悪魔と神父
「父と子と聖霊の名において、祈りなさい。ただ、神へ祈るのです!」
ロザリオを床で寝ている人の胸に強く押し当てる。
すると、ビクッとその人は一度激しく痙攣をした後、白目をむいて気を失った。
神父は、肩で息をしながら床の人を見つめる。
「はぁ、はぁ、はぁ…」
数分間、床の人は身動き一つしなかったが、突如として立ち上がった。
「…ここは」
「戻ってきましたね。あなたは悪魔に取りつかれていたのですよ」
「え、でも…」
「私が祓いました。もう大丈夫です。さあ、奥様のもとへ行きましょう。心配してますよ」
彼の背中を強く押し、床から立たせると、部屋のドアを開け、向こう側にいて心配そうにしている奥さんに引き合わせる。
抱き合っている二人を見て、神父は帽子をかぶり家から出ていった。
「それでよかったのかよ」
「ああ、あれでいい。あとは神の役目だ。私ではない」
神父は独りで誰かと話をしているようだ。
車に乗り込み、ルームミラーで後部座席を見る。
4人乗りの小さな車だが、後部座席の二人分のちょうど真ん中に、ポップコーン片手に飲み物を飲んでいる人がいた。
「それよりも君はいつになったら地獄へ戻るのかね」
神父がエンジンを回しながら、彼に聞いた。
「俺をぶっころした野郎を見つけるまでは帰らねえよ。それまでは、神父さんと一緒に居させてもらうわ」
悪魔的な笑いをしながら、彼は言い切った。
神父はふうととため息をつき、教会へと戻った。
「ここからは教会なので、そろそろ降りてもらえるかな」
「おおそうか、もうそんなところか」
神父が彼に伝えると、彼は車のドアを開けずに外へ出た。
そして、どこかへと消えた。
神父は再びため息をついて、車をガレージへ入れた。
周囲を確認してから、教会の建物の中へと入った。
「神父様!」
入るとすぐに女性が駆けよってくる。
「どうしましたか」
神父は焦っている女性に、にこやかに、できるだけ優しい声で話しかけた。
「助けてください、私は罪を犯してしまいました。ああ、どうすれば…!」
「落ち着きなさい。深呼吸をするのです、そして、告解を行いますか?」
神父は、境界の壁際にある小さな部屋を指さして聞いたが、女性は首を横に振った。
「いいえ、ああ、でもどうすれば…」
「まずは、話してください。本日は、この教会内には、主と私たち以外、だれもいませんよ」
静まり返った教会の中には、ステンドグラスと、磔刑に処されている主イエス・キリストが祭壇の上から二人を見守っている。
「私の父が…」
神父は、キリストの像の前に彼女を連れてきて、そして長椅子に座らせた。
「お父上が、どうしたのですか」
今にも泣き崩れそうになっている彼女を支えながら、励ますように神父が言う。
「大丈夫ですよ、ゆっくりとお話しください」
「…いいえ、これは、私が言わないと」
彼女自身に言い聞かすようにそう言うと、神父に向かって言い放った。
「父に悪魔がとりついたようなんです」
悪魔、それは古来より人間にとりつくとされた精霊の一種である。
この世界では、天使と悪魔という二つの精霊のバランスによって、人間は正気を保っているというのが通説であり、片方が減るか増えるかすると、悪魔にとりついた、天使にとりついたという表現をする。
見た目では分からない時も多いが、閾値を越えると、どちらの状況であっても発狂する。
だが、極稀にそれらが分離した形態をとることもある。
今、神父の周りにいる悪魔がそれだ。
「…天使かもしれないですよね」
「いいえ、悪魔です。それを伝えに来たんです」
遠くから、ザワッとした圧力を、神父は感じていた。
「分かりました。では本当かどうかを確認させてもらうので、明日行かせてもらってもいいですか」
「…住所は分かってますよね」
「ええ、もちろん」
神父は彼女に言うと、彼女に聞いた。
「本日は遅いですし、泊って行きませんか」
「いえ、これ以上神父さんに迷惑かけるのは嫌ですし、両親と弟が家で待っているので、帰らせてもらいます」
