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猫が顔を洗った日  作者: 佐奈
転章
27/40

a-003

「あのレポートも提出した、次の講義は休講、期限の差し迫った課題も無い」

 と、綾子は他に誰もいないサークルの部室でうだうだとしていた。趣味でとっていた講義は友人が誰も取っていなくて一人空き時間、それでもサークルに顔を出せば誰かいるかと思ったのだがそれも空振り、なので購買で買ってきた菓子と飲み物を机の上に広げて一人を満喫している。

「本当に、あの日々が嘘みたい」

 魔法が発達している世界だったから、異世界に干渉する魔法でもあるのではないかと考えたが二日経っても何も起こらなかった。もっと日数が経てばとかそんなことも考えたが、それぐらい出来たらあの泉で、ヴィルヘルムがどうにかしている可能性の方が高いかとどこかでしていた期待は捨てている。

 空いた時間に異世界のことや何故あんな不思議体験をしたのかと考えて、もしかしたら、あの世界にいた期間は元々決められていてその期間中に何かしらの結果を出さなければ排除される仕組みだったのではないか、綾子はそう考える様になっていた。

 何かしら条件があって、その条件に見合った人が異世界へ呼ばれ、そして期間中に何か行動を起こし、求められている結果を出した場合にのみあの世界へ留まる。そして結果を出せなければ元の世界へ強制送還されるのではないかと。

 きっと、出さなければならない結果はヴィルヘルムへの答えだったのだろう。あの世界に残るのであれば名前を告げ、元の世界に帰るのであれば名前を告げないと宣言をする。綾子の様に迷い続け、答えを出せなかった者は強制送還をされる、きっとそんな仕組みだと。

 だが、そうなると次の存在があちらの世界へといざなわれているのかもしれない。

「やだ」

 声も、腕も、あの優しい眼差しも全てが他の人のものになってしまう。綾子の様に選べないかもしれない、でも何時かはヴィルヘルムを選ぶ人が現れるに決まっている。

 それとも、神殿にいた他のネコからヴィルヘルムは伴侶を見つけ出すのだろうか。綾子と同室になっていたネコの中にはヴィルヘルムに選ばれたいと押し出している子はいなかった。別の部屋にはネコになる前からヴィルヘルムに熱をあげていたと噂される令嬢もいたと聞く。王子と令嬢、良い組み合わせではないかと思い浮かべて乾いた笑いが漏れた。

「……やだな」

 誰かがヴィルヘルムの横に立つことを想像するだけで胸が痛い。伸ばされた手を取らなかったのは綾子だ、だから嫌だという資格も無いのに、それでも他の誰かが傍にいることが嫌だと思う。

 机のうつぶせて窓から見える空は綾子の心内とは裏腹に晴れ渡っていた。そういえば、あちらの世界にいた最後の日、雨が降っていたがヴィルヘルムは風邪をひかなかっただろうかと心配になる。

 綾子はといえば、こちらの世界に帰ってきていた時には何故か身体は濡れていなくて不思議に思ったが、それでも奪われた体温はそのままで少し寒かった。覚えている最後のヴィルヘルムの顔、あの頬を伝っていたのは涙だったのか、それとも雨だったのか。

 酷く傷ついた顔をしていた、その傷をいやしてくれる人が現れればいいと思う反面、その傷をいやすのは自分がいいと思ってしまう。もう迎えに来てくれるかもしれないなんて期待は捨てたというのにまだそんなことを考える自分がいて綾子は苦笑した。

「お、新田じゃないか、どうしたんだこんな時間に部室で一人」

 唐突にかけられた声に慌てて状態を起こせばサークルの先輩が腑抜けた様子の綾子を見て笑っている。

「休講だったのでちょっと息抜きを。仙道先輩はどうされたんですか?」

 広げていたお菓子を仕舞いながら問えば俺も息抜きだと答えが返ってきた。壁掛け時計を見ればまだ午前最後の講義は終わっていない時間で、もう少しすればこの部室にも人が増えてきそうだ。

「お前、これからどうすんの?」

 気がつけば綾子の正面に座っていた仙道もしばらくここにいるつもりなのだろう、荷物が何時もの場所に置かれていた。今綾子にある選択しと言えば、このまま部室にいて仙道の話相手になるか、それとも友達を迎えにいって昼食を一緒に摂るか、構内をぶらぶらして午後からの講義までの時間を潰すかだ。

 仙道は新入生の中でも綾子のことを気に入っていてよく構っていた。サークル内でもそれは認識されていて、同じサークルに入った友達と話をしていてどうなのかと話題に上ったことも幾度となくある。悪いうわさも無い、良物件だと言っていたのは誰だったか。以前の綾子であればそのままサークルの先輩後輩から友人以上恋人未満の様な関係になりそのまま付き合うのではないかと考えたこともあった。

 だが、今はもうその未来を思い描くことすらできない。人を好きになるってどんなことだろうと思っていた節があったが、ヴィルヘルムに恋をして仙道への想いはただ恋人という存在に憧れていたにすぎないと分かってしまったのだ。

 大学に入学するまでも告白されたことが一度あったけれど、その時はまだよく分からず、相手も他校生ということもあって告白は断っていた。そして、年を重ねて回りが次々と彼氏を作り綾子に話を聞かせ、早くいい人見つけなよと言われていて、焦っていたのかもしれない。

「おーい、新田どうしたんだよ。難しい顔して」

「え、あ……友達とご飯一緒に食べようって言ってたので学食に行きます。それじゃ、失礼します」

 このままここに仙道と二人でいてはいけない気がして、とっさに嘘を吐いてその場を去る。友人と昼食をよく一緒に摂ってはいるが、今日その約束はしていなかったがあれだけ混雑している食堂であるし、ばれることはないだろう。

 サークル棟から離れると、綾子はそのまま図書館へ足を向けた。時間が経つにつれてヴィルヘルムや異世界のことを考える時間が増えている。あちらに残ったとしても同じ様にこちらの世界のことを思い出す時間が増えていくようになるのかはわからないが、ここまで苦しい思いはしなかったかもしれない。

 ヴィルヘルムの元へ行くことはもうできないかもしれない、それでもこのまま諦めたくないという気持ちが綾子の中に育ってきている。

「……うん、探そう」

 何か一つぐらい手掛かりがあるかもしれない。お伽噺でもいい、空想でもいい、異世界とは、異世界と繋がる方法とは何かと書かれた本をしらみつぶしに探してみようと、綾子は図書館へと入った。

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