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猫が顔を洗った日  作者: 佐奈
声を聞かせて
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004

 ――少し時間を遡る。


 ヴィルヘルムは先ほど休憩がてら訪れた泉のそばで見つけたネコ……綾子を抱きかかえて歩いていた。休憩に向かう時には厚い本が抱えられていた腕には見たことも無いネコが抱えられていて、すれ違う者たちは皆、ヴィルヘルムを振り返っている。

 それもそのはずだ。ヴィルヘルムには上と下に数人ずつの兄や姉、弟に妹がいる。兄や姉は既に自分のネコを得ているし、弟妹の中には早くも候補を得ている者もいるのにヴィルヘルムにだけは一向に唯一と言えるネコが候補にすら上がらないのが現状だったのだから。

 ネコたちはヴィルヘルムの唯一になろうと擦り寄るのだが、どのネコも選ばれずヴィルヘルムもその現状に焦りすら見せずこのままあネコを得ないままなのではないかと言う噂すら流れていた。

「あ、済まないが後でミルクを持ってきてくれないかい」

 通りすがったメイドに言付けてそのまま去ってゆく。相手が驚いた顔をしていたがそんなことヴィルヘルムが知ったことではない。今までネコを得なかったのはこれだと思える相手に出会えなかっただけであって、ネコを欲しなかったわけではないのだ。

 神殿に保護されているネコは、自分がネコになったと言う誇りからか、それともより良い相手に選ばれようと言う魂胆からか、性格のひねた相手が多かった。時には可愛らしい性格のネコもいたが、それはヴィルヘルムの琴線には触れず確か二番目の兄のネコになったはずだ。

 眠っている姿しか見ていないから本当の性格は知れないが、それでも一目見ただけでこのネコだとどこか確信めいた思いがわき上がっていた。


 部屋に着くと、ベッドヘッドにもたれ掛けさせていた小さめのクッションを取りネコの眠りを邪魔しない様寝床を整える。

 そうして、ゆっくりと自分も腰を据えて未だ眠るネコを見た。

 全体的に長く白い毛足に、手足と顔、それから尻尾は濃い茶の見た目。目は何色をしているだろうか、濃い毛並みと同じで茶色か、それとも新緑を映し取る様な緑か、それともお揃いの青だろうか、そんなことを考えながら手触りのよい背を撫でる。

 だが、大抵のネコは唯一となった相手と同じ目の色をしているから、きっと青だろうとそんな結論が出されるが、青は青でも海の様に深い青なのか、それとも空の様に抜ける様な青さなのか、はたまた宝石の様な輝きを持つ青なのかと色々な青を思い浮かべた。

「兄さんたちをネコ馬鹿と言ってたけれど、僕もなってしまいそうだね」

 まだ何一つ相手のことを知らないのに、既に頭の中はこの傍で眠るネコのことでいっぱいだ。

 まだしばらくは戻って来ないつもりであった部屋は締め切られていて、掃除はされたのだろうが少し空気が悪い気がした。あんな開けた場所で気持ちよさそうで寝ていたのだから、締め切られた室内は嫌いだろうとテラスへ続く窓を少し開けておく。

 開けた窓から流れ込む風に吹かれて、ベッドの上で眠るネコの毛がそよそよと揺れる。

 このまま一緒に眠ってしまおうかとそんなことを考えるが、それは叶わないと遠くから近づいてくるあわただしい足音に知ってしまう。ヴィルヘルムがネコを抱いて歩いていたという噂を早くも耳にした兄弟の誰かか、それとも同じく噂を聞いて話をせねばと思い立った父であるヴェストラ王によって走らされた家臣のどちらかだ。

 部屋を離れた時にネコが目を覚まし、少し開けられた窓から逃げ出しはしないだろうかと少し不安になる。聞こえないとわかっていても僕が戻るまで待っていてねと、背中を撫でながら言えばそのぬくもりと優しい手が気に入ったのだろう、ネコは眠りながら少しだけ擦り寄ってきた。

「あぁ、本当に……絶対に待っていてね」



 扉を叩いたのは予想通りで、ヴェストラ王によってヴィルヘルムを呼びに来た宰相だった。

「お父上がお呼びです、ヴィルヘルム様」

 用件は言わなくても分かるだろうと、豊かに生えそろった眉の下から覗く目が言外に告げている。

「あぁ、ネコのことだろう……行くよ」

 断ってあのまま一緒に一眠りしてしまいたかったが、一目で気に入って連れてきてしまったけれど今まで一度も見たことも無い姿に、神殿に保護されていないネコ、何か秘密があるに決まっている。

 だがそんな問題点を抱えているとわかっていながら、それでもあのネコがいいとヴィルヘルムは自分の腕にネコを抱いたのだ。

「しかし、皆が見たことも無いネコだと申しておりましたが……」

 神殿からヴィルヘルムがネコを選んだと言う報告も無いし、むしろ神殿へ向かったと言う報告すらここ数年聞いたことが無い。ネコと言えば神殿に保護された存在であって、その場所以外でその姿を見ることはまず無いのだ。

「泉の傍にいてね……一目で気に入って連れてきた」

 泉といえば城の裏手にある山に続く雑木林の中にある泉のことだと城にいる者ならば誰もが知っている。そして、その泉にはあまりいい噂はなく好んで近づく者と言えばこのヴィルヘルムぐらいなものだった。泉は善し悪しも無くものを隠しものを連れて来る、傍によればその力に引きずられどこへともなく連れていかれるかもしれない、小さな子供にも浸透するほどこの国では広くそして深く口づてに言い継がれている噂だ。

「またあの泉に行かれたのですか!? あれほどおやめ下さいと、申したではないですか」

 嘆かわしいと宰相は手をおでこに当てて苦虫を噛んだような顔をした。

「だが、あそこは静かで気持ちの良い場所だよ……それに一度だって隠されていないよ」

 小さな頃から何故かヴィルヘルムはあの泉がお気に入りで暇があれば傍に行っては昼寝をしたり本を読んだりと色々してきた。噂は噂と、その身を案じて咎める宰相たちの言葉もどこ吹く風と未だに通い続けている。

「ですが!」

「ほら、謁見の間についた。父上をあまり待たせてはいけない、でしょう?」

 重厚な扉の前に着いた途端、これでその話は終わりだとヴィルヘルムはにっこりと宰相に向けて笑った。

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