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猫が顔を洗った日  作者: 佐奈
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003

 綾子の周りに己以外の男がいることにまず自分勝手な苛立ちを覚えたが、それ以上に綾子の意思を無視し我を通そうとする目の前の男に一層の苛立ちを覚えた。綾子がその存在を認めているならまだしも、迷惑そうにしているのだからなおのことだ。

「先からとか後からとかそういうことじゃない。迷惑だと態度でわかるんだ、醜い真似はせず引き下がったらどうだ」

 自国の私利私欲に走った貴族でも醜態をさらすことは貴族としてあるべきプライドが許さず引き際を心得ているというのに、この男にはその最低限必要な矜持すらないのかとヴィルヘルムは眉をしかめる。

「はあ? おまえの勘違いじゃねえの」

 仙道の手を外されてヴィルヘルムが誘導したとはいえ、綾子はヴィルヘルムに隠れるようにしているし不安を払しょくするためか腕をつかんだまま離さないでいた。この状況が出来上がるまでの過程と、現状を見てなぜそんなことが言えるのかとヴィルヘルムは少しばかし軽蔑の感情をこめて仙道を見る。

「悪いが、その言葉を君にそのまま返そう。アヤが君と話したがっているなんてどこをどう見たらそう思えるのか、僕には見当もつきません」

 戒めを解いた途端離れて行った、仙道から隠れるようにヴィルヘルムの後ろにいる、それは綾子の意思でありその場で起こった事実だ。今まで相手を落とせなかったことのない仙道には狙いを定めていた綾子の想いが自身に向いていないということを認めたくなかったのかもしれない。

「それに、粗野な言葉遣いも正した方がいい、アヤが嫌がっている一因だ」

 ヴィルヘルムは綾子が仙道が乱れた口調で声を荒らげる度に肩を揺らしていたことに気が付いていた。この現代社を生きてきて綾子だって仙道ていどの口調の相手とは何度も出会っているし時には会話もしていたし、別グループの会話でもっと荒い口調のものが混じった会話だって耳にしていたが気に留めることはなかったのだ。

 だが、以前気にならなったはずのものがこちらの世界に戻ってきてから気になりだし、何故だろうと考えたこともあった。思い当たるのは籠りの日に綾子たちを攫おうとした盗賊たち、荒い口調で乱暴に扱われ、安全だと思っていた場所から連れ去られそうになったこと、それがもう終わったことと表面上納得していても心の奥底ではまだしこりとして残っていたのだ。

「正直、同じ男として君は見下げる点ばかりだ」

 場所を選ばず声を荒らげ、相手のことなどお構いなしに話を進めようとする。その上、嫌がっている素振りを見せていたというのに気づくこともなく、あまつ自分のいいようにとりことを進めようとするなんて男としてもだが、人としてもどうかと思うとヴィルヘルムはさらに表情を歪める。

「べらべら、べらべらと勝手に話進めやがって、今までこれでずっと綾子とはこんな関係なんだよ、てめぇになにがわかるってんだ」

 仙道は綾子がサークルに入ってきた時から狙いを定めていた。まわりも巻きこんで二人になるようにだとか、綾子とペアを組むことが多くなる様にと手を回して、少しずつ距離を近づけているところで、きっとこの大学でもっとも綾子の傍にいた男子学生だっただろう。

 それが急に綾子がよそよそしくなり、仙道から距離をとる様になった。最初は気の所為だと考えたがやはり日が経つにつれて綾子の態度は顕著となり今では周りがもうあきらめたらどうだというほどに綾子との距離は開いてしまっている。好きな人ができたと綾子は言っていたが、最近までそんな素振りを見せていなかったというのに唐突に綾子の中に登場した見知らぬ人物。

 どんな人物かは綾子の言葉の端々からは想像まではできなかったが、遠い国の人ということから日本人ではないのだろう。観光に来ていたどこか別の国の人か、それとも教授に用でもあって訪れた来客か、いずれにしても綾子から引っ張りだせた情報からしてそこまで深いつながりは感じられなかった。

