第十二話 「憧れのプロ野球選手だ」
主人公ハルトがプロ野球選手を夢見てソフトボールから軟式~硬式野球へと取り組み、活躍してプロ野球選手となる物語。しかし、プロ野球選手として全盛期の時期に病に倒れ、プロ野球選手としては選手生命を絶たれてしまう。
だが、いつも寄り添ってくれる妻ナミがハルトを支え、苦悩を一緒に乗り越え、プロ野球選手ではなく、指導者として歩み続けて行き、プロ野球選手を育てるという新たな目標に向かって走りだす。
二日間の期末テストが始まり、初日の三科目を何とか終わらせ、帰りにナミとテストの自己採点をした。
翌日、二科目を苦戦しながらも時間内に終わらせ、ナミの友達やマサトとケン達も誘いファミレスへ昼飯に出掛けた。
ナミの友達は俺達三人に対し、色々と質問してきて、答えれる範囲内で答えていた。
マサトはPリーグでHC球団でケンは同リーグのNF球団だ。
俺は在京球団のCリーグのYS球団と答えた。
俺はマサトやケンとリーグが違うので、リーグ交流戦で対戦する事もあるだろうし、お互いの夢に向かって心は弾んでいた。
昼飯を済ませ、お互いそれぞれ帰宅し、俺はナミのマンションに行き、テストの自己採点をした。五科目の合計予想は満点の六十七パーセントだ。
十一月中旬に球団と入団の本契約をする事になっていた。
親代わりとして大石先生に同行してもらい、球団事務所へ行った。
応接室に通され、球団役員と一・二軍監督他二名が俺と先生を迎い入れてくれた。
契約書の内容を大石先生と確認し、住居の事も伝え、その他確認事項等もお互い合意の上で俺は契約書他数枚にサインと押印して契約完了となった。
俺は球団の方々と握手をし、一軍の監督から「君の甲子園での活躍を見ていて一緒にプレイして欲しいと思った。怪我には注意して一軍で待ってるぞ!」と言われ、身体中が熱くなった。
二軍監督は「プロのリーグ戦に対応できる基礎体力を作り、守備と打撃、走塁をしっかりとマスターして一軍のグランドで活躍できるよう頑張ろう」と話してくれた。
その後、球団が用意してくれた場所で昼食会があり、和やかに会食を済ませ、タクシーで帰宅した。
帰りに俺は、今までお世話になった方々に挨拶と御礼をしたいと思い、大石先生に話すと「ハル、いい心構えだ。皆きっと喜ぶぞ」と言ってくれ、月末か月初め頃に皆で会う計画を立てると先生は話していた。
メンバーは大石先生、小中学のシニアチームの監督・コーチ、高校の部長先生、監督・コーチの総勢十二名に先生は声を掛けようと話していた。
月末に皆が参加できる事になり、先生が予約した場所で大宴会をした。
宴会の初めに大石先生から俺の様々な事を紹介していただき、場を盛り上げてくれ、俺は、皆さんへの感謝の言葉を話すと皆から拍手され、高校の部長先生の乾杯の音頭で宴会は始まった。
皆、お酒が入ると全く様相が違って面白かった。
俺は未成年なので一足お先に大石先生宅へ帰り、奥さんと話していた。
先生は凄くご機嫌だったし、嬉しかったのだと思う。
俺は皆に育てて貰った事の感謝は忘れてはいけないと思った。
おとんとおかんに球団と入団契約の事を話していなかったので、先に兄いに話した後、おとんが入院している病院で話す事にした。
するとナミも一緒に病院に行く事になり、一緒に病院に行った。
ナミはいっぱいのお見舞いの品を用意し、俺がおかんに渡すと「ナミさん、いつも有難う」と言い、おとんは「ハルはご迷惑掛けてないですか?」と言うので、ナミは「お世話するのが大変ですよ」と答え、おかんが爆笑していたが、おとんは「ハル、ダメだろ!」と言うのでおかんが宥めていた。
俺はプロ野球YS球団と入団の契約をした事を伝え、大石先生にお世話になった事を伝えた。
契約金の事をおかんに話すと、おかんは「お金はいらん。おとんが退院したら全部使うからいらん」と話していて、おかんは俺の口座を作ってそこに貯金しておくようにと言われた。
おかんは「ハルは十分親孝行をしとる。身体に気をつけてな」と話した。
俺とナミは「また来るね」と言って病院から帰った。
その後は一緒にナミのマンションに行った。
ナミは冬休み中二週間の海外旅行に出掛けると話していたし、俺はおとんの病院と実家に居る兄いと年末年始を過ごす予定だ。
俺は四月から住むマンションには、ナミ母の会社を通じて物件を探すと話していた。俺は未成年だからナミ母の名義で賃貸契約をするようだ。
ナミ自信は希望する大学へは今住んでいるマンションから電車で一時間以上掛けて通う予定だが、少し遠い事もあり、俺が借りようとするマンションに月の半分は転がり込もうと企んでいるようだ。
