006
とりあえず、いったんは王位継承の準備の話は止めてもらうことにして、相手の了承を得てネコを得ることが出来たら王位を継ぐことを了承するという約束だけを取りつけられヴィルヘルムは謁見の間を後にした。
しかし、ネコはネコでも神殿に保護されていないネコ。そして今まで見たこともない姿をしていたがそれは噂の中にも盛り込まれているはずだ。だが、一言も両親はそこに触れては来ずただヴィルヘルムがネコを得たか否かそこに焦点があてられていた。
もしかしたら過去にも例があったことかもしれないし、ヴィルヘルムが見たことがないだけで今日見つけたあのネコの様なネコは存在するのかもしれない。
「あ、それは僕が頼んだものか?」
廊下を歩いていると、丁度向かい側からお盆にミルクを入れたチェイサーと銀の小皿を載せたメイドがやってきた。確か先ほどミルクを持ってくるようにと頼んだのもこのメイドだったはずだと声をかければはいと短い答えが返ってくる。
「ここまででいいよ、後は僕が持っていく」
どうせ向かう先は同じなのだし、心地よく眠っているだろうネコを起こすこともしたくない。自分なら、抱き上げても平気だった自分だったら多少物音を立てても平気だろうとメイドからお盆を受取る。少し渋ってはいたが、ネコをまだ一人占めしたいんだなんて茶化して言えば少し驚いた顔をして、王族たちのネコへの溺愛振りを思いだしたのだろう「では、確かにお渡しいたしました」と綺麗な礼を取って淀みない足取りで去ってゆく。
ヴィルヘルムが手を出そうものなら、これは自分の仕事だからと引くことのないメイドたち。なのにネコを絡ませただけであっさりと引きさがってしまい少し驚いてしまった。
「まぁ、確かに父上たちの溺愛振りは凄いからね」
きっと、そこに自分も加わるのだそう考えると何処か不思議な感じでヴィルヘルムは小さく出はあったが声を出して笑ってしまった。
部屋の前に着くとお盆を片手に持ち直してゆっくりと極力音を鳴らさぬよう扉を開く。戸を開いたことで開けていた窓との風の通り道が出来て心地よい風が出迎えてくれた。
さて、あのネコはまだ眠っているかなと気配を消してベッドへと歩み寄る。サイドボードにお盆をこれもまたゆっくりと置いて、振り返れば部屋を出る前にはそこで眠っていたはずの姿は無く息をのむ。
「あれ、どこに行ったんだ?」
何とも間抜けな声だと思いつつも、そんな声と言葉しかでなかった。もしかして開けた窓から逃げてしまったのだろうか、それとも扉から逃げてしまったのだろうか、そんなことが頭の中をぐるぐると回る。
「……外に出て他の奴の目にでも止まったら」
ぶつぶつと今城の中にいる王族の血を引く者の顔を思いだす。もし、この部屋から逃げ出していたとして王族の血を引く者の目に留まり先を越されてしまったらと考えると血の気が引く思いだ。
せめてこの部屋に、どこかに隠れていてくれればとヴィルヘルムは姿を消したネコを探し始める。
「おーい」
どこに行ったんだーとクッションを引っぺがしてみたり、タンスの裏を覗いてみたり、ヴィルヘルムは以前弟のネコが隠れてしまった時に探した様な場所を探し始める。冷静なつもりでいるが、どこか気は焦っていて足音が何時も以上に部屋に響く。
「にゃー」
一つ、聞こえた鳴き声にぴたりと足を止める。そして鳴き声の聞えた方向に振り返り力が抜けた様に膝をついてベッドの下をのぞきこめばそこには探し求めたネコがいた。
「お、こんな所に隠れてたのかい」
漸く見つけた姿に思わず頬が緩む。それにこちらの姿を見ても逃げる素振りも見せずじっとそのブルーサファイアの様な瞳で見つめてくる。お揃いの青い瞳、けれどネコの瞳の方がヴィルヘルムの瞳の色よりも濃い色をしていた。
「ベッドの寝心地はわるかったのかな」
ベッド下から出そうと手を伸ばしてもネコは逃げる素振りを見せず、その胸に抱けばどこかくつろいでいる様だった。そして、腕の中でどこか自分の安定する位置を探していたのか少し身体をひねった後、胸のあたりを撫でるように叩かれる。
目を合わせてくれたこと、伸ばした腕から逃げようとしなかったこと、そして腕の中に大人しくだかれていること……嫌われていると言うことはなさそうだと背を撫でる。
「僕の名はヴィルヘルム・エル・ヴェストラだ。君の名は?」
名を交換し、契約を結べばこのネコはヴィルヘルムの唯一のネコとなる。ネコもこの相手ならと思った相手にのみ名を教えるのだ。相手の目をじっと見て反応を待つが、ネコはヴィルヘルムの顔を見た……どこか目を見開いた感じで……まま動かない。
「君みたいな子は生まれてこのかた見たことが無いよ」
まだ緊張しているのだろうか、そう思ってそんな言葉をかけながら見事な毛並みを撫でる。絡まってしまいそうな印象を与えていると言うのに、指通りはなめらかでずっと触っていたくなった。少しでも相手の緊張がほぐれるようにとヴィルヘルムはまた笑いかける。
「ネコは好かないと思っていたけれど、君なら上手くやれるきがするよ」
今まで出会ったネコは大抵が気位が高く傲慢だった、中にはおっとりした子もいたけれどどこかヴィルヘルムとは合わなかったのだ。けれど、今腕の中にいるネコならばその姿を見た時からこの子だと確信めいた予感があった。
「だから、君の名を僕に教えておくれ」
名前を、最初に名を呼ぶ権利が欲しいと強く願う。
だが、幾ら待てどもネコは喋らず、真っすぐな瞳で見返してくるだけ。
そこには何処か困ったといった様な感情も浮かんでいてヴィルヘルムは少し首を傾げ名前ではなく別のことを尋ねた。
「えーと、もしかして喋れない、……のかな?」