第2話 奴隷に媚びを売ろう!
とりあえず、回復魔法の基本は覚えた。
ちょっとしたかすり傷や出血程度なら、なんとか治せる。
だが、将来的に俺は欠損奴隷というひどい目に合うことが確定している。
ということで、最低でも腕を生やしたりはできるようにはなっておきたいな。
だが、こっから先はちょっと独学では無理がある。
そこで、俺は奴隷に頼ることにした。
俺の家には、様々なタイプの奴隷が、ものすごい数いる。
その中で、回復魔法の得意な奴隷の元を訪れた。
「おい、お前」
「なんでしょう坊ちゃま……」
奴隷は、やつれた顔で俺を見た。
これは……ろくに飯も与えられていないようすだな。
シュマーケン家の方針として、奴隷にはとことん厳しくするように言われている。
だが、ものを教えてもらうのだ。奴隷にも最低限の礼儀は尽くすべきだろう。
俺はポケットからパンを取り出した。
上手くいけば、ついでにあとでスープとかももってきてやろう。
「このパンをやるから、俺に回復魔法を教えてくれないか……?」
「わ、私が坊ちゃまに回復魔法をですか……? 構いませんですけど……。回復魔法なんて、奴隷にやらせればよいのではないでしょうか……?」
「いや、興味があってな。ぜひ自分で修業したいんだ」
「わ、わかりました! そういうことなら、私にお任せください」
奴隷は初老の女性で、メルダといった。メルダは俺からパンを受け取ると、嬉しそうにしていた。
そういえば、このゲームの中の人間はみんなそうだったな――みんな、めんどくさいことや、覚えるのが大変なことは奴隷にまかせてしまう。エルドも、もれなくそういう人間だったはずだ。
しかし、それではいけないのだ。奴隷にばかり頼っていては、いざというとき、自分の力で動けなくなる。俺はなんとしても、自分で回復魔法を身につけなくてはならなかった。
「いいですか、まずはこうやって……蛙に腕を生やすことから始めてみましょう」
「ああ、わかった」
俺は奴隷のメルダから回復魔法の応用を教わった。
やはり直接人から学べるのは違う。
この世界の人間は、奴隷からものを学ぼうなどしない。そのせいで、貴族はどんどん馬鹿になる。そして奴隷に反乱されてあんなことに……。
おっと、思考が逸れた。
とにかく、なんでも自分で学ぶことはいいことだ。
怠惰なままでいられるのは、奴隷が味方でいるうちだけ――。
「よし、今日はこのくらいでいいかな。また明日くるよ」
「はい、坊ちゃま」
俺はそれから、毎日のようにパンを持ってメルダのもとに通うようになった。
ほんの数週間で、俺は蛙に腕を生やせるようになっていった。
どうやら俺――エルド・シュマーケンは、かなり回復魔法の適正も高いようだった。
ゲームではほぼ闇魔法しか使ってこないから、まさかこんなに回復魔法の適正もあったとはびっくりだ。
なにか理由があるのかな……? もしかして、俺がプレイしてないだけで、続編とかでは回復魔法も絡めてくるようなシーンがあったのかもしれない。
魔法を使うたびに、体感的にスキルが急成長しているのが自分でもわかる。
正直、どんどん成長するのが実感できていて、楽しい。
「ありがとうな。メルダ。お前のおかげで、回復魔法がここまで上達したよ」
「そんな……私は奴隷です。奴隷にお礼をいうなんて……」
「奴隷でも、礼は礼だ。なにかをしてもらったら、礼を言う。当たり前だろう? それにお前は俺の回復魔法の師匠でもある」
「そんな……師匠だなんて……。坊ちゃま……坊ちゃまは素晴らしいお人ですね。まだお若いのに。きっと素晴らしい奴隷商人さまになられます」
「やめろ。俺は自分の目的のために回復魔法を勉強しているだけだ。買いかぶるな」
実際、奴隷に対して憐れみや同情の感情は一切湧いてこなかった。
これはエルドのもともとの性格のせいなのかもしれない。それか、俺自身が案外そういうやつなのか。
――俺はただ、回復魔法を教えてもらう代わりに、パンを多めにやっているだけのことだ。
それでこいつが喜ぼうが、寿命が数日伸びようが、俺の知ったことじゃない。
◆
それから1週間くらい修行をしていて、ある日俺がいつものようにメルダのもとへ行くと、なんと彼女はとんでもないことになっていたのだ。
彼女の身体はひどく腫れあがっていて、あちこちから出血している。
いったいなにがあったというのだろうか……!?
