らしい感情を取り戻した。
そんな感じ、なのではないかと
天使さんは、感じ取っていた。
例によって、にゃごは寡黙である。
そのあたりは、悪魔くんだった頃からと
あまりかわらない。
でも、今のにゃごは思う。
悪魔になる前、人間界で
荒んでいた頃も、べつに
好んで悪いことをしていた訳じゃなかった。
周りがそうしていたから、そうしてた
だけ、だった。
環境は大切である。
いま、にゃごは
転生してよかったと思っている。
魔力はなくなったが、元々
悪魔になりたかった訳でもない。
いま、にゃごは幸せだ。
それだけでも、天使さんに出会えて
良かったと思っている。
天使さんを大切に思うから、幸せになれた。
でも・・・・・
天使さんは、このまま
人間界に居続ける事はできないから
そのことは、にゃごにも感じ取れていた。
天使として、人間界に居る事ができたのは
めぐ、の命を助ける為だったし
自らも、癒しを得る必要があったから。
でも、それが済んで。
いまは、にゃご、と共に
いつか、転生して
天国へ昇れる日を待っている。
そうして、にゃごの幸せと共に
生きていく事が、天使さんの願い。
でもあったのだけれども。
そのために、めぐが
魔法使いの能力を封印したのを知り
天使さんは、ちょっと、それが
きになってしまった。
ひとを幸せにするのが、天使。
なのに、ひとに気遣いをしてもらっているのは・・・・・
ちょっと、天使さんはそれを恥じた。
「めぐさんにも、しあわせになっていただきたいのです・・・・」
もちろん、にゃごは猫なので
普段、そんなに深く考えてはいない(笑)。
ごはんが好みでなければ、文句を言うし(笑)。
雨の日には、あそびに行きたくて
柱をがりがり、爪とぎしたりする(笑)。
そのたびに、おばあちゃんが
にこにこして、にゃごを愛でてくれるので
それが、とってもうれしいにゃごだった。
思えば、悪魔になる前、人間で
生まれたばかりの頃、そんな触れ合いが欲しかったような
そんな気もするのだけど。
長い時を経て、ようやくそれに
出会えた。
そんな気もする。
「なご」
「おや、ごきげんね、にゃご」
おばあちゃんとにゃごの会話は
そんなふうに、続く。
にゃごも、お年頃
よく言われるように、猫は
人間より早く年を取る。
でもそれは、人間
から見ると、そう見えるだけ。
にゃごも、もちろん猫だから
スピード感のある毎日を過ごしていた。
それでも、まだまだ子猫。
はじめて、お散歩をした時は
ちょっと、感動ものだったり。
おうちの縁側から、外に出るにしても
ステップがなにしろ、猫にとっては
大きいので、こまったりして。
最初は、おばあちゃんに
下ろしてもらって。
お庭を、ちょこちょこ歩いたくらい。
それでも、十分冒険だった。
お庭の石も、畑のトマトやきゅうりも
猫から見ると、大木や岩のようだし
しなやかな脚に、土の感触は
ちょっと、湿っていて。
にゃご。
ニガテだったりした。
きれいな芝生の上だと、足元が
爽やかだったけど。
あしのうらに土が付くの、ちょっと嫌だったりもした。
なぜか、おばあちゃんは
外に行く事をふつうに許してくれたので
お散歩そのものは、好きだった。
庭石を伝って、土に触れないように行き、ジャンプして木に昇ったり。
木登りも、楽しかった。
このあたりには、他に猫はいないらしくて
のんびりとお散歩ができた。
お空で、鳥の声が聞こえても
にゃご、が狩人でないと思うのか
のどかなさえずりを、聞かせてくれるのだった。
草原を見下ろしながら、梢でお昼寝するのは
とても、いい気持ちだった。
お昼頃になると、おばあちゃんが
呼ぶ声が聞こえて。
「にゃごー、ごはんよー」
その声は、どこかめぐの声にも似てる。
のどかな響きだった。
時々、草原の向こうにまで
お散歩する事もあったりもした。
にゃごは、キジトラだけど
茶色で、ちょっと本当に虎みたい。
おおきくなったら、虎になるのかしら?
