013
籠りの日とは、まだ王族との契約を結んでいないネコが三日程神殿の奥にある特別な部屋に籠り一切の外の関わりを断つ日なのだと綾子が知ったのはその前日になってからだった。
どうもネコとなった者たちは王族と名を交わす前は新月を挟んだ三日間、その身に宿す魔力が安定せず暴走してしまい最悪自らを傷つけてしまい命を落としてしまうこともあるらしく、この籠りの日に限っては王族の権力も威光も役に立たぬほど頑なに守られている日だという。
ヴィルヘルムは嫌そうな顔をしていたが、綾子にとってはゆっくりと自分のこれからのことや想いを見つめ直すいい時間だと考えている。ずっと傍にいて、この右も左もわからない世界で最初に綾子に優しくしてくれた人。だからそこに絆されているのかもしれないし、ヴィルヘルムに見放されたら路頭に迷うかもしれないなんて考えが無意識に働いているかもしれないのだから。
三日、神殿奥にある特別な部屋がどのような部屋になっているのかはわからないが、過ごしやすい部屋であればいいなと、今日の仕事をこなしているヴィルヘルムを見つめながら思う。
本来なら説明を受け、明日に備えてそのまま神殿に籠るはずだったのだが、ヴィルヘルムがどうしても一緒に居たいと言い張り綾子はヴィルヘルムの仕事が終わるまで待つことになったのだ。
本来であれば、王族に名を求められたネコはその場で、遅くとも一週間はかからない内に名を交わすという。だからだろう、今のヴィルヘルムと綾子の関係は珍しいもので王族がどれ程伴侶として選んだネコを溺愛するかと皆熟知しているので仕方が無いとヴィルヘルムの我侭を通したのだ。
今まで、次期国王という肩書を背負い、我侭らしい我侭も言わずに国政に関わり続けてきたヴィルヘルムだからこそ通った我侭とも言えるだろう。
「んー、持ってこられていた分は終わったな」
ずっと書類に向き合っていたヴィルヘルムはペンをペン立てに戻すと背筋を伸ばし立ち上がる。昼食後に一回短い休憩をとってから四時間ほど、外はそろそろ暗くなってきていた。
綾子も座っていたソファーから降りるとヴィルヘルムの足元へ寄ってゆく。
「にゃー」
仕事の邪魔はしてはならないとずっとその姿を見ていたがやはり顔の整った人は真剣な顔をしていても、笑っていてもだが、疲れた目を解す様も絵になるのだなぁとすら感心していた。しかも、運びこまれてきていた書類の枚数は随分と高さがあったのに全て処理されてしまっていて、天は二物を与えないなんて嘘だと改めて綾子は思う。
「あーあ、今日が終わらなければいいのに」
綾子を抱き上げるとそのまま先ほど綾子が座っていたソファーへと腰を下ろす。
重い責任を負っているだけあって、綾子は大学の先輩よりも大人びた人だとヴィルヘルムのことを思っていたのだが、今回のことで随分と印象が変わっていた。
「君と三日も離れるなんて……嫌だな」
出会ってから今日まで、離れている時間はそれなりにあったがそれでも眠る時間は一緒に居たし、それ以外の時間でも一緒に過ごす時間はあった。ずっと顔を合わせていた人と一切顔を合わせない時間、それは確かに寂しいのかもしれないと綾子は顎の下を撫でていたヴィルヘルムの手を舐めてみる。
こうして腕に抱かれて頭や背を撫でられていると、三日この優しさとも一旦の別れとなるのかと、綾子が手を舐めた所為かヴィルヘルムの手が止まってしまっていてもっと撫でてという様に顔を見上げれば頬を赤く染めた顔が目に入った。
そんな表情を見て、これは何時もカッコいいだとか、美形だとか感じていた綾子だったが可愛いと感じてゴロゴロと喉を鳴らして宙に浮いたままになっていたヴィルヘルムの手に自ら頭をすりよせる。
「では、説明したとおりですので三日間こちらの部屋から出てはなりませんよ」
重い足取りでヴィルヘルムに抱かれ神殿に連れて来られて、すぐに籠りの日の説明がなされた。命にもかかわることだから、初めて籠りの日を迎えるネコには何時も説明がなされているらしい。
綾子の他にも今日保護され同じ様に説明を受けたネコが居たらしいが、それはもう随分と前に済んでいてこの長ったらしい説明は今日だけで二度目するははめになったんだぞと、籠りの日の説明をしてくれたジルベールがヴィルヘルムに嫌味を言っていて思わず綾子は頭が下がってしまう。
「貴方が気にする必要はありませんよ、こいつが我侭を言うのがいけないんですから」
仮にも王子に向かってこいつとか言っても大丈夫なんだろうかとジルベールの顔を見上げているとそんなに目が訴えかけていたのだろうか、学友であって公式な場でなければ畏まることもなくこんなものだとヴィルヘルムが説明をしてくれた。
「本当なら日付が変わるまでいたいところだけれど……三日後、すぐに迎えにくるからね」
日付が変わるまでここに居ると言ったがそれでは周りに迷惑をかけるでしょうとジルベールに諌められてしぶしぶ説明が終わったらヴィルヘルムは城へ帰るということになったのだ。
「にゃー」
本当に三日後すぐに迎えにきそうだとそう感じながら綾子は一鳴きして応える。
しかし、これが今生の別れだとでも言わんばかりに抱きしめられながらも、同じ様にこの神殿に保護されているネコが近くを通るたびにヴィルヘルムへ送られる熱い視線を感じとって無事三日間過ごせるのだろうかと考えてしまう。
実際に体験したことはないが、女の嫉妬は怖いと友達が話していたのも聞いているし、小説や漫画の中で繰り広げられた愛憎劇、あんなことが身に降りかかったらと思うとぞっとする。
「ジルベール、宜しく頼んだからな。何かあったらすぐ連絡を寄こすんだぞ」
「はいはい、心得てますよ。まったくお前がこんな馬鹿だとはねぇ、驚きです」
ヴィルヘルムにモーションをかけていたネコは別の部屋にしてある、同室のネコは他に想い人が居たり、別の王族に目のいっているネコを選んであるから綾子の座を狙おうと考えるネコは居ないはずだ。
「それじゃぁ、……」
名前を呼びたいけれどまだ名前を知らない。だから中途半端な挨拶になってしまう。
綾子が部屋に入れられるのを見届けると、ヴィルヘルムは後ろ髪を引かれる思いでその場を後にした。