表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
猫が顔を洗った日  作者: 佐奈
声を聞かせて
7/40

007

「言葉は、理解しているようだね」

 先ほどのヴィルヘルムの言葉を話せないのかという問いに、綾子は盛大にうなずくそぶりを見せ、言葉が話せないこと、それでも言葉は理解していることを必死に伝えようとした。

 そして、その後いくつか質問されそれに答えたり、言われた通りの動作をしてみたりしてどうにか言葉を理解することを伝えることが出来たのだ。

「ネコは喋れるものだと思っていたけれど」

 神殿に保護されているネコは一匹残らず喋っているし、弟たちの得たネコも小さいながら喋っている。姿も子供ではなく成熟しているようだが、子供でもこんな姿のネコなのだろうかとふと考えた。

「みゃー?」

 猫が喋るなんて聞いたことないと、綾子は首を傾げる。どうも『ねこ』と同じ単語を使っているが、それに対する認識にずれがあるようだとヴィルヘルムを見上げる。姿の認識に対しては同じだが、それ以外の言葉については確実に違いがあった。

 綾子の知る猫は今の綾子のようににゃーとかみゃーとかしか鳴かない。時折人の言葉の様な鳴き声を出す猫もいたが、それは人が発するほどはっきりとした言葉ではない。

 だが、ヴィルヘルムの様子からして、彼の言うネコは人のように話し、それが普通だと認識されているようだ。

「どうしたら、言葉を喋れるようになるのかな」

 ヴィルヘルムがベッドへ腰掛け、綾子はサイドテーブルの上にのせられ目線を合わせ意志の疎通をとっていたが、ヴィルヘルムは手を伸ばすとそのまま綾子を抱き上げ膝の上に乗せた。

 一応のところは意志の疎通は何とかできるが、名を聞くことはできないままだ。文字も読めるのかと失敗をしてメモ用紙として置いていた紙に基本となる文字を書いて見せたがそれは分からないのか器用に首を横に振られている。

「その鳴き声も可愛いのだけれど、声も聞いてみたいな」

 少し高めの鳴き声、どこか甘えた様な感じがしてそれも悪くないのだが自分の名前をその声で呼んで貰いたかった。

 綾子はどうしたら喋れるかなんてわからずに背を撫でる手をふさふさとした尻尾で撫で返す。

 まだ、この世界が何処なのか、元の場所に帰れるのか、レポートは大丈夫なのかと解決していない問題もあるのだが、目の前で少し寂しそうな顔をするヴィルヘルムには笑っていて欲しいと見上げた。

 まだ一時間にも満たない時間しか一緒にいないと言うのに、その笑顔を向けられると赤面してしまうほど恥ずかしいというか何ともいえない感情を抱くが、この腕に抱かれているとどこか安心してしまうのだ。本当ならこの状況はもっと不安を抱いたり、心配をしたりとするはずなのに、この腕があれば大丈夫だと、何故かそう思ってしまった。

「慰めてくれるの? 優しいね」

 喋ることができないことは綾子が悪いわけでもないのに、申し訳ないといった様な雰囲気で手を撫でる尻尾。一目見た時の直感はやはり正しかったのだと、そのまま思うままに抱き上げ抱きしめる。身い下でにぎゃーと悲鳴にも似た鳴き声がしたがその腕を緩める気にはなれなかった。

 急に抱きしめられた綾子は目を見開いて、足を突っ張らせて固まっている。撫でられたり抱きあげられることにはこの短時間でなれたが、まさか抱きしめられるとは思いもしなかった。視界の端に映った尻尾がすごく膨らんでいて猫の様な運動神経は手に入れられなかったけれど、身体の構造は確かに猫なんだとこの現状から逃避するようなことを考える。

 しかし、ずっと抱きしめられていると頭はだんだんと平静を取り戻してきて、突っ張っていた手はヴィルヘルムの肩へ、足はそのままだらんと垂らさせた。そして、ここまで相手に気に入られていて帰る方法を見つけたとして、帰れるのだろうかとそんなことを考える。

 何故か知らないが、ヴィルヘルムからは好意しか感じられなくて、言葉を喋ることが出来ないとわかっただけでも綾子には落ち込んだ様にも見えたのだ。だとしたら、きっと帰れば二度と会うことのできない場所へ帰ると言ったら、どれほど悲しむのだろう……悲しまないという選択肢はなんとなく思いつかず、綾子は直ぐ近くにある顔を見上げた。


 一目ぼれなんて信じていなかったけれど、もしかしたらその一目ぼれをしてしまったのかもしれない。

「にゃー」

 惚れっぽい子が言っていた、見た瞬間これだと思うの、理屈とかそんなものどうでもよくて、ただその人の傍にいたいんだって。

 文化は違う、言葉も違う、きっとファンタジーの中で繰り広げられている様なそんな世界が外には広がっているのだろう。元の世界には家族がいて、友達がいて、やるべき事が残っていて、戻らなければならないのにそれでも、この抱きしめてくれている腕から抜け出すなんてこと考えられなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