異世界日本人村へようこそ!
毎日泊まり込んでも終わらない仕事と、尻拭いを部下に押し付け早々に帰宅して行った上司に悪態をつき、倒れ込むようにデスクの下で眠りについた田崎ミナコは、光り輝く石畳の上で目を覚ました。
ほんのり温かい石畳が心地よく、毛羽だってチクチク頰に刺さるデスクマットより寝心地がいいなあ、ともう一眠りしようとすると、周囲の建物からわらわらと人が集まってきた。
「お、新入りが召喚されたのか、ってヤバそうだな。誰かポーション持ってきてくれ!」
「すごい隈だな。よれよれのスーツといい、これは過労死パターンか」
「おーい、生きてるか?まあ、元の世界じゃ死んでるんだけど」
集まった人間の一人が、顔を上げる気力もないミナコの口にポーションを流し込む。
「うゔっ高級ユンケルの味がする・・・・・・何これめちゃくちゃ効く・・・・・・」
ミナコの五徹の体にポーションが染み込む。疲労困憊した体を癒す凄まじい効果に、ミナコは後でメーカー聞いて箱買いしようと心に決めた。
回復したミナコが上半身を起こし、周りを見渡すと、円形をした石畳の広場のようだった。広場の中心、ミナコのすぐ側には虹色に光るオーブが浮かんでいる。
「え、ここどこ?」
明らかに会社ではないその場所にミナコは慌てた。過労とストレスの限界でついに夢遊病を発症してしまったようだ。
眠ったのは夜明けギリギリだったのに今は太陽も高い位置にあるし、これは寝過ごした!遅刻だ!
とりあえず上司に遅刻の連絡しないと、とスーツのポケットに入れていたスマホを取り出すも圏外。
朝になっても上司に頼まれた資料作成が終わっていなくて一時間オフィスの真ん中で怒鳴られながらずっと立たされていた時のことを思い出してミナコの胃がキリキリ痛んだ。
「あの、どなたか電話を貸してもらってもいいですか?早く上司に電話しないといけなくて」
とにかく電話を借りようと、周囲の人に訊ねると、首にタオルを巻いていかにも農作業の途中ですという格好をしたおじいさんが答える。
「ここに電話はないよ。あったとしても君の上司には繋がらない。ここは異世界だからね」
「えっ?」
都心にある会社から、ずいぶん田舎までやってきたんだなと思っていたがまさかの異世界。驚きである。
理解が追いつかないミナコに、集まってきた人たちは説明をしていく。
「君は、まあ僕たちもそうなんだけど、異世界召喚されたんだ」
「そこにオーブが浮いてるだろ?この場所、いわゆる竜脈ってやつなんだけど、オーブに魔力が溜まると召喚ゲートが開いて、何故か元の世界で死んだ日本人を召喚する仕様になってるんだ」
「なんで日本人なんですか?」
「さあ?俺たちを召喚してるそこのオーブの好みが、黒髪黒目で平たい顔の虐げられてる幸の薄そうな人間なんじゃないかって説が有力だけど」
正確な理由はわからないんだ、とミナコにポーションを飲ませてくれた田中さんが言った。
ちなみに田中さんは、実家の借金のために婿入りした先で、DV嫁に日々暴力を振るわれ、倒れた先にあったテーブルの角に頭をぶつけて死んだそうだ。確かに幸の薄そうな雰囲気をしている。
「この村は召喚された日本人が集まって暮らす異世界日本人村だよ」
「昔、初代村長が王家に勇者として召喚されて魔王と戦うようにって言われたらしいんだが、戦争なんか嫌だし、王家の態度は最悪だし、褒美にやるって言われたお姫様は20歳上の性格に難がある王様の姉だしで、初代村長が召喚ゲート持ち逃げして作ったのが、この村」
そう言ってこの村の成り立ちを教えてくれた農家風のおじいさんの名前は吉田さん。子供の時に召喚された吉田さんは初代村長を親のように慕っていた。ちなみに生前の親は吉田さんを車の中に置いてパチンコに出かけていたそう。
最初はこの場所に初代村長一人で暮らしていたが、なんか立っているだけで力がみなぎってくる場所があったので、試しに召喚ゲートを置いてみたら、次々と弱った日本人が召喚されてきたらしい。
百年ほど経った今じゃなかなかの大所帯になっている。
今はもう亡くなっている初代村長は、ブラックな職場で漫画家のアシスタントとして働いていて、机の下で仮眠を取っていたところに過労死で死んでこの世界に召喚されたらしい。ミナコは初代村長に親近感を感じた。
そして話の中で気になったことがある。
「魔王いるんですか!?」
「いるよ。魔王というか、魔族の国の王様だけど」
「じゃあ魔法もあったり?」
