a-005
図書館で綾子が好きな人がいて、その人の為に学業とは別の調べ物をしていると告白をした日を境に、仙道の綾子へ対するアプローチが増した。すぐに会えない相手なら奪えるとえも思ったのだろうか、それとも今まで誰か他に好きな人がいる素振りも見せず仙道になびきそうになっていた綾子が別の方を向いたことに引っ込みがつかなくなったのかは綾子には判断することができない。
学部も違い、学年も違うのだから基本的にはサークルに顔を出さなければ会わない相手だ。だがこの最近では綾子が図書館にいる時間が多いと相手も知っているから調べ物をしていると何をするというわけでもなしに綾子の前の席に座っていたり、学食で友人とご飯を食べていると声をかけてきたりと前よりも確実に顔を合わせる頻度が上がっている。
諦めて貰う為にあそこまではっきりと好きな人がいると言ったのに、逆に火をつけてしまったのだと悟ったのはサークルの部室を訪れようとして、中で仙道と他の先輩たちが話しているのを聞いてしまった時だ。あれ以来、サークルには顔を出しづらくて色々と理由をつけては欠席をしている。元々、幽霊部員も多いと言われていたサークルだったから綾子が顔を出さなくなっても何かを言ってくる人はいない。一部をのぞいていは……
「そういえば、新田の好きな人ってどんな奴なんだ?」
書棚と返却用の棚、そして机を何回か往復して席に戻った時に唐突に聞かれた。どんな人か、そう問われてまず最初に思い浮かんだのはよく頭を撫でてくれた手、続いて思い浮かんだのが優しい声、包容力があるとでもいうのだろうか、ヴィルヘルムの傍にいるととても安心感があったのだ。
「傍にいて安心する人、ですね。でも優しいだけじゃなくて怒る時には怒る人でした」
侵入者の件があった後、ヴィルヘルムは過保護なまでに綾子のことを心配したが、命があったからよかったものの、ネコになっている時にあの部屋を出ることは死に繋がると説明を受けていたではないかと怒られたのだ。それが綾子に対する心配からくる怒りであったとしても、ヴィルヘルムはただ甘やかすだけの人ではないのだと知った。
ではどうすればよかったのか、綾子はあの魔力の暴走が起こるまで自分に魔力が備わっていることを信じていなかったし、周りは特殊効果によって深い眠りにつかされあれだけの騒ぎが起きても目覚めなかったのだ。助けを求めようにも周りに仲間はいない、逃げ場は扉の外にしかなかった。
それに、綾子が逃げ隠れてしまえば他のネコがターゲットとなり連れ去られていた可能性もある。だが、後から聞かされた話だが、籠りの日にネコが過ごす部屋は定期的に監視され異常が発見されたら直ちに神官や兵士たちがかけつける様になっていると。今後はその定期時間を短くし早期発見が出来る様に話を詰めているところだとも聞いた。
「ふーん、年上?」
「多分、そうですね。大人だなって感じることもありましたよ」
生活環境の差を考えたとしても、ヴィルヘルムの考え方や所作は洗練されていて同い年とは思えなかったし、あの安心感は年上だろうと勝手に思っている。だが、実際に年上であろうと年下であろうとも相手がヴィルヘルムであれば関係ないのだ。
「え、相手の年、知らないの?」
好きだと言っている相手は直ぐには会えない遠い場所にいるとしか知らない仙道は情報を引き出してどこか突破口を見つけようとしていたが、年すら知らない事実に驚きを隠せない。
「年なんて関係ないですよ、彼が彼であるのなら年下でも構いません」
年は関係ないとだけ言うと、相手がすごく年の離れた相手と思われかねないと、年下でも構わないのだという情報を付け加える。こちらの世界とあちらの世界の時の進み具合がどうなっているのかはわからない、もしまた会えたとして、綾子が年上になっている可能性もある。
綾子は仙道の質問に答えつつ、先ほど貸出手続きをしてきた本を鞄の中に仕舞い、机の上に広げていたルーズリーフや筆記用具もしまう。一冊じっくり読みたい本を見つけて、一人であれば図書館で読んだだろうが仙道が目の前にいては集中できないと家に帰ることを決めたのだ。
どうしたら諦めるのだろうか、付きまとわれても望む様な答えは返せないし、短期間でヴィルヘルムへの想いを思い出にして次の恋を見つけようと感情を切り替えられる気がしない。
「そんな、よく分からない相手が好きなんだ、新田は」
鞄を閉める手を止めて仙道を見れば試す様な目で綾子を見ていた。不安を煽って揺れた心に付け入ってどうにかことを進めようとしているのだろう。
だが、不安で揺れ続けていながらもぶれることの無い軸が一本ある綾子の心はその程度で傾けられたりはしない。
「……そう、ですね」
それよりも大切なことは他に一杯知っている。年を知らなくても何か困るわけではない、誕生日は知りたいと思うけれど年はそれに付随してくるおまけみたいなものだ。
「新田……」
「先輩、私は用事が済みましたから帰りますね。お先に失礼します」
待ち合わせたわけでも一緒に帰ると約束したわけでもない。絡みついてくる視線に、そろそろはっきりと言葉にする必要があるのだろうと考え始めていた。そうなるとサークルは辞めた方がいいかもしれないなと思ったが、幽霊部員となってそのままフェードアウトした方がいいだろうかと考えごとをしながら図書館のゲートをくぐる。
後ろから誰かが追いかけて来る足音が聞こえるが、仙道のものだろうと少しうんざりした。サークルの中でも人格者だと言われている仙道のことだ、話せば分かってくれるはずだ。
「待てよ、新田」
手首を掴まれ前へ進むことを制限される。
「お前、そう会えもしない年も知らない様な奴でいいのかよ」
日も落ち辺りは暗くなっているがまだ最終講義が行われている時間帯で、構内には昼間程ではないがまだ生徒がいる。そんな中で、突如往来に響いた仙道の声に何人もの人影が立ち止り綾子たちの方へと視線を向けていた。
「構いません」
会えない状況を作りだした原因は綾子だ、次に会える可能性も低い、それでも次に相まみえることを願わずにはいられない程、綾子の心にヴィルヘルムの存在は根付いていた。共にいた時間は一カ月程、その短い期間で相手のことを全て知れたとは思ってはいない。まだ、綾子には見せたことのない面が存在しているのだろうけれど、それでも見たことの無い面を見せられても抱く想いが変わらないという確信が綾子にはあった。
「お前が傷つくだけかもしれないんだぞ」
仙道もまた、綾子のことを心配してくれて言っているのかもしれないが、それでも綾子はその想いを諦めきれないのだ。それに、綾子よりもヴィルヘルムの方が傷ついていると知っているから、この想いを貫くことで傷つくことぐらい構わないと思っていた。
「そんなこと、分かってます」
綾子が投げやりなともとられてもおかしくない返答をすれば、息を飲む音が聞こえて手首を掴む手の力が強くなる。
揉めごとか、それとも痴話げんかかと足を止める人も多くなってきた。手首に覚える痛みからその手を外そうとしている綾子の様子を見て彼氏もっと優しくしてやれよなんて無責任な声がかけられる始末。
「俺の気持ちに気付いて、そんなこと」
よく言えるなと言葉は続いていたけれど、綾子の意識は別のものに奪われ上体をひねりその視界には完全に仙道の姿は入っていない。
暗くてよく見えないが、綾子は誰かが呼んだ、そう感じた方向をじっと見つめていた。