 それなのに綾子のあの執着のしかたはそれまでの綾子からは想像なんて出来なかった、否古典や海外文学と言った学部で専攻しようとしている学問に対する情熱と似ていたのかもしれない。その執着や情熱を向けられた相手が今日唐突に現れたヴィルヘルムと呼ばれる金髪の男。一見、優男にも見えるが中学の部活で空手部に所属していた仙道にはその立ち姿だけでも隙がないことがわかっていた。

 金髪に碧眼、整ったルックスは銀幕でも賑わせていそうな程だが、まとっている服が中東あたりの富豪を思わせ、本人から漂う雰囲気などから部族の王子かそれとも国の王族かと思わせる。しかもその口から出てくるのは感情論も含まれているかもしれないが、どれもこれも正論ばかりでこの場面で感情を省いたような相手の意見は仙道の感情を逆なでするばかり。

 綾子に目をつけてからいい感じでことを進めていたというのに、この男の所為で全て駄目になったのだと思うと目の前が赤く染まる感覚があった。たった僅かな時間で二人の間になにがあったかはわからない、だが仙道はもう数か月もかけて綾子との距離を詰めていたのだ。こいつがいなければ綾子は自分のものになっていたのにと、綾子からしてみれば理不尽で傲慢な思いが仙道の中に込み上げてきた。

「――君が、武力行使に出るというのなら、僕もそれ相応の手を使わせてもらうよ」

 ヴィルヘルムの国は平和な時代が続いている。それでも同盟国からの要請があれば敵対する国の制圧にと兵を送ることもあるし、向けられた敵意をはねのける為に武力を行使することもあった。話し合いで済めばそれに越したことはないが、幾ら魔法大国としてその名を大陸に轟かせているヴェストラの王族とはいえそれなりの備えとして魔法だけではなく体術や武術の心得もある。

 仙道のまとうものが次第に悪いものに変化していることにヴィルヘルムは気が付いていて綾子を完全に背へとかばい視界に入らないようにした。知らない男が綾子の傍にいたというだけでも幼い頃から身につけていた感情を抑える術を捨ててしまおうかと考える程だったのに、その男が綾子の名を呼んでいるだとか、傷つけているだとか醜い感情を抑えている蓋が今にも飛んでいきそうだ。

 感情に身を任せてしまえばまだ完全に回復していない魔力とはいえ、この辺り一帯を吹き飛ばしてしまうことだろう。だが、それはやってはいけない王族の禁忌の一つ。一度制御が外れてしまえばその王族は二度と感情を制御することができなくなり、魔力を封印したうえで一生幽閉されることが決まっているのだ。

 綾子が目の前で消えてしまった時、その制御が外れかけてしまったがヴィルヘルムはあと一歩というところで踏みとどまっていた。あの時の衝動に比べればこの程度のこと、と背に感じる体温にヴィルヘルムは心の平静さを取り戻すと利き足にわずかに体重を乗せた。

「ふざけたこと吐かしてんじゃねえ!! てめぇみたいな優男が俺をやれるわけねえだろう!」

 相手の実力はその立ち姿から察していた、だが多くのギャラリーがいる中で引くという考えはもう仙道の中にはなかった。どちらに結果が落ち着こうとも、今まで繰り広げたことは周りの学生の記憶から消えることなんてない。

 武道を一度でも極めようとした仙道にとってずっと喧嘩にその技術を用いることはやってはならないことだった。だが、この相手にはルール違反だろうと、モラルに反していようと使わなければ仕留められない分かっていてヴィルヘルムが重心を変えたことを切っ掛を合図とするように仙道もまた重心を変え走りだす。

 周りから悲鳴のような声が聞こえた、ヤジを飛ばす奴もいた、いいぞ、もっとやれそんな風に二人をけしかけるような声もした。止めに入るものはこの場にはいない、いざこざに巻きこまれたくないのか、ヴィルヘルムの放つ圧によって近づけないのかそこはギャラリーとしてその場に居るだけの者へ聞かなければわからないが。