神父に一言お礼を言ってから、キリストの像の前で祈りをささげ、それから彼女は教会を後にした。
翌日、神父は悪魔を車に乗せ、彼女の父親を看に家へと向かった。
「…間違いないのか」
「ああ、間違いねえ。あいつだ。俺をぶっころした野郎だ」
歯噛みしているが、神父はため息をついた。
「その台詞、聞きあきるほどに聞いたな」
「うっせえよ。だが、今回は間違いねえ。この雰囲気は間違いようがねえ」
家に着くと、悪魔は様子をみると言って、新婦だけを家にいれた。
「どうもこんばんは、来ましたよ」
神父は首からロザリオをかけて、家へ一歩足を踏み入れた。
とたんに、なにか不自然な感覚が、神父を取り囲む。
「…あら、神父様。いらしていたんですか」
つい昨日、教会へ来た女性が、玄関に立っている神父を出迎えてくれる。
だが、その体には、不自然な歪みが見られた。
「さて、お父上のご様子は、いかがですか」
「昨日までの苦痛が嘘のように、きれいになっていますよ」
その言葉とは裏腹に、家の外から無言の圧力が、絶えずきていた。
「では、これから悪魔かどうかを確かめるための儀式を行いたいと思います」
「それなら、父の部屋へご案内しますね」
神父を家の中に入れ、厳重なカギを閉めた。
「鍵は、ここまで厳重にしないといけないのですか」
彼女がいくつもの鍵をしているのをみて、神父は聞いた。
「ええ、悪魔が憑りついているのですから。外に行かれても困りますので」
そういって、呪符をさらに扉にいくつも張る。
「そこまでする必要は…」
神父が止めようとすると、なにかの圧力を感じた。
これまで感じたことがないような、巨大なものであった。
「あら、起きてしまったのですか、お父さん」
お父さんと言われた老人は、奥の部屋から、一歩一歩、神父へ近づいていた。
「これは、お元気そうですね」
神父は、すぐに冷静さを取り戻し、ニコッと笑みを投げかけながら彼女の父親に近寄った。
「近寄るな!この悪の手先め!」
そう叫ばれると、神父は6mほど離れたところで立ち止まった。
「悪の手先とは」
「おぬし、悪魔とともにいるだろう。それで十分だ!」
「それを言うと、あなたは悪魔に憑りつかれているように見えますが」
神父はロザリオに口づけをして、前に突き出した。
「その憑りついている者に尋ねる。お前は誰だ」
「。あだふぃすらへろ。あづざふりえっちそまましく」
「そうですか。なるほど、確かに悪魔に憑りつかれているようだ」
彼女にも念のためロザリオを向けると、彼女も恐れおののいた。
「なんということだ。彼女も憑かれているとは」
そういって、神父は小さなガラス瓶を用意した。
「あなたが確かにルシファーであるという証拠はありません。よって、それが証人として、ある人を呼ばせてもらいます」
彼ら二人を動けないように聖水を足元、股、両肩、そして頭と首にかけた。
それから扉を開けようとしたが、するまでもなく彼が入ってきた。
「貴様、よくも俺をぶっ殺してくれたな」
「お前か、よく儂の居場所が分かったな」
「この気の圧力、忘れることなんかできなかったぜ。この100年間、俺はお前を殺すことだけを考えていた」
爪をゆっくりと伸ばし、父親の首元にぴたりとつけた。
「してもいいが、そうするとこの憑代に使っている人間も死ぬことになるぞ。そうなれば、お前たちは地獄行きだ」
神父は、聖書を開き、何かを読み始めた。
すると、父親は一瞬首が前に倒れたと思うと、笑い出した。
「ハッハッハァ、聖書ごときで儂を封じられるとでも?」
「聖水の効果が…」
両足が、わずかに動いているのを見て、神父が青ざめる。
「それよりも先に勝負つけるぜ!」
だが、それよりも先に悪魔がそう言って、鎖骨の付け根と額の中央と肝臓を正確に突き刺した。
「どうせ俺は地獄から来た。地獄なんてものはもう知っている」
悪魔はそういって、爪をもとの場所に戻した。
父親の体は崩れ落ち、それをみていた彼女は、一筋の涙を流した。