その理由をナミは、俺が部屋の掃除や洗濯、その他がきちんとできているか心配していて、「汚い部屋に入るのはイヤ」と話していた。
俺は今、先生の奥さんに部屋の掃除を毎日して貰っているため、一人暮らしになると自分で掃除等をしなければならない。
ナミから「ハル、部屋の掃除、大丈夫?」と言われると「...」となる。
冬休みに入り、俺の体重は五キロ増えていた。
ここのところ、プロ野球の契約等で練習もランニングも疎かだったので「これではプロに行っても練習について行けない」と思い、今日から毎日五キロを往復で走り、高校の守備練習等に参加させてもらう事にした。
筋トレも久々だったので無理しない程度に続けていた。
また、食事面も高校と同じようにがむしゃらに食べていいのかわからず、ナミが帰って来たら相談しようと思っていた。
「しかし、先生の奥さんのご飯、美味いんだよなあ」といつも食べ過ぎていた。
ナミからのメールで「明日、十六時頃には帰っているからマンションに来てネ」と書いてあった。
翌日、十六時頃ナミのマンションに行くと凄い数のお土産が置いてあった。
お土産をかき分け部屋に入り、ナミのお土産話しを聞き、お土産を持って帰るよう言われた。
「来年はハルと旅行に行きたい」と話しており、何か武者震いがしていた。
ナミに部活が終わって、プロ野球の契約等々でランニングや練習をしなかった事で五キロ太り、今また走ったり練習したりしている事を話した。
また、一人暮らしでの食事面の事を話すと「ハル、何か大人っぽい」と話し、ナミはしばらく考えて「あそこの病院のスポーツインストラクタに相談しようか」と言うので一月以降に出掛けて聞いてみる事にした。
ナミは事前に連絡すると話していた。
その後はゲームに夢中になり、たくさんのお土産を持って大石先生宅に帰った。
冬休みも終わり、学校の帰りにナミと例の病院でスポーツインストラクタと会い、食事面の話しをした。
様々なスポーツのアスリートに指導している食事等の例を教えてくれ、指導していただいた。
ナミは四月から俺の食事面を誰かにサポートして貰うような話しをしていた。
それと大石先生宅に下宿している間は奥さんの手料理に注文はつけられないので「美味しく全部食べてあげてネ」と話していた。
しばらくすると高校生活最後のテスト期間となった。
これが終われば卒業の準備に入り、YS球団の入団発表にも出掛けなければならなかった。
高校最後のテストも終わり、俺は卒業が濃厚となった。
これは全てナミのおかげだ。
また、ナミの大学受験だが、ナミは自信ありそうな表情で、俺の余計な心配は必要なさそうだ。
三日後、YS球団の選手入団発表と記者会見があった。
俺の背番号は73と希望通り「ナミ」となった。
登録名は「ハルト(HARUTO)」となった。
俺は、中学一年生の時にナミと出会い、ナミと一緒にやって来たし、これからも一緒だと思っているので、この背番号を希望した。
偶然にもこの背番号を付けていた方が球団を退任したので「空いてるよ」と球団の方に言われて即決となった。
背番号73は、ナミには内緒だったので、球団事務所から帰る際にユニフォームを一着借りて持って帰って来た。
まずは、大石先生と奥さんに見せ、兄いに写メを送り、部長先生や監督・コーチには明日見せるとして、その後ナミのマンションに行った。
ナミにユニフォームを見せるとすぐにわかったようで、俺に抱きついて来て思い切り泣いていた。
ナミは「ハルには73がいつも背中を押してくれネ」とか言って喜んでいた。「俺はプロ野球選手でいる以上、この背番号を変えない」と言うとナミは涙が溢れていた。
俺達はソファに座り、ナミは俺の腕に自分の腕を絡み、ずーと俺に寄り添っていた。「ナミ、腹ペコだよ」と言うとナミはタクシーを呼んで一緒に焼肉店に向かった。
ナミの大学受験が始まり、俺は毎日ナミを迎えに学校の門で待っていた。
ナミは凄く嬉しそうに俺の腕に掴まり歩いていた。
途中タクシーに乗り込み、ナミは俺の腕にずっと掴んでいた。
ナミの受験も終わり、お互い卒業を待つばかりだが、ナミは車の運転免許を取るため、合宿(二週間)すると言い出した。
休みにも入るしいいのだが、どうしたのか理由は話さなかった。
俺はのんきに「プロ行ってからでもいいかな?」と全く行く気はなかった。
するとナミは「ハルの分も予約したよ」と言うので、俺は慌てて一緒に合宿に出掛けた。ナミは一発で合格し、俺は二回目で合格した。
