003
隠れなければ、そう思ったら身体が反応してベッドの下へと隠れていた。
見えないところだからと手は抜かれておらず、清潔さを保ったベッド下は垂れ下ったシーツのおかげできっと高い目線からは死角になるはずだ。伏せの体勢をとって息を殺し扉から入ってくる相手の様子を窺う。
扉が閉まる音は聞こえたが相手の足音は一切聞こえない。このふかふかの絨毯が原因かと小さな前足で何度か叩く。ならば以前よりも聞こえやすくなった耳でと音が僅かでもする方へと集中して耳を動かす。
そうしていると無意識のうちにひげがさわさわと動き、相手の動きで変わる空気の流れを捕えようとしていた。
「あれ、どこに行ったんだ?」
集中していた前方では無くて後方から声が聞こえてきて思わず声が出そうになり、慌てて口を押さえる。だが、どこに行ったのかと言ったのだから今部屋に入ってきた相手が綾子をこの部屋に連れてきたで間違いない様だ。それに、文字は読めなかったが言葉は分かるとなればひとまずは安心だ、どうにかして言葉が分かるのだと言うことを伝えればいい。
声からして青年だとわかるが、相手がどんな人物なのかはわからないが動物に優しくするのだから良い人だろうと綾子は思う。それに、動いた空気に乗って香ってきた匂いは抽象的な言い回しになるが太陽の様な匂いがした。
おーいと今度は足音が聞えてくる、きっとさっきはまだ綾子が眠っているのだろうと考えて足音を立てない様にしていたようだ。綾子は青年だと思われる人の足元に近づきベッド下からここにいるよと、にゃーと一つ鳴く。
「お、こんな所に隠れてたのかい」
青年は鳴き声を聞いて両膝をつくとカーテンの様になっていたシーツをめくりあげて綾子の姿を確認する。そして、その姿を見つけくるりと愛くるしく開いている目に自分が写っているのを見るとその顔に笑みを乗せた。
綾子はと言えば、青年とは予想していたが目の前に現れた碧眼金髪の見た目麗しい姿に思わず目を見開く。海外映画の中でもそう滅多にお目にかかれない様なその顔で、とろけそうな笑みを見せられるとは、人の姿であれば顔が真っ赤になっているに違いないもう一鳴きしようと開きかけていた口が開きっぱなしになったままだ。
「ベッドの寝心地はわるかったのかな」
そっと抱き上げるとその胸に抱いて顎の下を撫でる。動物の扱いになれているのか急に抱きあげられた綾子が不安に感じることは一切なかった。
寝心地が良すぎてもしかして怒られるかと思って隠れたとは思わない様だと間近にある青年の顔を見て綾子はそう思う。しかし、顔もいいが身につけている物も何処か豪奢な印象を受けた。友人に被服関係の学校に行っている子がいるからか、目を肥やす為のウィンドーショッピングに服を作る為の素材選びなんかにもつきあわされていておのずと綾子の目も肥えていった。
あの子がみたら喜びそうだわとたしたしと感触を確かめるように服を撫ぜる。
「僕の名はヴィルヘルム・エル・ヴェストラだ。君の名は?」
伝えられた名前を呼ぶには舌を噛みそうだとか横文字は覚えにくいなどと思っていたが、その自己紹介の続きに答えられてさも当然とばかりに名前を尋ねられ綾子は思わずまた目を見開いた。
「君みたいな子は生まれてこのかた見たことが無いよ」
綾子は泉に映った自分の姿を見て、毛長種の猫だという自覚はあったが、青い目が特徴的な白に近く身体を覆う長い毛足に顔や手足、尻尾と末端だけは濃い茶の色をした猫、たしかヒマラヤンだったはずだと猫を飼ったことのない綾子でも分かったことだ。それを見たこともないとはまた珍しいと優しい光を宿しながらじっと見つめてくる綾子の目よりも淡い色をした碧眼を見返す。
「ネコは好かないと思っていたけれど、君なら上手くやれるきがするよ」
確かに猫は気分やとの声をよく聞くが、何か言っている意味が違う気がすると綾子は首を傾げる。好かないといった時の目は何かにうんざりとでも言った様な、嫌悪すら窺いしれた。
「だから、君の名を僕に教えておくれ」
じっと、見つめて来る碧眼。けれど、今の綾子に自分の名を名乗る術は無い。
猫は喋らないとはこちらの常識では通じないのだろうか、と綾子は困ったという感情が伝わる様にその碧眼を見返した。