だが、それは父親が死んだことに対する悲しみではなかった。
「ルシファーさんが、戻られてしまった…私はこれから……」
「彼女も、地獄へ連れて行く必要があるのだろうか」
「さあな、だが、お前だけでは父親に憑いたやつは倒せなかった。その小瓶、確か聖水が入っていたな」
「ああそうだ」
「じゃあちょっと貸してくれ」
「いいが、大丈夫なのか」
「なに、俺は聖水を浴びるようにかけられたこともある。それぐらいじゃ死なないし、死ねないのさ」
神父と悪魔が初めて出会ったとき、神父は恐怖から10リットルの聖水を悪魔の頭からかけ続けた。
そのことを言っているのだろう。
だが、その話はまたいずれ。
聖水が入っていた小瓶のふたを開け、その匂いを彼女に嗅がせる。
すると、安らかな寝顔を浮かべ、眠りだした。
「おっと」
体は悪魔がやさしくキャッチした。
「さあ、こいつの体に憑いている悪魔、でてこい。お前に用がある」
すると、半透明の流動体が、彼女の体から浮き上がってきた。
「名を」
「…セラフだ」
「熾天使セラフですか」
「神から遣わされて、ルシファーさんを抑えるようにと言われていた。もっとも、すでに帰ってしまったのだから、私は、ここには用はない…」
そう言い、手のひらを彼女とその父親に向けた。
「生き返よ」
すると、呼吸が復活した。
「これでいい」
そういって続いて神父と悪魔を見た。
「お前たちはいいコンビになるようだ。いや、すでになっているのか」
そして、セラフが告げる。
「お前たちに命ずる、これは地獄の盟主たるルシファーと、天国の盟主たる我が神の命である。これより、お前たちは、数々の悪魔や天使を、それぞれの世界へ送るだろう。その一助として、お前たちはともに暮らせ。天国や教会へ入る権限を悪魔に、地獄へ入る権限を神父に与える」
「チョイ待ち。ということは、俺はこの神父野郎とずっと一緒にいろっていうことなのか」
「ええ、そう言うことだ」
セラフは言いきった。
「つまり、私もこの悪魔と一緒にいなければならないのですね」
「そういうことだ。さて、私はそろそろ帰らなければならない。ルシファー様が帰った今、私がここに長居をする理由はないのでね」
「最後に、ひとつ聞かせてください」
「なんだ」
背中から羽を広げ、飛び立つ準備をしているセラフに、神父は聞いた。
「なぜ、貴方が私たちに天国や教会や地獄へ入るための権限をお与えになられたのですか。それは神の仕事なのでは」
「神が、私にそのことを与える権限をお与えになられたからだ。それでは」
足で勢いよく地面をけると、全ての天井をすり抜けていった。
「…帰ったようだな」
「熾天使セラフか。なんであんな奴が来ているんだ」
「ルシファーが来ているのであれば、それに見合うだけの人材を見張りにつかせなければならなかった。それだけのことでしょう」
神父は、親子をベッドまで運ぶと、鍵を外して外に出た。
そして、再びドアのカギを締め、神父が乗ってきた車に二人とも乗り込んだ。
「それで、君も教会で寝泊まりするかい。これから毎日だが」
「教会の中、どうなっているのかって気になってたんだよ。ちょっとばかりのぞかせてもらうわ」
笑いながら、悪魔は神父に話しかける。
神父は深くため息をついて、車を走らせた。
雲の上の世界で、椅子に座った者が、セラフとルシファーに尋ねた。
「…それで、地上はどうだった。セラフ、ルシファー」
「ええ、悪魔や天使は、地上で人を憑代としているようです。あの二人が、彼らをそれぞれいるべき場所へ返してくれるでしょう」
「神よ、約束の時までに、それは終わるのでしょうか」
神と言われた者は、二人を目の前にして言った。
「満ちてゆく時を止めることはできない。だが、あるべきものをあるべきものへ移し終わるのは、それまでに終わる。二人がそのカギを握っている」
神は言いたいことを言ったらしく、セラフとルシファーに指示をした。
「お前たちも居るべき場所へ戻れ」
「分かりました」
そして、同時に姿を消した。