ナミは大学受験が終わったら「今の内に取っておいた方がいい」と即決し、「ハルも誘いたかった」と話していた。
まあ、俺はどっちでも良かったが結果オーライだと思った。
三月に入り、俺は少しずつ引越の準備をし、大石先生と奥さんの寂しそうな姿を目の当たりにしていた。
大石先生は三月末で教員(校長)を定年退職すると話していて、その後は再雇用で俺が通った中学校の進路指導等を担当すると話していた。
俺とナミは高校の卒業式を迎え、大石先生の奥さんとおかんが来てくれ、ナミ母と五人で学校の正門前で記念撮影をクラスメイトにスマホで撮って貰った。
その後、ナミの大学合格発表の日で、俺はナミと一緒に合格発表を見に行って来た。俺の方が緊張してしまって、ナミの受験番号を二人で探し当てると「ヤッター!」と俺は誰よりもデカい声で言ってしまい、ナミは喜んでいた。
「こんな凄げ~大学を一発合格だもんな」と言うと「そんな事ないよ。ハルのドラフト三位指名も凄かったよ」とか言ってくれた。
これでお互いの進路は決まり、帰り道のカフェでお互いの将来の話し、成人式が済んだら結婚する事を誓った。
ついに大石先生と奥さんとの別れの日が来てしまった。
昨日は送別会をしていただき、プロになっても必ず大石先生宅には何度もお邪魔する事を約束した。
最後に「大石先生・奥さん、六年間、生活面の事や野球の事で大変お世話になり、親代わりになっていただき、本当に感謝しかありません。孝行息子とまでは慣れなかったけど、俺にとっては第二の両親、それ以上だったかもしれません。感謝しても足りないくらいお世話になりました。今後もこの御恩を忘れず野球で頑張ります。大石先生・奥さん、いつまでもお元気で」と話し、俺はナミが乗って来たタクシーに乗り込み、奥さんは「後で二人で食べてネ」とおにぎりが入った紙袋を渡してくれた。
俺は涙が止まらずに何とも言えない気持ちになり、大石先生から「泣くな、泣くのはまだ早い、怪我に気をつけてな!」と言って見送ってくれた。
俺は車に乗り、窓から大石先生と奥さんが見えなくなるまで手を振っていた。
俺は人との別れがこんなに悲しいとは思わなかった。
その後、おとんとおかんに会いに病院に行き、明日は球団に行く事を話した。
おとんの退院は四月末の予定と話していて、おかんからは一人暮らしになるからあれこれと注意する事を言われ「ナミさん、ハルをよろしくお願いします」と言うとナミは「任せてください」と話した。
その後、俺が借りるマンションに二人で行き、管理会社の方とナミ母の会社の方と部屋の中を確認後契約書類にサインした。
電気・ガス・水道等は今日から使えると話していた。
管理会社やナミ母の会社の方が帰られるとすぐに家具等が運ばれてきた。
デカいベットやソファ、テーブル、椅子、洗濯機、冷蔵庫、掃除機、レンジ、テレビが入った。
そして俺の少ない荷物・段ボールが届き、取りあえず必要な物は大体揃った。
後は細かい物は今から買い出しして、今日から俺はここの住人となった。
二人で各部屋を掃除をし買い出しに出掛けた。
タクシーで買い物に行き、帰って来てから色々と準備をして一息ついた。
飯は買って来た総菜等をテーブルに並べ、テレビを見ながら大石先生の奥さんからいただいたおにぎりを二人で食べていた。
ナミはおにぎりを頬張り、いつも以上に笑顔が絶えなかった。
何かナミのこんな姿を初めて見たような気がして新鮮だった。
今日はナミが泊まるので、二人はいつもと雰囲気が違っていたし、ここでは誰に気兼ねする事も無いし、ナミのマンションのように細かいセキュリティや監視カメラも無く開放感があった。
翌日、朝七時頃目が覚め、俺はYS球団に十一時までに行く事になっていた。
ナミも起きたので、一緒に朝飯を済ませるとナミは「また来るネ」と言って自分のマンションへ帰って行った。
その後、俺は学生服を荷物から出し、しわを伸ばし、ハンカチ、財布、球団へ持って行く書類を確認し、バックに入れて球団事務所へ出掛けた。
集合時間より二十分早く到着したが係の方に案内され、会議室で待っていると次々と入団する方々が入って来た。
お互い自己紹介と挨拶をして席に着いていた。
球団の方々も集まり、今日のスケジュールを話され、球団社長からの挨拶があり、それぞれ自己紹介をした。
その後、昼飯の弁当とお茶が配布され、食べながら雑談をして、十二時四十分頃、ホームグランドの見学と室内練習場、二軍練習場等をマイクロバスに乗って見学した。