「おい、どうした! なにがあったんだ!?」
「それが……回復魔法に失敗しました……。そのせいで、力が逆向きに働いて、こんなことに……」
「なんだって……!?」
そういえば、俺も本で読んだことがある。
回復魔法というのは、人を癒す力でありながら、恐ろしい面もあるのだと。
その力の使い方を間違うと、人を傷つけることがある。
誤った方法で、無茶な回復魔法の使い方をすると、暴走して、力が逆向きに作用することがあるのだそうだ。
そのせいで、メルダは血まみれになってしまったのか。
「……っ、くぅ……っ!!」
メルダの肌はどす黒く腫れあがり、血が滲み出ていた。まるで肉が内側から押し出されるように、異様な膨れ方をしている。
本来なら修復されるべき細胞が異常増殖し、腫瘍のように肥大化してしまったのだ。
「なんでこんな無茶をしたんだ……!」
メルダは特に怪我をしていたわけでもない。
それに、普通の怪我であれば、彼女なら難なく治せただろう。
しかし、メルダの現状は酷いありさまだ。
「自分の身体で、練習をしていたんです……回復魔法の……」
「なぜそんなことを……?」
メルダは十分に回復魔法の使い手なはずだ。
それこそ、俺に教えるのに不足のないくらいには。
「エルド様はもっと回復魔法が上手くなりたいとおっしゃっていました。それこそ、腕を生やせるくらいに……。しかし、そんなことは私にもまだできません。だから、エルド様に教えられるよう、自分も修行をおと思い…………」
そうだったのか……。じゃあ、俺のせいでこんなことに……?
それは、申し訳ないな……。まさかメルダがここまで無茶をするとは思わなかったな。
「バカやろう……。俺のためにそんなことをするな……!」
俺は怒っていた。だって、俺のためにメルダがそこまでして、傷つく必要なんてどこにもないからだ。
それに、奴隷という商品を管理するのは俺たち奴隷商人の仕事なんだ。
だから、商品が傷ついて困るのは俺のほうなんだ。
「もう無茶はしないでくれ……。待っていろ。今治してやるからな……」
「エルド様……」
俺はメルダにすぐさま治療をしてやることにした。だって俺のためにこんな血まみれになったんだから、当然だ。それに、メルダは大切な商品でもあるのだからな。
「ヒール……!」
メルダの傷はみるみるうちにふさがった。
正直、これほどの大きな傷を治せるかどうか不安だった。
けど、俺はどうしてもメルダを治したいと、強く祈ったのだ。
だって、こいつがいないと、師匠が他にいないからな。俺が困るのだ。
そのおかげで、俺の本来の実力以上の回復魔法が発動した。
メルダの傷はかなり大きかったが、これでもう大丈夫だろう。
「ありがとうございます……。力が暴走するのが怖くて、自分で治療できなかったんです……助かりました。しかし、さすがはエルド様です。いつのまにかもうこんなに回復魔法が上達されていたのですね……」
「ふん、気にするな。俺は商品の整備をしたまでだ。それに、これはお前のおかげで身に着いた能力なんだ。お前こそ、いい師匠だな……。礼はいらない。むしろ礼をいうのはこっちのほうだ。いつもありがとうな……。十分世話になってる。だから、無茶はもうするな」
「はい……申し訳ありませんでした……」
俺はこのときの回復魔法で、たしかな手ごたえを感じた。
いままでにないほど、俺の回復魔法は成長している。
これも、メルダという師匠を治したいという強い気持ちがあったからだろうか。
つくづく、メルダには感謝だな……。
俺の回復魔法は順調に成長していて、ほとんどの大きな傷は治せるようになっていた。
あとは、腕を生やしたりすることができるようになれば完璧なんだが……。
一度試してみる必要がありそうだ。
今の俺になら、できる気がする。
俺は絶対に破滅しない。そのためには、どんな傷も治せるようにならなきゃいけないんだ。
◆
「けが人だぁあああ! けが人が出たぞおおおお!!!!」
ある日、一人の奴隷がそう言ってみんなを集めた。
俺もそこに行ってみると、そこには腕を斬って血を流している男がいた。
