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猫が顔を洗った日  作者: 佐奈
声を聞かせて
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002

 ふかふかと、ぼんやりと浮上してきた意識の中で足元が柔らかな感触であることを知る。

 暖かな陽気に誘われてつい眠ってしまった場所は芝生が茂っていたとはいえ地面でそれなりの硬さだったはずだ。さすがにそこは記憶違いがするはずが無いと綾子が目を開けるとそこはあの泉の近くでは無くて中世の城を思わせる内装の部屋だった。

 また知らない間に移動していると立ちあがろうとするが、足元が不安定でそのままよたよたと倒れ込む。もし勝手にこの部屋に入ってしまったのなら、この部屋の主に見つかる前に逃げなければならない。動物好きならいいが、もしアレルギー持ちや嫌いな人が主であったら叩きだされる可能性だってあるのだ。

 しかも今、綾子のいる場所はキングサイズはあろうかというベッドの上。これはそうそうに降りてせめて床の上にいた方がいいだろうと綾子はベッドから飛び降りた。

 猫の身体なら華麗に着地できるだろうとそう思っていたのだが、猫の姿をしていても所詮中は人の子、怪我はしなかったが着地に失敗してでんぐり返しを二度ほどして漸く止まった。

『……どんくさすぎる』

 運動が得意ではなかったが、運動音痴と言われるほど酷いわけでは無かったのにこれは酷過ぎると綾子はがっくりとうなだれる。

 言葉も喋ることはできないし、感覚もこの小さな身体にあっているのだから猫特有のあの機敏な動きや柔軟さもあるのではないかと思っていたがどうやら違うようだ。それでも聴覚や嗅覚は人でいたことよりも敏感にはなっているようだが……

『こうなると、窓から逃げるのは無理そうだな』

 不用心とでもいうのか、それともこの世界が平和なのか多分テラスへと続いている大きな窓は少しあけられていて、部屋の中には心地よい風が流れている。猫なら二階程度の高さであれば飛び降りても大丈夫だと考えていたがベッド程度の高さからもまともに飛び降りれないとなればそれは自殺行為でしかない。

 せめて隠れていて相手の様子をうかがってから行動を起こした方がいいだろうかとそんなことを考える。もしかしたらこの部屋の主が綾子を運んできた可能性も考えられるのだ。

『いい人だといいんだけど』

 唐突に猫になり、きっと知らない場所に自分の知らないうちにきていて、レポートも未完成のまま、これ以上心配事が増えるのは勘弁願いたい。

 それにしてもせめて床にとベッドから降りたが、床に敷かれているカーペットもふかふかでここが見た目通り身分の高い人の住まう場所なのではないかとそんなことが頭をよぎる。

 改めて部屋の中を見渡して見ると、派手さはないが手の凝った装飾が施された趣味の良い家具に、ゴミ一つ落ちていないふかふかの絨毯、壁に掛けられているのは良し悪しは分からないがそれでも綺麗だとそう思える大きな絵画、重厚感のある机には羽根ペンとインクがセットで置かれ、洒落たブックスタンドに挟まれ分厚い本が並んでいる。その脇には紐で巻かれた羊皮紙が何個か積み上がっていた。

 そして、最後に先程まで乗っかっていたベッドを見上げれば天蓋がついていて、ベッドヘッドの上にはこれもまた見事な装飾の施された剣が大小で飾られている。ただの飾りかと思ったが、柄の部分をよく見れば巻かれた布は擦り切れどこか色あせていて、実際に使いこまれている物だとわかった。

『……嫌な予感しかしない』

 夢かと思っていて、けれど今自分は確かにこの世界にいるのだと実感して、そして今この世界が自分のいた時代、もしくは世界では無いのだと何となくわかってしまった。

 探せば、綾子が囲まれていた文明の機器のない暮らしをしている国は見つかるかもしれないが、それでもここまでお金をかけることのできる財力を持ちながら昔ながらの生活をするというのは少し考えにくい。部屋の中だけならまだしも、外に視線をやっても電線一つ、背の高いビル一つ見えやしないのだ。

 まさかと、思う。一つだけ心当たりがあるのだが、それは息抜き程度で呼んでいたSF小説や映画なんかの中で起こっていることだ。実際にそんなことがあるなんて聞いたことも無いし、実例が残されていたこともない。

 そう、綾子の頭に思い浮かんだのは異世界トリップ。何かしらの切っ掛けでそれまでとはかけ離れた世界にとばされることだ。

 読んだり見たりするのは楽しいが、それが自分の身に起こったとなれば話は別。ここが異世界となれば言葉は通じるのかとか、一般常識は同じなのかとか、そこから心配しなければならない。

 もしかしたら、猫の姿になっているのもこの世界にトリップしてきたことと関係があるのかもしれないが、まずは言葉だと綾子は机の上に並べられている本の背表紙を見ようと必死に立ちあがる。文字が読めれば言葉もわかるかもしれないからだ。

 アルファベットの様な、けれど何処か違う印象を与える文字の羅列。

『……えぇと』

 文字であるという認識は出来るが読むことはできない。これはやばいかもしれないそんな思いがこみ上げる。相手と意志の疎通を取る為には言葉が通じることが必要になってくるのだから。

 それ以前に猫の姿となってしまっていて、人の言葉を話せないのだから文字が読めなければ相手との意志の疎通をとることが格段に難しくなってしまう。

 どうしよう、どうしようとその場でうろうろと回っているとがちゃりとドアノブのひねる音が聞こえた。

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