なんて、めぐは面白い事を想像するけれど
もちろん、そんなことはない(笑)。
時々、草原で
美人猫さん(笑)に出くわす事もあった。
けれども、にゃごは
どういう訳か、あんまり
美人猫さんが、それほど気にならなかった。
当然かもしれないけれど、にゃごは
天使さんと一緒で、しあわせだった。
それで、にこやかに
美人猫さんにご挨拶。
にゃごの、しあわせそうな感じは
美人猫さんにも伝わるのか
美人猫さんも「ごきげんよう」などと
ご挨拶を交わすのだった。
風爽やかな季節、猫たちには
恋の季節であったかもしれない。
猫は、人間と違って
恋の季節感があるから
その時期は、猫たちにとって
楽しい時期だった。
お祭り、みたいなものかもしれなかったり。
そういうわけで、パートナーのいない
美人猫さんなどは、紳士たちからの
お誘いが、ひっきりなしだったりする。
それで・・・・・ある時。
楡の梢でのんびりしていたにゃご、に
いつもの美人猫さんは、声を掛けた。
「そっちへ行っていいかしら?」
断るのも悪いし、と
にゃごは、無言でうなづいた。
しなやかな細い足首で、美人猫さんは
にゃごの隣に訪れた。
近くで見ると、確かに美人だな、と
にゃごは思ったりした。(笑)。
にゃご、モテ期(笑)
確かに美人猫だな、と
にゃごは思ったりしたけれど
彼は、もと人間、そのあと
悪魔になってから、動物界に転生した、と言う変わり種である。
猫や犬には、そういう者が多く、明妙に人間性のある犬(笑)と猫が
多いのは、そんな背景がある。
反対に、人間界でも人間性がない、攻撃ばかりする人、とかは
やがて、転生したら
人間ではなくなってしまうひと、だたりもする。
それで、転生した者が虫になって
時々、大発生したりするのは
悪い人が、たくさん転生した後、
だったり。(笑)。
そんなところから、にゃごから見る
美人猫さんは、ふつうの猫ちゃん
みたいに見えた。
生き物として、ありのままに生きるが故に愛らしい。
そんな、猫らしさを
にゃごは、好ましく思った。
美人猫さんは、でも猫だから
猫なりの生を生きている。
それだけに、にゃご、が
美人である自分に好意を抱かない事に
不審を思う(笑)。
美人ではあっても、そういう
自尊心はあったりする(笑)。
猫ゆえの不幸は、文化に乏しい事である。
人間ならば、人間性に訴える事も
できる。
人柄がよくて、好まれる人、とか。
もちろん、人間の美人は
人柄が良い事が条件である。
社会の中で、やがて家庭を持つ
のだから、それは当然であった。
上辺だけきれいにしても、それは
人間性が伴っていなければ
狐つき、などと言われて
いつか、狐に転生するであろう事を
見抜かれて、社会から逸脱するのであった。
人間界もまともだ(笑)。
美人猫さんは、そんな訳で
木訥としているにゃごが、文字通り
木の上でのんびりしているので
その事に多少の焦燥を覚えたり。
美人ゆえの不幸である(笑)。
「いつも、のんびりしてるのね」と
美人猫さんは、話掛ける。
いつも、自分から
話し掛けた事などなかった。
美人故、回りが
大切にしてくれたから、である。
なので、たどたどしく
話し掛け、その不安を
ときめき、とおぼえる
猫ちゃんは、それが誤解であったとしても
恋、に堕ちてしまったりするのも
それはそれで、恋は楽しいものである。
猫の恋は、人間よりずっと
シンプルである。
それは、家族制度や租税、などと言う
面倒なものがないせいもある。
人間界でも、そういうものがない
社会は、自由で明るいのと同じ、である。
ラテン諸国のように、人として
楽しく生きるなら、経済的困窮は
厭わない、そういう生き方もあったりするように。
イタリアの猫は、そうすると
自由で至上なのだろうか?
