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猫が顔を洗った日  作者: 佐奈
声を聞かせて
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024

「アヤっ」

 意志を持った様にうごめく泉の水に囚われた綾子に少しでも近づこうとするが、結界に阻まれて泉の中に入ることが出来ない。阻むものが結界ならば己の力で穴を作ろうと試みるが全て無効化されてしまう。

 国を守る結界を張る役目を持つ王族は一様にして結界関連の魔法に長けている。それは結界を張ることだけではない、重点的に補強すること、破ること全てに置いてだ。

 ヴィルヘルムも次期国王として役目を担っているだけに魔力も高く結界に関する知識も相当なものをもっているのに、それでも全てを無効化する結界など今まで出会ったこともないし、聞いたことも無い。

「くそっ、何でなんだ」

 すぐそこに、綾子がいて助けを求めるように手を伸ばしているのに何もできない己に苛立ちが募る。

 思いつく限りの魔法は試した、結界を破る為の魔法だけではなく攻撃魔法も試したがびくともしない結界にそんなことをしてもどうにもならないと分かっていても、ヴィルヘルムは両のこぶしを打ちつけた。

 その間にも水が綾子を包み込むようにじわじわと広がりヴィルヘルムからその姿を遮ってゆく。


――泉は善し悪しも無くものを隠しものを連れて来る


「やめろっ」

 ヴィルヘルムにとって綾子は漸く巡り会えた相手だった。

 ネコを得る為に足しげく神殿に通ったのは弟たちがネコをみつけるまでのこと。

 父も兄や姉たちもヴィルヘルムの年齢になるまでにネコを得ていた、だからヴィルヘルムもその年頃にはネコを得ているのだとそう漠然と考えていたのだ。だが、多くいるネコを見ても、足元に擦り寄る姿を見ても心が動かされることは無くて時だけが過ぎ、ついにはヴィルヘルムよりも先に弟たちがネコを得た。

 自分には唯一という相手がいないのだろうかと考えるようになり、いつから一人でも大丈夫だと思う様になっていたのかは覚えていない。

 仲睦まじい両親や、兄夫婦たち、その姿を見て育っていたが年を取るにつれてネコを得ることのできない自身にとっては身近な存在ではなく壁一枚挟んだ様な存在だとそう考えていた。彼らの姿を見て羨ましいと表面には出していなくとも心の底ではそう思っていて、いつ訪れるか分からない何時かを強く願い唯一の存在となるネコを欲していたのだ。

 年を重ねるごとにまだかと心配をする周りの者たち、だけど本当は、誰よりも強く半身とも呼べる唯一のネコの存在を求めていたのはヴィルヘルムだった。

「やめてくれっ」

 初めはその姿を見て気に入り腕に抱いた温かな身体、撫でれば擦り寄ってくる可愛らしさ、答えも聞いていないのにただそれだけでこのネコは自分のネコだとそう確信すらしたのだ。

 言葉を交わせなくて、それでもヴィルヘルムの言葉を解し反応を見せる姿は可愛らしいと思った。人の姿となった時にネコの瞳とはまた違う輝きで見つめたあの瞳に囚われ、言葉を喋る様になり言葉を交わして綾子の人となりを知りより一層名前を交わしたいと強く感じたのだ。

「アヤーーーっ」

 喉が切れるのではないかというぐらいの声、そんな声生まれてこのかた出したことが無かった。けれど、今叫ばなくて何時叫ぶのだとヴィルヘルムは喉に感じた痛みを無視して叫ぶ。

 水が綾子の姿を包み込み、もう目の前には綾子の姿を覆うぐらいの卵型になった水の塊しか見えない。打ちつけ続けた拳からはうっすらと血が滲み透明だった結界は一部が赤く染まっている。痛いはずの拳は痛みを感じていなくて、ただ目の前にある見えない薄い膜が邪魔だとそれだけを思い打ちつけられていた。

 そんなヴィルヘルムをあざ笑う様に、水の塊は四方八方にはじけ飛び、消えた。そして、中にいたはずの綾子の姿もうそこには無い。

「……ア、ヤ」

 本当の名前は知らない、知っているのは綾子から告げられた愛称のみ。本当の名前を知っていれば何か変わっただろうか、変えられていたのだろうかと、ヴィルヘルムは膝から崩れ落ちる。視線は先ほどまで綾子がいたはずの空中を捕えているが、その双眸が世界を正しているかは怪しい。

「あ、……あぁぁあああああああああ」

 言葉は出てこなかった。小さな子供が泣き叫ぶ様な、獣が唸り声を上げる様なそんな声が絞りだされた様にその場に響く。

 機嫌よく尻尾を立てたネコの姿、大丈夫とでも言う様にほほ笑む人の姿、お疲れ様、お休みとヴィルヘルムにかけてくれた優しい声。全てがこれからも傍にあるものだと思っていたのに突如奪われる様にして失われた。

 どうして、なんで、まとまりのつかなくなった思考はただそれだけがぐるぐると回り、何も出来なかった不甲斐なさに、ようやく得ようとしていた存在の消失に泣いている。

 どれぐらい叫んだだろうか、雨音だけが響く様になりヴィルヘルムの身体から力が抜け座り込んでしまうとそのまま上半身を折って地面に両手をついた。

 今までどんな影響を受けてもびくともしなかった結界は水がはじけ飛ぶと同時に消え去りもう外界から泉を遮るものは無い。

 降り続ける雨、幾つもの波紋のある水面には取り残された様にヴィルヘルムが綾子へ贈った首輪だけが浮かんでいた。

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