「あるけど、魔法を使えるのは召喚された日本人だけなんだ。夢の中ですごい光ってる人にギフトがどうのって言われなかった?」
「夢だと思ってたやつ・・・・・・」
「ギフトってのが召喚特典みたいなもので、僕らしか持ってない。生前に関係したギフトが貰えるんだけど君は何だった?僕は石を投げると爆発するギフト」
石切りが趣味だったんだ、と笑う田中さんだがギフトはなかなか物騒だ。
ミナコは夢の中で発光していた人物に言われた言葉を思い出す。
「投げたものが絶対に命中するギフトを貰いました」
「FPSでもやってたの?」
「ゴミ箱に上司の名前を付けてゴミを投げつけるのが職場でできる唯一の息抜きだったのでそれが理由かもしれません」
「わあ」
その後、詳しいことはここで生活しながら知っていけばいいよ、と言う田中さんに空き家を紹介してもらったミナコは、異世界日本人村で生活を始めることになった。
***
それから一ヶ月。
「異世界生活は夢のスローライフだった・・・・・・?」
空色のカーテンを通して差し込む柔らかい光で身を覚ます。枕元に置いていた腕時計を見るともう十時を過ぎていた。ここに来た時に時間は合わせてある。時間の流れは地球と変わらないようだ。
この腕時計はミナコが大学の入学祝いに両親から貰ってからずっと使っていたもので、ねじまき式のちょっとレトロ感のある時計だ。止まらないよう、キリキリとネジを巻くのが朝晩の日課だ。
顔を洗い、髪をとかし、玄関のドアを開けると、ミナコはドアノブにかかっているカゴの中を覗く。いくつかの卵に野菜、パンが入っていた。サンドイッチにしよう。
少し多めにサンドイッチを用意したミナコは、ゆるいシャツとズボンに着替えると、そのままお隣に向かった。
ちなみにここに来る時に来ていたスーツは見るたびにいろいろと思い出すので、速攻で雑巾にした。洗濯が間に合わず、間に合わせで買った安物なので未練もない。
隣の家もミナコの家と同じような作りの小さい平屋だ。
異世界初心者の皆さん用に、と建築系ギフトの持ち主が建てた家で、玄関で靴を脱ぐ仕様になっており、異世界感のかけらも無いが安心感はある。
ここでそのまま暮らすも、引っ越すも、自分好みの家を作るも、誰かと一緒に暮らすも自由だそうだ。
貰っていた合鍵を差し込み中に入ると、薄暗く、家主はまだベッドの中だった。
持ってきた食事をテーブルの上に置き、カーテンを開けると陽の光が差し込み、布団の塊がモゾモゾと動き出す。この家のカーテンは遮光カーテンなのだ。
「んー・・・、ミーちゃん?もう朝?」
「おはようサチコ、朝ごはん持ってきたよ」
「たまごサンドある?」
「あるよ。多めに作ってきた」
「やったあ」
彼氏に売られた風俗店で客に刺されて死んだサチコは歳が近く、ミナコは人懐っこいサチコとすぐに仲良くなった。
塩気を少しきかせたたまごサンドを、「おいしい」「天才シェフ!」といっぱい褒めてくれるので、穴の空いた使い古しの雑巾並みだったミナコの自己肯定感は、この村に来てからアイロンがけされたハンカチ並みに回復した。
サンドイッチを食べながら飲むのはビールだ。そう、ビール。なんとミナコは朝からビールを飲んでいるのだ。
水をお酒に変えるという、どこぞの救世主のようなギフトを持っているサチコは、村の居酒屋で働いている。
召喚前はご近所のママ友にハブられてノイローゼーだったという、おっとりとした美人の竹中さんがやっている店で、サチコのギフトで作るお酒は悪酔いしないからか、村にいるのは人の痛みを知る人間だけだからか、大変治安の良い店だ。ミナコも夕飯は店で食べることが多い。
この村では出来ることや、貰ったギフトによっていくつかの班に分かれて仕事をしていて、ミナコは狩猟班に入っている。
数日に一度、森に食料を狩りに行くのだが、ミナコのギフトは狩りにとても役に立った。
飛んでいる鳥にロープ付きの石を投げて落とす、魚を銛で突く、投げた槍はどんなにミナコに筋力が無くても必ず獣に命中した。
「ミーちゃんはすごいよねぇ。昨日の焼き鳥、みんな喜んでたよ」
その言葉にミナコは思わず目頭が熱くなり、泣き出してしまいそうになるのを堪える。この村に来てからもう何度目か分からない。
居酒屋の昨日のメインメニューである焼き鳥はミナコが獲ってきたものだった。自分の仕事が評価され、人に感謝されるということがこんなにも嬉しいことだということをミナコは久しぶりに思い出した。
あーこんな上司が欲しかった・・・・・・。クソ上司、死ね!こんないい子を殺した男とクソ彼氏も死ね!