たしかこいつはジャッケンという名前だったかな……。
どうやらジャッケンは働きすぎで、めまいを起こし、作業中に誤って自分の腕を斬り落としてしまったらしい。
なかなかに悲惨な光景だ……。
あまりの騒ぎに、父もその場に駆けつけた。
「ふん、何事かと思えば……。けが人などどこにいる? 腕を斬った間抜けな奴隷がいるだけではないか。奴隷は人ではない。だから奴隷はけが人にあらず! けがをした奴は病気になる。さっさと殺してしまえ! 変わりはいくらでもいるのだからな! はっはっは!」
相変わらず、ひどい親父だと思う。だが、そんなのは俺の知ったことじゃない。
この親父がどこでなにをしようと、そんなのは勝手だ。それでこいつが将来滅びるのも、俺は助けるつもりはない。俺は俺が助かればそれでいいのだからな。
俺も元のエルドほどの悪人ではないが、決して善人やお人よしってわけでもない。特に、今は自分の破滅フラグを折ることで頭を回すのが精いっぱいだ。
だが――。
ちょうどいい。
「どいてください。父上、この奴隷、いらないのでしたら私の好きにしても?」
「なに? エルドの好きに? まあ、いいだろう。焼くなり煮るなり好きにせい」
俺は腕を斬った奴隷に向けて、回復魔法を使ってみることにした。
蛙の腕を生やすことには成功したけど、人間の腕を生やすのはまだやったことがないからな。試せるいい機会だ。これができなければ、俺は破滅するしかない。
腕を失った奴隷は、さっき親父が言ったように、うちではすぐに処分されることになっている。
だからこんな機会は、めったにない。
俺は回復魔法で、ジャッケンの腕を生やそうと魔力を込める。
「ヒール……!」
俺はその場で数時間かけて、ジャッケンの腕を生やしてやった。
「……頼む……生えてくれ……!!」
俺は強く祈りながら魔力を込めた。
すると、ジャッケンの肩口から何かが蠢くように、じわじわと皮膚が盛り上がり、血の膜が広がる。
赤黒い骨が形成され、筋肉がそれを包み込んでいく。
蛙の腕を生やしたときは、血流の再生に時間がかかった。でも人間の腕のときは、血管を繋ぐ感覚がハッキリとわかった。
俺の回復魔法は順調に成長しているようだ。
施術を続ける。
ジャッケンの指先がじわりと動く。
やがて、腕が完全に出来上がった瞬間――。
「す、すげぇええええ!! 本当に生えた!!」
まだかなり時間と気力を消耗するが……なんとかうまくいった。
これなら、俺も破滅回避できそうだ……!
あまりの長い治療に、父はいったん席を外していたが、成功を聞きつけると、戻ってきてこう言った。
「ほぅ……いつの間にこんな芸を……。我が息子ながら驚いたぞ、エルドよ。しかし腕を生やすときたか……うぅむ……。お前、その才能は一体……。そういえば、お前の母親は光属性だったな……」
父は俺を褒める。
俺の母親……そうか、俺の母親は光属性だったのか。
母親は俺が生れたころすぐに死んで、父はあまりそのことを話さなかった。
もしかしたら、母親のほうの回復魔法の才能がすごいのかもしれないな。
それにしても、父が人を褒めるなんて珍しい。
これはお小遣いアップかもな。
ジャッケンの腕は、なんとか作業を継続できるまでに回復した。
「ふん、まあいい。働けるなら死ぬまで働け。わしは忙しい。もう行く」
父が行ったあと、ジャッケンが俺の元へ駆け寄ってきて言った。
「坊ちゃま! ありがとうございます……! なんとお礼を言えばいいか……。ど、どうして俺なんかを……?」
「いや、俺は別に。お前を治すことで、俺の技術が向上するからだ。それだけだ」
「で、でも……助けてもらったのは事実です……! おかげで処分されずに済みました……! ありがとうございます……!」
なんだか奴隷に礼を言われるというのも変な話だ。こっちはこきつかっている側だというのにな。
だが、これでまた奴隷に媚びを売れたな。いざというとき、奴隷に殺されたらたまったもんじゃない。
◆
【side:ジャッケン】
俺の名はジャッケン。
やっちまったぁ……やっちまたよ……!