などと、にゃごが思っている訳では、
もちろんない
(笑)。
にゃごの心には、天使さんが居るので
美人猫さんが、猫として
魅力的であったとしても
それは、やはり
満ち足りたしあわせ、と
競合するものでもなかった。
生き物としての制度から自由な
天使さんの愛、は
やはり至上なのであったり。
それは、美人猫さんにとっては
やや不幸な事、でもあった。
シンプルな猫の恋、それとは異なる
にゃご、の恋に
強く惹かれたちもした。
美人猫としての自尊心が、後押ししているのも事実である。
シンプルな猫の恋心に沿って
にゃごに寄り添う美人猫さんは
片思いのような、甘美な感覚を
初めて味わった。
それは、美人猫さんにとって
高貴な感覚であった。
美人猫さんの恋
にゃごも、天使さんも
人間ではないので、男でも女でもない。
それは人間でもそうで、心に
男も女もないのだ。
美人猫さんの不幸は、その
にゃごの出自を知らないので
他の猫たちと同じ外観で、にゃごの気持ちを考えてしまう、そんなところだった。
なので、「美人なわたしに
どうしてつれないのかしら」
なんて、可愛く美人猫さんは
思ったり(笑)。
それは単なる誤解だけれども(笑)。
にゃごは、寡黙だ。
それは、相手が
気持ちを満たすのに十分だったりもする。
美人猫さんは、本当は
静かに暮らしたかった。
でも、見た目が整っているせい
で
寄ってくるのは、中身のない連中ばかりで
ウンザリしていた(笑)。
にゃごに、中身があるか否かは不明であるが
寡黙であるが故、美人猫さんの
夢を壊さずに済むのである。(笑)
そんな訳で、美人猫さんは
心の拠り所をにゃごに求めた。
人間よりも、ある意味
切実な願いである。
人間は暇だし、恋の季節感もないけれど
猫には、それがある。
短い季節に相手を定めないとならない。
人間のように、恋を楽しむゆとりも
そんなにはなかった。
それが故に真摯である。
にゃご自身にも、美人猫さんが
寄り添う事を避ける理由もなかったから
それは、美人猫さんにとっても幸せな事だった。
生と心
もちろん、猫同士にコトバはないから
声にニュアンスと、フィーリングでつたわるものが
ことば、である。
犬もそうだし、霊長類の隣人もそうで
京都大学霊長類研究所(当時)の
1980年代の文献を読むと「観察の為に、ゴリラたちの言葉を
覚えて、交流を図った」とあるl。
ゴリラくらいになると、言葉がある。それでも
雰囲気が主、だったりもして
この研究者の論文は、当時西洋の学者には受け入れ難かったらしい。
しかし、例えばハワイで「アロハ」と言うコトバが
ニュアンスで様々な意味を持つ、と言う
飛行機会社のコマーシャルのように(笑)。
人間でもニュアンスが大切なのである。
犬もそうだし。
まして、猫は当然そうであった。
しかし。
にゃごは、もちろん猫であるが
転生した過去を持っている。
それは、割と有難くない過去であったから
悪魔くんになる前、人間であった頃
生まれてすぐ、両親の都合が優先されるような
環境で育っていて、心を痛めた。
だから、人を信じなかったし、女、特に母親のようなタイプには
心を許せなかった。
勝手な都合で、可愛がりたい時だけ可愛がって。
子供の気持なんて考えていない。
ぬいぐるみじゃないんだから。
そんな、気持がどこかにあった。
けれど、天使さんに出会って、その気持は変わった。
それは、天使さんが生き物ではなくって、心だけ、魂だけの存在なので
天使さん自らの主張もなければ、自分を際立たせたい、なんて欲もない。
そういう天使さんは、至上の存在だと思って
魔界を捨て、いまはにゃご、猫になって暮らしている。
それで、美人猫さんが寄り添ってくれているけれど
にゃご、彼にとっては
どことなく、やっぱり「生き物」としての限界を感じてしまう
にゃご、だった。
その寄り添う好意に、生命としての摂理があり
故に排他的であるあたりに、母親を連想させて
ちょっと心が冷めてしまう、そんな彼だった。
もちろん、今はにゃご自身が猫なので
心だけでは生きていけないのだけれども。
いつか、転生して.....。
その時、はじめて自由になれるのだろう。
経済と愛
にゃごの過去生、悪魔くんになる前の
彼が、幼い頃に心を痛めた、その
原因が育てる側にあったとしても
それは、環境のせいである。
生き物はみな、環境の中で生きているので
環境の中で満ち足りていれば、
ふつうに子供を愛でていくのは、動物としての本能であるから
不幸な子供が育つこともない。
人間は、他の動物より
子育ての期間が長いので
親の負荷が大きい、そのせいで
忍耐が親に要求されたりする。
ちょうど、彼が生まれた頃は
