第8話『神の冷笑、凡人に還る最強の盾。』
この話には出血を想起させる描写があります。
苦手な方はご注意ください。
ゴーン……ゴーン……。
0時を告げる鐘の音。
それは、俺の意識にとって、死刑執行の宣告にも等しい。
深い眠りから、意識は冷たい手に掴まれるように引き上げられた。
(……来たか)
体が、意思とは無関係に、ギシリと軋む。
前回のようなパニックはなかった。
俺の心は、ただ運命を傍観する。
―――体は、冷たい糸で操られた、ただの道具と化していた。
(ギデオンが止めてくれる。ならば、見てやろう。この“怪物”の正体を)
俺は「操り人形」として、鏡に映る自分を見つめた。
(毎月、人を殺す悪夢から解放されるなら、この体と引き換えでも構わない。俺を止めてくれ…)
体が縮み、金色の髪が垂れる。
「それ」は、まるで儀式のように淡々と、寝間着のズボンの裾を引き裂くと、窓を開けた。
(さあ、行けよ。そして、打ち破られろ)
アサシンは闇夜に飛び出した。
景色が凄まじい速度で後ろに流れる。
屋根を瓦の砕ける音もさせずに駆け抜け、一直線にヴァレリウス伯の屋敷へと向かう。
屋敷の庭には、複数の護衛兵が松明を掲げ、厳戒態勢を敷いていた。
「来たぞ! “怪物”だ!」
「囲め! 殺せ!」
護衛たちが剣を抜き、一斉に襲いかかる。
だが、止まらない。
まるで風が木の枝をすり抜けるように、振り下ろされる剣戟の隙間を駆け抜ける。
護衛たちは、金色の残像に空を切るだけだ。
小さな足は、壁の僅かな凹凸を正確に捉え、重力を無視したかのように、漆黒の壁を駆け上がる。
そして、月明かりに照らされた2階のテラスに着地した。
目の前には、観音開きの豪華な扉。
夜風のように扉へ向かって駆け出した。
バアアン!
幼女の体躯からは想像もできない轟音を立てて、扉を蹴り開けた。
部屋の中央。
蝋燭の光に照らされ、二人の男が待ち構えていた。
「……!」
予想外の場所からの登場に怯えた顔で震える、ヴァレリウス伯。
そして、その前に仁王立ちする、屈強な大男。
「来たな、暗殺者。俺が『アイギス』のギデオンだ」
ギデオンの体が、青白い光に包まれる。
彼のギフトが、伯爵のそばで、今まさに発動している。
空気がビリビリと震え、怪物に匹敵するほどの圧力が部屋を満たした。
(すごい……これなら、勝てる!)
俺が歓喜した、その瞬間。
アサシンの身体は一直線に駆けた。
「死ね!」
ギデオンが、オーラをまとった剣を振り下ろす。
しかし、アサシンは剣を回避しようとしない。
小さな体は、剣の軌道を正確に予測し、ギデオンの懐に、剣が届くよりも早い、「時間」を短縮したような速度で滑り込んだ。
―――そして、ギデオンの分厚い全身鎧の上から、その小さな掌を、彼の脇腹に「そっと」触れた。
「なっ!?」
ギデオンの全身を包んでいた青白い光が、瞬時に、音もなく消滅した。
凡人となったギデオンは、何が起きたのか理解できず、力が抜け唖然としている。
―――次の瞬間。
彼の腹部に、研ぎ澄まされた刃のような膝蹴りが叩き込まれた。
「ぐっ……!」
強烈な衝撃と、ギフトを失った肉体の無力さ。
巨体を持て余すように、ギデオンの巨体が、丸くうずくまる。
その刹那、アサシンは体重を乗せた追撃の蹴りを、躊躇なく彼の横腹に叩き込んだ。
ギデオンの体は、抵抗する間もなく吹き飛んだ。
ガシャアアアン!
凄まじい破壊音と共に、屈強な体躯は、窓を突き破り、夜空に叩き出された。
(嘘だ……)
目の前で、スローモーションのような光景が広がる。
空中で全身鎧が甲高い金属音を響かせる。
ギフトを失ったギデオンは、ただの重い人間となり、庭に向かって落ちていく。
直後、ガシャアァン! という甲高い金属音が、石畳から響き渡った。
俺の希望は、天を仰ぐ神の冷笑によって、砕け散った。瓦礫のように。
部屋の中には、腰を抜かし、逃げることすら忘れたヴァレリウス伯がいた。
そこにはもう、いつもパン屋で見せていた「慈善家」の柔和な表情は消え失せていた。
足は最短距離を、一定の速度で進む。
「ひ……ひぃ……やめろ……来るな……!」
俺の警告も、最強の護衛も、すべてが無意味だった。
まるで機械のレバーを倒すように、小さな手が動く。
白銀のナイフが、伯爵の喉に、朱い一筋の線を引いた。
アベルの意識が永遠を感じる中、「怪物」の動作は一瞬で終わる。
悲鳴は、血の泡となって消えた。
俺の警告も、最強の護衛も、すべてが無意味だった。
システムの判断は、絶対だ。
俺の抵抗は、無意味だった。
俺の心は、自我を保つ最後の防波堤を失った。
その瞬間、俺の意識は、恐怖と絶望によって完全に停止した。
次話にて第一章完結となります。
「伯爵の死後、街では...リナの恐怖とアベルの絶望は続く...」
【毎日20:10更新予定】
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引き続き、物語の絶望の先に進みます。よろしくお願いします。