その後、寮に入居の方とそうでない方と別れて色々と説明等があり、書類等の記入があった。
その他に一軍・二軍の監督・コーチの紹介があり、その他球団職員も紹介された。
また、明日から選手としてのスケジュールを一ヶ月分のプリントが配布され、最初の二週間は二軍の練習場に集合し、朝十時からスタートとすると話していた。
その後一軍に上がるか二軍のままか一軍監督から発表され、練習や試合に望むようだ。
最初の二週間では休日は毎週水・日曜日となるようだ。それ以降は連絡するらしい。
俺は明日から毎日電車で二軍練習場へ通う予定だ。
辛いと思うが色んな意味で鍛えられる気がしていた。
翌日、初めてプロ野球の練習に合流した。
電車で一時間程揺られ、球場に到着すると指定されたロッカーに荷物を入れ、ユニフォームに着替え、グランドに行った。
皆で身体を解し、グランドを七周してキャッチボール、守備練習、トス、打撃練習をしてからクラブハウスの食堂で昼飯を済ませ、十六時まで一人一人の練習メニューに沿って行った。
練習が終わるとシャワーを浴び、それぞれ帰宅する。
先輩選手達は二軍の試合後に居残り練習やトレーニング等をされている選手は多かった。
俺達はまだ入団したばかりで生意気な態度は取れず、先輩達を尻目にさっさとシャワーを浴び、着替えて帰宅していた。
ナミの大学入学式は一週間後だが週に三回程俺の住むマンションに来ては掃除等が行き届いていない所を掃除をしてくれた。
「ハル、練習は大変なの?」と良く聞いて来るので、「慣れていないから今のところは正直大変だよ」と答えるとナミは「わかった」と言ってマンションに来る回数を増やした。
シャワー室やトイレの掃除が行き届いていないのがイヤだったみたいだ。
「ゴメン、掃除が出来てなくて」と言うと「いいんだよ、疲れてるもの」と凄く優しかった。
球団に入って二週間後、一軍昇格者はゼロで全員二軍継続となった。
俺は全然平気だったが、中には悔しがっている方もいた。
四月になり、ナミの大学入学式があった。
母が来てくれたと喜んで電話してきて写メを送って来た。
忙しい両親とはいえ、ナミはいつも入学・卒業式に両親のどちらも居い事があり、辛かっただろうなと思っていた。
俺は「お母さんが来てくれて良かったネ」と返信した。
ナミのメールは絵文字が多く、喜びを目いっぱい表現していた。
俺は練習場に行くとコーチから「社会人野球との交流試合があるが出てみないか」と誘いがあり、断る理由が無いので「お願いします」と出場する事にした。
今年入った選手では俺ともう一人が出場するようで、このような機会を与えて貰える事は凄く嬉しかった。
試合は二日後の午後からとの事だ。
ナミにメールすると「見に行きたい」となり、場所と時間を教えた。
試合当日、俺は七番ショートで先発だが、社会人のチームの練習を見ていると俺達二軍の選手とそう変わらないように見えた。
「甘く見てはいけない」とその時感じ、自分をアピールするためにも「基本・深呼吸」を忘れずにプレイしていた。
俺達は後攻で試合が始まり、相手チームは予想以上に攻撃力があり、初回から二点を先行された。
俺達もプロの意地があり、中盤の六回には連打で三点を返す等、共に互角の試合だった。俺は丁寧なバッティングを心がけていたが、二打数ノーヒットで三打席目にスライダーを捉え右中間へツーベースヒットとなり一点が入った。
その後は交替になり、三打数一安打一打点でノーエラーでこの日の出場は終わった。
試合は四対三で何とか勝った。
試合後、監督から「ハルは守備は文句無しだ。バッティングも大振りをしないところがいい」と言われ、ホッとしていた。
ミーティングも終わり、シャワーを浴びて駅に向かおうとした時、ナミが近づいて来て「お疲れ、試合見たよ」と言い、「わざわざ有難う」と言うと「一緒に帰ろう」となった。
電車に乗って俺の住むマンションへ向かった。
二人ソファに座り、お茶を呑みながら試合の事、ナミの大学の事等を話していて、俺は明日休みだと伝えるとナミは明日の大学を休むと言い、今日はここに泊まると話した。
晩飯は俺がいつも行く食堂に行って食べた。
ナミは「ここの美味しいネ」と話していた。
この食堂はスポーツインストラクタのメニューを取り入れてくれて、俺専用メニューを出してくれている。ナミ母からの紹介された食堂だ。
ナミはここで食べるのは初めてだ。ナミが気にいってくれれば今後も使いやすいと思っていた。