俺は魔道具を使って金属を切ったりする作業の担当だったんだが……。
今日、仲間とふざけていたら、自分の腕を切り落としてしまったのだ。
しかも、俺の腕は、そのまま焼却炉に落ちていってしまった……。
我ながら、アホなことをしたと思う……。
こんなしょうもないことで、自分の腕を失ってしまうなんてな……。
けど、仕方ないだろう……?
俺たち奴隷は、毎日同じ作業の繰り返しで、たまにはふざけてもみたくなる。
そのくらい、俺たちの日々はつまらないし、苦痛だったんだ。
けど、まさか……こんなことになるんて……。
俺は殺処分だろうな……。
クソ……終りだ……。
そう思っていた……。
だけど、そこにあのエルド坊ちゃまが現れて、こう言ったのだ。
「どいてください。父上、この奴隷、いらないのでしたら私の好きにしても?」
「なに? エルドの好きに? まあ、いいだろう。焼くなり煮るなり好きにせい」
おいおい……俺はなにをされるんだ……?
坊ちゃまのおもちゃにでもされてしまうのか……?
そんなの、死ぬよりも悲惨だ……。
けど、違っていた。
なんとエルド坊ちゃまは、俺のなくなってしまった腕を生やそうとしたのだ。
「ヒール……!」
エルド坊ちゃまは、数時間かけて俺の腕を生やしてくれた。
額に汗をかきながら、とてつもない集中力を発揮していた。
なんでそこまでして、俺の腕を治療してくれたんだ……?
ほんとうに、感謝してもしきれねぇ、命の恩人だ。
俺は坊ちゃまを追いかけて行って、ひたすらにお礼を言った。
「坊ちゃま! ありがとうございます……! なんとお礼を言えばいいか……。ど、どうして俺なんかを……?」
「いや、俺は別に。お前を治すことで、俺の技術が向上するからだ。それだけだ」
「で、でも……助けてもらったのは事実です……! おかげで処分されずに済みました……! ありがとうございます……!」
俺はおかげで、明日からも働くことができる。
生きることができる。
これほど生きていることに感謝したのはいつぶりだろう。
俺は決めた、明日からはふざけずに、真面目に働こう。
そしてエルド坊ちゃまの利益になるように、たくさん仕事をするんだ!
もしいつかエルド坊ちゃまが困ったことになったら、そのときはきっと俺が力になる……!
そうなれるよう、俺も日々頑張っておかないとな……!
俺はそのあと、仲間の奴隷にもエルド坊ちゃまのこの善行を話して聞かせた。
すると、俺のほかにもけがを治してもらったやつがいるようだ。
それもあって、今では俺たち奴隷の間ではエルド坊ちゃまの評判はうなぎ上りだ。
あんなにお優しい主様は見たことがねぇ……。
他にも、パンをもらった奴隷もいるというし……。
俺たち奴隷の間で、いろんな良い噂が広がっている。
それにしても、なんで俺たち奴隷にそこまで優しくしてくれるんだろうな……?
はっ……!
