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猫が顔を洗った日  作者: 佐奈
声を聞かせて
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009

 今日も綾子はふらりとヴィルヘルムの部屋を出て王城を気侭に歩いていた。喉が渇いたと感じて厨房に顔を出し顔なじみとなってしまったコック長の足元に寄れば猫の舌にはありがたい温度に温められたミルクが出されるぐらいこの王城に馴染んでいる。

 ヴィルヘルムはと言えば、綾子と離れることを惜しんではいる様だが仕事の方が忙しいらしく執務室に一日籠りっぱなしだ。それを見ていると、綾子も自習室に籠ってレポートを幾つも仕上げていた日々を思い出す。

 何の因果か、綾子の選択した講義にはレポート提出の義務を伴った講義が多く、その〆切が重なることなんてよくあることだった。あれはやった、これは途中、資料があっちにこっちにとてんてこ舞いになりながらもどうにかこなしていたあの日々。

 好きなことであったからこそ乗り越えることが出来たが、自分の興味が無いことだったらきっと途中で投げ出していたと、今振り返って見てもそう思う。その点、ヴィルヘルムは王族である責任というものを背負っているとはいえ、毎日朝から晩までよく集中力も途切れさせずに仕事をこなせるものだと、失礼なことかもしれないが感心すらしてしまった。


しかし、今日も平和だと綾子はあくびを一つ。散歩がてらに城にいる人達の井戸端会議やちょっとした会話から情報を集め、言葉が喋れる様にならないかを確認する以外にはさしてやることのない現状。ここまでやることが見事にないとなると、逆にあのレポートや課題に追われていた日々か恋しく思えてくるのも不思議なことだ。

 もし、こちらとあちらの世界が同じ時間で進んでいたら完全にアウトだなと乾いた笑いが漏れる。提出期限は次の日の午前中。空いた時間をみっちりレポートに費やして提出できるだろうとどうにか踏みとどまっていた状態だ。頑張って資料を集めてどうにか完成の目途が立ったというのにもったいないとふてくされたように伏せの様な状態で前に出していた両前足に顔をうずめた。

「あ、いたいた」

 ぴくりと耳が掛けられた声に反応する。

 伏せていた顔をあげて声のした方を見ればやはりヴィルヘルムがいた。彼はまだ仕事中のはずでこんな時間に城のはずれにあたる人気のない林にくるとはと思う。だが、ここは綾子が目を覚ました場所であって、きっとヴィルヘルムが綾子を見つけた場所だ。何か用があってヴィルヘルムもこの場所を訪れたのだろうし、今もそうなのかと思ったが掛けられた声からして綾子を探してきたようで用事があったという線は薄い。

「にゃー」

 とりあえず返事をしてヴィルヘルムに近づく。忙しいのに探しに来たとなれば手を煩わせてはいけない。

「おいで」

 少し長めの裾に土や草がつくのも構わずにしゃがみ込んで綾子を迎え入れるように腕が差し出される。もう数日の間に慣らされた綾子は迷うことなくその腕に飛び込んだ。

 どこへ行くのかと、尋ねるように見上げれば笑顔が返ってくる。

「今日は遠方の国から商人が来ててね……珍しい物を見せてくれるらしいんだ」

 だから君にも見せたくてねと、あごの下を撫でられた。ごろごろと喉を鳴らしながら綾子は珍しものとはどんなものだろうかと期待を弾ませる。城の中にも滅多にお目にかかれない様な品は沢山あってそれらを眺めることも日課となっていた。

 最初の頃は、この世界の人たちには当たり前のものに対して興味を示す綾子が珍しかったのだろうが、ずっと続けているとネコであるし、何か感じることもあるのだろうと今では放っておいてくれる。

「それじゃあ、行こうか」

 しっぽがゆらゆらと機嫌よさげに揺れているのをヴィルヘルムも笑う。

 言葉が喋られない変わり、しっぽや目で随分と感情を豊かに表現する。時には鳴き声も言葉になっていないというのに何を言いたいのか伝わるぐらい感情がこもることだってあった。

「それにしても、君もあの泉が好きだよね」

 城や庭に姿が見えないと思って泉へ来ればたいていそこにいた。今日も誰に聞いてもしばらく姿を見ていないと聞いて着てみれば泉のほとりで気持ちよ下げに座っていたのだ。

 初めて見つけた時もあの泉の傍に眠っていたのだから、何か思うこともあるのだろうか。ただ、今までは気にしていなかったが、もしあの昔から口伝に残っている噂が本当になったらとあまり泉に近づかない様にと言い聞かせようかと考える。

 良いも悪いも隠し連れてくる、そこをまた頭の中で反芻してふと腕の中で機嫌よさげにしている綾子の姿を見下ろした。

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