俺はもうすぐ十九歳の誕生日(四月二十五日)となり、ナミは初めて俺に誕生日プレゼントをくれた。
紙袋の中身はライトブルーのバッテグロが数束入っていて「HARUTO」とネーム入りだ。
ナミは「ハル、この色好きでしょ?」と話していて、俺は明後日の試合で使おうと思っていた。
晩飯を済ませ、マンションに戻るとナミは「私が時々泊まるには、私の物が置けるような棚等が欲しいネ」と話していた。
まあ、このマンションはいずれ二人が余裕で住めるように借りたので、広さは八十平米以上ある。
そういう事もあり、ナミは色んな物を買い揃えていた。
翌日、二人で買い物に出掛け、ナミの物を中心に色々と買い揃え、俺は下着類やサプリ等を買っていた。
また、ナミから俺用のクレカを作るように言われ、ナミの言う通りクレカを作った。
俺の給料が入る銀行から引き落しされるようにして、ナミが一緒に手続きをしてくれた。
それに加え、スマホも新しい物に機種変し、今度は俺の名義で契約を更新した。
後は、パソコン代わりに初めてタブレット端末を買い、ナミに設定して貰い、使い方を習っていた。
今日の買い物で大きい物は明後日俺の住むマンションに届くらしいが、俺は練習に出掛けているのでナミが受け取る事になった。
俺とナミはこのマンションの鍵を持っているので、いつでも出入りは可能だ。
今日もナミはここに泊まり、明日の朝はお互いに出掛ける事にした。
翌日、練習に出掛けると監督から明日の二軍戦に参加するよう言われ、本格的に二軍のリーグ戦に出場する事になった。
俺はやっと二軍戦のスタートライン立てたと少し興奮していた。
また、コーチからはショート以外(サードや外野)も守備に着いてもらうが「試合と練習で徐々に慣れてくれ」と話していた。
「ハイ、頑張ります」と言い、明日からの試合に向け練習をしていた。
その時、同僚の選手から「毎日電車通勤より車で通ったら」と言われたが、今は車を買うお金も無いし、マンションの駐車場も空いていなかったので当分は電車通勤だと考えていた。
確かに車通勤の方が早いし便利なのはわかるが、楽な事を考える前に「今できる事をやって、それでも辛い場合は考えよう」と思っていた。
朝七時に起きて八時に電車に乗り、九時過ぎには練習場に着く感じだ。
翌日は試合開始が十二時頃なので、十時頃に到着すれば良かった。
毎日試合に出れるようになれば、朝早くないので電車通勤も苦では無かった。
五月に入って二軍戦には継続して出場していた。
途中出場、交代要員、スタメンと徐々に出場機会が増えて行った。
休日はナミと買い物等に出掛け、いい気分転換となっていた。
今日の試合は遠征なので早めにマンションを出て練習場からバスで移動した。
バスに乗ると俺は居眠りを始め、他の選手も居眠りしていた。
球場に到着すると早速練習を行い、身体を解すのだ。監督からは「途中交代で入って貰うぞ」と言われていた。
俺は試合中に先輩選手からバットの事を聞かれ、「どこで購入してるの?」となり、「高校の時からお世話になっているショップで購入している」と話すと先輩は「アドバイザーのシゲさんに見て貰いな」と言うのだ。
理由はプロに入ると一軍を目指すため、本当に自分に合った道具(バット・グラブ・スパイク等)を道具を扱うプロの意見を参考に道具を選んだり作製してもらう事が多いという。先輩はこの事を言いたかったようだ。
このチームには一・二軍共通のアドバイザーが二人居て、シゲ(横田重道)さんは選手に合うバットやグラブ、スパイク等を見立ててくれるらしく、元スポーツ用品メーカーの技術者だったとの事だ。
そのシゲさんは二軍の練習場にいつ来るかスケジュール表があるらしく、来た時に声を掛けて聞いてみると色々アドバイスをしてくれると話していた。
俺は今までグラブもバットもスパイクも自分で見て触って履いたりして良さそうな物を買って使っていたが、プロの世界はその少し先を行く第三者の目が必要になって来ると初めて知った。
後から聞いた話しだと同じチームだからと言って親切に色々教えてくれる先輩選手はまず居ないらしい。
それは皆ライバルだから自分が良く目立って活躍できた方が一・二軍で使って貰えるから他人の事は気にしないらしい。
俺の場合はたまたまラッキーなのか、見ていられなかったかのどっちかだと思うが、俺に声を掛けてくれた先輩には感謝だ。
普通は自分達からシゲさん達に声を掛けてアドバイスを貰うらしい。
試合が始まり、後攻なので守備に着いた。
このチームは去年くらいから成績が低迷していて、俺が来た時でもチームの雰囲気は活気が無かった。