人間の心の中に、欲望、それを煽る魔物が住んでいた時期で
そのせいで、生き物としての
幸せを見失っていた人が多かった。
そういう時代だった。
ひとが生きて、恋をして
愛を育む。
それに勝る幸せなどあるはずもないのに
欲望を煽る人々、彼らの中にも
やはり魔物が住んでいて
ひとびとの心に住む魔物と
競い合って人々の欲望を煽っていた。
そのせいで、彼の母親などは
彼よりも、他のものに興味の対象が移ってしまったので
彼は、蔑ろにされた。
不幸にして、おばあちゃんもおじいちゃんも近くにいなかったから
彼は傷ついた。
欲望を煽る魔物が
母に住んでいたからであろう。
既に、それは
ルーフィや、神様の尽力で
粛清された。
ほとんどの人々は、魔物のいたことなど
覚えてもいない。
けれども、彼は能力を持っていたので
前世のそんな記憶を、少しだけ
覚えていたりもしたから
猫としての現世に、少しだけ
影響があった。
それは不幸な事だ。
その、魔物は人々の欲望を煽って
人々が攻撃的になる時のエネルギー、それを食って生きていたから
例えば、必要のない商品を作って
消費を煽った。
そのための原資として、例えば貨幣価値を変動させたり、投資を誘因したり。
要するにギャンブルを煽ったので
ひとびとの心は乱れた。
実直に働くより、相場を読んで
賭け事に長けた方が、利益がある
そんな社会を、国の指導者たちが
構築したせいで
相場で損をするひともいる。
もっと怖い事は、ギャンブラーが
資本をもって、社会を動かす事、で
正義も悪もなく、儲かればいい、
そんな人間たちが世の中を動かすと
たとえば、彼の母親のように
資本家でもない者は、ギャンブラーに蹂躙されてしまう。
子供がいる母親は、利益のためには
あまりよくない存在だ、と
迫害されたりする。
利益だけを見て、ひとりひとりの
幸せなどはどうでもいい、そういう
社会に、次第になっていくのは
そんな理由である。
それは、粛清されたのだけれども。
まだ、しばらくは
にゃごのように、その時代の記憶に
影響される事も、あるのかもしれない。
でも、にゃごには天使さんがいて
ゆっくりと、幸せに彼を
導いてくれるから
いつかは、転生し
不幸な記憶を忘れ去る、そんな時が
訪れる事だろう。
Love me as I am
それでも、にゃごは
なんとなく、美人猫さんが
寄り添ってくれる、それが
なんとなく、物足りないな、なんて
思ったり。
見かけが美しいって、それも
結構だけれども。
ただ、それだけかな、
見かけはいくらでも繕えるし。
(笑)
そんなふうにも思ったけど
だからと言って、美人猫さんを
拒絶する理由にもならなかった。
心の愛。
それからすると、どこか
幼稚な感じもしたけれど
それは猫だから、当然である(笑)。
猫には生があるのだ。
限られた期間に、恋をする必然があったり。
それはもちろん、自然の摂理であり
食べ物の潤沢な、温暖な季節に
子猫を育てられるように、そういう
自然な習慣をもった猫が生き延びた、
そう、進化生物学では考えられている。
人間の場合は、そういう制約が
社会のせいで、なくなった。
いつでも食べ物があって、家があるから
寒さ暑さには、あまり関係なく
子育てができる、それで
恋の季節感が無くなった。
それで、恋というものを
楽しみのひとつ、そんなふうに
思うひとも居たりする。
それは、結構罪深い事でもあった。
ギャンブラーたちが、悪い世の中を
作っていた頃、生きる希望を失ったひとたちが、恋、でさえも
遊び、そんなふうに考えたり。
そのせいで、にゃご、は
猫に転生する前、悪魔くんになるその前の
人間だった頃、母親が家庭を
捨て、別の恋に向かったり。
そのせいで、深く心を傷つけた。
それも、恋と言うものをはきちがえたひとの、愚かしい行為で
そのせいで、子供が悲しむなど
省みなかった親の、幼稚な
行動のせいである。
そんなせいで、猫としての恋にも
慎重な、にゃご、を
訳わからない、って
思っている美人猫さん(笑)
その、のどかな気持ちが
にゃご、の心の奥にあった
そんな気持ちを、和らげてくれたりもする。
因果律
木の上でのんびりしている、にゃごと美人猫さんは
それでも、幸せそうなカップルに見える。
猫の場合は家族が無いし、恋の季節だけの関わりだから
それは気楽で、楽しいだけ、で済む。
子猫が生まれても、すぐに自立できるから
お母さん猫も、楽しい事を我慢しなくていい。
人間も、類人猿の隣人のように
子育てが楽ならば、そんなにお母さんが困る事もないが
家族を作って、管理するのは
租税の為だし、家督相続と言う
財産、なんて言う
結局課税の為に戸籍が必要だからである。