もしかしたら、エルド坊ちゃまは俺たち奴隷を解放するという気高い志を持っていらっしゃるのかもしれない。
ちまたでは、奴隷解放運動をする連中も出てきているというし……。
あんなに小さいのに、立派だなぁ……。
◆
【sideメルダ】
私の名はメルダ。シュマーケン家で飼われている奴隷です。
回復魔法が得意で、多少待遇はいいですが、それでも奴隷の生活には変わりません。
屋敷内でけがをした奴隷なんかを手当するのが私の仕事。
毎日毎日けが人を治しても、またすぐにみんなけがをする。
そして私は感謝されるでもなく、少ないご飯でこきつかわれる。
奴隷の身分を今更どうこうしたいとは思いませんが、それでも代わり映えのしない、うだつが上がらない毎日にはうんざりしていました。
そんなある日、シュマーケン家のご子息であるエルドお坊ちゃまが私に話しかけてきたのです。
「このパンをやるから、俺に回復魔法を教えてくれないか……?」
「わ、私が坊ちゃまに回復魔法をですか……? 構いませんですけど……。回復魔法なんて、奴隷にやらせればよいのではないでしょうか……?」
ご主人様たちのような高貴な身分の人が、自分で回復魔法を使いたいなんて話、きいたことがなかった。
回復魔法なんて体力もいるし、しんどい仕事だ。そんなのは奴隷の仕事というのが世間の認識でした。
それなのに、この小さなお坊ちゃまは、私にそんなことを言ったのです。
「いや、興味があってな。ぜひ自分で修業したいんだ」
「わ、わかりました! そういうことなら、私にお任せください」
代り映えのしない日々に飽き飽きしていた私は、二つ返事で承知しました。まあ、元々奴隷に拒否権などはないのですが……。
お坊ちゃまに回復魔法を教える仕事は、普段の仕事よりもいくらか面白そうに思えたのです。
それに、パンをくれるというのであれば、やらない手はない。
それにしても、奴隷の身分である私にこうして頭を下げて教えをこうだなんて……。
エルド坊ちゃまは不思議な人だ。まだ幼いから、奴隷の扱いがわかっていないだけなのだろうか。
しかも、ちゃんと追加のパンという報酬までお恵みくださる。
幼いながら、エルド坊ちゃまにはただならぬ風格があらせられる。
「いいですか、まずはこうやって……蛙に腕を生やすことから始めてみましょう」
「ああ、わかった」
エルド坊ちゃまはすぐに蛙に腕を生やすくらいのことはやってのけました。
これには私はとても驚きました。
商人の方は我々奴隷よりも健康状態もよく、魔力も有り余っているとは思っていましたが……。それにしても……。すごいです。
正直、エルド坊ちゃまの回復魔法の才能はすさまじいものがありました。
なにか、譲れない意思のような、そういった覚悟を感じます。
よほど叶えたい夢でもあるのでしょうか。
蛙を治療するのだって、普通は何年か修行が必要なほどです。
シュマーケン家の方々は、闇魔法に才能があり、魔術師としてもかなり高名です。しかし、まさかエルド坊ちゃまに回復魔法の才能がここまであったとは……。
このまま回復魔法だけに才能と努力を注ぎ込めば……恐ろしいことになるだろうと想像できます。
「俺は人間の腕を生やせるようになりたいんだが……できるようになるかな?」
「坊ちゃまの才能があっても、それはおそらく不可能でしょう……。もし仮に出来たとしても、それにはかなりの年月を要します。人間の腕や脚を一から生やすなんていう芸当は、私にもできません。それこそ、大賢者や宮廷魔術医師などのレベルであっても、完璧な再生は不可能とされています。それができたのは、歴史上でも数人だとか……」
「そうか。なら、かなり修行は必要だな。できればすぐにでも生やせるようになりたいのだが……」
坊ちゃまのその発言を聞いて、私は内心驚いていました。
人間の腕を回復魔法で生やすなど、あり得ないレベルだからです。
よほどの才能がある人間が、死にもの狂いで努力して、ようやく届く領域……。
坊ちゃまはそれを軽々と口にしたのです。貴族の坊ちゃまが片手間のお遊びで学ぶというレベルを、はるかに超えています。
しかも、私の説明をきいてもあきらめるどころか、修行でなんとかできると思っていらっしゃるようです。
なんという自信……!