そんな中でも俺はチームに貢献したいと思って練習では人一倍声を出して取り組んだ。
試合では、一塁走者が出たところで俺に代打が告げられた。
高校の時を思い出し、内野の頭を越える打撃に徹し、レフト前にヒットを打ち、点には結びつかなかったが、二打席目も三打席目も基本に徹した打ち方を心掛けた。
試合は四対一で負けたが、俺自身は今日の試合はノーエラーの三打数三安打だった。
バスで二軍練習場に戻り、ミーティングを終え、室内練習場でマシンを使って少し打撃練習をしてからシャワーを浴びて帰ろうとした時、監督から「明日も頼むぞ」と言われ、「ハイ、お願いします」となった。
翌日はホームでの試合で途中交代で二番サードだ。
今日はシゲさんが来る日と先輩達が話していたので、球団職員の方にシゲさんと会いたい事を伝えて貰った。
試合が始まり、久しぶりのサードで少し緊張していたが、送球もまあまあで、ライン際も何とか捌けたのだ。
打撃は三打数一安打だった。
試合が終わり、シゲさんと相談する順番を待っていて、俺が呼ばれ「初めまして、四月入団のハルトです」と挨拶をすると、「初めまして、君の守備はすごくいいネ、今日はどうした?」と言うので「先輩からバットについて俺に合っているかシゲさんに見て貰った方がいいよ、と言われて気になったので見ていただきたいと声を掛けさせていただきました」と言うと「そのバットで振ってみな」と言われ、数回振ってみた。
そしてバットを差し出し見てもらうと「グリップの太さとバットの重さ(バットを三分割にし重さを変えてみる)をみてみようか?」と行ってくださり、後日サンプルバットを持って来ると言うのだ。
また、「君のグラブを見せてくれないか」と言うので差し出すと「手入れはいいが、もう交換時期だな、革がだいぶ柔くなってコシが無い」と言うのだ。
するとグラブ何種類かサンプルを持って来ると話していた。
帰り際に「シゲさん、今日は有難うございました」と言うと「君は礼儀正しく、素直で好奇心があり、努力家と見た。怪我に気をつけてな、応援するよ」と言ってくださった。俺は凄く嬉しかった。
この会話を聞いていた球団職員の方は「ハルト君、シゲさんに気に入られたネ、凄いよ」と言ってくれた。
何故かと言うとシゲさんは人をほとんど褒めないらしい。
今までのシゲさんのお気に入り選手は三人だけだと話していた。
その方は一軍で活躍され、いくつものチームでコーチをされ、この球団の監督もされた方だった。(後に登場するKさんだ)
俺は凄い方を味方に付けた気がした。
数日後、シゲさんが来る予定では無いのにわざわざ俺のために来てくれたようだ。
グラブとバットをいっぱい持って来てくださり「試してみろ!」と言うのだ。「どうだ、使った感じは?」と一つ一つを確認していた。
「おッ?そのバット振りやすそうだな、スイングの音がいいぞ」と言い、確かにこのバットは振り抜きやすかった。
「ハル、バットはこれだな!グラブはどうだ!」と言い、室内練習場でコーチからノックを受けて貰った。
「シゲさん、これがいいッス」と言うと「随分高級な物を選ぶじゃねーか」と言うので「別のでも」と言うと「ダメだ!自分に嘘をついちゃいけねー」と叱られた。
「道具は高い安いじゃない、誰でも自分に合う物が必ずあるのさ!自分に嘘ついて安い物を使って下手になって、サヨナラじゃカッコ悪過ぎるだろ!」とごもっとも過ぎて返す言葉が無かった。
その後、バットを五十本、グラブ二個、スパイク二足を注文する事になり、何とバット二十五本とグラブ一個はシゲさんからのプレゼントとなった。
これには球団職員も二軍の選手達も皆驚いていた。
監督・コーチから「ハル、凄げ~な」と言われ、今の一軍の選手ですらシゲさんがおごる選手は居ないとの事だ。
それ以降、シゲさんは俺の練習や試合を時々見に来ていた。
まずはバットが十本届き、試合で使ってみる事にした。
その試合の日はシゲさんも見に来ていて、俺はこのバットで三打数三安打となった。凄く振りやすくバットスピードも良かった。
試合後、シゲさんが来てくれて「ハル、筋トレをサボるなよ、サボったらこのバットの良さが半減するぞ!」と言われた。
これはシゲさんから俺に対しての愛のムチと受け止め、毎日の筋トレを欠かさず続けていた。
確かにこのバットを気持ち良く振れるのは今の筋力が無いと振れない事をシゲさんはわかっていた。本当によく俺を見てくれ、有難い事だ。
その後、グラブやスパイクも届き、試合で使ってみた。
