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猫が顔を洗った日  作者: 佐奈
声を聞かせて
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016

「くそっ、騒ぎやがって」

 首元を押さえられて息が詰まるが、とにかくこの手から逃げたかった。先ほど綾子が大きな声で叫んだが周りのネコが起きる様子は無い。

「おい、布でこいつの口を縛れ」

 これ以上騒がれてはたまったものではないと声を出せない様にと指示を出す。その間にも綾子は手足をばたつかせてどうにか拘束から逃れようとしていた。爪を立てて引っかかれたシーツはぼろぼろとなっているが男の手には傷があまりつけられていない。叫ぼうにももう片手で口を塞がれているから声をあげることも出来なかった。

 兎に角、一瞬でもいいこの手を緩めさせなければと、ただ手足をじたばたさせていたがこの手に噛みつけばいいのだと気がつく。口をふさぐようにされているだけで顎を押さえられていないから口を開くことはできる、ただ逃げたいこの嫌悪感しか覚えない手から解放されたいという一心で男のてに噛みついた。

「くそっ、こいつ」

 痛みに一瞬緩んだ拘束力から逃れ身体を反転させると今度は鋭い爪で男の腕を引っ掻き、それまで生かすことの出来なかった猫としての身体能力を発揮して逃げる。どこへ逃げたらいいと考えるが目に入ってきたのは開けられたままの扉。

 逃げなければ、助けを呼ばなければ、綾子の中にはそんな思いしか残っていなかった。

「助けてっ……」


 籠りの日の三日間、この部屋の外に出ることはできません。それが神殿にきて最初に説明されたことだった。籠りの日にはネコは内包する魔力を自分で安定させることが出来ず暴発させてしまうので特殊な結界をかけた部屋へ籠りその三日をやり過ごす。魔力の暴発は小さいものであれば火傷程度で済むが、ネコになった場合の魔力程になると最悪命を落としかねない。

 何故、ネコにだけ籠りの日があるのかと言えば、人の頃には無意識に行っていた魔力の安定がネコの身になるとできなくなり暴発を引き起こしてしまうようだ。中にはネコになっても魔力の安定をさせる者もいるようだがそれは極稀なことで、不慮の事故を起こさない為に籠りの日は続けられている。

 また、なぜネコになると魔力を暴発させてしまうのか、そのメカニズムも核心までは解明されておらず、現段階で分かっていることといえば人でいた頃よりも外部から受ける影響の大きさと、身体の大きさに関わっているのではないかという程度だ。



「逃げたぞ、追えっ」

 手に傷を負った男は血を落として仕舞わぬよう傷口を押さえ、同行していた男たちに指示を出す。気付かれぬようここまで侵入を果たしたが、ばれてしまえば逃げ切れる自信はなかった。ネコに手を出したのだただその事実だけで処罰は確実だ。

 依頼主が何故ネコを欲しがったのか、そこまでは聞かされていないがそんなことこの男たちにしてみれば重要なことではない。重要なのは支払われる対価のみ、失敗すれば対価も入らなければ二度と日の目を見ることも出来ないかもしれない。

「なめやがって、大人しくしやがれ」

 あと少しで扉を潜りぬける、あの扉を抜けたらもう大丈夫かもしれない、外へ出てはいけないと言われていたなら、ネコが外に出た時何かセンサーみたいなものが働いて神官に連絡が行くかもしれない。恐怖に飲み込まれそうになっていた綾子の頭の中には何故外に出てはいけないのかと説明された理由のことが抜け落ちてしまっていた。

 扉に近づくたびに内側から何かが溢れだす感覚がしていたが、身体が扉の外に出た瞬間その溢れだすという感覚が爆発する。

「っ……!?」

 目の前が真っ白に染まる、遠くで男のうめき声とも悲鳴とも取れない声が聞こえた。綾子は悲鳴を上げる暇もなく弾きとばされ廊下を挟んで向こう側の壁に背中を打ちつけてようやく止まる。

 何が起こったのか、綾子は白い光が収まった頃には背中は痛むが意識は保っていた。目の前にある光景は一体何だろうかと未だに早鐘を打つように激しく動いている心臓がうるさい。

 崩れた扉と壁、廊下に置かれていた観葉植物は焼け焦げ土は散乱し、鉢植えは扉などと同じ様に砕け散っていた。綾子を追ってきていた男たちもあの光に巻き込まれたのだろう、廊下に一人、部屋に一人倒れ込んでいる。そして、綾子を拘束していた男は化け物を見る様な怯えた目をして部屋の奥から綾子を見ていた。

 油断すれば部屋の奥にいる男が捕まえに来るかもしれない、倒れ込んだ男たちが再び立ち上がるかもしれない、まだ恐ろしさの抜けきらない綾子は不安要素ばかりを考えてしまう。逃げようとそう思うが先ほど吹き飛ばされた時に足をくじいてしまったらしく、立ち上がることもままならない。

「……」

 どれぐらい、そうしていたのだろうか。綾子にしてみれば数時間以上そうしていた様な気がしてようやくこの惨状を作り上げた時の音や魔力の使用痕跡に気がついた神官たちの足音が聞こえてきて緊張状態が少し緩む。

「逃すな、生きて捕えろ」

 聞き覚えのある声が指示を飛ばす、そして綾子の傍に膝をつくと窺う様に顔を覗き込んできたのはやはりジルベールだった。彼が連れてきていたのは神官と数名の警備兵たちで侵入者たちをとらえてゆく。

「……ヴィルヘルム様のネコ、ですよね。先ほど連絡を入れましたからすぐに来るはずです」

 何故、確認するように言われたのかとそう思ったが、綾子は漸く自分が人の姿に戻っていることを知った。服装は家でレポートを書いた時のままで、入学祝に買って貰った腕時計が目に入る。

 もうすぐ、ヴィルヘルムがやってくるそう聞いて綾子が抱いていた恐怖が薄れ緊張が解けた。あの腕が綾子を傷つけることが無いと知っている、そして傍にいるだけで安心が出来ると。

「これは神殿の落ち度です。申し訳ないことをいたしました」

 土下座する勢いで謝られて、確かに今まで感じたことのない恐怖を味わったがそれでも実際に攫われたわけでも命を取られた訳でもなくて、そんな謝らなくてもいいと言いたかったけれど何故か声は出なかった。

「……」

「貴方がたネコを危険にさらしたこともですが、貴方の人の姿を初めて見たことでとやかく言われそうですねぇ」

 侵入者を許したこともだが、それ以上に綾子の人の姿を見たことをヴィルヘルムにとやかく言われる方が嫌だと言わんばかりの様子に思わず綾子は笑う。ついさっきまで逃げること助かること、そんなことしか考えられなかったのに、ヴィルヘルムの名前を聞いただけで笑えるんだと改めて綾子の中でヴィルヘルムの存在が大きなものになっていたことを知る。

 早く、早く来てあの腕で抱きしめて貰えたら、きっと声を出して笑うことも出来ると心の中でヴィルヘルムの名を呼んだ。

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