表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
猫が顔を洗った日  作者: 佐奈
声を聞かせて
15/40

015

 籠りの日が始まっても何も変わることはなかった。決められた範囲内でなら散歩を許され、意志の疎通はし辛いがそれでも快適な時間を送っている。

 ネコになってしまって名前を名乗ることはできないからと、まだ両隣のネコの名前は知らないままだがそれでも二人の会話を聞いているのは楽しかった。

 身分や住んでいた場所、そういった個人を特定できる情報はネコになってしまうと全て禁則事項として語ることを禁じられているそうだ。

 その禁則事項に絶対的な強制力はないが、それでも昔からの習わしであり権力や地位を持って伴侶を選ぶことの無い様と王族に言い伝えられているため未だに守られ続けているらしい。

 昔からの言伝えって強い、そう綾子は改めて思った。日本にも意識していなくても昔から常識として日常に溶け込んでいる習わしや行動がある。それはこれからも変わらないだろうし、伝え続けられてゆくのだろうと。

 だから、もし人に戻って二人に会えたら友達になりたいなと綾子は思い始めていた。しかし、この世界に留まり続けるのか、元の世界へ帰ることを望むのか、まだ決めかねていて帰ることを決めれば友達になるどころか名前を知るこすらないのだろうなと尻尾をひと振りする。



 朝は規定の時間に起こされ、身だしなみを整えて朝食をとる。昼食を挟んだ前後の時間は自由時間で部屋の中で散歩をするかおしゃべりをして過ごす。そして夕食を食べて身だしなみを整えて就寝。

 そこまで運動らしい運動もしていないが、籠りの日には部屋に結界を施してあっても身体に影響があるらしく夜になれば眠気が襲ってくる。綾子も例にもれず夜になれば眠りについて朝までぐっすりと寝ていたが、何故か今日は夜中に目が覚めてしまった。

 一瞬、もう朝方なのだろうかと顔をあげて周りを見渡したが起きている他のネコはおらず、もう一眠りしようかと眠る体勢をつくると、人でいた頃よりも音を拾う様になった耳が小さな物音をとらえる。

 やはり朝なのかともう一眠りすることを諦めて顔をあげてみたが、しばらくしても扉が開く気配は無い。何かおかしい、けれどそのおかしさが何なのかが分からなかった。

 ここにいるのは皆、綾子と同じで聴覚や嗅覚が人でいる時よりも敏感になっているはずなのに誰一人起きようとはしない、それだけでもおかしな事態と言えるのかもしれない。

 ただ、神官たちであればこんなこそこそと行動することはない、なら今扉の外にいるのは誰なのかと綾子の中の警戒心が高まる。この神殿は国の重要機関であり、その中でもネコたちが籠りの日を過ごす部屋は奥まった場所にあるのだそう簡単に侵入を許す場所ではない。

 幾多もの目を盗み、侵入者を阻む障害を全て退けてきたというのなら相手は随分な手だれということになるのだろう。そうでなければこの国がどれだけ平和ボケしているのかということになってしまうのだ。

 否、王の巡らせる結界によって侵入者を阻む国ならばそうなってもおかしくは無いのかと一瞬思ったが、ただ王族の伴侶候補を留める場所という割に神殿の警備は物々しい雰囲気を漂わせていた。城の中の方がもっとフランクな印象を受けてどうしてなのかと尋ねたかったが、それを尋ねる術も持たず神殿の警備が厚いことに対する考えは憶測でしかない。

 警備を重要にする理由、それはこの場所を狙う者が多いということではないかと綾子は考えている。神殿にあって他にないもの、神殿にあって守らなければならないもの、それはネコだろう。

 ネコという存在は王の伴侶候補であり、王族が保有する強大な魔力を受け止められるだけの魔力を保有または保有するだけの容量があると聞いた。魔法はこの国だけではなくこちらの世界では当たり前のもので、些細な魔法であれば日常生活でも使っているらしい。

 魔力が権力の象徴、平民にも膨大な魔力を持つ者が生まれることもあるが、大抵は貴族だそうでこの部屋にいるネコの仕草や喋り方を聞いただけでもなるほどと納得したのだ。

『それって、力が欲しい人にとっては欲しい存在よね』

 国を支えるだけの魔力、悪用されたらとんでもないことになってしまうとは考えなくてもすぐにわかる。しかも、この神殿にさえ侵入できてしまえばネコになっていることで人を攫うよりも簡単そうだ。

 幾ら完璧な警備をしても、それは人が行うもので何処かに穴が生じてしまう。そこをつけばあの物々しい警備も突破できるのではないだろうか。現に、扉の外の気配は怪しい存在以外の何物でもない。

 扉の前まで忍び込んできたのだ、少数とはいえ先鋭を集めた集団だろう。下手に騒げは余計な被害も招きかねない、だからといって猫の様に俊敏に動くことはまだ出来ないから相手の隙をついて攻撃を仕掛けるなんてことも無理そうだ。

 寝たふりをして誰かが攫われるのを見過ごすことだけは嫌だが、何かこの状況を打開する術はない。どうする、どうしたらいいと……綾子が身を固めたまま考えていると扉が開く気配がした。

 ここまでして他の誰も起きないのは本当におかしいことで、何かしら相手が手を講じているのだろうとそれだけは分かる。扉が開いたことで今まで何か喋っている程度の認識だった彼らの会話が聞こえるようになった。

「いいか、どのネコでもいいが、珍しいのがいたらそれは絶対に攫え」

「珍しいですか?」

 ネコは基本的に白い短毛種の姿を取る。それ以外のネコも存在するがそれは稀にしか現れず綾子も珍しい姿だと何度も言われていた。

「ああ、噂程度のことだが珍しいネコの方が魔力が高いらしい」

 小さな声でだが男が笑う。その笑い声を聞いてえも言われぬ気持ち悪さが背筋を走った。

 気持ち悪い、ひた、ひたと音を消す様にしているが鋭い聴覚はその足音をひろう。一歩、また一歩と男たちの足音が近づくたびに綾子は叫びたい衝動に駆られた。珍しいネコ、それはこの部屋では綾子以外いない、きっと男たちは綾子を攫う対象とするはずだ。


「……こいつは」


 見つかった、逃げなければと思うが恐怖で足がすくんで走りだすことが出来ない。

 首根っこをごつごつとした男の手で掴まれた瞬間、ずっと内包していた恐怖が爆発する。触られたことが気持ち悪い、舌なめずりをした僅かな音すら気持ち悪さの対象となった。



「いやぁああっ」

 助けてと誰かの名前を呼んだ。

 この世界にきて、傍にいて一番落ちつく人だった、攫われるかもしれない、攫われたあとどう扱われるかもわからないそんな恐怖の中、助けてほしいとそう願い脳裏をよぎった名前は……ヴィルヘルムだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