グラブの一個はすぐに使えるように湯もみされ型がついていて、凄く使いやすかったし、スパイクは痛みやすい箇所が補強されていて、豆ができやすいところは豆ができにくい仕様になっていたり、シゲさんの観察力には恐れいった。
バット以外は全て納品され、シゲさんが「メーカーと交渉して少し安くしてもらったよ
「ほれ、請求書だ!」と言って請求書を見ると税込み四十万円と書いてあった。
「シゲさん、安過ぎませんか?」と言うと「それじゃ百万くれ・・・・・・冗談じゃ!」と言って帰って行った。
確かに「この請求内容だと本来百万円以上する」と球団職員の方も驚いていた。
シゲさんは俺に先行投資してくれていた。
この四十万は給与から二回に分けて引かれると球団職員の方から説明があった。
七月に入り、二軍戦もだいぶ盛り上がってきたのだ。
四月は最下位、五月は七位、六月は六位だが、今月は三連勝中だ。
そこに俺の出番がやって来た。
八回裏二対二の同点でランナー二塁、「ハル、代打だ」となり、シゲさんから作って貰ったバットを使った。
初球は高めのボールで二球目の甘く入ったスライダーを捉え右中間を抜けるツーベースヒットで一点が入り、二対三の逆転となり、九回表にサードに着き、0封でこの試合を勝ち、リーグ五位となった。
試合後、シゲさんから「いい感じで振り抜けていたな、いいぞ」と話していた。
翌日は遠征でこのままバスに乗り遠征先の宿舎に泊まった。
翌日は七回裏に途中交代で公式戦で初めてレフトに入った。
九回裏までに打球は五回来たが違和感無く守っていた。
打撃では八回表のみだが、ツーアウト一塁でライト前ヒットとなった。
試合は二対一で何とか勝った。
翌日は出番が無かったが六連勝となり、遠征最終日に六回裏からショートに入った。
打撃は二打数一安打で三遊間を抜くヒットは打感が良かった。
試合は二対0で七連勝となった。
試合後、バスで練習場に戻り、シャワーを浴びて、電車に乗り「明日は休みだ」と思いながら最寄りの駅に着き、歩いてマンションに行くとナミが待っていてくれた。
ナミと晩飯に出掛け、ナミは両親に俺と同棲したいと話したらしく、大揉めして、お父さんに「勝手にしろ!」と言われ、お母さんからは「あと一年半が何故待てないの」と言われたと話していた。
俺は「まあ、そうなるよなあ」と言うとナミは「ハルが居るここを通過して今住んでいるマンションに帰るのがイヤなの」と言うが、まあ、それもわからなくもない話しだが、今はナミが我慢するしかないと思う。
ナミの両親に俺達が付き合っていて、成人過ぎたら一緒になりたい事も伝え、理解して貰っているのに、これ以上無理を言ってはいけないと話した。
ナミの両親は、一般的な親の考え方より柔軟に理解してくれているし、俺のおとんやおかんだったら「何ぬかしてんの?まだ早い!」と言うのがオチだ。
それに比べたらナミの両親は否定的では無く前向きで個々の主張を受け入れた上で話し合ってくれている。
ナミに「もう少しの我慢だ、その代わり泊まってもいいが同棲宣言はお互い良い事は無さそうだから辞めよう」と話した。
そして、俺の野球の話しをしていた。
翌日、俺の休みにナミも付き合ってくれて、いい気分転換になるとテーマパークに行き、童心に帰って楽しんでいた。
U△J以来のテーマパークで一日中楽しんでいた。
俺の住むマンションに帰宅し、ナミはまた泊まった。
(ほぼ同棲ですけど・・・)
翌日、俺はホームで練習のみだが、明日はホームで三連戦となっていて、外野を練習し、打撃練習を時間いっぱいまでやっていた。
打撃練習時にコーチからアドバイスを貰い、俺の弱点(どんな球でも喰いついて行く)を聞かされ、得意なコースの球、不得意なコースの球や球種を自分で分析し、ある程度狙って打つ事を教えて貰った。
冷静に考えてみれば、高校の時と今では、高みを目指し過ぎて力みがあるし、得意不得意関係無く「打ってやろう」の意識が強過ぎて自分の打撃を邪魔していると気づいた。
高校の時のバッティングが基本である事をもう一度認識し、力まない広角打法を取り戻したかった。
翌日は朝から打撃練習をしていて、力まない得意なコースを狙い、不得意なコースは無理して打たない事を心掛けて練習していた。
皆が続々と練習場に集まって来て「ハル、早いなあ」と言われた。
昨日アドバイスをくれたコーチはゲージの真後ろから俺のバッティングを見ていた。
「ハル、交代だ」と言われ、先輩選手達が打撃練習の順番を待っていた。