ですが、エルド坊ちゃまの目つきからは、本気が感じられました。
このお方ならあるいは……。そう思わせてしまうほどの才能が、エルド坊ちゃまにはある。
このまま修行を続ければ、将来はすごいことになるだろう。幼きエルド坊ちゃまを見て、私はそう思いました。
そして、私はそんなエルド坊ちゃまのために、もっと協力できないかと考えました。
人間の腕を生やすなんてことは、さすがに私にはできません。
ですが、エルド坊ちゃまはそれを望んでおられる……。
だから、私は自分でもっと修行をして、もっと優秀な教師になろうと思ったのです。
それが間違いでした……。
私の回復魔法は暴走し、逆向きに力を使ってしまったのです。
私は大けがを負いました。
そして、回復魔法を使って、自分で治そうにも、また暴走してさらに怪我をするのではないかと、怖くなってしまったのです。
これでは、エルド坊ちゃまに魔法を教えるどころではありません……。
私が部屋で傷みに苦しみ、のたうち回っていると、修行の時間になって、エルド坊ちゃまがやってきました。
こんな見苦しい姿をお見せして、本当に申し訳ないです……。
「おい、どうした! なにがあったんだ!?」
「それが……回復魔法に失敗しました……。そのせいで、力が逆向きに働いて、こんなことに……」
「なんだって……!?」
エルド坊ちゃまはすぐさま私に駆け寄ってきてくれて、心配してくださいます。
奴隷である私なんかを……。そんな奴隷商人はエルド坊ちゃまだけです。
「しかし、なんでそんな無茶をしたんだ……」
「自分の身体で、練習をしていたんです……回復魔法の……」
「なぜそんなことを……?」
「エルド様はもっと回復魔法が上手くなりたいとおっしゃっていました。それこそ、腕を生やせるくらいに……。しかし、そんなことは私にもまだできません。だから、エルド様に教えられるよう、自分も修行をおと思い…………」
「バカやろう……。俺のためにそんなことをするな……!」
エルド坊ちゃまは私のことを叱ってくださいました。
奴隷の身体なんてどうなってもいいというのが普通の奴隷商人です。
けど、エルド坊ちゃまはそれだけ本気で私なんかのことを心配してくださっているのですね……。
たしかに、私は少々無茶なことをしてしまったのかもしれません……。
「もう無茶はしないでくれ……。待っていろ。今治してやるからな……」
「エルド様……」
「ヒール……!」
エルド坊ちゃまは私のことをヒールしてくださいました。
やはりすさまじい才能です。
あれだけの大けがで苦しかったのが、嘘のように治りました。
私なんかのことをヒールしてくださるなんて……。私は廃棄処分になることを覚悟していたのに……。
こんな出来損ないの奴隷を、気遣ってくださるなんて……本当にお優しい。
「ありがとうございます……。力が暴走するのが怖くて、自分で治療できなかったんです……助かりました。しかし、さすがはエルド様です。いつのまにかもうこんなに回復魔法が上達されていたのですね……」
「ふん、気にするな。俺は商品の整備をしたまでだ。それに、これはお前のおかげで身に着いた能力なんだ。お前こそ、いい師匠だな……。礼はいらない。むしろ礼をいうのはこっちのほうだ。いつもありがとうな……。十分世話になってる。だから、無茶はもうするな」
「はい……申し訳ありませんでした……」
エルド坊ちゃまはそんなふうに、私のことを商品の整備だなんて言います。
けど、きっと本当はそんなこと思っていらっしゃらないのでしょうね……。
本当は優しい慈悲の心で、私を癒してくださったのだと、あの回復魔法を見ればわかります。
回復魔法は祈りや慈悲の心が大事。だから、きっとエルド坊ちゃまは本当はとてもピュアで、素晴らしいお心の持ち主なのだと思います。それが私には、ちゃんと伝わっていますからね……。
◆
驚いたことは、その数週間後に起こりました。
なんと、けがをした奴隷の腕を、エルド坊ちゃまが回復させたというのです。
数年かかるレベルの領域まで、まさかこの短期間でたどり着いてしまうだなんて……。
エルド坊ちゃまの才能は、私が思っていたよりもはるか先にありました。
「エルド坊ちゃま……それは、本当ですか……!?」
「ああ、やってみたらできたんだ」
「それは……すばらしい……もう私に教えられることはありませんね」
奴隷という立場でありながら、回復魔法を教えさせていただいている私としても、これは教師冥利に尽きるというものだった。
まさかここまで回復魔法をマスターするのがはやいだなんて……。末恐ろしい。
そんなふうにぐんぐん伸びていくエルド坊ちゃまに指導をするのは、こちらとしても楽しかった。
しかし、不思議なことは、坊ちゃまは回復魔法をそんなに熱心に覚えて、どうしようというつもりなのだろうか。
まさか奴隷商人である坊ちゃまが冒険者になどなるわけもないし……。
奴隷を治すのは、私のような回復奴隷にやらせればいい。
それだけが、不可解だった。