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猫が顔を洗った日  作者: 佐奈
声を聞かせて
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 綾子が広間に連れていかれて目にしたのは、色とりどりの布地、そこにあるだけで香る多種多様な香、それから室内の灯りを反射して輝く宝石や細工を施された宝飾類。確かに、城の中で見かけた人たちが身につけている物とはまた趣が違う。

 身を乗り出す様にして見れば、ヴィルヘルムがくすくすと笑った。

「危ないから、そんなにしなくても逃げやしないよ」

 ゆっくりと品々を見せる為に商人は荷を開いたのだからそう簡単にしまうはずが無い。それに、ネコがこの国にとってどういった存在なのかを知っているはずだから動物がやってきたからと言って無下に扱うはずが無いのだ。

「あら、その子も連れてきたのね」

 鮮やかな刺繍の施された布地を手にしていた王妃がヴィルヘルムと綾子の姿を見つけ声をかけて来る。綾子が名を名乗れる状態におらず、名前がわからないからと別の名をつけることもせずあの子とかそういった余所余所しい感じで綾子は呼ばれていた。

「はい、骨董や絵画を見るのも好きな様ですから、こういった物も好きかと思って」

 と、綾子にも言う様に言ったものだから返事をするように一つ鳴く。骨董市やフリーマーケット、少し敷居の高い骨董具屋、綾子はそんな所をまわるのが好きだった。だから今目の前に広げられているこまごました品々をできれば手にとってまじまじと見たいとすら思う。

 早く見たいとせかす様に尻尾でヴィルヘルムの肩口を叩く。話相手はヴィルヘルムの母親であってこの国の王妃、蔑ろにするわけにはいかないがそれでも気持ちは押さえられず、そわそわと浮足立った綾子の心中を尻尾は素直に表してしまったようだ。

「本当に好きなのね……気に入った物があったらこの子にねだるといいわ」

 ふふふと笑って王妃は再び目をつけていた布地へと興味を戻してゆく。ヴィルヘルムは王妃の背にではと声をかけると、綾子が身を乗り出している方へと足を進める。綾子が見ていた方には書物や木簡が並べられていてヴィルヘルムは綾子も読書好きなのだろうかとその一画の前にしゃがみ込んだ。

 すると綾子はヴィルヘルムの腕からするりと抜け出し、並べられている書物などを品定めする様にゆったりとした足取りで移動しながら眺め始める。ヴィルヘルムもそんな綾子の様子を見ながらも、自分も気になる書物を手に取り中身を確認した。

 文字としてはこの国の文字ではないが、蔵書庫に手に取った書物に載っている文字と似た文字の書かれた書物や辞書があった気がすると、内容はわからないが興味を引かれ購入しようかどうか迷っているとふらふらと気侭に書物を見ていた綾子が足元に擦り寄ってきている。

「どうしたの、何か気になるものでもあったのかな?」

 どうやらその問いかけは正しかったらしく、綾子は一つ鳴くと先ほど目をつけた書物の前まで掛けて行く。歩数にして数歩だが、弾むようにして歩く綾子の姿を見てヴィルヘルムはくすりと笑う。


 綾子が目をつけた書物には、見慣れた文字が載っていた。見慣れたと言っても綾子が普段使っていた楷書ではなくどちらかと言えば文字の形は崩されていて、草書だろうかと綾子は判断する。だが、こちらの世界が全くと言っていいほど読めなかった綾子にとっては久々に読むとしても難読するのは目に見えているが見知った文字が見られたことが嬉しかったのだ。

 欲しいものがあればねだればいいと王妃は言っていたが、ただでさえ世話になっている身なのだからこれ以上迷惑をかけるわけにもいかないからねだることはしない。だが、やはり気になるものは気になるので中をのぞいてみたくなりヴィルヘルムに頁をめくってもらえるよう頼もうと思ったのだ。

「この書物? 見かけない文字だね」

 綾子が行儀よく座った正面にある書物は今まで見たことのない装丁で表紙に書かれている文字も何処か文字と言うよりも記号の様な柄の様な印象をヴィルヘルムには与えた。

「おやその書物……出したつもりは無かったんですがね」

 書物や木簡、古文書なんかを担当していた商人が二人の様子に気が付き近づいてくる。

「出すつもりが無かった?」

 この国で商売をするためにまずは王族に目通りを願い、扱っている品物を検閲がてら手にして貰おうとこの場にきているのだから、持っている商品は全て展示するのが普通だろう。なのに、この商人はこの書物を出すつもりが無かったと言う。

「えぇ、どこの学者や文学者に尋ねても得体のしれない書物でして、価値が無いのですよ」

 どんなに絶対数の少ない書物であれ、どこかにその道を研究している学者というものはいる。古今東西の書物が並んでいるところからしてそういった鑑定には伝手があるのだろうがその伝手を使っても解読されないとなると、確かによく分からないものとなるのだろう。

「価値が無い、ねぇ……」

 だが、綾子はこの書物が気になる様子で一向に動く気配がない。むしろ表紙を開けと言わんばかりに小さな手で書物を撫でるように叩いている。

「なら、この書物をこの値で購入するからおまけで付けてもらえないかな」

 この子が気に入った様だからねと、綾子の頭を一撫でした。

 提示されている金額は少し高めに設定されている。場所代や移動費を考えれば当然のことだろうが、それでも少し高い。きっと商人側は値引き交渉のことも頭に入れて、値引きする前提でこの価格をつけているはずだ。

「え? よろしいのですか」

「構わないよ、じゃぁお代はこれで」

 と、持っていた財布から銀貨と銅貨を数枚取り出し商人の手に渡すと綾子が眺めていた書物を先ほどヴィルヘルムが気になると手に持っていた書物の上に重ねれば、綾子がぺこりと商人に向けて頭を下げヴィルヘルムの肩に乗った。

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