コーチから「ハル、外野ノックだ」と言われ、二・三十球ノックを受けていた。
今日の試合は十二時半からでスタメンが発表され、俺は初スタメンで六番ショートだ。
チームは七連勝中で勢いがあり、スタメンでも力まないようにする事を心掛けていた。
相手チームは初回から三点を入れる猛攻だった。
俺は二回の打席でセンター前のヒットで出塁し、後続のヒットで得点を上げ、六回からレフトに廻り、二打席目は二遊間を破るヒットで出塁し、後続のホームランで二点が入った。
九回裏にツーアウト二・一塁で俺の打順でツーワンの四球目をライト前に運び、一点を上げたが五対四で連勝はストップした。
俺はノーエラー、三打数三安打だが、チームが負けてしまったのでテンションが下がっていた。
試合後、シャワーを浴びて帰ろうとした時シゲさんと会った。
「シゲさん、来てたんですね」と言うと「ハルの守備とバッティングが心配で見に来たよ」と話していた。
「ハル、力まずに良く打てたよ」と褒められ、「忘れるなよ、この打ち方と筋トレ!」と言われ、シゲさんは帰って行った。
俺はマンションに帰り、ナミが持って来てくれた筋トレマシンをほぼ毎日一時間位使っていて、インストラクターの方のトレーニングメニューを参考に行っていた。
翌日の試合は十三時からで俺はスタメンから外れベンチスタートだ。
監督はまだ試合出場の無い選手を積極的に使うと話しており、皆に平等にチャンスを与えていた。
七回に俺は代打で打席に立ち、追い込まれてセンターフェンスギリギリのフライだ。
その後、ライトを守りゲームセット。
二対六で快勝した。
翌日はスタメンで六番ショートだ。
今日は打撃が好調で一打席目は右中間へツーベースヒットで出塁し打点一となった。
二打席目は左中間へツーベースヒットで出塁し打点一となり、七回までノーエラー、三打数二安打二点で交代した。
チームは二対五で二連勝。
翌日は休みだ。
帰りにナミにメールすると「明日、OK」と返信があった。
マンションに帰り、貯まっていた洗濯と掃除をしているとナミが入って来た。
ナミは明後日から夏休みらしく、一日繰り上げて休めると話していた。
また、今年からは夏・冬の海外旅行には行かず、俺と一緒に過ごすと宣言し、俺は「いいのかなあ?」と言うと「十日に一回は帰るから」とナミは言うのだ。
洗濯が終わり、晩飯に出掛け、飯を喰いながら夏休み中の過ごし方等を話していた。
八月に入り、ナミがマンションに居てくれるので、部屋はきれいに掃除され、洗濯等もしてくれたので助かっていた。
それに加え、ナミ用のベットが増えたり、ナミのデスクやゲームチェア、モニター、音響システム等々が設置され、ナミのマンションから運ばれた物だ。
帰って来て部屋中の配置の変化にビックリするとナミは「部屋の雰囲気を変えました」とニッコリ笑っていた。
俺は明後日から初の新潟三連戦で明日から四泊の予定だ。
その後は横浜、宮城、東京、埼玉と遠征が続く予定となっていた。
俺の休みは週一日か二日なので、ナミと遠出する事は無く、買い物やマンションで過ごす事が多かった。それでもナミは俺のために色々と尽くしてくれ、感謝しかなかった。
ナミのサポートもあり、夏場のコンディションも良く、野球に集中し少しはチームに貢献出来ていたと思う。
九月に入ると二軍の試合も終盤戦になり、俺の球団は四位となっていた。
俺は七月以降、ほぼ毎試合に出させて貰っていて打撃以外は高評価なのだ。
打撃は波があり、一年を通した場合どうなのかという疑問符が付いていた。
二軍の全試合を終了し、チームは何とか三位まで上昇した。
俺個人の成績は四十六試合百四十七打席五十二安打三割五分四厘となった。
守備は五十六試合でノーエラーだ。
打撃成績は一見良く見えるが、評価は余り良くなかった。
その理由は、良い時は良いが悪い時はかなり悪いとなり、安定しない打撃が評価の低い理由なのだ。
リーグ戦の後は秋季キャンプや教育リーグ等があり、オフシーズンは十二月中旬~一月末までだが、皆一月十日頃から自主トレを行っていると聞いた。
俺は志願して教育リーグに数戦出場していた。
六試合出て二十打数十一安打だ。
その後、秋季キャンプ(千葉)に三週間程参加して打撃面の強化を図っていた。
久しぶりにマンションに帰り、ナミが留守に来ていた。
もうすぐナミの誕生日(十一月二十八日)となる。
子供達や子供を持つ大人にも野球を好きになって欲しくて、私なりの世界観をもって描いているものです。興味を持っていただけると幸いです。




