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猫が顔を洗った日  作者: 佐奈
声を聞かせて
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001

 水面に映る姿、それは何度確認しても猫の姿。

 思い違いでも、妄想でも無くて私は人間だったはずなのにと猫の前足で水面を叩く。その衝撃で歪んだ水面が再び静まり返り、鏡の様にまた姿をはっきりと映し出してもそこに映るのは猫の姿。

 悪い夢だろうかと視界の端で揺れていた尻尾をぎゅっと自分で踏みつけてみれば痛みが伝わる。思わず叫んだ声は痛いではなくてふぎゃーという猫の鳴き声。

 遠慮なく、力の限り踏み込んだものだから、その痛みはかなりのもので猫になってしまった少女……綾子は地面にうずくまる。


 どうしてこうなったのか、何が起こったのか、何一つ思いだせない。

 綾子は家で週末が提出期限となっていたレポートを片付けている途中だったところまでは記憶があるのだが、完成させた覚えも無く気がついたらこの場に座っていたのだ、そう猫の姿で。

 だからこそ、これは夢かと疑ったのだが先ほどの尻尾に自ら加えた痛みによってこれは夢ではないのかもしれないという思いの方が強くなっている。

 しかし、これが夢ではなかったとするならここはどこなのか、そんな疑問が生まれた。見渡す限り自然に覆われた世界、空を見上げても見慣れた背の高い建物は存在していない。空にも雲が浮かぶだけで飛行機が飛ぶ気配も無かった。

『それにしても、レポートどうしよう』

 綾子は喋っているつもりだが、その呟きは可愛らしい猫の鳴き声にしかならない。猫になっていること、言葉が喋られないこと、そんなことよりも目下の問題は作成途中であるだろうレポートのこと。

 今年の春に大学生となり、大学生生活のペースをようやく掴みながらも時折怒涛のごとく出される課題やレポートの〆切には毎度てんてこ舞いだ。今回のレポートだって、それを提出しなければ学期末の試験を受ける権利をはく奪するなんて担当講師が言うものだから必死になって資料を調べあげ後はそれをまとめるだけという所までこぎつけたというのに……

『心配することはもっとあるんだろうけど、あの単位落とすわけにはいかないのに』

 これが興味があって取った講義ならまだいい、レポート提出の求められている講義は綾子の学科では必須でもし一回生で単位を取得できなければ、来年度からは別校地が主な学び舎となってしまう為その講義の為だけに移動時間を割かなければならないのだ。そうなると、必然的に受けられない講義も出てきて最悪留年なんてことも考えられる。

 本当に夢なら覚めて欲しい、そんなことを考えながら空を見上げているとゆったりと流れてゆく雲に誘われる様に瞼が重くなってきた。暖かい気候に心地よい風、そういえば昔屋根に干した布団の上で寝転ぶのが好きだったなと、そんなことを思い出しながら綾子の意識は落ちていく。



「おや? 珍しい、こんなところにネコがいる」

 泉に通じる道から姿を現したのは一人の青年。その手には厚い本が抱えられもう片手は腰に携えられた剣に掛けられていた。その青年の少し後方には控えるようにして軽装ではあるが鎧を着た男が立っている。

「ネコは神殿が保護しているものじゃなかったか?」

 生まれた家柄上、実物を見たことは何度もあるが、こうして眠っている姿を見るのは初めてだ。神殿で見るネコはどこかすましていて可愛げが無かったが、このネコは可愛らしいと青年は気配を消してネコの眠りを邪魔せぬようにしながら傍にしゃがみ込む。

「だが紋章をつけてないな」

 少し長めの毛に隠れているのだろうかと確認をしてみたが首にはこの国のネコであるという証の紋章入りの首輪は付けられていない。

 眠りの中で、ネコは触られたことに気付いたのかむずがるように一つ鳴き、そして最初は確認の為に触れていたはずなのにその毛並みの良さに撫で続けていた青年の手に擦り寄る素振りをみせる。

「皆、お前ぐらい可愛げがあればいいのにな」

 可愛いじゃないかと無意識のうちに擦り寄ってきたネコの顎をなでればゴロゴロと喉がなった。姿形はネコだが、こんな毛色のネコは見たことがない。紋章を身につけていないからどこから迷い込んだのかは分からないが青年はこのネコを手元に置きたいとそう感じた。今まで神殿に通い続けていたが、今の今までこれだと目のとまるネコはいなかったが、このネコならとそう思うのだ。

 青年はそのまま腰を下ろすと、剣は邪魔にならぬよう手の届く範囲へ、本も一旦地面に置き眠るネコをそっと抱き上げ膝の上に乗せた。そうして、少しだけ上半身をひねり地面に置いた本の表紙をめくる。

 本を読む傍ら、時にいまだ膝の上で眠り続けるネコを撫でながら心の中で決意する。

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