そういう不自然に、動物だった頃の記憶が
反発しているのだ。
猫のお母さんも、子猫が巣立てば
別の恋もできる。
そのくらい、自由なら
人間の子も傷つかずに済むだろう.....。
そうできないのは、子供の成長が遅いから、である。
せいぜい5年くらいはお母さんは縛られるから
ストレスもある。
そんな家族制度を保持するのは、国家であるし
租税をするのは行政で
彼らのうち、欲の深い連中は
悪い事をして、不正に金銭を得ていたから
死して、おそらく人間には転生できなかったであろう。
良くて、虫にでもなったか、地獄へ落ちたか。
のんびりしている、にゃごの目前を、羽虫が飛び去る。
その羽虫は、ひょっとすると悪い人が転生して
虫になった姿、かもしれない.....。
燕が、ひょい、と宙返りしながら空を舞っている。
動物界の中でも、鳥は比較的高尚な連中で
自由を尊ぶ魂の類、だ。
やがて、人間に転生して芸術でもするのだろうか、否
自由を好んで、また鳥に転生するのかもしれない。
その燕も、子育ての時期。
ひょい、と舞ながら
さっきの羽虫を咥えた。
そうして、羽虫は虫の生涯を終え、幾度も転生するのであろう。
元々は人間界で良からぬ役人か政治家
だったかも知れぬが、哀れな事である(笑)。
もちろん、のんびりと昼寝をしているにゃごと
美人猫さんがそれを知る由もない。
因果応報、と言う旧い言葉は
結構、それらしい事もあったりもする。
虫の生、ひとの生
にゃごは、猫だけど
もともとは魔界から転生してきたので
燕に捕らえられた羽虫の意識が、
すこしわかったりする。
虫の意識は、ひどく単純なものであるから
これから、起こる事などを
恐れている訳でもない。
実際的に、目の前の情報に反射しているだけである。
そこは、やや救われるところである。
そして、燕の為になった事で
虫、としての彼は
少しだけ、社会の役に立った事になるから
次の転生は、少しだけ
高級な生物に転生する事になるだろう。
摂理である。
動物であっても、原生動物のように
意識すら無いものから、人間のように
文化を持つものまで
様々な生物が生きている。
人間と、わずかな高等生物だけが
文明を持ち、他者を欺いたりするのは
不思議な事である。
高い知識を持つと、無いものを「ある」と
見せ掛けて
利益を得ようとするのは、おそらく
猿あたりに始まる文化である、などと生物社会学は教える。
もちろん、猿は貨幣流通などないから
食料を得るための、他愛ない営みで
それは、微笑ましいものだ。
転生を繰り返し、ようやく人間になると
欲望の果てに、
たとえば、国の政治家になり
ありもしない価値を、あるように
見せ掛けて
紙幣を印刷して、金融緩和、などと
嘘をついて、偽札を作ったりした
政治家や官僚が、転生して
今、虫になって燕に食われたりしている。
しかし、それで
燕は雛を育て、空に舞うのである。
自由が得られずに、了いに
虫になってしまた彼も
空を舞える鳥の一部になるのだ。
それは、ひょっとすると
幸せな事かもしれない。
のんびりと家路に就くにゃごを
万感の思いが包む。
お嫁さん
「にゃごー、ごはんよ」と
おばあちゃんは、にこにこしながら
にゃごのごはんを作ってきた。
おさかな、あじの干物を
焼いて、骨をきれいにとってあげて。
「そうそう、めぐにもよく、こうして
あげたっけ」
おばあちゃんは思い出す。
幼い頃のめぐは、あじの干物とか
あんまり好きじゃなかったみたいで
(まあ、子供はそうだけど)
おばあちゃんは、骨を取って、
きれいに身だけを取って
めぐに食べさせて。
残った骨と頭は、飼っていたにゃんこ、みーこにあげるのだけど
みーこも、頭とかだと
文句を言ったりして。
もちろん、猫の言葉で言うのだけど(笑)。
駄々をこねる猫を、可愛がっている
おばあちゃんだった。
いま、にゃごをかわいがる
おばあちゃんは、しあわせそうだ。
可愛がる対象があるから
ひとは、優しくなれて。
そういう対象がない時、心が荒んでしまったりする。
家族が必要な理由である。
「めぐも、ついこないだ
赤ちゃんだったのにねー」と
おばあちゃんがにこにこしてると
めぐは、ちょっと恥ずかしそうに
微笑んだり。
「もうすぐ、めぐもお嫁さんよね」とか
言うと、めぐは、なんとなくどっきりしてしまったり(笑)。
ずっと先だもん(笑)。。
なんて、こころのなかでつぶやいて。
そう、めぐはルーフィが好き。
ルーフィには、「向こうの時空」から一緒に旅してきた
Meg、つまりめぐの3年後、と言う
ややこしい彼女(笑)が居るのだった。
不思議トライアングル。
それは、いつか解消する。
たぶん、元の時空に彼らが帰ってしまえば
もう、会えなくなる。