 その場から一歩も動いていないヴィルヘルムに仙道は駆けてきた勢いも上乗せするように突きを繰りだしたが、拳はヴィルヘルムの身体へ届くことはなく仙道の突きを見極めた手によって手首を握りこまれている。そのまま突き通そうとしてもビクともせず逆に仙道の手首が悲鳴を上げはじめた。

「引くこともまた勇気の一つだ。恥の上塗りをするまえに引け」

 軋むほどに握ぎられた手首をそのまま引っ張られ、予想もしなかったヴィルヘルムの動きに仙道はそのまま斜め後方へとたたらを踏みしりもちをついた。周りからは驚く声とともに、無様にしりもちをついた仙道を笑う声も聞こえてきていよいよこの場に居づらくなる。

「っ……くそがっ、そんな地味な女、こっちから願い下げだ」

 今更なにを言ったとしても負け犬の遠吠えにしかならないが、それでもその恥ずかしさを誤魔化す為に仙道は吐き捨てるように言うと未だ遠巻きに彼等の様子を見ているギャラリーの間を抜けてどこかへと姿を消した。

 そんな仙道の姿を視線で追うものや、残された綾子たちがまだなにかするのではなんて期待の籠った目で見ている者もいる。

「……あ、ありがとう、ヴィリー」

「アヤが困っていたからね、間に合ってよかった」

 くるりと身体を反転させて、背にかばっていた綾子の方を向けば酷い言葉を残していったが仙道がいなくなったことに安心をしたのだろう、強張っていた表情も柔らかくなっていた。

「あの、その……」

 どうしてここにヴィルヘルムがいるのかとか、その目的はなにかとか聞きたいことは一杯あるし、話したいことだっていっぱいある。だが、言葉を発そうとすれば周りがざわめいたり静まったりと落ち着いて会話をすることもできない。先ほどまであんな愛憎劇の様なことをしていたのだから当然かと綾子は一度深呼吸をするとヴィルヘルムの目をまっすぐと見上げて言う。

「落ち着いて話しをしたいの、私の家に一緒に来て」

 ギャラリーの中には心配そうな顔をしていた友人の姿も見えた。きっと明日授業に出れば心配したとかヴィルヘルムは誰なのかとか色々と聞かれそうだが、先手を打ってメールである程度伝えて置けば彼女たちのことだ、表だって騒ぐことはないだろう。

「うん、いいよ。僕もアヤと話したいことがあるから」

 違う世界を行き来する術は見つけた、けれどそれは確かなものではない。途中で魔力が途切れればそこまで、少しでも手繰り寄せる繋がりを間違えれば別の世界へたどり着くだろう。ヴィルヘルムだって元の世界へ帰る手立てをなにも考えていないわけではないが、それでも無事帰ることが出来るかは五分五分かそれ以下の賭けに等しい。

 不安かと問われれば、不安だ。王族としての責任は嫌というほど知っている、ヴィルヘルムがこのまま行方不明になれば次の王には弟妹たちか、はたまた既に拝領をしている兄姉たちが王位継承権を再び得ることになるのだろう。

 だが、どちらにしろヴィルヘルムは綾子を唯一のネコとして得ることが出来なければ王になることはできない。膨大な魔力で国の防衛やライフラインを支えているヴェストラで一人で王位につくことは寿命を縮めることと同義だ。過去に複数人で国を支えるようにできないかと城の地下深くにある魔方陣を調べたが王と王妃以外の魔力を受け付けない作りとなっており、特例として王と王妃二人が揃って国から出た時に限り代理の王族によって魔力を注ぐことが可能になるよう組まれていたらしい。

 どうにかして魔方陣を書き換えることはできないか、幾人もの王族や国に仕えた家臣たちが調べ試みたが成功例は一つもなかった。

「とても、大切な話なんだ」

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