ミナコは残ったビールを一気飲みし、幸せなほろ酔い感に浸る。
仕事が忙しすぎて休日は死んだように眠るため友達とは疎遠になり、休日も無くなってからはSNSでのやり取りすら途絶えた生前。
それが今じゃどうだ。
ゆるゆると、だがやり甲斐のある仕事をして、友人と一緒に朝からビールを飲み、ボケーっと雲を眺めて過ごすこともあれば、嵐の前には村人総出で野菜の収穫を手伝う。
ミナコの異世界生活は充実していた。
「異世界サイコー!」
「あははカンパーイ!」
「もう一生この夢が醒めないでほしい」
「夢じゃないって。あ、そういえば今日、外から人が帰ってくるんだって。昨日お店で聞いたの」
「この村を出る人なんているんだね」
楽園なのに。
「ゲームが好きだった男の子でね、異世界召喚らしいことがしてみたいって王国の方に行ったみたい。一度は勇者になったみたいなんだけどやっぱり帰って来たんだって。この後会いに行ってみない?」
「へぇ面白そう。私この村の外に興味無かったから全然知らないんだよね」
「んー、なんか人間の国と魔族の国が長い間戦争してるってことぐらいしかわかんないやぁ。お客さんから聞いたことあるんだけど忘れちゃった」
この後の予定が決まったミナコは、テーブルを片付け、まだパジャマ姿だったサチコの着替えを待つ。
一応人に会いに行くのでサチコから眉墨を借りて眉だけ描くと、隣でリップを塗っていたサチコの指が伸びてきて、ポンポンと唇を叩かれる。少しだけ潤ったミナコの唇に満足げなサチコの顔が可愛い。
ほんと、こんなかわいい子を売ったクソ外道男は考えつく限りの悲惨な死に方で死んでほしい。
***
「宗教戦争なんです」
まだ10代だという中野くんは、この村の外で人間の国と魔族の国がやっている戦争をそう説明した。
「王国が信仰してる宗教の聖地に800年くらい前から魔族が住み始めて、今は魔族の国の首都になってるんですよ。それを取り返したい王国側が戦争しかけてて、魔族はこれだけ長い間住んでればもう自分たちの土地だって応戦してる。・・・・・・正直、日本人としては宗教戦争って理解できないんですよね」
分かる。
百年の歴史があるこの村には、過去の村人が彫った仏像もどきや、五穀豊穣を祈る祠に鳥居、初代村長像にお酒を供える人もいれば、召喚ゲートのオーブに珠子ちゃんと名付けて擬人化して愛でる人もいる。
自分に害さえなければ他者の宗教に寛容な、宗教闇鍋多神教どんとこい国家、それが日本である。
「俺もはじめは異世界召喚だ!強くてニューゲームだ!って盛り上がってたら、えっ?村?スローライフ?って感じで。止めてくれた村の人の忠告も聞かずに飛び出しちゃったんですよね」
「10代の子にスローライフの良さはなかなか分かりづらいよね・・・・・・」
今は後悔してます、と肩を落とす中野くんは、学校でのいじめから不登校になり、来世に期待して自室で首を吊ったそうだ。
「ギフトが戦闘系なので勇者として歓迎はされたんですけど、基本的にあの国って異教徒は皆殺し!我らの聖地を化け物どもから奪い返せ!って感じで・・・・・・。可愛い女の子を紹介されたけど、その代わり改宗しろって迫られるし」
「なかなかきっついね」
「中野くんのギフトはなあに?強いやつなの?」
中野くんは言いたくなさそうに唇を噛んでいたが、ニコニコと無邪気に見つめてくるサチコに根負けして口を開いた。
「・・・・・・カッコいい感じの技名を叫ぶと、カッコいいビームが撃てるギフトです!」
言い終わるなり顔を真っ赤にしてそっぽを向いてしまった中野くんに、二十代女二人はニヨニヨと顔を見合わせる。
「かわい〜」
「いいじゃんいいじゃん、若さ!って感じで」
「ああああああぁぁぁぁぁ」
頭を抱えて踞る中野くんに「あたしはいいと思ったよお、カッコいいビーム見たいなあ」と追い討ちをかけるサチコを止め、ミナコはたずねる。
「実際、勇者として戦争に参加したんでしょ?どうだったの?活躍できた?」
「・・・・・・戦えませんでした。一人も殺せず戦場から逃げたところを魔族に捕まって、捕虜になって。この村とは協定があるからって、あの国の味方をしないならと、魔族の人がこの村に帰してくれたんです」
この村は高地にあり、防御系ギフトを持つ防衛班が害意のある者を通さない結界を張っている。昔、王国側がオーブを返せと乗り込んだが険しい崖と結界に阻まれて泣く泣く撤退した。
魔族側には話のわかる人がいたらしく、空を飛べる種族の魔族が交渉にきて、王国の味方をしないならこちらも敵対しないという協定を結んだらしい。
中野くんは続ける。
「だって魔族って言ったって、耳がとんがってるとか、肌の色が違うとか、人間より力が強いとか、そんなんで人を殺すなんて無理でしょ・・・・・・。俺が魔族に何かされたわけでもないし。そもそも人殺しができるなら首吊る前に俺をいじめた奴らを殺してるっての」
リアルはゲームみたいにいかない、とがっくり落ち込む中野くんを「まあまあこれからいい事あるよ」「スローライフ楽しいよ」と励ます。
異世界に召喚されようが、中身の人間は変わらないのだから。
突然人殺しができるようになれないし、考えや価値観も生まれ育ったものを捨てられないし、急にモテるようにもならない。
「いじめで自殺したって人けっこう多いよねぇ。昨日お店で初ライブした『スカイハイ』ってバンドも全員飛び降り自殺で死んじゃったんだって。中野くんも首吊り自殺のメンバー集めて対バンしようよ!」
「・・・・・・俺、ギター弾けます。友達いたことないんですけど、俺にもできますか?」
「たいじょーぶ!あたしも友達いなかったけど今はミーちゃんと大親友だもん!」
まずはメンバー募集のポスター作らないとね、と笑うサチコに愛おしさが込み上げ、ミナコは思わず抱きついた。ぎゅうぎゅう抱きしめ合う女二人を中野くんは眩しそうな目で見ている。
ミナコとサチコが出会えた奇跡に感謝し合っていたその時、突如広場の方が虹色に輝き出した。
中野くんの家から出て、三人が広場に行くと、オーブから放射状に飛び出していた虹色の光が徐々に収縮していく。何人か、騒ぎに気付いた村人が家を飛び出し広場に集まってきた。
「召喚だ」
「おーい新入りが来たぞ」
光が収まった後、そこには一人の男性が倒れていた。焦げたスーツに煤で汚れた顔、手には殺虫剤とライター。
「佐藤くん!?」
ミナコの後輩の佐藤が召喚されていた。
「あれ?ミナコ先輩?俺死んだはずじゃ・・・・・・あ!ここってもしかして天国ってやつっすか?」
「佐藤くん、あなたなんで死んじゃったの?」
「聞いてください!ミナコ先輩の仇は後輩である俺がとりました!まあ、俺もドジって死んじゃったんすけどね。でもあのクソ上司とクソ社長は丸焼きっす。会社のパソコンも全部ぶっ壊してきました!」
佐藤くんによると、あのクソ上司は朝礼の時間になっても現れない私をデスクの下で見つけ、足蹴にし、死んでると分かると「死ぬなら家で死ねよ」と言い放ち。
社長は過労死の事実を隠蔽すべくタイムカードを改竄し、社員に金を渡して口止めし、私の葬式には会社からは佐藤くんしか出席しなかったそうだ。
ブチギレた佐藤くんは、私の遺影に復讐を誓い、見事成し遂げ、ついでに日頃からドジっ子だった彼は自分まで燃やして死んでしまったらしい。
「だからあれほど計画は隅々までチェックしなさいって言ってたのに・・・・・・」
「いつも最終チェックしてくれてたミナコ先輩がいなかったからっすね。ところでここどこっすか?天国にしては普通の田舎っぽいというか」
石畳に座り込みキョロキョロと周りを見渡し首を傾げる佐藤に、ミナコは仕方ないなあ、とため息を吐く。
佐藤を立ち上がらせるため手を差し出したミナコは、会社にいる時には決して見ることのなかった晴れやかな表情で笑った。
「ここは異世界日本人村。楽園へようこそ佐藤くん」
陰鬱なニュースを見るたび、こうであればいいなと思っていたので書きました。